起きよ。輝け。

2023年11月26日(日)リバイバルミッション顧問 有賀喜一

イザヤ書60章1節 [新改訳2017]

『起きよ。輝け。まことに、あなたの光が来る。主の栄光があなたの上に輝く。』

主のみ名を心いっぱい賛美します。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!誰よりもイエスさまに大きな賛美をささげましょう。

リバイバルミッション、始まって五十三年。甲子園リバイバルミッションが行われて三十年という、この記念すべき年を迎えて、このような礼拝にお招きいただいて深く感謝をしております。

下條末紀子先生が神さまからビジョンをいただかなかったら、これは実現しておりません。いや、もし、滝元明先生がそのビジョンに応える決断をしなかったら、これも実現していません。いや、たとえ明先生が決断したとしても、こうして新城教会の皆さん方がバックアップしなかったら、実現しておりません。いや、新城教会の方が立ち上がったとしても、神さまご自身が立ち上がらなかったら、すべて無であります。
順牧師先生をはじめとして、心ある方が県民の森で祈って、まさに驚くべき聖霊が降りました。順牧師先生が「主が立ち上がられた日」という本を書いておられますが、まさに神さまご自身が立ち上がらなかったら、誰がビジョンを持っても、誰が決断しても、誰が結束しても、すべては無であります。

でもハレルヤ!神さまは立ち上がられたのです。だからビジョンが生かされ、決断が受け入れられ、皆さん方が協力し、そして聖霊さまによって、わざができたのです。なんと素晴らしい!我々の信ずる神は生きておられます。力あるお方です。わざをなさるお方であります。

それにしても、あの甲子園ミッションが始まって、なんと新城教会のある年配の方は、自分が召された時のために蓄えていたお金を献金してくださったそうです。またある方は結婚の時期を一年延ばして、結婚資金を献げたそうです。ちょっと皆さん、普通では考えられません。でも、それを皆さん方はなさったのです。だから神さまが尊んで、素晴らしい神さまのみわざを現してくださったのです。
そういう中に、神の歴史があることを、リバイバルミッションニュース十二月号の中で、「日本最初のリバイバルとその歴史」を順牧師が書いておられます。そうです。ジェームス・バラという宣教師が日本に遣わされてきて、津具村という所に訪問され、なんと素晴らしくリバイバルが起こった。それが日本のプロテスタントの歴史の始まりだと。しかもその津具村に、なんと明先生が誕生された。そういう中でリバイバルは神さまのご計画の中で始められて、津具村に生まれた明先生が甲子園リバイバルミッションで見事にメッセージを伝えられたのです。そして今があるわけです。

皆さん、神さまを私たちも心いっぱいあがめようではありませんか。神さまは生きておられます。そしてわざをなさっておられます。そして神さまのみわざは必ず完成されると信じております。

また、三十年前、集会のためにいろいろな印刷物が必要ということで、岡本先生がプレイズ出版を始められました。あの当時は失礼な話ですが、素人集団でした。ところがこのような働きに参加して、出版界の中でも今や注目されるプロ集団になっているではありませんか。なんという神さまの摂理の導きの素晴らしさです。

神さまはまたとりなしのために、望先生をはじめとして、戦略的なとりなしがなされてまいりました。船に乗ってとりなしをし、電車に乗ってとりなしをした。数年前アメリカで、日本にならって、サンフランシスコ湾を船で回って、みんなでとりなしをしました。続いてその周辺を、車に乗ってとりなしをしました。日本から、そのように輸出され、とりなしの祈りの働きが進められていることを聞きました。

またそれをきっかけに、開先生たちに上から歌が与えられて、ザワメキが、本当にざわめきを生みしたよね。神さまは、私たち一人ひとりを喜んでそのように用いてくださったのです。素晴らしいことです。

そしてまさに「Go Toミッション」、今日も平岡先生が沖縄で奉仕していますけれど、このようにして神さまのみわざは続けられておられます。

そういう意味において、私たちは三十年を祝うとともに、もう一度、イザヤ書六章一節の所にありますように、『起きよ。輝け。』
実はこの言葉は、文語訳では、

『起󠄃きよひかりを發(はな)て なんぢの光きたり ヱホバの榮光 なんぢのうへに照出(てりいで)たればなり』

また口語訳では、

『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。』

また新共同訳では、

『起きよ、光を放て。あなたを照らす光は上り、主の栄光はあなたの上に輝く。』

そして、新改訳の第三版は、

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。』

そして、新改訳の二〇一七年度版は、

『起きよ。輝け。まことに、あなたの光が来る。主の栄光があなたの上に輝く。』

また英語のKing James訳では、

『Arise, shine; For your light has come! And the glory of the Lord is risen upon you.』

この字幕では、最初のAが大文字で、あとは小文字になっていますが、実は本当は全部大文字です。ARISEという、これが大文字ばかりというのは、「アラーイズ!!」ということです。しかもshineも、今小文字になっていますが、原文ではSHINEが大文字ばかりなのです。ということは、「シャーイン!!」ということです。ただ、「アライズ。シャイン。」ではないのです。「アラーイズ!!シャーイン!!」ということです。あなたの光が私たちの上に来ているんだと。
『light has come! And the glory of the Lord is risen upon you.』とあります。New American Standardも同じように、大文字で

『ARISE, SHINE; for your light has come, And the glory of the Lord has risen upon you.』

なぜ、こんなにたくさんの訳を引用したかと言いますと、この箇所の本当の意味は、神が立ち上がってわざをしておられるという意味だからです。ゆえに、あなたも立ち上がって輝きなさい!それは既に栄光が神の国として現されているから。という意味なのです。

ということは、「起きなさい。」これから神さまがわざをするのではないのです。「起きなさい。」それは神さまが既にわざをしておられるからということです。

しかも、「輝きなさい。」これも命令形です。してもしなくてもいいというのではないのです。必ず、輝きなさい!それは既に私たちのうちに、イエス・キリストを通してのみわざが、恵みとして信仰によって自分のものになっているから当然、輝きなさい!ということです。

そして今も主の祈りがささげられました。「み国が来ますように。」もちろんそれもそうです。でもイエスさまが既においでになった時から、「時は満ちた。神の国は近づいた。あなたの手の届くところに神の国は実現した」と言っているわけです。そういう意味で、皆さん実感していただきたいために、各訳を紹介させていただきました。

今日は、三つの方面からお話をさせていただきます。第一に、まず「神さまの挑戦」です。「起きよ!」それは神さまが既にイエス・キリストを通して、私たちのために十字架の贖いを成し遂げられ、ありえない死から復活され、しかも聖霊がくだされている。神さまの側ですべてのことがもう成し遂げられている。
アブラハムは七十五歳の時に立ち上がって、「さぁ出かけなさい。」行き先をわからないままアブラハムは出かけました。またモーセが死んで、ヨシュアに「さぁ立ち上がりなさい。モーセの時と同じようにわたしはあなたともにいるから、どんな敵がやってきても歯向かうことができない。わたしが一緒にいるから。あなたの足の踏む所は皆、既に与えているんだから。」と言いました。
イエスさまにとっても、開口一番、三十年の隠れた生活の後、「時が満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
まさに、アブラハムも、ヨシュアも、イエスさまも立ち上がられたのです。なぜ?それは、神さまが立ち上がっておられるからです。私たちも三十年のこの甲子園ミッションを記念するとともに、順先生が昨年の八月に「本番はこれからだ!」と言っています。
愛する皆さん、それにしては皆さんちょっと静かにしてらっしゃいますけど、さっき「ウォー!」と歌ったでしょう。こういう時に使うべき言葉です。神さまは私たちに、「本番はこれからだ!ウォー!」と。

皆さん、世界の情勢を見て、戸惑いを持っていると思います。闇がまさに世界を覆っている。天変地異が起こっている。思いがけない地震がやってくる。そういう中で私たちは、神ご自身に目を留めましょう。どうか、初めであり終わりである真の神さまが生きておられるのです。力あるお方です。そしてわざをなさる方です。
だから神さまは既にあの津具村において、プロテスタントの宣教師がおいでになった時から、神は日本のために立ち上がっておられたのです。その村に明先生が誕生した。そしてこのようにして神のリバイバルのわざが始められてきた。
今そしてまた、順牧師が、聖霊の大きな神の立ち上がりの証しをいただいて、みわざが始められている。いよいよ、いよいよです!神さまは私たちに「立ち上がりなさい!立ち上がりなさい!」

若い世代の皆さん、二十代、三十代の若い皆さん、どうか三十年前のこの大きな出来事を今のこととして、「起きなさい。立ち上がりなさい。」と神さまは迫っていらっしゃると私は信じますがいかがですか。アーメン。

♪栄光の神 人となりて
地にくだりぬ その名はイエス
馬小屋に密かに伏し
悩み苦しみ十字架に
おぉ我深く イエスを愛す
我が命 我がすべて
偉大な救い主 神の愛 我が胸に

O how I love Him! How I adore Him!
My breath, my sunshine, my all in all!
The great Creator became my Savior,
And all God’s fulness dwelleth in Him.♪

イエスさまがどれほどのことをしてくださったか。その十字架と復活と、救い、聖め、癒し、解放をしてくださったか。聖霊の働きとともに、神さまがどれほどのことをしてくださったかを思う時に、もっと神を愛し、もっとイエスさまを愛し、聖霊さまに満たされて神のみ前に立ち上がりましょう。アーメン!

第二に「輝け!」これは文字通り、イエス・キリストを通して、私たちがどれほどの恵みをいただいたのか。そのゆえに私たちは輝くはずです。これは私たちの挑戦です。神さまが働いてらっしゃる。だから私たちも働く。
イエスさまはヨハネの福音書の五章の中でこう言っています。「私の父は今にまで働いておられる。だから私は働くんだ!」そうです。私たちがどんなに頑張ってみても神さま立ち上がらなかったらどうにもなりません。でも神さまが立ち上がった以上、私たちも立ち上がるのです。そして輝くのです。それは恵みによる救い、驚くべき信仰による救い、イエス・キリストの成し遂げられたこの救いのわざはなんと素晴らしいことでしょう。

七十六年前、十二月三十一日、私はお寺に向かっていました。でも街角で突然、クリスチャンの上級生に会い、無理やり私は教会に連れて行かれた。そして日本の教会の牧師先生は戦争中、配給米の生活で栄養失調で亡くなっておられ、代わりの方がおられなかった。ところが神さまは特別な配慮で、代わりの方を備えられた。
中国が共産化した。そのため四十年間、スウェーデンからの宣教師が中国から追い出されたのです。一旦スウェーデンに帰国した。四十年間も、毎日毎日アジア系の顔ばかり見ておりましたのに表に出ると外人ばかり。落ち着きがなくなって「やっぱりアジアに行こう!」そして日本に来られた。私は福島県の白川で、その先生を通して、生まれて初めて、聖書を見、メッセージを聞いた。
「誰でも新しく生まれ変わらなければなりません。」変わりたい。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどにこの世を愛してくださった。それはみ子を信じる者が一人として滅びることなく永遠の命を持つためである。」
生まれて初めて教会に行き、始めて聞いたメッセージで四つのことがわかった。
真の神はただ一人だ。しかもそれは目に見えない。でも見える神として、この世においでになった方がイエス・キリスト。誕生、生涯、だから罪のない生涯を送り、人間の身代わりとして十字架に命を捨てられた。それで終わりだった。普通だったらお墓に入ったらもう終わり。さいなら、さいならです。
しかしイエスさまは違った。三日目によみがえられた。ジェジェジェ!びっくり仰天。まさにその通り。そして聖霊が下された。