大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
被造物の管理人として、我が街・地域のために祈ろう!

2024年4月28日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ローマ人への手紙 8章19節
“被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。”

 

ハレルヤ!皆さん、おはようございます。
素晴らしい賛美を聞きましたが、今日のテーマである、すべての被造物が我々のためにうめき、とりなしているという歌詞がありましたね。
さて早いもので、今週で五月に入ります。花の季節、緑の季節の中にありますが、季節はどんどん進んでいきます。
「人は被造物の管理人」ということを、いつも語っていますが、もう一度、心したいと願っています。
『被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。』とありますが、「神の子どもたち」とは誰でしょうか。

“あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。”(ガラテヤ人への手紙三章二十六節)

とありますように、イエス・キリストを信じる者たちは、皆、神さまのファミリーに養子のように、接ぎ木されています。私たちは神の子どもです。すごいですね!「そうすると俺は神か?」というように思わないで下さいね。あくまでも「神さまの子ども」です。
お隣の方に、「あなたは神さまの子どもです!」と声をかけて差し上げてください。

先週、少しショッキングなニュースがありました。皆さんショックを受けませんでしたか。私はショックでした。

それは全国の、「消滅可能性自治体」が発表されて、報告書によると、全国で七百四十四自治体が消滅の可能性を秘めていると発表されました。そしてなんと、愛知県新城市が入っていました!目を疑いました。「新城市、設楽町、東栄町、豊根村」これらは、新城教会の守備範囲です。二〇二〇年から二〇五〇年までの三十年間に、消滅可能な自治体だというわけです。あと26年で、新城市は消滅するらしいです。ということは、新城教会もなくなるということなのでしょうか。深刻です。
昨日も孫たちと友人がやってきました。彼らと一緒に、設楽原パーキングエリアに行って、町を眼下に存続の為に祈りました。
「これから三十年以内にこの街が消える!」と話したら、「えっ!消えんよ!俺、ここにおるもん!」と話していましたけれど、この地域の若者たちの将来って、これから大変だと思うのです。
統計学的に、子どもを生むことができる女性たちが減って、このままだと新城市は存続できないみたいです。設楽町とか豊根村が消滅するのは何となくわからんでもないのですが、新城市もということは、この地域の未来は教会にかかっているのではないでしょうか。若い方々が教会で結婚して、多くの子どもたちを産んだらいいですね。菊地家並みになれば、この地域も変わってくるはずです。

この地域は、とても重要な地域です。特に、日本のキリスト教史の中で、欠かすことのできない地域です。この地域が消滅したら、日本のキリスト教会も霊的に消滅するのではないかと心配します。
なぜなら、いつも話していますけれど、日本のリバイバルの原点がこの地域にあるからです。
名古屋に「神の家族」という教会グループがあるのですが、水野先生が率いておられます。先生とは、五十年来の知り合いですが、現在、十五ぐらいの教会がグループ内にあります。先日、水野先生から連絡があって、リバイバルが起こった津具村を見学したいと言うことでした。なぜなら、私が昨年、リバイバルミッションニュースにそのことをレポートしたからです。それを読んで、先生はたいへん感動したというのです。「なぜこれを、もっと早く知らなかったのか!」と。
先生は名古屋で生まれたのですが、カナダの神学校を卒業して、名古屋に伝道の為に戻ってきたそうです。当時は、リバイバルという言葉さえ使うことができない、冷たい雰囲気だったそうです。
しかし一九六〇年代のことですが、私の父が教会に突然やってきて、「先生、名古屋のリバイバルのために共に祈りましょう!そして、協力して伝道集会をやりましょう!」と、声をかけたと言うのです。それで、名古屋の諸教会を説得し、「名古屋リバイバルクルセード」が一九七〇年、名古屋市民会館大ホールにて十日間にわたって開催されたのです。毎晩、二千五百人以上の人々が集まり、多くの人たちがクリスチャンになり、リバイバル集会となりました。
今回、日本のリバイバルの原点が、同じ愛知県、父の出身地、津具村にあったというレポートを見て、すごく心燃やされたそうです。それで、グループの先生方に呼びかけて、津具村の見学ツアーを行いたい!と、私は案内役を頼まれました。それで先々週、ご一行を案内させていただきました。

神の家族キリスト教会の先生方は、聖霊に満たされたペンテコステ派の先生方で、素晴らしい方々ばかりです。「村井与三吉先生の碑」とある、リバイバル記念碑の前で、真剣に回復を祈って下さいました。「もう一度、この地域にリバイバルが起きますように!愛知県がリバイバルされますように!」と祈りました。たいへん感動しました。

また、最近一人の牧師夫人が神学校の卒業生たちのコースに入っていて、津具で起こったリバイバルを卒業論文としてまとめたいから、協力してくださいと頼まれました。
その方が、いろいろと資料を整理して、リバイバルが起こった当時の様子をまとめて下さいました。明治十八年頃の話です。すこし抜粋してお読みします。

「一八八五年(明治十八年)東京で医学を学び、そこでクリスチャンとなった津具村出身の外科医山崎珉兵は、山深い自分の郷里にぜひ新しい文化を紹介したいと思い、バラを招聘して、連夜の集会を行った。毎夜立錐(りっすい)の余地もないほど人々は集まり、ついには近隣の町村からの来訪者も大勢集まった。」

とレポートされています。津具村にこのようなことが起こったのです。珉兵さんは、新しい文化を村に紹介したいという、少し野心もあったようですが、バラ宣教師の集会を行ったら、連夜、立錐の余地もないほど人が集まって、近隣からも集まったと言うわけです。
しかし同時に戦いもあったみたいです。

「しかし時は板垣退助らが自由民権運動を開始し、各地で政府関係者と大衝突を繰り返していたため、集会及び政社法が布かれており、集会の差し止めや、拘束するなどの脅しを受けたが、バラがキリスト教布教許可書を持っていたため、それを提示すると、田口警察署から二名の警察官の監視と筆記のみとなった。」

「やがて聴衆の中にも熱心に教義を研究する者が出てきた。郷社の祠官、夏目伊錄氏、下津具小学校次席教員(のちに校長となる)村井与三吉氏など公職者がそれで、これらの人々はバラに親しく近づいてバイブルの研究を始めた。」

「郷社の祠官」とは、神主です。神主がイエスさまのことに興味を持って、クリスチャンになったのです。また、校長の村井与三吉さんも真剣に聖書を研究するようになったと言うのです。

「明治十九年、バラが講演会を開こうとした時も、会場を貸す者はなく、やむなく信者の自宅で講演したが、覆面の集団が集い、石を投げ入れたり、罵声を飛ばしたり大騒動になり、来場者は数名にすぎなかった。その後、村井氏は修行のためにバラに随身することになった。」

集会を開催しようとしたら、覆面をかぶったISみたいな連中が来て中止させられてしまったわけです。

「バラの熱心な伝道に危機感を持った村の実力者が村長と共に夏目氏、村井氏を免職にしたり、反対集会を三夜連続でしたり、往診に出た山崎珉兵に対しても投石や「国賊」「人非人」などと罵声を浴びせたりする者が絶えなかった。反対派の攻撃が激しくなり、ついには予定していたバラの講演会も開催することができなかった。」

と記録されています。ただ単にリバイバルが起こって、ハッピー!ではなかったのです。大きな戦いがあったのです。神主の夏目さんがクリスチャンになって、神主をクビになったとは興味深いです。当時、神主は公務員でした。校長さんもクビになり、津具教会の牧師になったのです。
時代がどうであれ、その地に根を下ろして、福音を宣べ伝え続ける重要性を教えられます。地域のための祈りと宣教が、地域存続の鍵です。当時の人たちも、困難の中、身を挺して、福音を伝え続けたのです。
津具はそもそも、当時でも小さな村でした。それでバラはどこで伝道したいと願っていたのかと言うと、隣接する設楽町・田口という町でした。

しかしこの町でも反対運動が起こって、警察官が来て中止させられ、会場を貸してくれなかったのです。今日も、設楽町・田口から来た方もおられるのですが、この町はことごとく福音を遠ざけました。バラが伝道しようとして追い出されたのを始めとして、戦後、滝元明は津具ではなく、田口で伝道したかったのですが、決まっていた就職も断られ、宣教を断念しました。その結果、新城にきたのですが。
一九六〇年代、若者たちに聖霊が注がれて、この町に伝道に行く若者が現れました。しかしその家族もやがて追い出され、次の牧師は交通事故で亡くなり、続いて東京から来た牧師夫妻もよくやってくださいましたけれど、亡くなられました。そして現在は、私の友人、菅沼先生夫妻が頑張っています。
今回、神の家族の先生方に、設楽教会に立ち寄っていただき、祈っていただきました。
ある意味、歴史的に、首の皮一枚で繋がっているような、設楽町の教会です。消えることがないように、ぜひ、祈ってください。
新城市が消えたらやがて、新城教会も消えることになりますから、重大です。

最近、日本に地震が多すぎます。今年になって、四月までに震度五弱以上の地震が、二十三回も起こりました。去年は一回だけだったそうです。二十三回とは、今後、五十回近くあるということになります。巨大な地震が増えていることは、明日は我が身か、今日は我が身かという時代です。
そもそも日本は場所が悪いです。大きなプレートの接点に列島が横たわっています。地震が起きて当然です。日本列島は、本来、人が住んではいけない島として、創造されたのではないかと感じます。神は列島を防波堤にして、地震とか津波を受け止めて、大陸を守る役目として創造されたのかも知れません。
台風だって、必ず日本列島の上を通過していきます。日本人は「大陸の方に行け!」と願っていても、ご丁寧に東に進路を変えます。私たちは先祖のせいで、この島に住んでいるわけです。どうしたらいいのでしょうか。やはり管理人の出番ではないでしょうか。
新城市は中央構造線という、日本最大の断層が縦断しています。日本は昔、二つの島にわかれていたのです。それがぶつかって今のような形状になったわけです。

新城の谷に沿って、それを見ることができます。右側と左側、別々の島だったわけです。島同士がぶつかった際、どのぐらい大きな地震が起こったのか想像できません。この最大の断層が動いたら大変です。

先週、私は、中央構造線の路頭部分に祈りに行きました。

黒い方が太平洋から押し寄せてきた島の岩石で、上の白い方がユーラシア大陸側の接点です。教会の近くにあります。その延長線上付近に、浜岡原子力発電所もあります。この原発は十年ぐらい止まっています。東北に大地震が起こった時、気になったのは浜岡原発でした。すぐにとりなしの祈りに行きましたけれど、感謝なことに、以来、止まっています。ただその維持費だけで一兆円だそうです。本当に危ない所に作ってしまったものです。

過去百日間に、これだけ多くの地震が起こっています。

先日は高知県で大きな地震がありました。今回の地震、東南海地震の震源域内で起こった地震です。多少深かったから、それとは関係ないと気象庁は発表しました。しかし関係ないはずはないです。東南海トラフから、震源域の中に、愛知県も静岡県も含まれています。これが起こったら、その瞬間から、すべての営みはストップします。今こうして礼拝を守っていますが、地震が起こったら、コロナどころではないです。すべてがストップし、日本も終わるかもしれません。
私たちは、被造物の管理人として、とりなして祈る必要があります。一人ひとりに任された地域で、地震から守られるよう、お祈り下さい。