起きよ。輝け。

皆さん、私は初めて行った教会で、一回聞いたメッセージで、「これは本物だ。」私は自分の罪を悔い改め、そしてイエスさまを、信仰によって贈り物をいただくように受け取ったのです。「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ!」「彼を受け入れた者、すなわちその名を信じた人々には神の子となる特権を与えたのだ。」なんという恵み、なんという信仰。そして救いをいただきました。すべての過去の罪を赦され、汚れは聖められ、新しい人生に、神の命に生まれ変わることができました。「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造り替えられた者です。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなった。」なんという恵み、なんという信仰でしょうか。

私は母から迫害を受けました。でもやがて母はクリスチャンになりました。その母がクリスチャンになった時、滝元明先生の為に、奥様が質屋に行って交通費を作って白川まで来てくださったのです。
母親はその一週間前、自分の隣人で、自分よりも若い奥さんでしたけれど死んでいきました。その時、最後の土壇場の中で、その奥さんは「暗い所へ落ちていく!落ちていく!落ちていく!助けて!」と言っているのに、ご主人が「大丈夫だよ!支えているよ!」と言うのに、「いや!暗い所に落ちて行く!助けて!」それが最後だった。
この姿を母が見た時に、「おまえは自分の息子がクリスチャンになった。伝道者になると言って神戸の神学校に入った。もう縁を切ると言って断ち切った。それほどまで仏教を大切にしていながら、目の前で助けてと言っているこの女の人に、こうすれば救われると言ってあげられないのか。おまえの仏教はそれほど力がないのか。もしかしたら、息子があれだけ迫害されても信仰を持っているという、息子の持っている信仰が本物かもしれない。」という神のささやきの中で、次の日曜日、家から歩いて五分の所に教会があり、母は初めて行ったのです。そこで明先生を通して、見事に母もイエス・キリストを信じ、クリスチャンになったのです。

それから七年後、あれだけ頑固だった父親、頑固なのはしょうがないのです。商売が石屋ですから。でもその父親が喉頭がんにかかった。お医者さんから余命三ヶ月と言われた。でも母と私は心合わせて祈りました。神は聞いてくださった。奇跡が行われた。お医者さんはクリスチャンでした。父親に言いました。「有賀さん、これは医学でできないことを真の神さまがなさったのです。これは奇跡です。」父親は有無を言わせず、クリスチャンになりました。
これだけの母父がクリスチャンになったのを見た兄と兄嫁、二人の義理の兄たちがびっくり仰天して、「これは本物だ!」彼らは一九五九年五月二十五日の夜、こぞってみんなクリスチャンになりました。その日は忘れられないです。私の結婚式ですから。
ところが結婚式の後、私はハネムーンに行きませんでした。その代わり大阪でクリスチャンクルセードという集会があって、家族を全部連れて、その集会に出たのです。メッセージの後、招きがなされた時、母だけがクリスチャンでした。父、兄、兄嫁、二人の義理の兄たちが皆、立ち上がって決心したのです。

愛する皆さん、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」なんという恵みでしょうか。なんという救いの輝きではないでしょうか。神さまはそのようにして、神の働きを展開させてくださっています。
皆さん方もそうでしょう。驚くべき恵みではありませんか。アメージンググレース!と歌いますよね。「驚くばかりの」と。でもあまりあの歌を驚きながら歌ってない人が多いのです。「おどーろーくーばーかーりのー♪」と、全然驚いていません。アメージング!とはびっくり仰天!「おっどろっくばっかりの!」と、こういうふうに狂った方が本当の歌い方になるのです。それほどの恵みです。

ナガランドにもリバイバルミッションで参りましたね。百五十年前は人食い人種だった。しかし見事に変えられた。今は九十九パーセントがクリスチャンになりました。
あのリバイバルミッションの二年後、私はリバイバルミッションで行った時に、私の通訳をしてくださった方が、ペンテコステ系の教会の牧師先生だったのです。それでペンテコステのグループだけで集会を持ちたいということで、というのは、ペンテコステグループが誕生して三十年記念ということでお招きいただいて行きました。
全部の教会を一致すると会場がないので、二十五の教会だけで、五千人が集まって、そこで三日間の集会をしました。皆さん、驚くべき神のみわざ、恵みではありませんか。福音の輝きではありませんか。

またネパールは二〇一五年、私は参りましたけど、一九九一年には何と二万人のクリスチャンしかいなかった。ところが今は三百万人ですよ。おっどろくなかれ。わずか三十数年の間に二万人から三百万人ですよ。神さまの輝き、驚くべき恵みです。
ネパールで、リバイバルミッションのツアーも組まれていかれましたけども、二〇一五年四月にネパールの地震が起こりました。由緒ある記念物の建築物が壊れたりなんかしましたが、ある町外れの田舎です。三千人ぐらい住んでいるある山間の田舎町です。そこに、ヒンズー教のお坊さんが村長さんだったのです。ところがあの地震の後、国も、またヒンズー教の人たちも、誰も応援に来なかった。ところが、その村に来たのはクリスチャンです。教会です。そして、外国からのクリスチャンのボランティアです。みるみるうちに道路が補修され、家が建て直され、そして水を入れるタンクが屋根の上に上げられて、もうみんなが驚きました。
一年間、このヒンズー教のお坊さん、村長さんがこれを見ていました。国も、ヒンズー教の人も何にもしなかった。でも来てくれたのはクリスチャン、教会だ。そして一年後、この村長さん、ヒンズー教徒のお坊さんが、「私は決心しました。ヒンズー教を止めます。クリスチャンになります。皆さんも、わかったでしょ!これこそ本当の愛だ!ここに本当の信仰がある!」村人三千人が皆、クリスチャンになったのです。
しかも三年後、この村長さんは通信教育で勉強して牧師になったのです。そしてヒンズー教の十六人のお坊さん、お友達を皆、クリスチャンに導いたというのです。すごいではありませんか。
神さまはクリスチャンの輝きを、福音の輝きを、信仰の輝きを、このようにしてみわざを進めておられるのです。

今、暗闇が世界を覆っている。でも神は生きておられる。そしてクリスチャンも生きている。だからその神のみわざが進められております。

「起きよ。立ち上がれ!神の挑戦。」「輝け!私たちの挑戦。」そして最後に、「主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」これは神の国の挑戦です。
早くからリバイバルミッションは、特に順先生を通して、この神のみ国の建てあげのために、驚くべき神の知恵が与えられて、その悪魔との対決をし、そして神の権威と神の恵みと、神の命が証しされてまいりました。
多くの人々が解放され、神の民に加わってまいりましたね。そのようにして神さまは今、最期的な仕上げをなさろうとしておられます。
そして、イエスさまご自身の核心でもありました。「時が満ちた。神の国は近づいた。もう手の届くところに来ている。そうだ。あなた方の心の中にまず神の国が始まった。」そして、教会の中に神の国が現されている。そして私たちはキリストにあって、一つになって働くところに神のみ国がたて上げられる。

最近もタイのプーケットのブライアン・バートンという先生からメールをいただきました。スマトラ沖の大地震で、プーケットは壊滅いたしました。しかしその後、英国の政府の関係と、このバートン先生は英国の宣教師ですから、世界中の支援をいただいて、そして壊されてしまった病院を建て直し、学校を建て直し、そして警察署を建て直し、そのようにしてなんと市庁舎まで建て直した。
やがてこのプーケットの市長さんがクリスチャンとなり、所長さんがクリスチャンとなり、お医者さんがクリスチャンとなり、そうして今、クリスチャンの市長さんが立てられている。なんと、九十八パーセントの仏教の国であるにもかかわらず、プーケットは六十五パーセントがクリスチャンになったと言うのです。驚くべき神の国の証しではないですか。

愛する皆さん、私たちはいよいよ時が来ました。お互い自分の生涯の中において、今こそ神が働いておられるゆえに立ち上がりましょう。
私たちはイエス・キリストを通して、驚くべきこのような救いの恵みをいただきましたから、輝きましょう。
そして神の国が、これからではない。既に立ち上がっているのです。心から神の国の権威と、神の国の愛と、神の国の命を、私たちが証しする時に、神は素晴らしいことをしてくださいます。

十三年前、東日本大震災が起こりました。太平洋岸の二十七の教会がほとんど全滅いたしました。しかし今日、その教会は平均して七倍のクリスチャンを集めています。なぜですか。それは神の国の視点が与えられたのです。今までは教会は伝統的に教会に来た人々を導くというアプローチでした。でももう教会に来てもらうと言っても教会の会堂がなくなったのです。だから信者さんがそれぞれ自分の家を教会として、小さな集会を数多くするようになりました。近所の人々がそこに集うようになりました。しかもクリスチャンの方は日中は泥かき、またいろいろな人々に水を運んだり、食べ物を運んだり、政府は冷たい弁当を配りました。でもクリスチャンはお料理をして、温かい食べ物を提供していきました。皆、わかりました。天皇陛下もおいでになって「寄り添います」と言ったけど、その日のうちに帰りました。あの当時の総理大臣も「寄り添います」と言ったけど、その日のうちに帰ったのです。ボランティアも一年、二年はいました。でもみんな帰ったのです。人々はわかりました。寄り添うと言わないけれど寄り添ったのは教会です。クリスチャンです。みんなわかりました。ここに本当の愛がある。ここに本当の命がある。結果として七倍のクリスチャンが増えているのです。ある教会は二十倍になっているのです。

愛する皆さん、大震災がない方がいいです。でも、私たちの考え方を根底から覆して、新しくして、神の国が何かを見せていくことです。行動に移していくことです。

愛する皆さん、明先生が息を引き取られたわずか後、まだ手のぬくもりを感じる時、私は先生と手を合わせ、「先生、先生のリバイバルスピリット、エリシャがエリヤに二倍の霊をくださいと言ったように、先生の二倍の霊をください。」と祈りました。
既にそれから八年経っています。でも私は先生のそのぬくもりを今も実感しています。神さまも生きておられる。明先生も生きておられる。神さまは私たち一人ひとり、ここで三十年を記念するとともに、今こそ本番だと、順先生ではないけれど、私も叫びたい。いよいよ本番です!
三十年前よりも、もっとリバイバルが欲しいのです!なければならないのです。

先ほども歌っていただきましたが、「起きよ、光を放て。主の栄光をあなたの上に照らしているから。」あの手話の賛美がいいね。

愛する皆さん、今日、私たちもいよいよ二〇二四年になお入っていきます。リバイバルは近づいてきております。そしてあなたの中に、このリバイバルの炎が始まっていますから、私の中にも始まっていますから、そして神さまの前に燃え続け、輝き続け、力ある神のみ国を証しし続けましょう。主のみ名によって祝福してお祈りいたします。

ハレルヤ!あなたのみ名を賛美いたします。私たちは驚くべき生きた神を、恐れの心を持って見上げております。ジェームス・バラが日本に来て、津具村に入り、驚くべき人々がリバイバルを経験しました。その中で明先生が誕生し、そして明先生が三十年前、下條先生のビジョンを受け継ぎ、決断し、新城教会、そして心ある聖霊に導かれた人たちがともに加わって、驚くべき全日本リバイバル甲子園ミッションが開かれてまいりました。これは新しいリバイバルの夜明けとなりました。文字通りあなたご自身の栄光が現されました。
今私たちは三十年経って、それを思い起こしつつ、そして新たなる聖霊の新しい望みを、どうぞ県民の森の油注ぎを、今新たに、あなたが注いでくださり、私たちを新しくして、なお前進させてください。これからが本番だ。いよいよあなたご自身のみ名の栄光を求め、神さまが生きて働いておられる、あなたが挑戦している。だから私たちも挑戦します。そして神のみ国が拡大され、前進いたしますように。あなたはこれらの祈りを聞いてくださることを信じ、イエス・キリストのみ名によって、祝福してお祈りいたします。アーメン。