〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
教会の使命・・・それは霊的戦い!

2023年9月24日(日)新城教会主任牧師 滝元順

エペソ人への手紙 6章10~13節(新改訳2017)
『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。』

ハレルヤ!素晴らしい賛美の中でメッセージを語ることができて、心から感謝いたします。
いつも皆さんにお祈りしていただき、支えられていますことを本当に感謝します。今週の火曜日、私は六番目の孫を得ることになります。リベカは帝王切開で出産が決まっているのですが、なぜ火曜日かというと、水曜日が彼女の誕生日だからです。なんとか一歳若く産もうという、涙ぐましい努力です。病院のスケジュールもあるとは思うのですが、覚えていたらお祈り下さい(無事に生まれ、母子ともに元気にしています。お祈りを感謝致します!)。

今日、お話ししたいことは、先ほど読んでいただいた、パウロの遺言のような言葉からです。彼は大切なこととして最後に語りました。まずは『主にあって、その大能の力によって強められなさい。』と勧めています。我々は、自分で生きることはできません。聖霊によって強められ、生きる必要があります。
続いて、『悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。』と語り、続けて、「人生は血肉の戦いではなく、霊的戦いだ」と述べています。

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。』と断言しています。この言葉が事実だとしたら、私たちは、どのぐらい現実的に、霊的戦いを意識しているでしょうか。

続いて、『ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、』と戦いの準備を呼びかけています。悪魔は大攻勢の日を計画しているようです。
一年の内で、悪魔が攻勢を仕掛ける時期はいつなのでしょうか。昨日は、「秋分の日」でしたが、暦の意味を調べますと、昼の長さと夜の長さが同じ日です。それは春分の日にも共通するのですが、歴史的にも、世界中で最も強く意識され、偶像礼拝、祖先崇拝、シャーマニズムが行われる日は、「春分と秋分」です。と言うことは、悪霊どもがより多く動員され、悪魔が大攻勢をかける日であると言うことです。しかし逆にクリスチャンたちが、この時期に霊的戦いを意識するなら、神の国は前進するはずです。

実は先週から、韓国から何人かの先生方が新城教会に来られています。今朝はムン先生が礼拝に出席してくださっています。お久しぶりです。先生、お立ち上がりくださいますか。先生には韓国リバイバルミッションで大変お世話になり、今も続けてお世話になっています。なぜ先生方が来られたのかと言いますと、実は、隣町にある朝鮮学校、歴史は七十年以上ですが、この度、閉鎖され、取り壊されることになったからです。それで、最後のイベントが今日あって、そのために来られました。

振り返ると神の奇跡に気づかされるとお話ししましたけれど、私たちが朝鮮学校のために祈り始めたのは、韓国リバイバルミッションの前後からでした。
主が、朝鮮学校のために、また、日本国内にある、韓国と北朝鮮の現実、分断の歴史に関わった日本の歴史を学び、特に、日本に在住する朝鮮総連系の方々の祝福を祈りなさい、と語って下さいました。それから私たちは祈るようになりました。

そのことに最初に気づかされたのは、他でもなく、私の家内でした。春川で韓国リバイバルミッションがあったのですが、そこで「在日朝鮮人伝道」というセミナーがありました。家内はそのセミナーに出席して、「この事実を、絶対に知らないといけない!」と、私に強く勧めました。そして「セミナーを録音してきたから、絶対に聞いてほしい!」と言うのです。私はあまり興味がありませんでした。自分が担当しているセミナーもあるのに、他人のセミナーなんて・・みたいなところがありました。しかし録音を聞いてみて、心を強く揺さぶられました。これは日本の教会にしか出来ない、宣教の領域であると感じました。
それで、この地域にある朝鮮学校の近くに行って、まずは祝福を祈ることから始めました。すると奇跡が起きました。現役の朝鮮学校の先生で、北朝鮮の主体思想にどっぷりつかっていた方がクリスチャンになって、洗礼まで受けられたからです。そしてその後、その領域から、何人もがクリスチャンになりました。
しかし、朝鮮学校は名古屋の大きな朝鮮学校に合併・吸収されてしまいました。今日は閉校のイベントです。新城教会からも参加し、主が次にどのように働いてくださるのかを、現地で祈っています。
ふり返れば、朝鮮学校の為に働けたのは、あの時期しかチャンスはありませんでした。
その事に気づかせようとされたのは、聖霊さまでした。しかし一方では、「関係ない!」みたいに、私は感じていました。それは敵が私に覆いをかけていたからです。
けれども、聖霊さまと家内の熱意によって、私の覆いが取られて、「これは大切だ!」と分かったのです。
主任牧師のために、ぜひ祈ってください。私が気づくか気づかないかで、教会の将来が変わるからです。主が語りたいことをキャッチできるように祈って下さい。あの日、私が朝鮮学校に対する働きを拒否したら、今日はありません。今分かることは、あれは大きな歴史的・国際的な霊的戦いでした。

話は変わりますが、この三週間、毎週、土曜日になると、二人の少年がリュックを背負って、私の家にやって来ます。
毎回、彼らと一緒に夕食に行くのですが、夕食の単価が毎回、下がっています。焼肉から始まって、はま寿司、そして、昨日はマックでした。
昨日、彼らは二人でこう話していました。「なんでみんなは、イエスさまのことわからんのかなー?イエスさまが神さまだっていう、こんな簡単なこと、なんでわからんのかなー?」と口を揃えて話していました。「そんなの、一+一=二よりも簡単だよなぁ。」と言いました。いやぁ、本当にすごいなぁと感動しました。
彼らは小学校二年生で、後も先も考えていないわんぱく少年たちです。
「おまえたち、幸せか?」と聞いたら、「ん、幸せだよ!」と答えました。「何か悩みはあるか?」と聞いたら、「ある!」と言うので、「何?」と聞くと、「宿題。」と答えました。そんなの悩みに入らんわ!と思いますが、彼らは真の神さまについて、はっきりわかっているのです。

コリント人への手紙 第二 四章四節、

『・・この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。』

イエスさまが神だとわからせないのは、「この世の神、すなわち、悪魔・悪霊ども」の仕業です。福音の光が輝かないように、彼らが覆いをかけているのです。しかし覆いが取られると、イエスさまが神で救い主だ!と、「一+一=二よりも簡単だもんなぁ!」と言っていましたが、実に簡単に分かるのです。
少年たちは、「イエスさまを知らないで生きるのは大変だよなぁ・・。」と話していました。おまえら、何年生きたの!と言いたくなります。
数年生きただけでも、「イエスさまを知らなかったら、大変だろうな・・」と感じるみたいです。イエスさまが救い主だとわかるのは、大変重要です。しかし敵が福音の光が輝かないように、働いているのです。

ですからパウロは、『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。』と語りました。これらはクリスチャンに対して語られた言葉です。
そして、『悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。』と語っています。

私たちが新約聖書を読む時、まずは根底にある大きなテーマを理解する必要があります。それは初代教会の人たちが直面していた、大きな戦いについてです。それは何かというと、「迫害と殉教」でした。
もしも今、この瞬間に、二千年タイムスリップして、古代ローマ帝国に入ったら、何が起こるのか・・・。私たちは、ローマ兵によって逮捕され、ライオンの穴に投げ込まれるか、コロッセウムでライオンの餌食になるかのどちらかです。初代教会の歴史は、迫害と殉教そのものでした。
そんな厳しい時代に生まれなくて、本当によかった!です。それに比べたら、多少なことがあっても、心を強くしなければいけないですね。
新約聖書を読む時、このテーマをしっかりと押さえるべきだと思うのです。先ほど読んだエペソ人への手紙も同様です。教会に対する「迫害と殉教」という、立ちはだかる問題のただ中で、彼らは、「これは肉的な戦いではない!」と理解していたのです。それはすごい事です。彼らには、「この戦いは霊的戦いだ」という理解があったのです。だからパウロは、そのことを諸教会に書き送ることができたのです。

すべての問題、それは現実の問題のように見えますが、実は、霊的戦いです。人生の中に起こる様々な問題、その発生源はどこかというと、見えない霊的世界で発生し、それが現実の世界に投影され、具現化しているわけです。
パウロはそのことについて、このように語っています。

「支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊」との戦いだと告げました。

これはどういう意味か。実は「支配、力、暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊」とは、悪魔を頂点とする「悪霊どもの組織」を意味します。
見えない世界に君臨している悪魔・悪霊どもには組織があり、組織的に働いているということです。これを図にすると、こういう感じになります。

「支配と力」は、見える世界、すなわち地上で働いている霊的勢力です。それらをコントロールしているのが、「暗闇の世界の支配者たち」です。ギリシャ語では、「コスモクラトール」という単語が使われています。それは、占星術の用語ですから、星々の世界を牛耳っている悪しき組織があるようです。
さらに、「天上にいる諸々の悪霊」と続きます。

先週も少し触れられていましたが、「天上」とは、単数ではなく「複数、諸天」です。
聖書を読む時には、古代人が持っていた霊的世界観を知ると理解しやすくなります。

“ユダヤの伝統的な天地観では、「天」、つまり人間が生きている地上よりも「上」の世界は「複数の階層」から成る、と考えられていた。どれだけの階層が存在するのかは、ラビや学派によっても意見が分かれる。”

というわけです。
パウロは自分の強烈な体験について記しています。

『私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。』(コリント人への手紙 第二 12章2節)

パウロは他の箇所では「諸々の天」という表現も使っていますから、天は三つだけではなくもっと多いと考えていました。パウロは諸天の中の「第三の天」に行ったのです。ここは、主を信じる者たちが、死後に移される場所であると考えられます。イエスさまを信じて「天に帰る」とは、第三の天に入ったのです。

当時のユダヤ人たちの天地観は、イラストにするとこんな感じです。

地上、空、諸天、諸天の天、このような天地観を持っていました。
また地下には、シェオルという、神を信じない者たちが死後、行かなければならない世界があります。さらに、シェオルよりももっと深い場所があるとも考えていました。
このように、当時の天地観を知りますと、支配、力というのが、地上の領域を支配している暗闇の組織で、空とは、コスモクラトールと呼ばれる宇宙的な「暗闇の世界の支配者たち」、さらに、「天にいる諸々の悪霊」とは、諸天にまで及んで働いている勢力が存在することを示しています。これは、天の法廷に主を信じる者たちを訴える勢力です。
そして「諸天の天」とは、何者も犯すことの出来ない、「神のみ座」そのものとなります。