〜2022年〜「それは主の復讐の年」
〜聖さん式礼拝〜「悪魔に立ち向かえ! パート➁」

2022年9月25日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヤコブの手紙 4章6節~7節
『神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』

おはようございます。ハレルヤ!
「バック・トゥ・エデン」の演奏、よかったですね。彼らメンバーは四人で、演奏者は三人、和音楽器がほとんどありません。しかしよくやっていると思うのですが、一人ひとりがうまくないと難しい編成です。しかし素晴らしい演奏を聴かせてくれました。いろいろなタイプの賛美グループがありますが、それぞれのギフトがあって、用いられています。
目的を持たないで生まれた人は、誰一人いないです。そして人類には共通の目的があります。それは何かと言いますと、前回も語らせていただいたように、二つの方向の目的があります。
一つは「神に従う」という目的です。人類は、すべての被造物の長として造られて、被造物の管理人とされました。創造者に聞き従うことが大前提です。
しかし、もう一つ、「これこそ目的」と言ってもいいと思うのですが、「人類共通の目的」があります。それは「悪魔に立ち向かう」という目的と使命です。人類が悪魔に立ち向かわなかったら、被造物は創造の目的に向かって進むことはできません。
最近、多くの問題が世界に起こっています。『世全体は悪いものの支配下にあることを知っています。』と聖書にありますが、毎日のニュースと言ったら、良いニュースって、ほとんどありません。悪いニュースばかりです。戦争があったり、疫病があったり、犯罪があったり、家庭が崩壊したり、病、事故、苦しみ、数え切れない悲惨なことが立て続けに起こっています。どうしてでしょうか。
前回もお話ししましたように、地球に透明人間のような悪しき存在が働いていたら、気づかない以上、どんなに対策を講じても、問題はとどまりません。
聖書は、「究極的な敵は人ではない」と告げています。目に見えない敵である悪魔とその一派、悪霊どもが真の敵であると、はっきりと語っています。

この敵に立ち向かうのは誰の役目か?それが、人の役割です。イエス・キリストを信じ、贖われた者たちの使命です。
戦場の真ん中に立たされて、そこが戦場だと気づかなかったらどうなりますか。ピクニックに来ているような気分ならば、すぐに敵に倒されます。聖書が告げているように、この世は悪いもの、悪魔の支配下にあるのです。どのような場所に住んでいるのかをしっかり、認識しなければいけません。認識さえあれば、人は戦う為に創造されましたから、敵に対抗する力と能力は備わっています。
私たちは神に従う者であり、同時に、悪魔に立ち向かう者であると認識するだけで、敵は逃げていきます。
たとえば、家の中に敵である透明人間がいて、気づかないで過ごしていたらどうでしょう。しかし家の中がごちゃごちゃしている時に、誰かが、「お父さん、お母さん、どうしていつも喧嘩しているの?もしかしたら、家の中に透明人間がいて、二人を戦わせているんじゃない?」と言ったら、私が透明人間ならば、ビクッとして、ちょっと行動が制限されます。そんな中、「透明人間の仕業に違いない!この家から透明人間を追い出そう!」と、家族全員が一致したらどうでしょうか。もう私はそこにとどまることはできません。他の家に行きます。
同じです。人類が地球に働いている、見えない敵を意識したら歴史は変わります。敵を認識できるか否かが勝負です。

時々、「霊的戦いなんか嫌だ!」と言う人がいます。「戦いは神さまにすべて任せましょう!」と語られることがあります。しかしそのメッセージは間違いです。なぜならば、聖書は次のようにはっきりと告げているからです。

『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。』(ローマ人への手紙16章20節)

神が戦うのではないのです。サタンは、「あなたがたの足の下で踏み砕かれる」のです。あなたの足がなかったら、悪魔を踏み潰すことはできないのです。なぜなら神は人に戦う能力を与えて、人類に戦いの働きを委託されているからです。「あなた方に権威を譲渡しているから、戦ってください!」と、権威を人に譲渡されているのです。
ということは、私たちが神さまの声を聞いて、「あそこに敵がいるから踏み潰して来なさい!」と主から告げられたら、踏みつぶさなければならないのです。

では、具体的にどうしたらいいのでしょうか?パウロもエペソ人への手紙で、

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(エペソ人への手紙6章12節)

と、断言しています。私たちの本質的な戦いは、見える戦いではなく、見えない敵との戦いです。これが最も激しい霊的戦いの現場です。主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊どもとの戦いです。悪魔は悪霊どもを組織化して、組織的に攻撃を仕掛けます。
では、この組織を潰すための組織はあるのでしょうか?あります!それが、贖われた者たちの集団である「教会」です。

では、どのように戦うのか?目に見えない存在とどう戦うのか?エペソ人への手紙六章十八節にその秘訣が述べられています。

『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。』

戦いのための強力な武器は「祈り」です。
エペソ六章十八節に示されている「祈りの戦い」を分析してみますと、敵に打ち勝つ祈りの秘訣を学ぶことが出来ます。
第一に、「すべての祈りと願いを用いる」ことです。ただ「神さま助けてください。アーメン。」という通りいっぺんの祈りではなく、すべての祈りと願いを用いなさいと勧められています。あらゆる角度と方向から、祈ってみることが必要です。

次に、「どんなときにも聖霊によって祈る」ことです。聖霊さまは助け手ですから、助けを求めると、どのような角度と切り口で祈ったら良いのかを教えて下さいます。窮地に陥った時、ただ助けてくださいと祈るだけでなく、「聖霊さま、どのように祈ったら良いのですか?」と、聞いてみてください。内側には、聖霊さまが共におられます。必ず、「こう祈ってみたらいかがですか?」と、祈りを導いてくださいます。「どの地域に出向いて祈ったらいいですか?」と尋ねてみてください。「あの場所に行って祈りなさい。」と聖霊がサポートして下さいます。

次に、「絶えず目をさまして祈りなさい」です。我々は常に目に見えない戦場にいるのですから、勉強中も、仕事中も、家事を行っている時も、何をやっていても、常に霊的な目を覚ましている事が大事です。目を覚ましていたら聖霊の声を聞くことができます。寝ている人に声をかけても通じません。同じように、霊的に眠ることなく、目覚めて、聖霊さまの声を常に聞く体制で過ごしましょう。

そして、「すべての聖徒のために祈る」ように勧められています。教会とは、霊的共同体です。「戦い」は個人プレーではありません。「教会という霊的組織」対「悪魔の組織」との戦いです。
一人ひとりに霊的賜物が分け与えられています。それぞれに祈りの能力が与えられていて、一つ欠けても戦えません。ゆえに「教会に属するすべての兄妹姉妹のために、互いに祈り合いなさい」と勧められています。
時々、まったく意識していない方が夢の中に出てきたりします。あれ?十年も二十年も会ったことがないのに、なぜ夢の中に登場したのかなぁ?と、不思議に思う事があります。そんな経験はないですか?
そのようなことがあったら、ぜひ、その人のために祈ってあげてください。もしかしたら、その人は何か問題を抱えているのかもしれません。あなたの祈りが必要かもしれないのです。私は、夢の中にただの通行人でも、ある人が出てきたら、その人のために祈るようにしています。
時々、私が夢の中に出てきて祈ってくださる方もおられて感謝です。「先週、順先生が夢の中に現れましたよ!」と、どんな形で現れたのか聴くのも怖い時もありますが、「すべての聖徒のために祈りなさい。」これが霊的戦いに勝利する秘訣です。

次に、「忍耐の限りを尽くして祈れ」と励ましています。この三年間、私はある意味で、忍耐の限りを尽くして祈って来ました。なぜならば家内が病であったからです。感謝なことに、この十月で家内は病が発覚して三年経ちます。初めは三ヶ月、四ヶ月しか命は持ちませんと言われたのが、三年になるのです。本当に大変でしたが、「忍耐の限りを尽くして」祈っています。ある意味、六章十八節を実践した中で、今があります。皆様が忍耐をもって祈ってくださったことによって、ここまで来れました。
最近も、ちょっと入院したのですが、今は退院しています。先週も病院に行ったのですが、「癌はどこにもありません。」と言われました。今後も家内のために、忍耐深くお祈りしていただけると感謝です。この勝利は、個人の勝利ではなく、教会全体の勝利です。これから勝利が広がっていくと、私は信じております。
エペソ六章十八節のみことばを三年間実行してみて、この中に勝利の秘訣がある事を体験しています。

ペテロはリアリティをもって、霊的戦いを生々しく描いています。ちょっと怖いですよね。

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。』(ペテロの手紙 第一 5章8~9節)

当時のクリスチャンたちは、ローマ帝国の強い圧政と迫害の中にありました。彼らは迫害され、命の危機に瀕していました。ペテロはそれが単に、ローマ帝国のせいではないことを語っています。ローマ兵が、獅子のようにクリスチャンを探し廻っているけれど、それは背後の悪魔の働きであると告げています。堅く信仰に立って、「この悪魔に立ち向かえ!」と励ましています。そうしたら「悪魔は逃げ去る!」と約束されています。悪しき環境の背後には、必ず、暗闇の力が働いています。
特に、私たちが注意しなければいけない点は、先日もお話しさせていただきましたけれど、「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」とありますように「偶像礼拝」です。偶像とは、手で作られた神々ですが、その背後には目に見えない敵の力が、組織的に働いています。

旧約聖書の最も古い翻訳は、「セプチュアギンタ」と呼ばれる「七十人訳聖書」です。紀元前二世紀頃に翻訳されたヘブル語からギリシャ語に翻訳された聖書です。
今の私たちが持っている聖書だと、詩篇九十六篇五節、

『まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし【主】は天をお造りになった。』

「むなしい」という訳になっている箇所ですが、七十人訳聖書は「偶像の神々は皆、悪霊だ」と訳しています。
紀元前二世紀頃の人たちは、偶像の背後に悪霊が働いている事を、強く認識していたからです。その後、考え方が徐々に薄れて、聖書翻訳にも影響を与えているわけです。
日本は偶像礼拝が強い国です。ということは、悪霊が組織的に働いているのです。私たちが偶像礼拝と一線を画して戦うこと、それがすなわち、霊的戦いです。

イエスさまは弟子たちを連れて、ある時、ピリポ・カイザリアという地域に行かれました。

イスラエル旅行に行かれた方ならお分かりですが、ガリラヤ湖から何十キロも北方に上った場所です。歩いたら、一日以上かかると思います。ヘルモン山の麓です。イエスさまはわざわざ、弟子たちをその場所にまで連れて行き、「人々は人の子を誰だと言っていますか?」と尋ねられて、「あなた方はわたしを誰だと言うのですか。」と聞かれました。
その時、ペテロをはじめ、弟子たちは「あなたは生ける神のみ子キリストです!」と答えました。弟子達はイエスさまに対して信仰告白をしたわけです。イエスさまは弟子たちの信仰告白のために、ガリラヤ湖近辺ではなくて、わざわざピリポ・カイザリアにまで行き、質問されています。
どうしてなのかというと、そこには大きな意味があります。ピリポ・カイザリアという場所は、歴史的に、旧約聖書時代は「バアル・ヘルモン」と呼ばれて、バアル信仰の拠点でした。
その土地は、紀元前一九八年、セレウコス朝のアンティオコス三世が、エジプト軍を打ち破った古戦場でした。「設楽が原の戦い」の古戦場に連れて行ったようなものです。
さらに、紀元前二〇年には、ヘロデ大王が皇帝アウグストから、この場所を譲り受けて、記念に皇帝礼拝の神殿を建てました。当時、ローマ皇帝は神でした。日本も国家神道時代、天皇を神としていたのと同じように、ローマ皇帝は神として神殿に祀られ、拝まれていました。
イエスさまの時代は、ピリポ・カイザリアと呼ばれて、ギリシャ神殿も建てられていました。その場所に弟子達をわざわざ連れて行ったのです。今は廃墟になっています。