〜2022年〜「それは主の復讐の年」
〜聖さん式礼拝〜「悪魔に立ち向かえ! パート➁」

 

 

 

 

 イエスさま時代は、牧羊神パンが祀られていました。地域住民はこぞって「これぞ私たちの神!」信じて礼拝する拠点でした。この場所に、イエスさまは弟子たちを連れて行ったのです。
弟子達の目の前では、人々が偶像の神々に信仰告白をしていました。そんな只中で、弟子達は「イエスさまは生ける神のみ子キリストです!」と宣言したのです。

現代の信仰告白は、「主イエスさまを信じます。」と教会において告白するのが普通です。しかし信仰告白とは、本来、異教の神々の面前で、「これらの神々は私の神ではない!イエスさまこそ、生ける神のみ子キリストです!」と宣言することなのです。これが真の信仰告白です。
最近、クリスチャンになられる方は、自分たちが拝んでいた偶像との関係を断ち切って、「私の神はイエスさまです!」と宣言するようにしています。そうすると信仰に筋金が入ります。
日本人の多くは偶像礼拝をしています。しかしそんな中で、「イエスさまは私の救い主!私の神!」と宣言することが悪魔に立ち向かうことです。

その時に、イエスさまは言われました。

『そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。』(マタイの福音書16章18~19節)

「岩の上に教会を建てます」と言われました。そして「天のみ国の鍵をあげます」と言われたのです。すごいですね。
このカギは『あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。』という、天と地が連動して働く鍵です。

異教の神々のただ中で信仰を貫いていくこと、これこそ、天のみ国の鍵を受け取る秘訣なのです。
そしてその宣言は「よみの門/ハデスの門」に対する勝利でした。ハデスの門はどこか。イエスさまは弟子たちと共に、パン神殿の門を見ていたのです。人々はパン神殿に流れ込んでいました。その光景を見て、「これがハデスの門だ」と語られたのです。偶像礼拝の先にあるのはハデスです。ハデスとは悪霊どもの住処を表しています。日本的に言えば、「地獄」です。偶像礼拝の行き着く先はハデスです。
しかし教会は、ハデスの門前に建てられて、ハデスは教会に打ち勝つことはできないのです。ゆえに、戦いを恐れなくても良いのです。教会は、敵に立ち向かう拠点であり、勝利の拠点です。
時々、「教会に属するのはめんどくさい」と言う人がいます。日本はクリスチャン人口が少ないようですが、実は、多いところもあるのです。なぜかと言うと、教会に属さないクリスチャンが意外と多いからだと言われます。特に、都会でその傾向が強いそうです。「教会に行くの面倒くさいからな…。俺、イエスさまちゃんと信じてるし…。ネットでも、いろんな教会の礼拝に出られるし…。」と言うわけです。「あなたはどこの教会に通っているんですか?」と聞くと、「どこにも属していないけど、クリスチャンだよ。強いて言えばネット教会かな・・。」みたいな人が多いのです。それでも神さまは救ってくれますが、本来、教会に深く根ざすことはたいへん重要です。

霊的戦いは、神の組織であり軍隊である「教会」と、この世にある「悪魔の軍隊」とのガチンコ勝負です。霊的戦いは、一人で戦うものではありません。軍隊対軍隊の戦いですから、一匹オオカミだと狙われやすいのです。
教会に属すると、少しは面倒なところもありますが、守りの為に大変重要です。コロナで教会に来られないとしても、「私は○○教会に属している!」とアイデンティティーをしっかりと持つことがたいへん重要です。

実はこの九月、終わりの週になるわけですが、新城教会においては、記念の月です。なぜならば、一九五六年九月一四日は新城教会設立記念日だからです。新城教会は宣教が始まって七十二年です。しかし、宗教法人を取得し、本格的に設立されたのは、一九五六年九月でした。今年で六十六年になります。こんな新聞記事が保存されていました。
 「豊橋新聞」という新聞社がかつてありました。この記事は預言的です。「神の国を築く設楽教会」
昔、この地域は新城市ではなく南設楽郡と呼ばれていました。それで新城教会ではなくて「設楽教会」と呼んでいました。現代では、「神の国を築く新城教会」となります。一般の新聞社が「血と涙の使徒」とキリスト教用語使って記事を書きました。一般の新聞がこのように書いてもいいのか?と思いますけれど、実に預言的だと思います。当時、新城中学校の前の四軒長屋の片隅に教会はありました。その当時の信徒の方々です。

 

この写真は先週、いただいた写真です。誰が誰か分からないと思うのですが、半数の方々は天に帰られました。

 

 

 

そして今、このような教会になっています。

教会とは、どういう場所か、旧約聖書で教会を表す用語は、「カーハール」です。「呼び出された者の群れ」という意味があります。そして新約聖書の教会という用語は、皆さんご存知のように「エクレーシア」です。
しかしエクレーシアという単語は、元々、教会を表す単語ではありませんでした。それはギリシャ社会にすでに存在していた一つの組織を指していました。人々はエクレーシアという組織を見て、「最近、クリスチャンたちが集まって礼拝しているけど、これってエクレーシアによく似ているね。」と呼ぶようになって、やがてクリスチャンの集まりは「エクレーシア」と呼ばれるようになりました。
日本には教会はありませんでした。明治時代になってから教会が出来て人々が集まるようになりました。誰かがクリスチャンの集まりを見に来て、教会という単語を作ったのです。
「教会」とは、「会衆を教える」という意味です。だから初め、「会衆が集まって牧師が喋っている。教室とあんまり変わらんな・・。じゃぁ、クリスチャンの集まりは教会と呼ぶことにしよう。」となったわけです。
しかしこ「エクレーシア」とは、元々、戦いのための組織でした。種々の軍事行動に対する作戦と、宣戦布告のための組織だったのです。これは初代教会が、教室のようなではなく、ファミリーのようでもなかった、悪魔と戦うための組織であったからです。だから正確に訳せば「教会」ではなく、「戦会」です。「会衆と共に戦う」軍隊組織それが教会です。

教会とは、「戦いのために呼び出された者たちの群れ」です。教会が霊的戦いを意識しなかったら、教会ではなくなります。
教会に集う、ひとり一人は主の勇士であり、主の軍の兵卒です。全世界の教会が霊的戦いに目覚めたら、世界は変わるはずです。
さらに「教会」は、ただの組織ではなくて、エペソ人への手紙1章22節では次のように述べています。

『そして万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。』

このみ言葉はたいへん重要だと思います。教会とは、ただ人だけの集まりのように思いますが、かしらはキリスト、主を信じる者たち、プラス、「すべての被造物」も繋がっているのです。教会にすべての被造物も加わり、共に敵と戦うのです。
ということは、教会には宇宙規模の広がりがあるのです。我々は気づいていないのですが、すごい組織に関わっているのです。
日本では教会は小さく、マイノリティーのように思ってしまうかもしれません。しかし教会とは、救われた者だけではなく、すべての被造物も関わっています。

「福音とは何か。」それは、人の救いだけではなく、全宇宙、地球、自然、全ての生物、社会制度、被造物全体を回復することを「福音」と呼びます。福音を宣べ伝える教会は、全被造物を貫くものなのです。
ですから「悪魔に立ち向かう?怖い。」と思わないでください。戦いに目覚めたら、敵は逃げていくのです。

特にこの十月は、戦いに目覚めていただきたいと思います。十月になるとハロウィンが出てきます。

最近、日本でも盛んになってきました。これは直接的に悪魔・悪霊どもと関わる祭りです。だから絶対に関わってはいけません。ハロウィンの霊に立ち向かってください。こども園で「ハロウィンパーティー」と言ったら、子どもたちは「ノー!そんなのやりません!」と言ってください。小学校でも、はっきり言ってください。会社やサークルでも断って下さい。これに関わる事は、悪霊を直接引き込むようなものです。
私は毎年、ハロウィンがどういうものであるかを、短く教えている動画をお見せしているのですが、今年もお見せします。

是非とも、戦いのポジションに立っていただきたいと思います。
ハロウィンとは、日本の盆とか、祖先崇拝と強く繋がっています。明日まで彼岸です。彼岸はハロウィンの呼び水となります。しっかりと立ちましょう。また今週は国葬もあります。世論の半数以上が反対しているのにも関わらず、なぜ政府は強行するのか分かりません。いずれにしても先祖のふりをした悪霊どもが背後で働いています。この十月を勝ち取りましょう。

そして霊的戦い勝利の秘訣、もう一つは、聖さん式にあります。今日は「聖さん式礼拝」です。コリント人への手紙第一の十一章二十六節に、

『ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』

「主の死を告げ知らせる」とは、「イエスさまは死なれた!」という宣言です。
「イエスの死の宣言」とは、イエスさまは死の瞬間、死の力を持つサタンを打ち破られたからです。聖さん式は死の霊に立ち向かうという意味があります。
ヨハネの黙示録十二章十節・十一節、

『私は大きな声が、天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。』

黙示録は、一義的には、ローマ帝国に迫害され、苦しんでいたクリスチャンに対して、主が語られた言葉です。

『兄弟たちは子羊の血と自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。』と記されています。当時のクリスチャンたちは、迫害の只中で信仰を力強く告白しました。
そしてもう一つ、『子羊の血』とは、何を意味するでしょうか。それは「聖さん式」を意味します。

『ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』(コリント人への手紙第一 十一章二十六節}

このみことばは、ヨハネの黙示録十二章のみことばとリンクします。今から聖さん式を行います。今日は敵に立ち向かう剣として、聖さん式を行いたいと願います。様々な問題の中で、苦しんでおられる方、今日は堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かいましょう。必ず、主は私たちに勝利を与えてくださいます。
私もこの三年間、大きな試練の中、エペソ人への手紙の六章の十八節の言葉を実行してきました。「もう嫌になった。勘弁してください。」と思うことも度々ありました。しかし粘り強く祈り続けると、必ず、道は開けて行きます。そして、その只中に聖さん式があります。
最後に一言お祈りして、聖さん式を始めます。

天の父なる神さま、み名を崇めて心から感謝いたします。今日は聖さん式礼拝です。「悪魔に立ち向かう」というテーマで、聖さん式を始めます。
主よ、この場所に来てください。会見の天幕であると宣言します。インターネットで礼拝されているすべての兄弟姉妹の場所が会見の天幕でありますように。
私たちは主が来られるまで聖さんを続けます。イエスさまが死なれたことを宣言します。私たちは、子羊の血と証しの言葉で悪魔に打ち勝ちます。戦いの勇士として励まし、強めてください。私たちに油を注いでください。尊いイエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。