〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
最高の賛美をささげよう!

2023年5月7日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヨハネの黙示録 5章11~13節
[また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」

ハレルヤ!皆さん、おはようございます。Back2Edenの賛美、よかったですよね。女の子が欲しいご家庭は、ギターの菊池さんの家に行って、お祈りしてもらうと、もしかすると生まれるかもしれません。子どもたち六人全員、女の子です。母親のさやかさんは「何人でもいける」とパワフルです。
明日から、法律的には新型コロナはなくなります。霊的にも、勝利を宣言したいです。今まで新型コロナは伝染病二類に指定されていたのが、五類という、普通の風邪になります。
振り返ればこの三年間、新城教会も、様々なことがありました。乗り切ることができるか、一時はどうなるのか、たいへん心配でした。礼拝も、誰もいない中、配信でメッセージを語らなければならい時期もありました。
しかし先週も話したのですが、三年間で人間以外の被造物は大きく回復したと思われます。なぜならば、人間が勝手なことをしなくなって、巣ごもりした結果、地球環境全体が回復に向かったからです。

実は私、今週、手術を受けます。どんな手術かといいますと、白内障と緑内障の手術です。今週の土曜日です。手術時間は十分から十五分だと聞いています。歯科よりも簡単です。翌日も消毒しなければいけないらしく、それで、二週続けてメッセージに立たせていただいています。これも主の計画の中にあると思っています。

五月は一番過ごしやすい季節ではないかと思います。被造物にとっても、最高の季節だと思われます。特に植物は新緑で溢れています。秋も過ごしやすいのですが、植物にとっては、葉を落として冬に向かいますから、今の季節が最も力に溢れています。
ですから、被造物の管理人であるクリスチャンは、この時期をしっかりと見据えて、責任を果たさなければなりません。

歴史は、被造物全体の賛美集会に向かっています。先ほど読んでいただいた、黙示録五章十三節は、

『また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」』

と告げています。歴史の延長線上に、最初の被造物から、最後に出現した被造物まで、すべてが集められ、子羊イエスさまを礼拝する日が来るのです。
歴史とは、「すべての被造物が主をほめたたえる日に向かう流れ」と定義できます。その理解は大切だと思うのです。被造世界には、様々な営みがありますが、それらはすべて被造物全体の賛美集会に向かっており、「そのために万物は存在している!」のです。

先週は東京と大阪で、大型バスに乗って、街中を賛美して巡る、リバイバル・ミッションの企画がありました。
日本の中心地、「東京」と、かつての中心「京都」を勝ち取るために、賛美して街を巡ったわけです。新城教会からも参加してくださいました。
また先週は、ジョージさんとキコさんの結婚式もありました。おめでとうございます!素晴らしい結婚式だったそうです。
菊地家には、第六女が誕生しました。

五月四日には、「この地に植えられ七十年」を記念して、「七時間連鎖賛美集会」が行われました。本当に素晴らしい賛美集会となりました。

 夕食には、雲の柱がパスタを作ってくれました。元々、聖書に出てくる雲の柱は動いたり、止まったりするものでした。雲の柱のパスタも同じです。美味しかったですよ。

今回の賛美集会の奏楽の中心は、ちびっこバンドでした。子どもたちが中心となって奏楽の奉仕をしました。なかなかのものでした。
新城教会にはミュージック・スクールがあって、幼い時から音楽を学ぶ環境が整っています。

音楽は、私もやっていたのでわかるのですが、四種類の人がいます。それは、「下手で下手」、「下手でも上手い」、「上手くても下手」、そして、「上手くて上手い」という四種類です。新城教会の演奏者たちは、下手でも上手いです。でも今日のバンドは上手くて、上手かったです。
神さまのみ業と計画は、断片的に見るとなかなか理解しづらいのですが、振り返り歴史を検証すると、神の計画が見えてきます。
先ほども申しましたように、歴史のゴールは、「被造物全体の賛美」です。その視点で賛美の歴史、特に、「新城教会七十年、賛美の歴史」を振り返ると、なるほど!と納得できます。「主は私たちを、ここに連れていきたかったんだ!」と分かります。
去年も少し触れたのですが、新城教会の賛美の歴史を振り返ると、やはり一九六〇年代の子どもたちの賛美から始まっています。

 これ見てください。匂いが出てきそうな感じの子どもたちです。
この写真を見て、私はネパールを思い出しました。山の子どもたちとあまり変わらない感じです。

六十年前の日本は、ネパールの山の中と変わらなかったです。山の子どもたちも、最近は結構、変わったのではないかと思います。
七十年間の歴史の中で、一つの賛美革命が起こりました。そこで用いられた、忘れてはならない少年がいます。それは誰かというと、この人です。

 以前にもお見せしましたが、真面目そうな少年です。これは誰でしょうか。それは皆さんの前に立っている老人です。自慢ではありませんが、今から六十年前、新城市に初めてエレキ・ギターを持ち込んだのが私でした。
私の中学生時代、日本にエレキ・ギターブームがありまして、私は「勝ち抜きエレキ合戦」という番組を毎週見ていました。それを知っている人はあまりいないかもしれません。その頃、エレキ・ギターを持っただけで「不良」というレッテルが貼られました。牧師の息子がエレキ・ギターを持ち込みましたから、たいへん非難されました。一番反対したのが親父でした。私の父は鉱山の土方をやっていて、その頃、筋肉流々で、腕っぷしも強かったのです。私は「打倒親父!」という事で、中学生時代は体を鍛えて、親父との対決に備えていました。激しい戦いの中、ついに親父が、「分かった。これからの時代、こういう音楽も必要かもしれない。」と言って、「エレキ・ギターで讃美してみろ。」と許可してくれました。それで新城教会に新しい音楽が入ったわけです。

そこから誕生したのが、私を中心としたグロリア・シンガーズでした。最初は、私のギターだけで、しかもコードは三つしか知りませんでした。ギターコードで、Fが一番難しいです。手が痛くてなかなか音が出ません。とりあえず、DとA7とGの三つのコードで歌える曲だけを演奏していました。それがグロリア・シンガーズの始まりでした。
グループができたことによって、賛美に様々な楽器が使われるようになりました。
現在はどこの教会でも楽器を使うのは当然です。しかし今から六十年前、そのような楽器は悪魔の楽器と呼ばれて、使ってはいけない雰囲気が教会にはありました。
私たちはグループを始めてから頑張って練習して、徐々に上手くなったので、父と田中先生が伝道会で歌わせてくれるようになりました。当時は珍しかったので、たいへん評判になりました。
しかしそれが問題になったのです。「日本伝道会議」が時々開催されるのですが、日本中の牧師たちが集まって、「このような賛美は良いか、悪いか?」と議論して、日本の教会の意見は二つに割れたそうです。でもその後、ほとんどの教会が、新しいスタイルの賛美へと変わりました。やはりパイオニアは大変です。でも頑張って良かったと思います。
しかし振り返ると、そこには神さまの偉大な計画があったことがわかります。

グロリア・シンガーズで、「喜びの日々」というカセットテープを作りました。シャロームという会社が制作してくれて、すごく売れました。一説によると、その頃、こういう賛美がなかったので、二万本ぐらい売れたというのです。すごいでしょ、大ヒットです。でも、その会社、一銭もギャラを払ってくれなかったです。中華料理を食わせてくれて終わりでした。
音楽ってやっているとわかりますが、技術的にも音楽的にも頭打ちになるのです。ダメだな・・と分かるのです。音楽やっている人はみんな、葛藤があると思います。「俺って下手だなぁ・・」と、自分の弱さを知る一番良い方法が音楽です。偉そうにやっていても、ダメだな・・と思っていたら、一人の人に出会いました。
 それが「小坂忠」でした、一九七〇年代。彼は、一般の音楽シーンのトップを走っていました。その人がクリスチャンになったという話を聞きつけて、彼のところに、押しかけて、ついには忠さん夫妻と一緒にミクタム・レコードという、今でもありますけれど、レコード会社を始めてしまいました。私たちは二十年以上、彼らと一緒に働きました。途中で岩渕さんもクリスチャンになって、グロリア・シンガーズは三本くらいのアルバムを制作させてもらいました。これで音楽的にも、垣根を越えることができました。よくぞやったという感じです。


「いのちのパン」という賛美シリーズを知っていますか?今でも売っています。日本の教会が聖歌とか賛美歌しか歌っていなかった中で、画期的な賛美でした。短いけれども、みことばそのものを歌う「スクリプチャー・ソング」と呼ばれました。それらがどこで録音されたかというと、なんと、ここ、新城教会の会堂です。
この会堂ができたのは一九八〇年でしたが、この場所にグロリア・シンガーズと、忠さんたちと、少しメンバーを加えて録音したのです。
ある意味、日本の新しい賛美の原点に関わらせていただきました。その後もリビング・プレイズだとか、プレイズ&ワーシップとか、いろいろなCDができましたが、それらにも関わらせていただきました。
こうして、ただバンドで演奏するだけでなく、共に主を賛美し、礼拝するように導かれて行きました。
それでも音楽的には限界があります。

そんな中、一九九二年、聖霊が注がれて、甲子園ミッションから、リバイバルムーブメントが日本に起こりました。今ではレジェンドになりましたが、甲子園ミッションはすごい集会でした。
ここでドラムを叩いたのは誰か知っていますか?

甲子園でドラム叩くほどの人ですから、相当な人です。それは、先ほど礼拝でドラムを叩いていた松枝さんです。彼が恐れもなく甲子園でドラムを叩き、ベースはなんと中学三年生の堅志でした。彼らがバンドメンバーとして抜擢されたのです。中村裕二さんという「スクエア」という有名なバンドのベーシストが音楽監督で、彼らを起用してくれたのです。いやぁ、本当に不思議なことが起こりました。
 父のメッセージも、あの頃は歯切れが良かったです。彼の伝道メッセージで、本当に多くの人が決心して、講壇の前のステージに上ってきたのを、昨日のように思い出します。巨大な十字架の舞台の上に、こんなにも大勢の人が上ってくるとは、予想だにしなかったので、ステージを、そんなに強く作っていませんでした。
 しかし何千人という人たちが上ってきてしまったので、平岡先生が、「もう決心しないでください!救われないでください!」とは言いませんでしたけれど、「これ以上、ステージに上らないでください!」と叫んだくらいでした。それはリバイバルの光景でした。日本のリバイバルの原点にも関わらせていただきました。

一九九八年、東京リバイバル・ミッションでは、武道館で十日間、前代未聞でしたけれど、この時もすごかったです。こんなに大勢の人たちが、イエスさまを信じる決心をしました。

 その為に、主が与えてくださった賛美が、ザワメキです。ザワメキというネーミング、誰が命名したか知っていますか。それは、「主が声を出すと」という、甲子園ミッションの主題曲から、ザワメキというネーミングがなされました。名付け親は私です。「どういう名前にしたらいい?」と聞かれたので、「ザワメキでいいんじゃない?」と適当に答えたら、本当にそれが採用されました。ザワメキは今までに、十三枚ものCDが出て、天から賛美が与られるようになったわけです。