〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
主の再臨を心から祈ろう!

イスラエルはユダヤ教の国です。私たちはキリスト教です。礼拝している対象である神は同じです。天地宇宙を造られた唯一の神です。ユダヤ人たちは、私たちと同じ、天地宇宙を造られた神を信じているのです。彼らは、旧約聖書を聖典としています。私たちは新約聖書があって、新・旧約聖書で聖典としています。しかしユダヤ教の人たちに「旧約聖書」と言ったら怒ります。「なぜ、古いと言うんだ。俺たちの聖書は旧約聖書ではない。これが聖書そのもので、新約聖書なんて存在しない!」と言います。
しかし同じ神さまを信じているのだから、それでいいじゃないかと言うかもしれません。けれども、それは違うのです。どこが違うのかというと、

ユダヤ教とキリスト教の違いは、共に天地を造られた神であっても、ユダヤ教は「律法を通して」神のもとに行こう!という考えです。彼らは、律法の遵守が神のもとに行く、唯一の道であると信じています。
しかし、私たちは違います。イエスさまだけが、神の元に行く、唯一の道であると信じています。
イエスさまは言われました。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』

イエスさまを通さないと、神の元に行くことは絶対に不可能です。いくら旧約聖書の律法を事細かに守っても、無理です。無理だったという歴史が、旧約聖書の歴史そのものです。しかし今でもユダヤ教の人たちは、懸命に律法を通して、父なる神に到達しようと努力しています。しかしいくら頑張っても無駄です。努力によっては、人は救われることは出来ないのです。イエスさまを救い主として、メシアとして認めない限り、神には到達できません。イエスさまの名前で祈ったら、父なる神さまのもとに祈りは届くのです。ユダヤ人たちが、イエスさまがキリストであることを知るように、祈らなければいけないです。

「場所を備えに行く」というメッセージ、これは、古代のユダヤの結婚式と関連があります。その文化を前提として、イエスさまは弟子達に語られたのです。
マタイの福音書二十五章一〜十三節を読みますと、

“そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。”

ここに十人の娘たちが出て来ます。五人は賢い娘で、五人は愚かな娘であったと語られています。花婿を迎える時のともしびの為に、油を持っていなかった娘たちが愚かであったと告げています。
そして「ですから目を覚ましていなさい。その日その時をあなた方は知らないのですから。」と警告しています。
この箇所も、古代ユダヤの結婚式に重ねて、イエスさまが再臨について教えています。目を覚まして、花婿を待ち望むことの重要性について教えています。その為には、常に、油を絶やしてはいけないのです。油とは聖霊です。夜がふけて、世界が暗くなった時にこそ、油が必要なのです。
このストーリーは、古代イスラエルの結婚プロセスを知ると理解できます。
第一に、花婿は、自分が結婚したい相手の女性の家に行って、結納金を納め、代価を払い「娘さんを私にください!」と父親に申し出ます。日本にも、同じような習慣がありますね。
しかしその後、すぐに結婚できるのではなく、花婿は一人で「自分の家に帰る」そうです。それで何をするのかと言ったら、「花嫁が住むための家を用意する」というのです。花嫁と共に住む家を用意します。やがて、家が建て上がったら、花婿は冠をかぶり、王の服装をして、ともしびを持った娘たちを引き連れて、花嫁を迎えに行くというのです。そうして花嫁は花婿の家に迎えられ、宴会が催されるという手順でした。
当時のイスラエルの人たちは、常に、ちまたで行われている結婚式を見ていました。結婚式がどういう手順で行われるのかを、しっかり知っていたわけです。ゆえに、イエスさまは、婚礼の手順に合わせて、ご自分の再臨について語られたのです。

イエスさまは、まず、自分の愛する、やがて妻となる娘の所に来られました。イエスさまの初臨です。それは、十字架という代価を父なる神に支払う為でした。その後、ご自分の家に戻られました。そこで花嫁の住む家を用意し、準備が出来たら、王として、花嫁を迎えに来られるのです。今やイエスさまが王として再び来られる寸前なのです。ともしびを持つ娘たちを引き連れてやって来られるのです。
私たちは主の花嫁でもあるのですが、同時に、花婿を迎える、ともしびを持って待つ、賢い娘たちと同じ立場にもあるのです。花婿がいつ帰って来られてもいいように、準備が必要です。
そして花婿が来られる前兆が、世界規模での異変、戦争、地震、疫病など、そういう類いが集中したら、「花婿が花嫁の家を用意し終えて、再び来られる時が近い!」と気づかないといけないのです。花婿は世界が最も暗い、真夜中に来られるのです。
現在、聖書が記された物語でも、最終章の可能性が高い位置に私たちは生きています。
「来てください!」と叫ばなければならない時が来ているのです。

先ほども話しましたけれど、特に本家・本元の、イスラエルの人たちが叫ぶように、祈らなければいけないのです。

毎日のように、ガザで起こっている悲惨な報道が続いています。それも、「国際テロ組織ハマスとイスラエルの戦い」というよりも、「パレスチナ対イスラエルの戦い」という視点で報道され、評論家、専門家と呼ばれる人たちは語っています。しかも、みんな言う事が違います。何が真実なのか、わかりません。こういう時にこそ、正しい情報と理解を持って祈ることが大切です。それが主の再臨に結びつくのだと思います。

今日は午後から「霊的戦い専門課程ダイジェスト」を行います。正しい理解の為にも、背景にある、イスラエルのたどってきた歴史を知らなければいけないのですが、そのことについてお話をさせていただきます。今回は開先生が「賛美と霊的戦い」についても語ってくれます。
私は、今回、全体として、イスラエルについて学びたいと願っています。ダイジェストですけれど、午後からお聞きになって下さい。

この戦争は、本来、「ハマス対イスラエル」との戦いです。しかしほとんどの報道は、パレスチナ対イスラエルとの戦いにシフトしています。これは間違いです。今回の戦争は、イスラエルとパレスチナの戦いではなく、イスラエルと「国際テロ組織・ハマス」との戦いです。ここを基本として抑えないと、大きな戦いに発展してしまいます。しかしすでに、パレスチナとユダヤ人を取り巻くアラブ社会との戦いに拡大しています。

イスラエルに行きますと、イスラエル国内に、「パレスチナ自治区」が存在していることがわかります。すでにご存知だと思いますが、パレスチナ自治区は、「ウエスト・バンクとガザ」の二つの地域にわかれています。
実は数年前から、ウエストバンクとガザに住んでいる「パレスチナ人」のために祈れ!と主から教えられ、現地に何度か行って、現実を見ながら祈ってきました。この人たちがある意味、鍵を持っているということです。主がそのように気づかせて下さいましたので、その領域に興味を持って、とりなして祈るようになりました。ガザは危ないので、なかなか入れないのですが、ウエストバンクは、勇気さえあれば誰でも入ることができます(今は難しいです)。

それがきっかけで、四年前、この教会から医療チームを、ウエストバンクにある、難民キャンプに派遣する事が出来ました。新城教会から、医者や看護師、いろいろな方が参加されました。それは実に、大きな働きでした。

これがウエストバンクの写真です。のどかな所でして、旧約聖書の重要な舞台がウエストバンクには多くあります。
街は混雑していて、喧騒感があるのですが、アラブ系の人たちは親切な人たちが多いです。あの時は家内も一緒に行って、野生のオリーブの実を取って写真を撮りました。彼女は、この地域の人たちに対して、大きな重荷を抱いて、真剣にとりなし祈っていました。新城教会でも、その為に特別、祈るようになっています。

現在、「ウエストバンクとガザ」は、どういう関係なのでしょうか。現在、ガザはパレスチナ自治政府の管理下ではなく、国際テロ組織ハマスによって実効支配されています。ハマスとは、「イスラム抵抗運動」のアラビア語頭文字で、「情熱」とか、「熱狂」という意味にもなるらしく、彼らは、テロを専門とする危険な集団です。

パレスチナ自治区は一九九四年、イスラエルと当時のアラファト議長との間に設定されたのですが、二〇〇四年、イスラエルはガザから軍と入植者を撤退させたのですが、その後、テロ組織ハマスがクーデターを起こして、ガザを実効支配するようになったのです。
ですから、現在、ガザ地区は、パレスチナ自治区というより、ハマスの支配下にあります。ハマスの最高幹部は、ハニヤ。パレスチナ自治区の議長はアッバスですが、互いに対立しています。
ハニヤは、ハマスの拠点であるガザにいるのかと思ったら、幹部たちと共に、カタールという裕福な国に住んでいて、ガザにいるのは戦闘員だけです。ガザにはどのぐらいの人たちが住んでいるのかというと、知っていると思いますが、二百二十万人が住んでいるそうです。種子島と同じぐらいの面積に、二百二十万人がひしめいています。そして、それを支配しているのが「ハマス」です。しかしハマスの戦闘員は、たったの三万人です。二百十七万人の人たちは、ハマスによってとらわれている人質のようです。
現在、イスラエルはガザに地上攻撃を仕掛ける寸前です。それで国際世論が強くイスラエルに抗議しています。ハマスの三万の戦闘部隊は、二百十七万人を人間の盾として、イスラエルに対抗しています。
ガザ地区がパレスチナと一緒に報道されていますけれど、今回は、ハマスがイスラエルに戦いを一方的に仕掛けた、独立した戦いです。
報道から私たちは、イスラエルを支持したり、パレスチナを支持したりするのですが、日本のマスコミ報道は、パレスチナ寄りだと言われます。しかしクリスチャンたちは、概ね、イスラエルを支持します。けれども、どちらかを善とし、他方を悪とする事は良いことではありません。
イスラエルは、紀元七十年までは国が存続していたのですが、ローマによって滅ぼされてしまいました。特に、エルサレムが滅亡したことによって、そこに住んでいたユダヤ人たちは、世界中に散らされました。だから世界中、何処に行ってもユダヤ人が住んでいます。
第二次世界大戦まで、特に、ヨーロッパには、多くのユダヤ人コミュニティが存在しました。悪魔はユダヤ人が最終的に再臨の鍵を握っている事を知っています。彼らが「イエスさま帰ってきてください!」と叫べば、帰って来られる事も知っています。それは同時に、悪魔どもの終わりの日を意味します。
歴史をふり返ると、ユダヤ人たちを撲滅しようと悪魔が真剣に働いていたことが分かります。
第二次世界大戦時、ご存知のように、ナチス・ドイツによってユダヤ人がホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)によって、六百万人ぐらいが命を失ったと言われます。
六百万人が犠牲になるって、普通ではないです。太平洋戦争で亡くなった日本人は三百三十万人ぐらいだと言われます。その倍ぐらいのユダヤ人が殺されたわけです。
しかし第二次世界大戦が終わって、奇跡が起こりました。主に、ヨーロッパで生き残っていたユダヤ人たちが、パレスチナに帰って来て、イスラエルという国が再建されたからです。
それは、イスラエルが地図から消えて二千年も経っていました。すでにその地域には、他の人たちが住んでいました。二千年後に「ただいま!」と突然、帰ってこられても、現地は困るわけです。
例えば皆さんの家に、ある日、ピンポーンとベルが鳴って、「二千年前、私の先祖がここに住んでいました。私の土地です。出て行ってくれますか。」と言われたら、どうなりますか?そりゃぁ、怒りますよね。
一九四八年、それと同じことが起こったわけです。二千年近く、他の地域に住んでいたユダヤ人たちが帰ってきて、この地は我々のもの、と言ったわけです。もちろん、建国の時、国際連合や国際社会が関わり、アラブ諸国との戦争などがあり、さまざまな主張や意見があるかも知れませんが、今のイスラエルとパレスチナの戦いのルーツはそこにあります。