主があなたがたのために戦われる

そしてその水が最後には敵に覆い被さって、エジプト軍はことごとく滅びるわけです。そして主の栄光が、神さまが言われていたように現されるわけです。完全なる主の勝利が、私たちを恐れさせるような、怖じけさせるような、そういった問題や課題や、大きな病気だったり、いろいろな悩みだったりするかもしれません。それらが神さまのみ手の中で用いられて、今度は逆に敵を滅ぼすような、圧倒的な勝利をもたらすようなものとして用いられるんだということを、今回教えられたのです。

それと共に、もう一つ教えられたことをお分かちさせていただきます。これは、難攻不落な要塞都市のエリコです。
 エリコというのは、このような状況ではなかったかということであります。二重に城壁があったと言われます。そそり立つ壁であります。約束の地から入って行くための最初の戦いの場所です。この町を攻略するのは、人間的な力ではとても無理な状況が目の前にあったわけです。人間的な希望的観測は全く見出せないような状況でありました。この城壁を見る時に、イスラエルの民はとても恐れたと思います。私たちも、このようなそそり立つ壁、道を閉ざすような城壁に直面する時に、恐れを抱き、心がくじけてしまうと思います。しかし、イスラエルの民は、主のみ声に従い、ときの声を上げて、この城壁が主によって崩されることが起こりました。
 この二つの城壁がそそり立っていたわけなのですが、この城壁が崩れたということは、どういった状況だったかというと、この城壁が地面まで崩れ落ちていったわけです。そして、その要塞都市は少し小高くなっていたようなのですが、その城壁が、今度は道になって、イスラエルの民はそこを駆け上がって町へ侵入することができたわけです。

ヨシュア記六章二十節で、

『そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。』

と、町へ上って行きとあります。城壁が崩れて、そそり立っていた、見上げるような壁が崩れて、今度は町に上っていくための道になったわけです。恐れを抱かせるような海が、逃れの道を閉ざすような海が壁となった。
心くじけさせるような城壁が、今度はその約束の地へ入っていく、町を攻略していくための道となったわけです。私たちが直面している様々な問題、この戦いというのは、主のみ手の中で用いられて、私たちが主に信頼して、主に賛美し、祈りをささげ、そして聖霊さまを求めていくときに、主ご自身が戦い、主の勝利を与えて、それらの課題さえも、その先へと進む道としてくださる、神さまご自身が道を開いてくださるために用いられるということを今回覚えさせられ、神さまの恵みを受けました。
 私たち一人ひとり、いろいろな現実的な対処しなければならない状況があるわけですけれども、そのような時は、イスラエルの民のように十の奇跡を目の前にしても、経験しても、不信仰になったり、心揺らいでしまうわけです。
しかし、今日、神さまがそんな私たち一人ひとりに、「恐れるな」と語ってくださり、そして主が「わたしがあなたのために戦うから。だから、わたしに信頼して、わたしが用意した道を大胆に進んでいってくれないか。」そのように神さまが、私たちに語ってくださっているような思いが与えられています。

コロナが蔓延して約三年半の戦いがあり、最初は私たち一同、恐れました。どんなウイルスか分からない。対処も分からない。そんな状況の中で、この時がいつ解除されて、普段の生活に戻れるか、将来と希望が開かれていくか分からない、先が見えない。様々な恐れを抱きました。しかし、これから、私たちが恐れたことを、神さまが海や城壁を道として用いられたように、神さまがコロナで経験したことを用いて、更なる約束の地への道、勝利の道を用意してくださっていることを覚えます。神さまがモーセを通してイスラエルの民に言われました。「前進するように言え。」と。神さまご自身が「道を用意しているから恐れないで前進してほしい。」と私たちに語っておられるのではないかと感じます。後ろを振り向かず、勇気を持って、主が語られるままに、主について行きたいと思います。

そしてこの紅海が分かれるというのは、新約聖書では第一コリントにおいては、モーセにつくバプテスマ、と語られています。新約の時代、イエスさまが私たちのすべての弱さを担い、救いの道を開いていてくださいます。私たちはその道を進み行くだけです。勝利の道を進み行くだけです。主に期待して、主を見上げて、そしてまた究極的な私たちの約束の地である天のみ国、この地に現される天のみ国、その天のみ国に目を向けて、そこで待っておられる王なる主、また帰ってこられるイエスさまを待ち望んで、見上げて、これからも主に信頼して、手を上げ続けて、主にささげつづけ、祈り続け、賛美し続け、聖霊さまを歓迎していきたいと思います。
私たちが信じられないような、神さまご自身が用意された道が開かれていくと、またその道を歩むことができると信じます。最後にお祈りさせていただいて、メッセージを終わりとさせていただきます。

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま。今日こうして神さまが私たちのために戦ってくださると語ってくださっていることを、ありがとうございます。主よ、ともにおられる神さま、あなたの偉大なみ名をあがめます。さらに私たち、あなたのみ声をしっかりと聞いて、信頼させてください。そして、あなたに手を上げ続け、あなたに私たち自身を生きた供物としてささげ続け、また賛美し続け、祈り続けていくことができますように。また聖霊さまを、さらにさらに私たちのただ中に、私たちのこの教会に、歓迎していくことができますように。そして私たちが、たとえこの肉の目で、脱出の道、逃れの道、主の勝利の道を今見えなくても、確実にあなたの道は用意されていることを今日も力強くあなたが語ってくださり、ありがとうございます。私たち、主ご自身に、その先にある約束の地、また王であられる主がおられる、天のみ国を見上げて、勇気を持って前進し続けていくことができるように、私たち一人ひとりをどうか強め、助け、導いてくださいますようにお願いいたします。
今週も、その主の道は私たち一人ひとりに用意されています。私たち一人ひとりの歩みに、また私たちが遣わされている職場や学校や地域や家庭の中に、またこの国の中に、この世界の中に、この被造社会の中に、あなたの勝利が、勝利の道が開かれていく日々があることを主のみ名によって宣言します。信じます。今日のときをあなたが与えてくださったことを感謝します。すべての栄光を主にお返しして、期待して、イエスさまのみ名によって、父なる神さまのみ前に祈りをおささげいたします。アーメン。