〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
時を悟ろう。パート2 〜’92年7月9日(木)をふり返りつつ〜

『彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使いに押しのけさせてください。彼らの道をやみとし、また、すべるようにし、主の使いに彼らを追わせてください。』

時々、戦いに関して消極的になったり、恐れたりすることがあります。しかし天の軍勢は敵を、籾殻のように吹き飛ばすというのです。敵が滑って転んで、立ち上がれなくするのは、天の軍勢です。
霊的的戦いが始まったその日、私は少し恐れていたのですが、「あなたが戦うのではない。天の軍勢が先に行って戦うから、ただ勝利を宣言しなさい。」と語って下さいました。それで勇気が与えられました。
毎日、天の軍勢が街々に、周りに派遣されるように祈り始めたら勝利できます。今週は特に、そのように祈ってみてください。

信仰生活のバロメーターは何か。聖霊に満たされているか否かのバロメーター、それは「喜び」です。喜びの油そそぎがあるかないかです。
喜びはありますか?私、家内が召天して、本当なら悲しみのどん底です。「演技でもいいから、元気なふりをしていて下さいね。そうじゃないと教会全体が暗くなるから。」と、ある人によく言われます。私は家内がいなくて本当に寂しいです。しかし基本的には、喜びがあるのです。聖霊による喜びというか、なにしろ喜びです。だから、こうして語ることができるのです。
喜びは信仰のバロメーターです。最近、心に喜びがなく、暗くなったなぁという方はおられますか。悲しみとか、苦しみとか、いろいろあっても、心の最も深いところに喜びがある事が重要です。
詩篇四十五篇七節に、

『あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。』

神は喜びの油を注ぐ、と約束されています。喜びの油そそぎを求めて祈ってください。いろいろな問題があるかもしれないけれど、根底に、喜びの油が与えられます。
私を見てください。もしかしたらこの中で、一番みじめかもしれません。男が一人残されるのは、かなり悲惨です。女性が残されるのは案外、強いらしいです。大変だけど、根底にはな喜びがあるのです。聖霊さまはすべてを超えて、土台に喜びを与えてくださいます。

歴代誌第一、十二章も、そのことを記録しています。三十八節に、

『これらすべての、戦いに備えて集まった戦士たちは、ダビデを全イスラエルの王にしようと、全き心でヘブロンに来た。イスラエルの残りの者たちも、ダビデを王にすることで心が一つになっていた。』

とあります。この時、ダビデを王にするため、皆が心を一つにして集まったのです。時を悟って集まったのです。そして十二章四十節に何と記されているかというと、

『彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。』

と記しているのです。
大きな戦いが始まるかもしれない中、集められた人たちに喜びがあったのです。彼らは戦いを前にして、喜びの宴会をしていたのです。
新城教会も、霊的戦いが始まる直前、喜びの宴会、ハートフルサパーがありました。千二百人のバーベキュー大会があって、喜んで戦いが始まりました。喜びの油注ぎ、すごく重要です。

今年は甲子園ミッションが終わって三十年ということ、記念のイベントがなされています。先日YouTubeに、下條真紀子先生の証しがアップされました。ご覧になられましたでしょうか。ぜひ見てください。
 先生は今年、八十九歳です。リバイバルミッションの中で最初に天にお帰りなる方だと思っていました。しかし八十九歳になられても、昔と滑舌も変わらないし、お元気です。
長く生きると思われていた滝元明と田中政男が先に天に帰り、下條先生と有賀先生が未だに働いています。二人とも、すごい!
下條先生が甲子園の時のことを話しています。あの時、大きな戦いがありました。先生の住んでいる阪神間、多くの教会があります。しかしこぞって、反対しました。「女が!」みたいなところがありました。
しかし「あの活動中、何か知らないけどいつも喜びがあった。楽しくてしょうがなかった。」と話しておられました。
考えてみれば我々もそうでした。九二年、むちゃくちゃ反対されて、叩かれましたけれど、喜びがありました。その喜びは人間的な喜びではなくて、聖霊による喜びでした。
聖霊による喜びを、真剣に求めましょう。ぜひご覧になっていただいて、励まされて、立ち上がりましょう。

今、私たちが気づかないといけない神の時について、先週お話しさせていただきました。敏感に捉えなければならない神の時は何か、それは、「イエスさまの再臨」に関してです。
先週も、マタイ二十四章二十七〜三十節について学びました。イエスさまの再臨の前兆として、

『そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。』

星が落ちたり、大変なことが起きるように思うのですが、いろいろな説があることは確かですが、当時の宇宙感が関わっていて、「星々の世界」は天使とか悪霊が支配している世界だと考えられていました。
「天のもろもろの力が揺り動かされる」とは、天を支配する悪霊どもが力を失うことを意味します。星が落ちるとは、悪しき諸力が打ち砕かれることを意味するわけです。
もう一つ、『人の子のしるしが天に現れます。』とは、しるしが何かについて聖書は明らかにしていません。しかし人の子のしるしだから「十字架に違いない」多くの人が考えています。

「①、天のもろもろの力は揺り動かされる。」
「②、人の子のしるしが天に現れる。」
まとめたら、「霊的な戦いの勝利」と「天に現れる十字架」が、イエスさまが帰られることを示す、しるしであり、時を覚えなくてはいけないと、前回お話しさせていただきました。

新城教会において、一九九二年七月と、九四年の六月に、街全体を覆う雲の十字架が現れました。「雲の十字架を見た」という人、この中でどのぐらいおられますか?何人かおられますね。本当です。話を盛っているのではありません。
街全体に雲の大十字架が現れました。これはただ事ではないです。
九二年から四年と続けて、いろいろ起こって、今に至るわけです。時はもっと近づいています。

イッサカル族のように時を悟り、何をなすべきかを知って、主のもとに集まろうではありませんか。また、ゼブルン族の人たちが、今こそ戦いの時だ!と、完全武装して、ダビデのもとに集まったように、完全武装とともに主の前に集おうではありませんか。
午後から山に登り、霊的な覆いを打ち破り、もう一度、天にしるしを現れるようにお祈りしたいと願っています。

今日、礼拝後にリバイバル感謝報告会があります。コロナで三年ぐらい、教会は苦しめられて大変でした。コロナと一緒に家内が病気になって、教会もこれからどうなってしまうのか心配でした。しかし今日は、報告書を手渡すことができ、本当に感謝します。
危機一髪のところで助けてくださったと、感謝しています。神の助けって、余裕がある時は、あまり助けてくれないようです。「もう駄目だ!落ちる!」という危機一髪の時に助けて下さいます。少し、腹が立つ時がありますけれど、これが神の方法だから仕方ありません。ギリギリ、崖っぷちのところで助けるのが、神の働きです。
だから崖っぷちの方がおられたら期待してください。主が助けてくださいます。私は崖から落ちたような人間ですけれど、それでも助けてくださいました。この三年間、様々な戦いがありましたけれど、主が、ギリギリのところで助けてくださいました。

今月は「地域の霊的戦いと、賛美の月間」として、真剣に主の前に出たいと願っています。
最後に一言、お祈りの時を持ちたいと思います。立ちあがってご一緒に、祈りの時を持とうではありませんか。「聖霊さま、来てください!」と祈りましょう。また、喜びの油を求めてご一緒にお祈りしたいと思います。主よー!と大きな声で聖霊さまを求めて、ご一緒に祈りたいと思います。

父なる神さま、感謝いたします。イエスさまのみ名によって、祈りをささげます。聖霊さま、いつも助けてくださっているにもかかわらず、あなたを意識していないことを赦してください。今日は聖霊さま、私たちの所に来てください。教会を代表として、聖霊さま来てください!と心から願います。九二年に来てくださったように、もう一度、訪れてください。喜びの油そそぎと共に訪れてください。一人ひとりに喜びの油を注いでください。ダビデの元に集まった勇士のように、喜びの油そそぎとともに、完全武装で、主の前に出ることができますように。どんな状況があったとしても、根底に喜びを与えてください。
病や問題、様々なことで苦しんでいる方々の最も深いところに喜びを与えてください。喜んで主に仕えることができますように。今から献げ物の時を持ちます。祝福してください。お一人一人のすべての領域に、主の助けを与えてください。イエスさまのみ名によって、祈りをみ前におささげいたします。アーメン。