『主の声を聞こう!』~あなたは不携帯・圏外・充電切れになっていませんか?~

今回あることを思い出しました。それは二十六年前の十二月のことです。私は当時、子どもたちのためにホサナクラブという集会を今と同じように、毎週土曜日の午後に行っていました。カレンダーで振り返ると二十六年前の一九九七年十二月十三日だと思うのですが、その土曜日に何を今日語ろうかとイエスさまに祈っていた時、ふっと神さまが、「子どもたちの今特に流行っているものに対して警告を与えなさい。」と、語られたような気がしました。その時流行して、子どもを虜にしていたのは、
 今映像に出ていますように、このポケットモンスター、ポケモンがすごく流行っていたのです。子どもたちが夢中になり、教会に来ている子たちも、いつも集会の中でそんなカードを集めて持っていたり、その話題ばかりでした。みんなイエスさまのことを少しそっちのけで、そのことばっかり集中していることに、私は危機感を覚えました。その日、ホサナクラブでこのポケモンのことをテーマに話しました。
ポケモンについて子どもたちにどんな番組?おかしいところない?と子どもたちと話し合いながら話を進めて行きました。「ポケットモンスターは、ポケットに魔物とか悪魔を入れるんだよ。そして進化していくのも、聖書的ではないよ」などと話しました。でも子どもたちは「おもしろいよ!」とか「大丈夫だよ」と私に言ってくるのです。しかし子どもたちに「これだけ取りつかれるようにハマるのはおかしくない?今イエスさまの事より、ポケモンに心が支配されているのではないか?みんなイエスさまのことを忘れてない?」と話しても、子どもたちはまだ反発してきました。私は「ポケットモンスターがここまでみんなの心を支配しているのはおかしいと思う。これ何か裏に悪魔の手があるのではないの?」と話しました。それでも子どもたちは納得しているようなしていないような状態でしたが、「イエス様を第一にしよう」と話して終わりました。それが一九九七年の十二月十三日でした。その後どうなったと思います?有名な出来事であり、覚えておられる方もおられるかと思いますが、そのほさなクラブから三日後の十二月十六日に放送された三十八話の「でんのうせんしポリゴン」というタイトルで、事件が起こりました。今までなかったことですが、日本中の多くの子どもたちがテレビを見ていて倒れる事件が起こり大騒ぎになりました。ネット検索すると

『約四歳から十二歳にかけての三百四十五万人の視聴者が見ていたと推定され、非常に速い点滅を含むシーンが、光過敏性発作の原因となり、視聴していた子供たちに 健康被害をもたらした。三十都道府県で六百五十一人が病院に運ばれて、そのうち百三十人が入院した。そして、病院に搬送されなかったものの何らかの影響を受けた児童の総数、数千人が何か影響を受けたのではないかと言われる』

という事件が起きました。びっくりしました。三日前に、ホサナクラブで、「子どもたちに、危ないんじゃないの?やばいんじゃないの?こんなみんな夢中になるのはおかしいよ。だからやめようよ!」と神さまから教えられてホサナクラブ語って、三日後にこんな事件が起きました。次のホサナクラブの時は、子どもたちが「本当だった。」とみんなの目が開かれて、ポケットモンスターはやばい。気をつけなければいけない。もっと霊的戦いを意識して生活しなくてはいけないと、神さまがみんなに分かるように導いてくれました。日常生活の中でも気をつけて霊的な目を開いていかなくてはいけないと子どもたちが教えられたのです。
エペソ六章十三節

『ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

常に神の声を聞いて、邪悪なものたちに対して、戦えるように神の武具を身に着けて行かなくてはいけないという出来事でした。

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。』

と先ほどみことばを紹介しましたが、神さまが時にかなって美しいとありますように、皆さんに語ってくださっているということを、ぜひ覚えてください。

もう一回、今日の主題のみことばですけれども、ヨハネの福音書十章二十七節に、

『わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。』

私たちは神の声をしっかりと聞く者になっていかなければいけない。そして、私たちは神の声に従って神についていかなくてはなりません。私たちはどのようにして神の声を聞くことができるでしょうか?第一テサロニケ五章十七節に短い言葉ですが、とても有名なことばがあります。

『絶えず祈りなさい。』

絶えず祈りなさい。私はそんなことは絶対無理だと思っていました。絶えずというと、いつも二十四時間ずっと、祈れということです。絶対無理だ!仕事もしなければいけないし、寝なくてはいけないし、ずっとひざまずいて祈ることはできないと思っていました。しかし私の父、滝元明によってその思いが変えられました。私はよく父を自動車に乗せて、訪問や買い物などに連れて行きました。父を助手席に乗せて、目的地に行くわけですが、彼は本当に祈る人でした。一緒に乗せてドライブしているとき、私たちの車の前の横断歩道を、お腹の大きい妊婦さんがゆっくり渡っていくのを見ると「あの方が安産することができるように。守られるように」と祈っていました。全く知らない方なのに、祈っていました。また身体に障害を持っている方を見ると、「癒されるように、またイエス様を信じることができるように」と祈っていました。また街の風景を見ながら「この街を祝福してください。」なんでも祈っていました。お店に出かけると「この店を祝福してください」と祈っていました。私は父のその姿を見て、伝道者の書三章一節

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。』

天の下では、何事にも定まった時期があるとあります。その道を通るにも時がある。風景、人を見るにも時がある。なんでも神の時がある。なんでも祈ることがあり、神の時で人や街、などを見る。神の時を捕まえて祈ることが、絶えず祈ることだと思いました。
聖書の中に神の国と神の義をまず第一に求めなさいとありますが、私たちの第一が異性であったり、また経済であったり、仕事であったり、また趣味活動であったりしていませんか?また、神様に祈ることが携帯電話であれば、不携帯であったり、また電波が届かない、圏外であったり、また電池切れのようになってしまっていないだろうか。常に主の声が聞こえるようにしなくてはいけないと示されました。
また、あなたはなぜ今の職場に入って仕事をするようになったと思いますか?自分で選んで、その会社で働くようになったと思うかもしれません。しかし神はすべて時にかなって美しいことをしてくださいます。神があなたにその会社に行きなさいと遣わせてくださったのです。また、あなたが今住んでいる場所、なぜその場所に住んでいるのですか。アパートの人は、「ここが空いていたからです。」また持ち家の人は、「ここがちょうどいい土地だったから家を建てたのです。」と自分で決断したと思っています。しかし神があなたに与えてくださった場所です。神さまはあなたがそこに住んで、祈ってもらいたい。その場所のために神が遣わせてくださったのです。 箴言十九章二十一節に、

『人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。』

このみことばのとおり、私たちは様々な計画をして、実行していきます。しかしその背後に主が遣わせてくださった。その場所であなたにとりなしてもらいために主が導いたのです。あなたはその使命を果たさなくてはなりません。圏外ではなく、不携帯や電池切れになることなく、主の使命を果たしましょう。遣わされたところで祈り、賛美をささげる時、主の計画が動き始めます。

私はこの頃「思い」も大切にしようと思っています。「全てに時がある』神の時です。ふっと幼い時の友達のことを思い出す時があります。なんでこの人を思い出したんだろう?
ただ懐かしいと思って終わるのではなく、その時はその人のために祈るようにしています。ある時はふと場所を思い出すことがあります。その時はその場所を勝ち取る祈りをし、被造物も主を賛美するように祈ります。またテレビのニュースを見るにも時があります。事件などの報道があれば、そのために祈ります。祈りに行ける場所であれば、行って祈ればいいんだと思うようになったのです。買い物に行くお店のために、お店の従業員の方のために祈れば良いんだと教えられました。神さまの中には時があって、神が必要だから私を遣わせてくださったのだと思うようになりました。主のはかりごとだけがなるとありますから、あなたの学校、住んでいる地域、職場、友達のために、同僚のために祈る責任があることを覚えてください。
この職は合っていない、こんな会社は嫌だ。人間関係などいろいろあるかもしれませんが、あなたが会社や地域、同僚のために祈り始める時、主が解決し、良き様に導いて下さいます。主の声を聞いて、祈って下さい。無関心にならないでください。全てあなたのために神のみ手があります。

神のなさることはすべて時にかなって美しい。このみことばをしっかりと握って携帯電話の充電をして、そして常に携帯を持ち歩き、いつどんな時でも神からの電話コールがあったら、出られる体制にしていかなければいけません。そのためには、神の国と神の義をまず第一に求めていかなければいけないということを覚えていきたいと思います。

今までどれだけ祈らずにいたことか。どれだけ祈れと言われても祈っていなかったかを反省し、祈るものになりたいと思います。また教会のためにお祈りください。私はミッションの事務局で「GOTOミッションを教会で開催してください」と電話します。すると「今、教会が弱体化しています。礼拝を行うことで精一杯。ウイークデーの集会は全く人が集まらない。」「では日曜日の午後どうですか?」とお願いすると、「午後はみんな、それぞれ帰ってしまって、午後も集まらないんです。土曜日も集まりません。」と話されます。本当に教会が集会をしなくなっています。教会が苦しんでいるのです。牧師先生のために祈って下さい。牧師に元気がないのです。伝道集会が開けません。また「経済的に大変だ」と言われます。コロナ後教会員の方が集まらずに、素晴らしい祝福である主への献金が集まらず苦しんでおられる教会があります。今日本の教会が霊的にも、経済的にも、様々な危機なのです。ぜひ日本にある教会のためにお祈りください。また新城教会のためにもお祈りください。

今日私たちは神の前に、主を第一として、生きたクリスチャンとして、クリスチャン生活をしていきたいと思います。しっかりと霊的な耳を聞いて、しっかりと、霊的な電波をキャッチして、すぐに出られるように備えて行きましょう。ルカによる福音書八章八節

『また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。』

良い地に種がまかれたら、百倍の実を結んだとあります。良い地に種がまかれるために、主の声を聞きましょう。そして「「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。とあります。これはそのことがなされるように強調して、言ったではなく、叫ばれたと強調しています。
主の声を聞いて、良い地に種をまきましょう。みことばを実行しましょう。神がこうしなさいと言われたら、素直に実行しましょう。

今日、私たちの神は生きています。あなたとともにいます。インマヌエルの神さまです。そして、私たちは自分で生きているのではない。生かされています。そして、滝元順牧師が語られたようにマタイの十二章二十八節から二十九節のみことば

『しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。』