〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
時を取り戻せ!

新城教会の歴史を振り返ると、節目・節目に、聖霊さまが訪れてくださり、不思議なことが起こりました。一九六〇年代、青年たちが聖霊を受け、山奥に三つの教会ができたという話は、毎回のように話しているのですが、三つのうち、最も宣教が困難な地域が東栄町でした。中村一夫さんという方が伝道を始めたのですが、やはり山奥すぎて、教会に来るような人はいなかったのです。それで、何とか東栄町を勝ち取るために、ある年の夏、チームで活動しました。父と田中先生、そして、私たちも一緒に、昼間は地域にトラクト配布をし、夜は伝道集会を開催しました。それがたいへん良かったのです。東栄町で話がまとまり、「日本リバイバルクルセード」という団体が発足したのです。

 今でも東栄町に行きますと、赤い屋根の小さな教会が、ひっそりと建っています。中村先生は亡くなりましたが、奥様が九十歳以上になっても、一人で教会を守っています。先日は皆様からの献金を届けさせていただきました。

 最盛期には、毎週、何人かの方々が集まっていました。ここに青年カップルがおりますが、彼らはペルー人です。近くに、東栄チキンという、チキンの加工工場があって、そこに働きに来ていた人たちでした。
ある時彼らは、東栄教会に通うようになったのです。しかしそこには通訳もいないので、「新城に行ってください」ということで、彼らは新城教会に来るようになりました。

 この二人は現在、どのようになったのかと言いますと、スペインで牧師となって、TBNというテレビ局で、専属の伝道者となりました。本当に不思議なことです。私もフェルナンド先生も、何度も、スペインに行って奉仕をさせていただきました。

先日、世界宣教献金の中から、彼らにも、献げさせていただきました。そうしたら、お礼のビデオレターが届きました。東栄教会があったので、今があるのです。そんなことを思いながら、見ていただきたいと思います。

<ビデオ>

「日本の皆さん、どうもお願いいたします。スペインのマドリードから牧師ホルへが挨拶をします。心からこのビデオを通してあなた方に伝えたいことがあります。そしてあなた方のお祈りが、私のヨーロッパでの伝道のサポートになっていることがとても嬉しいです。滝元順先生を通して、新城教会のインターナショナルミニストリーや、フェルナンド先生を通して、もう一度、スペインにあなた方が来られることを心から願っております。または私たちが日本に行くことも可能です。この機会を通して、日本にあるキリスト教会をすべて、そしてポルトガルの教会も、そしてスペイン語の教会も、あなた方の祈りがとても私の支えになっております。マドリードで私たちは一生懸命働き、神のみ国が、こちらのヨーロッパ、マドリードを通して来られることを願っております。どうもありがとうございました。」

ぜひホルへ先生の働きのためにも祈っていただきたいと思います。中村先生が「東栄町に行って教会を建てなさい」という、み声に従ったから、彼らはスペインで働くことができているのです。聖霊さまの注ぎがなかったら、実現しなかったことです。主が扉を開いてくださったのです。

振り返ると、クロノス的な流れの中に、神の時、カイロスが散りばめられていることがわかります。

“全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。”

とありますが、片田舎に注がれた聖霊は、ただこの場所だけにとどまるものではなく、世界へ広がるのです。世界中を駆け巡ったリバイバルの火が、新城に来たわけですから、これからも世界に広がることを信じています。

今年のクリスマス、ぜひ、楽しみにして下さい。今年は七十周年ということで、特別なクリスマスコンサートがあります。コンサート開催には、結構お金もかかりますから、入場料を取って行っているのですが、今年は「無料」でコンサートを開催したいと願っています。
しかしその為には、皆さんの愛のご献金が必要ですので、ご協力下さい。まだイエスさまを知らない方々をお連れ下さい。十二月九日の夜、ここで演奏してくださる方々は一流中の一流です。平岡修司先生が命がけの、伝道メッセージを語ってくださいます。先生のメッセージ、初めて聞く人は絶対に感動します。

新城教会の音楽もたいへん豊かになりました。それが普通のようになっていますけれど、音楽・賛美の領域にも、聖霊さまが訪れてくださったことによって、今があるのです。
以前にも話しましたけれど、新城教会の賛美は、最初は子どもたちのワイルドな賛美から始まりました。ここに写っている子どもたち、誰か分かりますか?
 ほとんどわからないです。昨日も孫とテルが泊まりに来たので、「誰か分かる?」と聞きましたが、一人もわかりませんでした。教えても、本当?とか言って、なかなか信用してくれなかったです。この中に新城教会で今も頑張ってくださっている方々がおられます。

今のような賛美に変わったのには、前もお話ししましたが、理由があります。それはこの真面目そうな少年から始まったのです。本当に純朴そうな少年です。彼がエレキギターを弾き始めてから、新城教会の音楽は大きく変わったからです。
これは私が中学生の頃の写真ですが、昭和四十年の新聞記事を発見したので、見てください。
 「追放申し合わせ」とあります。何のことかと言ったら、「エレキギター」です。今は当然ですが、昭和四十年代、エレキギターを持つことは、不良化に結びつくという意見と、熱病だ、禁止したって無駄だと言う意見がありました。すごい新聞記事です。こういう資料を日々探すのが私の仕事です。
私はエレキギターを弾いていましたが、社会的にも追放運動が起こっていたのです。エレキギターを持っただけで、不良と言われました。それで、エレキは追放しなければいけないと、国が申し合わせたというのです。ひどいですよね。
それが教会に入ったわけですから、どのぐらいのインパクトだったか、計り知れないです。親父が私に、「悪魔の楽器を持ち込んだ!」と言って、「出て行け!」と言いました。
親父は、スウェーデン宣教師に育てられたところがあって、宣教師たちは、我が子を叱る時、お尻を叩いたり、折檻をする習慣があったみたいです。子どもは痛めつけないと正しい道に向かって行かないみたいな考えでした。しかし当時は、学校においても暴力は普通で、先生にもよく殴られました。私はワンパクの方だったので、先生とも、親父ともよくけんかしました。特に、親父を打倒しなければ幸せになれないと思って、中学生の頃、日々、筋トレに励みました。
親父は鉱山で土方やっていましたから、体力があって、若い頃は気が短かったです。
ある日、私が部屋でエレキギターを弾いていると、突然入ってきて、「おい順!エレキやめろ!」と怒鳴りました。その頃、私は少し自信がついていて、「うるさい!ジジイ!」とか言って、「おまえこそ出てけ!」みたいに、口論どころか取っ組み合いの喧嘩になったのです。私は相撲部に小学校の頃に入っていて、中学校の時は筋トレで鍛えていましたから、親父を投げ飛ばしたのです。見事に親父は倒れました。
すると、親父は涙を流して泣き始めました。なぜ彼が泣いたのかと言ったら、「なぜこんなにひどい息子ができてしまったのか・・・」という悔しさと、「長男を失った・・」と思ったらしいのです。このままなら、順はきっとどこかに行くだろう、クリスチャンをやめるだろうと思ったわけです。
それで、彼はどうしたのかと言ったら、県民の森に行って、真剣に祈ったそうです。「イエスさま、息子の順が変なものになってしまいました。どうしたらいいのでしょうか?」と。そりゃぁそうでしょう。世間がこういう感じでしたから。親父は、泣きながら県民の森で祈ったらしいのです。
すると聖霊さまが彼に語られたそうです。「順のやっている音楽をそのままやらせなさい。やがてその音楽が必要な時が来ます。」と語られたそうです。それで彼は戦法を変えたのです。私は親父と喧嘩ばかりしていて、牧師の家庭なんかにおるもんか!と、高校卒業したらどこかに行くんだ!と、放蕩息子のようになろうと考えていたのですが、彼は戦法を変えて、「おい順、そのギターで賛美歌を演奏してみんか?」と提案してきたのです。びっくりしました。
それで仲間たちと勢い込んで、教会でエレキギターで演奏しました。その反応はいかに。どんな反応だったのかと言ったら、思いっきりのひんしゅくで、「悪魔が来た!」みたいな感じでした。「こんなひどい音、聞いていられるか!」と、みんなは窓を開け始めたりして、教会員からも迫害を受けました。
しかしその頃から、親父が優しくなって、悪魔の楽器と音楽と呼ばれるものを、サポートしてくれるようになったのです。それで奇跡が起きました。グロリア・シンガーズというバンドができて、やがて小坂忠さんと出会って、一緒に「ミクタムレコード」を設立し、いくつかのアルバムを制作しました。

先週、本物を持っている方がおられて、「これ持っているか?」と聞かれて、私は持っていないのです。日本の教会音楽が変わりました。

 やがて甲子園ミッションに繋がり、新しい賛美によってリバイバルが拡大したのです。そこでザワメキが誕生して、多くの新しい賛美のCDができました。
そして、その延長線上で、ロン・ブラウンさんにも出会ったのです。
最初、ロン・ブラウンさんと父はアメリカで出会うのですが、どこで出会ったかご存知でしょうか。アメリカは広いのです。なんと彼らは、「アズサ・ストリート」で、出会ったのです。
 なぜなら、父がアズサ・ストリートの横にある、ユニオンチャーチという日本人教会で、日本武道館で行われる「東京ミッション」の決起大会を行っていたからです。そこにロンさんがやって来たのです。ロンさんは友達がギターを弾くということで、聞きに来いと言われたらしく、集会に出席したのです。それで父と出会い、やがてロンさんを通して、日本のゴスペル界が大きく変化したのです。

出会いがアズサ・ストリートって、すごいと思いませんか。神の大きな摂理の中、ロンさんとも出会ったのです。昔、この地域で黒人の方々が祈っていると聖霊が注がれて、その働きは世界中に広がりました。それを象徴するかのように、アズサ・ストリートの隣にある、ユニオンチャーチで、父とロンさんは出会い、後に、賛美が大きく変ったのです。

 クリスマスコンサート、残念ながら、ロンさんは昨年、天に帰られましたから、おられません。ロンさんを通して導かれたマキーダさん、ジョンさん、その他のミュージシャンたちによって開催されます。
そして日本人ミュージシャンとして、今回この二人が一緒に演奏します。これもただごとではないです。堅志も頌も、ロンさんによって訓練されて、今や一般の音楽の世界で一流のミャージシャンになりました。セキュラー音楽の中で彼らは、自分たちの演奏は主への賛美として、演奏しています。
 振り返ってみると、すべて韻を踏んで、神の時が関わっていたことがわかります。

しかし、逆を言えば、どれだけ多くの神の時が奪われたかということです。私たちは、聖霊によって、奪われた神の時を取り戻さなければなりません。

過去にリバイバルのために働いた指導者たち、諸先生方、兄弟姉妹の多くは、すでに天に帰っていきました。その方々は現在、雲のように私たちを取り巻いて、私たちを応援する応援団を形成しているのです。家内も、その中に含まれていると思います。

“こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。”

と、ヘブル人への手紙の記者は語りました。私たちも、聖書の壮大な物語を前進させ、神の時を刻ませていただいているのです。やがてゴールに到達します。それはどこでしょうか。それは、イエスさまがこの地上に帰ってこられる日と、新天新地の創造です。

今日ここにおられる私を含めて、お一人お一人、神の時を刻むために選ばれたのです。
過去を振り返り感謝するとともに、失った時を取り戻せるよう、祈ろうではありませんか。もう一度、この教会に九二年二月十三日の注ぎ以上の注ぎが始まり、日本全体にも注がれるよう、祈りたいと願います。