2023年11月5日(日)新城教会副牧師 滝川充彦
サムエル記 第二 5 章 19 節
『ダビデは主に伺った。「ペリシテ人のところに攻め上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」主はダビデに言われた。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」』
ハレルヤ!皆さん、おはようございます。今日こうして皆様と共に主に礼拝をささげられる時が与えられていることを心から感謝いたします。少し暖かかったり、寒かったりと、天候も不順な中にあり、体調を崩すような時期でありますのでお互いに覚えて、お祈りをして、この秋の季節、主の恵みの季節を、主に期待して歩んでいきたいと思わされます。
今も祈りの課題の中でいろいろな課題が挙げられましたが、今週たくさんの働きがありますので、お祈りしていきたいと思います。ざわめきがハワイへ行かれます。新城教会から十四名の方々が参加されるということで祈っていきたいと思います。
また全日本甲子園リバイバルミッション三十周年記念の集会もあります。さらに神さまご自身が激しく臨んでくださるように覚えてお祈りしていきたいと思います。
早いものでもう十一月になりました。十一月の次は何月でしょうか。十二月。十二月は何がありますかね。クリスマスですね。
今年は新城教会、この地に植えられ七十年ということで、「設立七十周年記念」と題して、「クリスマスコンサート二〇二三」クリスマスの伝道集会を行うように予定しています。十二月九日です。ぜひ皆さん、新しい方々をお誘いください。今回は七十年の記念ということで、入場無料ということで行われます。
入場無料にしても、費用はかかりますので、それは主が備えていただけるように、また皆さんが伝道のために捧げていただいて、この主の戦いを、クリスマスの季節も戦い抜いて行きたいと願わされます。
では今日のみことばを学んでいきましょう。今日は「主は私のカウンセラー」というテーマで、皆様とみことばを受け取っていきたいと、準備させていただいております。
「カウンセラー」というものを辞書で見ると、「学校・職場・医療施設・社会福祉施設などで、一身上の悩みや問題をもつ人に面接して相談相手になる人。助言者。相談員。」
こんな意味がありました。何かしらの問題に対して解決策を与えてくれる人物がカウンセラーということが言えるかと思います。ですからカウンセラーによって助言は様々となり、どのカウンセラーに助言をもらうかということが、とても重要になってくると思います。
しかし今日は、私たちの主は最善のカウンセラーであるということを覚えていきたいと思います。霊的、また現実的な問題、戦いに対して、主の解決策を私たちに与え、また主ご自身の大勝利を私たちに与えてくださる最善の、また最強のカウンセラー。今日は、そのことを覚えていきたいと思います。
私たち現代社会において、誰をカウンセラーにするかということは、とても大事な時代の中に生かされていると感じます。テモテへの手紙第二四章一節〜四節、
『神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。』
とあります。
こんな画像もありました。
現代、この聖書の時代から先にかけても、空想話に逸れていくような時代になると、自分たちの都合の良い教師たち、カウンセラーを寄せ集めてしまう。今まさにそのような時代の中に生かされていると思います。今はスマホなどが発達して、いろいろな情報を簡単に手に入れることができます。皆さんのカウンセラー、先生は誰でしょうか。YouTube 先生でしょうか。違いますかね。TikTok 先生、ツイッター(X) 先生、たくさんの教師・カウンセラーというものを簡単に集められる時代のように感じます。
そしてまたその先生、カウンセラーたちの情報は有意義であるかどうか。真実ではなく、偽りであるということが多いような時代とも言えます。
最近ではAI 、生成AI の課題というものが取り上げられていますね。AI が作り出すフェイクニュース、フェイク動画など。最近も日本の首相のフェイク動画が出たみたいですね。そういった偽りの情報というものが、たくさん世の中にはあるわけです。人々の意識を先導するために、戦争や政治の世界でも、それは常套手段となっているわけです。
この教会で、鈴木陽介先生がセミナーなど持ってくださって、この世は情報が鉄砲玉のように飛び交うような戦場である。情報の戦場であるということを表現して語っておられましたけども、そのような時代であるということをもう一度覚えていきたいと思います。そしてその情報が真実なものか、またそれが鉄砲玉か、ミサイルか、大砲か、もう何かわからない、見極めることがますます困難な時代に急速に入っていってしまっているように危惧されます。
これどうでしょうか。この絵は「新進デジタルアーティスト部門」で、一位を獲得した絵だそうです。この中で、「制作あるいはプレゼンテーションの過程でデジタル技術を使った作品」という前提の中で、この絵が一位を取ったということです。これはどのように制作されたかというと、人工知能、AI を使って作ったそうです。この絵を書いた人は、何か筆で塗ったとか、そういうことは一切やらない。コンピューターに「こんなような絵を書いてほしい。」あるキーワードとなる言葉だけを打ち込んで、AI に描かせた絵を何百枚も重ねて出来上がった絵なのです。本当に何が本物で、
何が偽物か、本当に見分けるのが難しい時代だなと思います。
私たちは誰をカウンセラー、教師にするのか。この時代の中で生かされている者として本当に大事なことであるということを私自身覚えさせられます。
そんな中で、サムエル記第二五章にある二つのダビデとペリシテ人の戦いの中から、「主は私たちのカウンセラー」ということを、みことばを通して受け取っていきたいと思います。
一度、サムエル記第二の五章十七節〜二十五節、この二つの戦いをお読みしたいと思います。
『ペリシテ人は、ダビデが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いた。ペリシテ人はみな、ダビデを狙って攻め上って来た。ダビデはそれを聞き、要害に下って行った。一方、ペリシテ人はやって来て、レファイムの谷間を侵略した。ダビデは主に伺った。「ペリシテ人のところに攻め上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」主はダビデに言われた。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」ダビデはバアル・ペラツィムにやって来た。ダビデはそこで彼らを討って、「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」と言った。それゆえ、その場所の名はバアル・ペラツィムと呼ばれた。彼らはそこに自分たちの偶像を置き去りにした。そこでダビデとその部下はそれらを運び去った。ペリシテ人は、またも攻め上り、レファイムの谷間を侵略した。ダビデが主に伺うと、主は言われた。「上って行くな。彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき主はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、あなたより先に出ているからだ。」ダビデは主が彼に命じられたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を討った。』
まず、この戦いの背景を見ていきたいと思います。サムエル記第二五章十七〜十八節でお読みしたように、油注がれたダビデ王に攻め上ってくるということですが、この時は油注がれるのは三回目だったわけです。ダビデがユダで王様であったのは七年六ヶ月。そしてエルサレムで全イスラエルを治めるのは三十三年。まさにこの時からダビデは全イスラエルを治めるように、イスラエルの王となったという背景があります。
この時、ダビデがエブス人からエルサレムを奪還して、ダビデの町を作りました。そして王宮が建てられて、ダビデの治める全イスラエルが栄えてきたのです。それまではダビデはサウル王の手から逃れるために、ペリシテ人の地に一年四ヶ月滞在するようなこともあり、ダビデ自身は、ペリシテの国の地方代官、手先のような存在だったのです。そんなダビデが、イスラエル全土の王様になった。そしてその国が栄えているということを聞きつけて、そんなダビデの存在に脅威を感じたペリシテ人たちは、王になったダビデを攻めてきたというわけです。このペリシテ人たちがダビデを滅ぼそうと必死になって攻め寄せて来るのですが、そんな中でダビデは何を初めにしたか?軍備を整えたかというと、そうではなく、このサムエル記第二の五章十九節を読んでいただいた通り、『ダビデは主に伺った。』ということです。
その後、主がダビデに答えられ、『攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。』と言われて、そして神さまの方法で、不思議に勝利が与えられたということであります。この危機的な状況、主の戦いに対してダビデは、最初に軍備を整えるのではなく、主に伺ったのです。そして主からの戦略の言葉を受け取り、そして主ご自身が勝利をダビデに与えてくださったのです。
この「主に伺った」という言葉は「Shaw-al ’」というヘブル語が使われ、「尋ねる、問い合わせる」そういった意味があります。またその意味合いの中で「ask counsel 」「助言を求める」という意味があります。カウンセラーの「counsel 」ですね。カウンセラーから助言を求める、そんな意味合いがあると言えると思います。
ダビデは神さまからの助言をまず第一に求めたわけです。それが主ご自身の戦いの中で、私たちがまずしなければならない第一のことである、主ご自身が私たちのカウンセラーとなってくださる中に、主ご自身の大いなる勝利が与えられていくということを覚えていきたいと思います。それも主ご自身の働きというのは、圧倒的です。この戦いで、バアル・ペラツィムとその地を呼ぶようになりました。それは「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」ということですが、「バアル・ペラツィム」、これは「突破の主」であるということですが、イスラエルの地方、パレスチナの地方には、何もなかった荒野が突如として大河になってしまうような鉄砲水が出ますけども、まさにそれになぞらえて、ダビデは主の鮮やかな勝利、主ご自身が圧倒的な力を持って勝利を取られた、「突破の主」と表現したのです。
そして彼らは自分たちの偶像をそこに置き去りにしたとありますけども、第一歴代誌十四章には、偶像を焼いています。完全なる勝利が与えられているわけです。
現代の私たちも、現実的、また霊的な戦いの最中にあって、主の勝利を受け取らせていただくためには、まず最優先しなければならないことは、「主に伺う」ということであると主から教えられ覚えさせられています。
そして、二度目の戦いです。一度目に、こんな鮮やかな勝利がとられましたから、ダビデはまた同じように、今度も同じように攻め上ってやろうか!とは思わなかったのです。ダビデは何をしたか。また、主に伺ったのです。一度目の戦いの勝利の経験に頼らないで、おごり高ぶらずに、まず二回目も主に伺いました。ダビデの主へのへりくだり、主への信頼、主への従順というものを感じる態度ですね。
そして今度は、「主は言われた。上って行くな。」神さまの戦略ってユニークですね。人の浅はかな策略とは全く違う、神さまご自身の圧倒的な戦略というものがありますね。今度は「上っていくな。」なのです。そして、『うしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。』今度は待つように言われるのです。一回目の戦いで圧倒的な勝利を取ったので、ダビデは自信に満ちて、戦いに出ていきたいと思うのかもしれないのですが、神さまの言われた通り、待ったのです。忍耐をもって主を待ちました。そして『バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき主はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、あなたより先に出ているからだ。」』
このバルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、まさに万軍の主が歩み出す音が聞こえたら、またこの茂みの行進の音がどのようなものだったかわかりませんけども、バルサム樹の葉が揺れているようだったかもしれません。それは聖霊の風、聖霊さまの歩まれる道だったのかなぁとも思わされますけども。その音に、ダビデは耳を澄まして、主を待って、そして主が言われた通り、『あなたより先に出ているからだ。』先立たれる主について戦いに出て行って、主ご自身が勝利を与えてくださったということです。