〜2022年〜 「それは主の復讐の年」伝道礼拝
神の子らは最強です!

2022年2月27(日)新城教会主任牧師 滝元順

ローマ人への手紙 9章25節、26節<リビングバイブル>
『旧約聖書のホセア書に何と書いてあるか、思い出してください。 神様は、こう言っておられます。「わたしは自分のために、ほかの子ら〔ユダヤ人以外の家系の子〕を見つけ出し、だれからも愛されたことのない、その子らを愛する。そして、かつては『わたしの民ではない』と宣告された異教徒たちが、『生ける神の子ら』と呼ばれるようになる。」』

詩篇8篇1節、2節<リビングバイブル>
『ああ私たちの神、主よ。 御名の威厳と栄光は全地に満ち、天にみなぎっています。神様は幼子たちに、神様を真心からほめたたえよとお教えになりました。 その子供たちの姿に、敵が恥じ入って、口をつぐみますように。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
今、演奏を聞いていただきましたが、息子たちも二年間、仕事がほとんどなくて大変でしたが、感謝な事に、最近は回復したみたいです。クリスチャン・ミュージシャンのためにも祈っていただきたいと思います。

今日は伝道礼拝ということで、わかりやすくお話しさせていただきたいと思います。特に、子どもたちにも分かるように語りますので、子どもたちはよく聞いて下さいね。
また、イエス・キリストを信じる者たちは今、読んでいただきましたように「神の子どもたち」です。
イスラエルから見たら、私たち日本人は異邦人、異教徒です。けれども今、クリスチャンならば、それは、かつてホセアによって語られた「異教徒・異邦人たちが神の子どもになる」という預言の実現です。遠大な聖書の預言が我が身に成就しているということです。

また詩篇八篇は、「幼子」、子どもたちについて語っています。子どもたちは最強の存在だと聖書は告げています。普通はそう思わないかもしれません。しかし子どもたちが人類の中で、最強の存在です。ですから「子どもたちのために、とりなして祈りましょう!」と以前にも、お話しさせていただきました。
同時に、幼子とは、クリスチャンのことでもあります。イエス・キリストを信じるならば、最強の人生を歩むことができるのです。今日は最強になって、帰っていただきたいと思います。

しかし現在、世界を見ますと、最強どころか、最低・最弱みたいにもみえます。新型コロナの感染もなかなか収まりませんし、それに加えて、ウクライナで戦争が始まりました。プーチンは何を考えているのか分かりません。世界中がコロナで苦しんでいる最中に、ウクライナに攻め込むなんて、信じられないです。
私の親族の中に、ウクライナ系アメリカ人のお嫁さんをもらった人物がいます。奥さんの親族は、ウクライナに住んでいます。それで、生の情報が入って来ます。ニュースに上がる前に、私の所に入って来ます。ウクライナの方々の身になったら。ほんとうに大変です。ウクライナは今、寒いです。感染も拡大しています。そんなただ中で、ミサイルが飛んできて人々は避難しています。昨日のメールでは、現在、空に八十機、ロシアのヘリコプターが飛んでいて、戦車が百輌くらい周りにいる、いつまで生きていられるのか分からないというメールでした。同じ立場に身を置いたら、どれほど苦しい事でしょうか。真剣に祈らなくてはいけないと思います。
ウクライナ問題は、かなり難しい側面があります。ウクライナは、元々、ソ連の一部でした。ソ連が崩壊して、独立したわけです。しかしウクライナは、ロシア発祥の地でもあって、日本に置き換えたら奈良・京都みたいです。奈良・京都が「俺、日本をやめた。中国に入る。」と言うようなものです。また東京が「俺、ロシアに入る。」というようなものです。
今回、ウクライナが、NATOに加盟するということで、ロシアは「絶対に許さん!」というわけです。しかしこれら全ての背後に、経済が関わっています。ウクライナの守りと世界の平和のために、祈りましょう。

現在、人類は最強どころか、最弱のようです。しかし最弱の時にこそ、私たちは強いと聖書は告げています。家内は胆管炎がなかなか治まらず、よく熱を出します。どこまで続くのかなぁって、不安になります。時に私は、三重苦、四重苦のような気分になります。しかし、弱い時にこそ、最強であると信じて、戦っています。

今日ここにおられる、ほとんどの方が、すでにイエスさまを信じておられると思います。その人は「最強」です。特に、イエスさまを信じる子どもたちは、「最強!」です。
子どもの時代は、霊においても、魂においても、肉体においても、大人と比べると、遙かに強いです。子どもたちは霊的にも敏感で、イエスさまの声を聞きやすいです。大人になると、いくら断食して祈っても、主のみ声をなかなか聞けません。しかし子どもたちは霊的に敏感です。
私は時々、子どもたちと一緒に、とりなしの祈りに行きます。先日も祈りに行くと、一人の子どもが「あっ、イエスさまが今、話してくれた。」と言うのです。「なんて言われたの?」と聞くと、「その祈り、本当に聞かれるよって、イエスさまが言ってくれた。」と言うのです。嬉しかったです。私には風の音しか聞こえませんでしたが、子どもたちには、イエスさまの声が聞こえるようです。
子どもの頃は、肉体的にも元気です。階段を上る時に手すり使う子どもはいません。一日中、走り回っていても元気です。しかし、大人になるにつれて、だんだんと弱まります。もちろん肉体的老化もありますが、霊的老化もあります。
イエスさまはこのように語られました。
マタイの福音書十八章十節、

『あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。』

「彼らのみ使いたち」とあります。子どもたちには、天のみ使いたちの護衛があります。
生まれた時は、どんな赤ちゃんも、天のみ使いたちが割り当てられています。以前、学んだことがありますが、申命記を見ますと、天の星々と、天の軍勢、み使いたちには関連があります。『主が天下のあらゆる民に分け与えられた。』とあります。
エーリッヒ・ザウアーという神学者が、“天使たちと星たちの間には形容的な比較ばかりでなく、その詳細なことは我々にはまだ知らされていないが、ある事実的・実際的な関連があることを証明している。”と語っています。星々と天の軍勢は関連付けられているというのです。生まれたばかりの赤ちゃんや、子どもたちには、天の星々と関連して、み使いたちが割り当てられ、守っているのです。
しかし、だんだんと成長して行く内に、天使たちが堕天使たちに入れ替わるのです。その結果、最強の存在が弱くなるのです。私たちの周りには、目に見えない敵がいます。
お母さんは子どもたちに「手を洗いなさい!」と言います。最近は、「洗いなさい」と言わなくても皆、自主的に手を洗います。どうしてかと言ったら、それは周知の事実です。目に見えない新型コロナウイルスがいるからです。見えない敵が体内に入って、我々の健康を害することは、誰でもよく分かっています。
悪魔も見えませんが、いろいろな手口と策略で、天の軍勢を徐々に減らし、堕天使たちに置き換えるのです。彼らはその為の周到な準備をしています。

先日、面白いことを聞きました。教会では毎朝、朝礼があって、その時はスタッフたち、牧師たちが周り番でショートメッセージを語ります。先日、田中イレーネ伝道師が語ってくれました。
何年か前の話だそうですが、彼女のアパートの前で、蜂の巣を撤去する専門業者のおじさんに出会ったそうです。アパートに、危険な蜂の巣があったらしく、オーナーの依頼で撤去作業にきていたそうです。その時、撤去された蜂の巣の一部をくれたと言うのです。それはミツバチではなく、アシナガバチの巣だとだと思うのですが、巣の中にハチミツと蜂の子が入っていて、「食べられるよ。」と言ったそうです。
特に、「蜂の子がミツの味がして美味しい。」と言われたので、珍しいからもらったそうです。
当時、沖縄に帰ったゆかりさんと一緒に住んでいたそうですが、何気なく、蜂の巣をテーブルの上に朝まで放っておいたそうです。
すると翌朝、ゆかりさんが、「きゃー!イレーネちゃん!助けて!」という、目に浮かぶようですが、悲鳴が聞こえたそうです。何事が起こったのかと思ったら、なんと、夜の内に蜂の子がいきなり蜂になって、部屋中をブンブン飛んでいたそうです。なんとか退治して、事なきを得たそうです。
「蜂の巣をもらったら、早めに処理しておかないといけない。」という話でした。
悪魔の策略も同じです。早めに対処しておかないとやられます。

悪魔に関わられないために、最も大切なことは、「偶像を拝まないこと」です。日本人は偶像を拝む専門家です。良かれと思って偶像を拝むのですが、敵に時限爆弾を仕掛けられるようなものです。
近くの神社に、「御神木」という立て札があって、しめ縄が張ってありました。
人々は大木を拝んでいます。なぜ拝むのかと言ったら、太い木に命を感じるからです。「ここまで太く育ったのは、木の精が住んでいる。」と考えるからです。
木には命があります。しかしその命は、『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』言われた、イエスさまが与えた命です。残念なことに、日本人は木の命を、神として、礼拝の対象にしています。
木を拝んだらどうでしょうか。木の中の命は、神が与えた命ですから、「僕は神さまじゃないよ。拝まないで!苦しいよ!」と、うめき始めます。『被造物はうめいている。』と聖書にありますが、それが理由です。
木の命を神として拝むことは「偽り」ですから、そこに偽りの父である悪魔がくるのです。

この付近は、設楽原と言います。十六世紀に大きな戦いがあって、一万六千人近くが死にました。
 これは最前線の現在の写真です。霊感が強い人は、いろいろと感じるみたいです。それで年間に一度、ここでは慰霊祭があります。しかし死者の霊など、ここにはいません。死者のふりをした「悪霊」がいて、拝まれるのです。そうすると地域全体に、悪しき影響が及びます。

何年か前に、この教会に、慰霊祭を仕切っている坊さんが来ました。私とヘアースタイルが似ている青年が礼拝に来ていたので話しかけたら、坊さんでした。「なぜ教会に来たのですか?」と聞いたら、「教会は頑張ってますよね。しかし寺はどんどん寂れています。檀家さんから叱られている。」と言うのです。「新城教会を見てみろ。どんどん増えてるぞ。一回、教会に行って勉強して来い!」と言われたらしく、来られたみたいです。「そうですか。勉強してどうするのですか?」と聞くと、「成功の秘訣を寺に導入したい。」と言われました。
私はいろいろ彼と話をし、親しくなりました。ある時彼に、「坊さん、ここで供養されているのが、死者の霊ならいいかもしれないけれど、死者のふりをした悪霊だったらどうしますか?」と聞きました。そして「あなたは、いいことしてると思っているかもしれないけれど、もしも悪霊を呼んでいたら、それは危険な仕事ですよ。」と話しました。
「僧侶と牧師のどちらかが、世界で最悪の仕事かもしれませんね。」と言ったら、彼は深刻な顔をしていました。
それで、彼が慰霊祭に行く前に、守りをお祈りしてあげました。「霊の目が開かれて、何者がそこにいるのか分かるようにして上げて下さい。」と主に祈りました。
彼は帰って来て、「あの場所には悪い霊がいる!」と言うのです。彼の霊の目が開かれたわけです。「もしかしたら、僕の職業が最悪かもしれません。」と言って、やがてこの地域の住職を辞めました。彼はイエスさまを受け入れる祈りをしましたので、私は今でも、彼のために祈っています。
偶像を拝まないことは、強く生きるために、最も大切なことです。

聖書は「偶像を拝んではならない」と命じています。それは神ではなくて、神のふりをした悪霊を拝むことになるからです。神が人に割り当てた、天使たちが、たやすく堕天使と入れ替わるからです。
最強の人生を歩みたかったら、偶像礼拝から離れることです。日本において一番難しいテーマかもしれません。日本人の霊的な目が開かれるように祈る必要があります。もしも偶像の背後の霊が何者か分かったら、いくら坊さんでも拝めなくなります。
先日、「後ろの戸を閉める」という話をしましたが、強く生きる秘訣は、第二に、喧嘩をしないことです。子どもたちはよく喧嘩をします。憎しみの賞味期限は「二十四時間」とお話ししました。