〜2022年〜 「それは主の復讐の年」伝道礼拝
神の子らは最強です!

次の話、子どもたちは、よく聞いてくださいね。それは、「ゲームをやりすぎない」ことです。ゲームやアニメは現代っ子と共にいる天使たちが、悪霊どもに置き換わる一番の原因だと思います。絶対、やっちゃいけないとは言いませんが、やりすぎて囚われないようにして下さい。ゲームの内容によっては、呪文を唱えたり、悪霊を呼ぶようなゲームも多くあります。見分ける目を、子どもたちが身につけないと、容易に侵入されます。
二十年以上前でしょうか。ポケモンの番組を見ていた子どもたちが、全国的に次々と倒れる事件がありました。ポケット・モンスター、悪霊をポケットに入れるようなものです。
私は、ポケモンを制作するアニメ会社に働いていた人と話したことがあります。「どうして子どもたちが倒れたのですか?」と聞いたら、「分からない。」と言うのです。光を交互に入れる手法は、他でもよく使っていて、特殊なことではないと言うのです。「あれはもしかしたら、霊的なものかもしれない」と話していました。あの事件は、神からの警告ではないでしょうか。アニメとかゲームの中にも、危ないものが多くあります。気をつけてください!という警告ではなかったかと思います。
しかし危険性について、子どもたちに教えたら、守られると思います。

先日、子ども園に行っている孫を、母親が迎えに行きました。すると先生が、「今日、この子はポケモンの絵は絶対に画かない!」と言って、みんなが画いても画かなかったと言うのです。なぜかと先生が聞いたら、彼は、「こいつは偶像だから。」と答えたそうです。
それで母親が、「先生、その意味って分かりますか?」と聞くと、「なんとなく分かります。」と答えられたそうです。子どもたちが教会に来ていると、見分ける目が与えられます。これは素晴らしい事ですね。
先日もその孫と一緒に買い物に行ったら、ベイブレードを買ってくれと言うので売り場に行きました。すると、ずらっと並んだベイブレードを、彼は一つずつ調べているのです。「これは悪霊っぽい。これも偶像っぽいな。だめだ。買える物がない・・。」とか言っていました。しかし、最後にちょっと安全そうなものを見つけて、買っていました。一緒に「悪霊との繋がりを断ち切ります。」と祈りました。
現代は、知らないうちに悪しき力に侵入され、人生を台無しにする可能性が大ですから、気をつけましょう。

続いての条件は、「聖霊に満たされる事」です。これは基本です。小さな頃から聖霊に満たされて歩むならば、『油注ぎがあなたがたに教える。』とあります。「これ危ないよ。このゲームは危ないよ。これはやめたほうがいいよ。」と教えてくれます。だから聖霊に満たされることは本当に大切です。

続いて、「人は被造物の世話係であることを知り、実行すること」が最強に生きる秘訣です。これは案外、知られていない条件です。しかしすごく重要な条件だと思います。先ほどの、詩篇八篇を全部読むといいのですが、六節から読んでみますと、

『神様は、お造りになった万物を、人間の手におゆだねになったのです。 いっさいのものが人の支配下にあります。牛も羊も、また野獣も、鳥、魚、すべての海の生物も。私たちの神、主よ。御名の威厳と栄光は全地に満ちています。』

ここに、『神様は、お造りになった万物を、人間の手におゆだねになったのです。』とあります。ということは、人間は、神が造られた被造物を世話する「管理人」であるということです。
生きる意味が分かりません!という方がおられたら、よく聞いて下さい。人間として生まれたならば、「被造物の管理人」です。そもそも人は、被造物を管理しています。動物を世話したり、植物を世話したり、いろいろ関心を持って世話をしています。
しかし究極なお世話、管理とは何でしょうか?
すべて神が造られた被造物は、「主をほめたたえ、賛美するために造られた」のです。ゆえに究極的管理とは、うめいている被造物の所に行って、「主をほめたたえ賛美せよ!」と宣言することです。それが最も重要な使命であるわけです。
設楽が原の土地はうめいていると思います。血が流されているからです。悲しみ、うめいています。私たちは時々、「設楽原よ!主をほめたたえ、賛美しろ!」と宣言しています。私たちが被造物に対して「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言する時、被造物はうめきから解き放されて、本来の姿に戻るのです。
春になりますと、花が多く咲きます。花は何のために咲いているのでしょうか。まずは、人を喜ばせ、慰めるために、咲いています。
先日も話しましたけれど、目線よりも下の花は人に見て欲しくて上を向いて咲いています。ひまわりみたいに人の背丈の花は、横を向いて咲いています。桜の花とかは、下を向いて咲いています。人間に向けて咲いているわけです。それは、まずは人を慰め、励ます為です。同時に、人が花たちに「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言する為です。
私も花を見たら、「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言することにしています。すると花は喜んで、主を賛美します。

孫ネタで恐縮ですが、孫が小さい頃、花の所に行って、「主を賛美しろ!」と言うと、花が風で動くので、「花が主を賛美した!すごーい!」と言って喜んでいたのですが、先日、一番下の孫と一緒に、花に「主を賛美しろ!」と命じたら、花が動きました。「あっ!賛美してる!」と私が言ったら、彼は、「風じゃないの?」と言いました。ちょっと純粋さがなくなってきました。
でも、「花と風」って、ペアなんです。「主の回復の時」という賛美、「♪花が歌い〜風も歌う〜そして私も歌う」と歌われているように、花の所に行って「主を賛美しろ」と宣言をすると、風が吹いて来ます。そして主を賛美します。これは、人の究極的な仕事ですから、幼い頃からやっていたら強さを保ちます。人間の一番大切な仕事です。悪魔や悪霊どもだって被造物ですから、人の口によって制せられるはずです。

大空を見たり、海を見たり、雄大さを見たら、「主を賛美しろ!」と宣言しましょう。すべてが主をほめたたえ、賛美する為に働く時、人は強くなります。
これらを知り、実行したら、最強の人生を歩むことができるはずです。今週から、実行していただきたいです。特に春は被造物が命を芽生えさせる時期です。絶好のチャンスです。私たちが被造物に対して、「主を賛美しろ!」と宣言する時、被造物たちは最も喜ぶにちがいありません。ローマ人への手紙八章に、『被造物は共にうめいている。』とあります。人間だけがうめくのではなく、すべての被造物もうめいています。新型コロナウイルスだって、被造物です。彼らに主を賛美させることだって、可能であると私は信じています。

私たちの神さまは、人類を愛してくださっています。私たちを愛してくださっています。人に関心があるという事は、人がそれだけ大きな使命を持っているからです。
ヨハネの福音書三章十六節、十七節、皆さんで読んでみましょうか。リビングバイブルです。

『実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。 それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。神がご自分の御子を世にお遣わしになったのは、世に有罪判決を下すためではありません。 救うためです。』

すばらしい言葉ですね。神は私たち一人ひとりを愛して、救うためにイエスさまを遣わされたのです。
人には自由意思があります。神に付くもよし、悪魔に付くもよし、自由意思によって決まります。放っておけば、悪いほうに付いてしまうわけです。神は人が滅びないように、イエスさまを地上に送って下さいました。今日も神は、私たちを愛してくださっています。

しかしながら、ここからがちょっと、マニアックな大人向けのメッセージに変わるのですが、旧約聖書を見ますと、神さまは愛と言うけれど、本当に大丈夫かな・・?みたいな記事も数多くあるわけです。
ノアの箱船の話、イラストに描かれるとほんわかしていい感じがします。しかし実際、神は、ノアの時代に何をなさったのか。被造物も含めて、すべて大洪水で滅ぼしてしまったのです。ノアの家族八人と、ちょっぴりの動物以外は、全て大洪水で滅ぼされてしまいました。
創世記六章五節〜七節、

『主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」』

人が罪を犯したことによって、ノアの一家八人と動物もちょっとだけ残して、あとはすべて滅ぼしたわけです。助かった生物は海の魚だけでした。魚は結構、神から愛されている感じがしますね。
しかし、ひどい話だと思いませんか?
大洪水後、神はノアと、動物たち、被造物と契約を結んでいます。「もう滅ぼさないよ」と契約を結び、その証拠に虹を雲の中に出されたと言うのです。こんなことなら、先に赦してくれたら良かったのではと考えてしまいます。
時々虹を見ます。虹って、被造物全体との「永遠の契約」だと言うのです。今でもノア契約は有効です。
「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」とあります、英語では、『 I do set my bow in the cloud,』となっています。
「虹」は、ヘブル語では英語の「bow」にあたります。虹は英語で「rain-bow」ですね。
「bow」とは、弓矢です。虹は神さまの「弓」なのです。こんな感じでしょうか。
 どこかに対して発射される弓矢です。まだ何か、どこかに敵がいるような感覚を覚えます。
ノアの洪水の後、アブラハムの時代になって、ソドムとゴモラという街は、ロトの家族以外、被造物をも含めて火によって皆殺しにされました。何が愛なのだろうかと思います。
さらにはイスラエルがカナンの地に攻め入った後、聖絶と言って、カナン人は皆殺しでした。これが愛の神の姿でしょうか。
しかし聖書を突き詰めて学ぶと、これも人類に対する、神の愛の行為であったことが分かります。

今日の午後からは「霊的戦い専門課程ダイジェスト」があります。今回、私のテーマは、今まであまり考えてもみなかったところに目が留まりました。
創世記六章を読みますと、『その頃ネフィリムがいた。』とあります。「ネフィリム」って、聞いたことがありますか?
私が小さい頃、父から聞いていた解釈は、神の子が未信者の女性と結婚したので、罪が増大し、ノアの洪水が起こったと聞いていました。だからクリスチャンと結婚することが大切なんだ、みたいな話でした。ネフィリムについては気にもとめませんでした。

しかし近年、聖書研究が進んで、その説はほとんど聞かなくなりました。ネフィリムとは、どのような存在なのか?
ネフィリムとは、「堕天使と人の女のハイブリッド」として誕生した「超人」です。悪霊が女性を選んで結婚し、生まれた子どもがいたのです。これを今回の霊的戦い専門課程本科で話したいと思います。

ノアの洪水の前後は、ネフェリムという、ハイブリッド超人が地上に、うようよしていたようです。神はそれを見て、「このままネフィリムを地上に放っておいたら、人も被造物も、全て滅びてしまう!」と危機感を覚えられたのです。それで、ノアの家族だけを脇において、未来の人類のために、ひとまず、ネフィリムに汚染された全てを滅ぼされたのです。
しかし、洪水だけでは、ネフィリムは滅ぼしきれなかったみたいです。
アブラハムの時代、ソドムとゴモラにも、そのような連中がいたみたいです。新約聖書、ユダ書に、『自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たち』という表現があります。これは何かと言ったら、ネフィリムを産みだした堕天使たちです。
天使たちは、イエスさまが言われたように結婚しません。しかし堕天使は、自分たちの領域を捨てて、人の娘の中に入って、子どもを作ったのです。何のためかと言うと、やがて女の末から、救い主が生まれる事を悪魔は知っていたからです。だから人の遺伝子を汚してやろう、という意図に他なりません。