2023年11月12日(日)新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書 24章14節
“御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。”
ハレルヤ!石塚さんの賛美、素晴らしかったですね。歌詞をよく注意して聞いたことがなかったですが、素晴らしい歌詞でした。英語の歌詞と日本語の歌詞はずいぶん違うなぁと少しびっくりしました。心から感謝します。
昨日は素晴らしい集会が兵庫県西宮市で行われました。それは甲子園ミッションが終わって三十年ということで、記念集会が開かれたからです。
YouTubeでも配信されたのですが、会場には二百人弱の方々でしたが、今朝、見ましたら1400人以上の方々がご覧になっていて、反響にびっくりしました。甲子園ミッションが終わって三十年と、昨日のように感じますが、今まで主が導いてくださったことに心から感謝します。懐かしい方々にもお会いできましたし、心新たに主のために働きたいと願わされました。
昨日の集会で、この働きが始まる前提となった「日本リバイバルクルセード」の働きから、父が伝道者として立ち上がり、「甲子園ミッション」までの流れを編集した動画を観ました。それを今から皆さんで、もう一度観たいです。よろしくお願いします。
《動画》
懐かしい映像が多く出てまいりましたが、それらが、ある一瞬の断面で終わっていたとしたら、むなしいです。人生に置き換えても同じです。長い人生の中、様々なことがあっても、それらがそれぞれ独立した事象であり、互いに何の繋がりもないとしたら、本当にむなしいです。しかし神の国の働きは、決して一時に終わるものではなく、すべてが連続性を持って進んでいるのです。
以前にもお話ししましたが、聖書は「天地創造から、新天新地の創造への壮大な物語」として読むことができるということです。そのような視点で読んでみてみください。創世記には、天地創造が描かれていますが、黙示録には新天新地の創造が預言されています。そこには連続性があります。
ということは、今、私たちが生きているこの時代も、聖書の壮大な物語の一部であって、神の国の計画を前進させるために用いられているということです。
聖書に登場する人物と自分とはあまり関係ないと感じます。イエスさまとは少しくらい関係があったとしても、聖書の流れと自分とは関係ないように思うかもしれません。しかし決してそうではないのです。私たちも壮大な神の計画の一コマを聖書の登場人物と同じように、担っているのです。
そして最後のゴールは何であるかということです。
“御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。”
とイエスさまは語られました。歴史は、やがて終わる日が来ます。私たちは、現在、神の物語のどの辺を歩んでいるのかというと、他でもなく、歴史の最終章、新天新地の創造の直前に置かれていると思われます。
世の終わりの現象として、イエスさまは次のように語られました。
マタイの福音書二十四章三節、
“イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」”
弟子たちが今から二千年前、このような質問をイエスさまに投げかけました。その時の答えがこうでした。
“民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。”(マタイの福音書二十四章七~八節)
人類の二千年の歴史を見るなら、それは戦いの歴史です。古代からに現代に至るまで、途切れることなく戦争は続いています。近年、戦争の規模は昔とは比べ物にならないほど、拡大し、悲惨になっています。
最終的な戦争がどこで起こるのかというと、イエスさまがお生まれになったパレスチナ、イスラエルで起こることが預言されています。
今、イスラエルが揺れに揺れています。これをどのように捉えられるでしょうか。毎日、ガザの悲惨な様子が茶の間に送られています。この戦いの本質を知らなければいけないと思うのです。
戦争は、誰が始めるのか。
それはイスラエル人の総意であり、パレスチナ人たちの総意によって始められたように思いますが、決してそうではありません。戦いを決断するのは時の「政権」です。戦争を仕掛けたのは、国際テロ組織ハマスです。そしてそれを受けて立ったのが、ネタニヤフ政権です。両者、極右思想の持ち主たちです。ハマスは、世界中をイスラム化しようという恐ろしい思想を持っています。だから怖いです。イスラム教徒以外は首を切ってもいいと信じている人たちです。
またネタニヤフ政権は、今までイスラエルの政権の中、最も右寄りの政権です。彼らは、イスラエルの領土からパレスチナ人を一人残らず排除したいと考えている人たちです。
実際にイスラエルに行けばわかりますが、アラブ人も、パレスチナ人も、ユダヤ人も、イスラエル人と呼ばれる人たちも、ほとんどの人たちは、共に暮らしています。しかし国に極右政権が生まれたら、混乱し始めます。戦争とは、時の政権が決断し実行するものです。それゆえに、国民全体が戦いに巻き込まれるのです。極右思想同士が戦争を決断すれば、悲惨なことが起こるのは当然です。
「国の指導者のために祈れ」と聖書が告げているのはその為です。
“そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。”
テモテへの手紙 第一 2章1~2節
甲子園ミッションは、初め、伝道集会として計画されました。しかしその中で、激しく聖霊が注がれて、その働きが国のためにとりなし祈る、「祈りの運動」として、変えられて行きました。
私は国のために祈るなんて、全く考えもしない、小さな考えの持ち主でした。しかし甲子園ミッションとともに、「国のために祈る」という視点が与えられました。日本が変えられ、一部が救われるだけでなく、国全体が変えられるように祈る!という視点をいただいたのは、他でもなく、甲子園ミッションからでした。
甲子園ミッションの映像を見ていただきましたけれど、振り返ると、神が私たちの中に働き、導いてくださったことを再確認できます。
以前にマタイの福音書は、系図から始まっているということで、系図の意味について、お話しさせていただきましたが、マタイは歴史的に繋がっている人々を紹介することにより、「神の摂理的な計画によって、神は歴史を通して働かれる」という「歴史の重要性」を記したと言うのです。
「私は過去を振り返らない!」という性格の方がおられます。終わったことはすべて終わったんだ!私はいつも前に向かって進んでいる!というポジティブな方もおられるかと思います。それも一つの生き方でしょう。しかし聖書は、ただ前を見て進んで行け!とだけ告げているのではないのです。「振り返りなさい」とも同時に語っています。
歴史を振り返る時、神の摂理的な計画によって、神は歴史を通して働かれる!という、その事実を確認するのです。そしてその事実を基礎とし、糧として、信仰によって未来に向かって進むのです。
今年は七十周年という一つの区切りの中、多くの振り返りをしています。歴史を検証しているのですが、「順先生も歳をとりましたね・・・。」と思っている方もいるかもしれません。はい、だいぶ年を取りました。しかしただの昔話で花を咲かせるのではなく、その中にある、神の摂理的な計画を見いだし、前進する為に語らせていただきたいです。
甲子園ミッションは、初めは一九九三年十月に行われることになっていました。しかしそれが突然、球場の都合で、十一月五・六・七日に変更されてしまいました。私は変更がなされたことをアルゼンチンで聞きました。私の携帯に電話がかかってきて、「大変なことが起こった!」と言うのです。当時、大変なことばかり起こっていたので、またかよ!みたいな感じでしたが、それを聞いてショックでした。印刷物から何まで、十月ということで進めていたのに、変更されたからです。
なにが原因だったかと言ったら、阪神がセ・リーグで優勝しそうになったからでした。それまで阪神はずっと最弱チームでしたが、九三年、優勝するかも知れないということで日程が変えられたのです。この地域は阪神が強くても弱くても、何も気になりません。中日とか巨人ファンが多いかもしれません。しかし、関西に行くと阪神ファンは道頓堀に飛び込むぐらいのエネルギーがあるわけです。なんとその年、阪神はセリーグ二位でした。それはあり得ないことでした。それまでは最弱だったので、甲子園球場を借りに行った時、「阪神は今年も弱いですから、十月で大丈夫ですよ。」と言って球場を貸してくれました。
しかしその時に、田中政男先生が球場関係者に、「一言、お祈りさせていただきます。」と言って、余計な祈りをしたというのです。それは、「今年、阪神が祝福されますように。強くなりますように。」と祈ったというのです。平岡先生はそれを聞いていたそうです。
そうしたら二位になってしまったのです。ゆえに日程が先延ばしされたのです。「田中先生!あんな祈りするもんだから!」と言って、みんなから非難されたのですが、それも神の計画でした。
今年、阪神は日本シリーズでも優勝しました。甲子園ミッションの完成形が今年か・・、と勝手に思っているのですが、三十年前、阪神が勝って甲子園ミッションの予定変更を強いられてしまったのですが、そんな中にも、神の栄光が現されたのです。後から振り返ると「本当に変更されてよかった!」と思います。
初め決められた十月の日程は、三日間、なんと大雨でした。野外での集会を何億円もかけて準備して、三日間大雨だったら、すべてが無駄になりました。雨だと野球だって中止になるではないですか。十月だったら、甲子園ミッションを中止せざるを得なかったわけです。しかし神さまが最弱阪神に力を与えて、大雨から逃れさせて、十一月五・六・七日は暖かく、良い天気だったのです。
しかし最終日の十一月七日は、大雨でした。大阪の環状線が止まるぐらいの大雨だったのです。しかし奇跡を見たのです。球場に集まった人たちが、「甲子園球場の上だけ、主よ。天候を変えてください!」と祈ったのです。そうしたら何が起こったと思いますか?なんと黒雲が甲子園球場の上だけ裂けて、虹が出たのです。大きな奇跡でした。
しかし最終日のプログラムがすべて終わると、黒い雲が元に戻って雨が降り出しました。まさに、紅海を真っ二つに分けた神の奇跡にも似た奇跡を、体験させてくださったのです。
また阪神の成績が良かった為に、甲子園球場が改修されて、大きなスクリーンが付いたのです。今では簡単に映像を出すことができるのですが、十年前は、レンタルするのにも一晩、五百万ぐらいかかりました。
しかし甲子園球場に、常設スクリーンが設置されて、自由に使ってもいい!ということになり、映像が大スクリーンに配信されて、素晴らしい集会になったのです。
初めは日程が変えられてがっかりしたのですが、そんな中にも神のみ手がありました。
私たちの人生の中でも、計画通りに物事が進まず、がっかりすることがあります。しかし自分の計画がうまくいかなかったら、神はさらに素晴らしい計画をお持ちであると信じて下さい。
少しがっかりされている方がおられたら、神さまはもっと優れた計画をお持ちです!
甲子園ミッションで、最も印象深かったのは、やはり一九九二年二月十三日に愛知県民の森で聖霊が注がれたことと、その後に起こった霊的戦いでした。
あの経験は、私の人生の中で最も大きな経験といっても過言ではありません。九二年二月十三日、皆で祈っている時、激しく聖霊さまが訪れて、八人で祈っていたのですが、硬いコンクリートの床の上に倒されて、そこから聖霊の働きが弾け出るという強烈な体験でした。