2023年7月23日(日)新城教会主任牧師 滝元順
エレミヤ書35章19節
『それゆえ──イスラエルの神、万軍の主はこう言われる──レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも絶えることはない。』
皆さん、おはようございます。ハレルヤ!熱い賛美を感謝します。七月は霊的戦いが始まった記念の月です。「賛美で暗闇を破りましょう!」という一ヶ月です。
今日のお昼を楽しみにしてください。プレミアム・ホット・ドックが食べられます。暑い中、ホットなドッグを食べるみたいですが、カレー・チケットも使えます。ご自由にトッピングできるそうです。百五十人限定だそうですが、それ以上でも何とかなると思いますので、よろしくお願いします。
私のために祈り、支えてくださって心から感謝致します。皆さんに祈っていただけて幸せです。全国・全世界からも、祈って支えて下さっています。私が語るメッセージも、ホームページでチェックして下さっているようで、私はどんな感じか読み取って下さっているみたいです。このぐらいなら、奉仕に呼んでも大丈夫かな・・みたいな感じで、来週は天野先生の熱い教会で奉仕する事になりました。ちょっとテンション上げていかなければいけないので、お祈り下さい。「・・・家内が亡くなりまし。私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。」みたいでは行けませんので・・、祈ってくだされば大丈夫だと思います。
今日のメッセージの題は、「〜この地に植えられ70年〜 主イエスよ。来てください!70年前に与えられた、主の使命を受け継ぐ教会になろう!」という、長いタイトルを付けさせていただきました。主題のみ言葉は、エレミヤ書三十五章十九節です。
『それゆえ──イスラエルの神、万軍の主はこう言われる──レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも絶えることはない。』
七十年間、いろいろな方々に支えられてここまでやって来ました。今から三十年以上前、英会話のプログラムがあって、そこにクリスチャンではない方々をお招きして、福音を伝えました。
そんな中、ジョイさんという方が新城教会で数年間、英会話伝道をしてくださいました。本当に良い働きでした。その後彼女は、アメリカに帰られて結婚されたのですが、悲しいことに、一昨年、ご主人のダンさんが新型コロナウイルスに感染して亡くなられました。
私たちもお祈りさせていただき、支援もさせていただいたのですが、実は今日、ジョイさんの長男ジェイダン君が来てくれています。彼は十八歳です。高校を卒業したばかりの青年です。今から少し、挨拶をしてもらいますので、よろしいですか。
ではジェイダン君、よろしくお願いします。
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おはようございます。私を迎え入れてくれてありがとうございます。たくさんのおもてなし、また、私の家族のことを気にかけてくれて感謝しています。私はここに来て、本当に楽しい日々を過ごしています。日本は最高の場所です。食べ物も美味しいし、皆さんの温かいおもてなしに感動しています。
もう一つ、私の母もここに来たかったのですが、母に代わって皆さんに挨拶します。ありがとうございます。
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彼のためにも、家族の為にもお祈りしてあげてください。明日は九州に行って、それから帰国されるそうです。ジョイさんも一緒に来たかったと言っていましたけれど、次回はぜひ、来て下さい。
私たちは、いろいろな方々に七十年間お世話になって支えられてきました。
七十年前、私の両親がこの地に入って宣教を開始しました。その時、主が、この地で何をすべきかについて語られました。その言葉は、ある意味、この教会の土台だと思うのです。その土台をしっかりと確認し、受け継ぐ教会になりたいものです。
新城で教会が始まった時、一般の新聞社「豊橋新聞」が、現在この新聞社はありませんが、父と新城教会(当時は設楽教会)をレポートしてくれました。その記事が残っていました。そこにはこのようにレポートされていました。
「神の國を築く設樂教會」
当時、この地域は、新城市ではなく、南設楽郡と呼ばれていましたから、「設樂教会」という名称でした。その後、南設楽郡が新城市に変わって、名称が新城教会に変更されました。「神の國を築く設樂教會」とは、よくぞ言ってくれたものだと感動しています。
そして、「血と涙の使徒 瀧元牧師の悲願実る」とも、よくぞこんなタイトルをつけたものです。「血と涙の使徒」か・・・、まさしく瀧元家、その後、血と涙の家族だと思うのですが、父の悲願は、この地域に神の国が来るように!という事でした。先ほども、「神の国よ、来たれ!」と賛美しましたが、これは七十年前に主が語られた主題です。そのような思いで、主は、この教会を始められたのです。
新聞記事を読みますと、「昭和二十八年三月(一九五三年三月)新城町の現在の教会のある場所を永住の地としてえらび、南北設楽に神の国をつくりだそうとして、その名も設楽教会として発足したのである。」なっています。
一般の新聞社がこのようにレポートしたのは、初期の教会が行っていたことが、そのように映ったからでしょう。「彼らには情熱がある!血と涙にまみれながら、この地を神の国にしようとしている!」と感銘を受けたからだと思われます。七十年近く前、そのようなレポートがなされたわけです。
今一度、土台を見直さなければいけないと思います。聖書の神がこの地に、何をされたいのか?そのゴールは何処か?それは「神の国の実現」です。
実に、新城教会の土台に、聖書に掲げられている中心テーマ、「神の国の実現」があるのです。
七十年前も、今日も、「神の国よ来たれ!」です。将来も同じテーマで前進しなければいけないのです。
何度もお見せしていますが、これは初代の新城教会(設楽教会)に集まっていた人たちです。すでに半数ぐらいの方々が召天されていると思うのですが、最初は新城中学校前の四軒長屋の端っこを会堂としていました。元々、この場所はダンスホールでした。そこを買い取って教会にして、人々が集まって賛美するようになりました。元々、四軒長屋は壁も薄く、賛美が長屋全体に響いて、騒音公害だ!みたいなことを言われて、ついには追い出されて、現在の場所に来ました。
しかしこの場所でも、神の国の到来のために働いています。まずは子沢山で増えました。私は八人兄弟で、一人亡くなって七人兄弟。お隣の見城さんは十二人兄弟、岡本さんは五人、そして伊藤さんは六人で、四軒だけで四十数人の日本の平均的教会ができました。それが「神の国到来の働きの核」となったのです。
この場所に教会が移転した一九六〇年代に、青年たちにリバイバルが起こり、集まって祈っていると、激しく聖霊が注がれました。お隣に製材所があったのですが、製材所の職工さんたちが幾人もクリスチャンになりました。その中に田中政男先生も含まれていました。彼らは休憩時間になると、丸太の間に挟まって、何しろ、熱く祈っていたのです。
すると、激しく聖霊が注がれたのです。その時、何が起こったのかというと、彼らに宣教のスピリットが注がれて、預言的な言葉と共に、「あの場所に行き教会を開拓せよ!」と、主が語られたのです。その預言を、彼らはまともに受け取って、即、宣教に出かけて行きました。
当時、製材所で働いていた若者たちは、将来、名古屋か東京に材木問屋を立ち上げようと、真剣に準備していた人たちでした。しかし彼らが聖霊によって遣わされた地は、いずれもド田舎でした。
その結果、「設楽教会、東栄教会、北遠教会」という、三つの教会ができたのです。それらは、皆、山の中です。いくら当時でも、こんな場所に教会を建てる人は少なかったはずです。人口が少なく、それらの町には将来も希望もありません。しかし、「その地に教会を建てろ」と、主が語られたから出て行きました。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を伝えなさい」と主は語られました。「もの」とは、「クティシス、被造物」という意味です。その当時から、主は、私たちの理解は無くとも、福音とはただ人だけのものではなく、被造物全体に対するものという真理を含んでいたと思われます。
それにしても、主の声に従って出て行った人たちは、すごい信仰です。現在もこの三つの教会は残っています。それらは新城教会から生まれた教会たちです。七十年の節目の中、もう一度、三つの教会を意識し、しっかりと祈らないといけないと思うのです。
設楽教会、東栄教会、北遠教会のうち、現在でも牧師夫妻がいて、宣教・牧会がなされているのは、設楽教会だけです。菅沼先生夫妻が牧会されています。東栄教会は創立者の中村先生が亡くなって、現在、九十歳以上になった奥様が、一人で住んでおられます。夜は光輝く十字架がこの村に浮き上がります。「ここに教会があるぞ!」と強く主張しているかのようです。しかし礼拝は行われていません。
北遠教会も、教会の中心は浜松市に移り、礼拝は行われていないのです。建物を管理している人は住んでいるようですが、会堂は使われていません。
しかしこれらの教会は、最初、新城教会に主が与えられた「神の国の拡大」のビジョンの中、聖霊によって設立されたのです。それは「南北設楽に神の国を!」というビジョンそのものでした。その地域は、かつて「穂の国」と呼ばれた地域です。そこに主は神の国を実現しようと、聖霊を注いで教会を立ちあげられたのです。
これら三つの教会から何が起こったのかと言えば、「日本リバイバルクルセード」が発足し、「リバイバルミッション」につながりました。甲子園ミッションは、この三つの教会がなかったら、行われませんでした。当時の三つの教会の牧師たち、「田中政男、中村一夫、原田友衛、そして、滝元明」が心を合わせて、県民の森で祈っている中に下條真紀子先生が加わり、甲子園ミッションのビジョンを受け取ったのです。三つの教会がなかったら、現在の新城教会もありません。
その基礎は、若者たちが聖霊を受けて田舎に出て行き宣教したという、主のみ声に忠実に従った結果でした。そこから主は、日本全土に神の国を実現する「リバイバル運動」を始められたのです。
新城市も、限界集落の一つだと言われます。三十年も経つと、新城市は消える運命です。もしも消えないで残るとしたら、それは教会の将来にかかっていると思います。
岡本信弘先生がプレイズの働きを広げていますが、銀行の方と話したのですが、新城は新規の事業を始める人がたいへん少ないそうです。銀行に運転資金は借りに来ても、新規事業を立ちあげる人が少ないと嘆いていました。これからさらに聖霊が注がれて、新城市に神の国が実現したら、街も生き返るはずです。
現在、新城教会を中心に、リバイバルミッションとプレイズが全国展開しているのは、奇跡的なことです。
新城教会は、地域の人口比から言ったら、日本の中でも結構、特殊な存在かと思います。
先日、設楽教会の菅沼先生と話していたら、彼がこう言いました。「新城教会が祝福された秘訣は、偶像礼拝と戦ったからだ。」と言うのです。
私の両親がこの地に入ってきた時、当時は国家神道の名残もあって、偶像礼拝は個人というより、共同体で維持されていました。偶像礼拝から離れたら、村八分にされました。地域の偶像礼拝から離れるなんて、ありえませんでした。
しかし教会は初代から、強く戦ったのです。「私たちは偶像を拝みません!真の神、イエスさまだけを主として歩みます!」と宣言し、戦った結果として、祝福を受けたに違いないと話していました。そして、一つのみことばを引用してくれました。
それが列王記第二、十章三十節でした。「最近、この言葉が新城教会に対して与えられた」と言うのです。
『主はエフーに仰せられた。「あなたはわたしの見る目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。」』
北イスラエル王国の十代目の王はエフーでした。この王はバアル崇拝という、土着宗教を国から除くために、心血を注ぎました。徹底的にバアル崇拝を取り除いたのです。
その功績に対して、神はエフーに、『あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。』と祝福されたのです。
しかしエフーは、土着宗教は取り除いたものの、国家神道のような国家的偶像礼拝は取り除きませんでした。