〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
70年前に与えられた、 主の使命を受け継ぐ教会になろう!

『ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。』(列王記 第二 十章二十九節)

と記されています。イスラエルが北と南にわかれた時、北イスラエルの民を引き付けるために、初代のヤロブアム王は、金の子牛を民に礼拝させました。南ユダ王国には、有名なエルサレムがあったのですが、北にはそのような拠点がなかった為に、北部のダンと、南部のベテルに、金の子牛の偶像を据えたのです。そして、「これが北イスラエルを救う神だ!」と言って、国民を偶像礼拝に駆り立て国をまとめたわけです。その歴史的な流れの中、エフーも、カナンの土着宗教は取り除いたけれど、国家宗教の金の子牛礼拝は取り除かなかったのです。そこには政治的な理由があったわけです。それは自分の権力維持の為でした。
けれどもエフーは、土着のバアル崇拝は徹底的に取り除いたわけです。神はその努力を、決して忘れなかったのです。エフーは一方では偶像礼拝をしていたけれど、もう一方では偶像を取り除く働きをしたのです。それでも神は、エフーに、「あなたの子孫は四代目までイスラエルの王座に着きます!」と約束し、祝福されたのです。
「中途半端に偶像礼拝から離れたエフーでさえ、祝福されたのだから、新城教会のように、徹底的に偶像礼拝と戦った教会に、祝福が与えられるのは当然だと思う」と、彼は私を励ましてくれました。「霊的戦いについて、いろいろ言う人はいるけれど、実を結んでいる事が何よりの証拠だ」と評価して下さいました。嬉しかったです。

日本において偶像礼拝から離れるのは大変です。しかし偶像礼拝は「諸悪の根源」であることを知らなければいけないのです。
神はなぜ、偶像礼拝を禁止しておられるのでしょうか。そこには理由があります。偶像礼拝は人に幸せをもたらさないからです。偶像礼拝は、結果的に、社会を悪くする原因になると警告しています。なぜなら、偶像礼拝は悪霊礼拝であるからです。悪霊によって、家族も社会も破壊されるのです。現代社会が悪くなっているのもその為です。
「偶像礼拝は諸悪の根源!」と、創造主なる神は人類に警告しています。

このことは新約聖書にも述べられています。
ローマ人への手紙一章二十二節

『彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。』

偶像礼拝とは、「朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちに替えること」です。以前にもお話しましたけれど、偶像礼拝とは、「限定的な存在に、神的要素を与えること」と定義されています。
神が創造された被造物に神的要素を与えて崇めるとどうなるのか。
・・・神は、偶像礼拝者たちを「心の欲望のままに、汚れに引き渡す」と言うのです。
創造主が、偶像に仕える人たちの人生から手を離されるのです。一章二十六〜二十八節、

『こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。』

と告げています。「神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡す」と言うのです。それは広い意味では性的な罪を指していますが、特に、焦点を当て語っているのが、「男同士で情欲に燃えて男が男と恥ずべきことを行うという同性愛「行為」です。
私は五年くらい前に、同性愛に関して、聖書的からしっかりと語っておかなくてはいけないと示されて、語りました。覚えておられるかもしれません。なぜなら、日本でもそのテーマが、自由に語れない日が来るのではないかと危惧したからです。私が語ったメッセージを「舟の右側」という雑誌が取り上げてくれました。
現在、その事柄に関してどうでしょうか。私の予想した通りです。先日国会で、LGBTQに関する法案が通過しました。それで同性愛に反対することはその人たちに対する差別だ!と言われる雰囲気に社会は変化しています。
現在、世界の「結婚」という概念が崩れています。結婚は聖書が教えるように、男性と女性が神によって結び合わせられる事を意味します。創造主は性別を男性と女性しか創られませんでした。男性と女性が結婚し、そこから子孫が生まれ、神の祝福を受けるのが基本形です。それが社会的にも、歴史的にも、そして、生物学的にも結婚の定義です。しかし、その基本的定義さえも変わろうとしています。
もちろん生まれつき遺伝子の異常で、外見は男性であっても、内側は女性の方もおられます。その逆もあります。そのような方々の人権は守らなければいけません。差別は絶対にいけないことです。
しかしそのような運動の根源に、『彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、』と述べられているように、同性愛の「行為そのものが問題視されている」のです。その「行為」を、異性間の行為と同じように、同性間においても公に認めろという主張が根底にあるように感じます。日本で成立した法律は、まだ理念法の段階なので、罰則があるわけではありません。しかしこの法律を基にして、様々な規制がかかって行くことは間違いありません。すでに世界的には、教会が同性愛行為の罪について語れなくなっています。

では、神はなぜ、そのように警告しているのかというと、一章二十九〜三十一節、

『彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。』

と続いています。同性愛「行為」の結果は、社会の混乱です。天地宇宙を造り、人類を造り、結婚という制度を定められた神が定めた法則から離れると、社会は手のつけられないほど混乱すると警告しているのです。幸せのためには、神が定められた法則を守ってください!と告げているわけです。

現在、日本は深刻な問題を抱えています。それが何かというと、人口減少問題です。
先日、昨年の出生率が発表されました。二〇二二年出生率は「一・二六人」と発表されました。同性婚からは子どもは生まれません。同性婚が広がれば、人口はどんどん減少します。
そもそも出生率一・二六とは、実に深刻です。一人の母親から二人以上の子どもが生まれないと、人口は保たれないと言われます。出生率が一・九まで下がった時点で、歴史的に見て、その民族は生き残ることができないといわれます。
日本は一・二六です。しかし実際は、さらに低いと指摘されています。なぜならば、出生率の統計は、国際結婚において、外国人の母親から生まれた子どもは分子には加算されても、母親は外国籍の為、分母にカウントされないそうです。現在、ハーフの子どもたちは、結構多いのです。本来は一・二六どころではなく、もっと低いのではないかと指摘されています。
少子化を食い止める為に、いろいろと話し合われていますが、どうなっていくのか心配です。クリスチャン同士が結婚して、菊池家のように、六人ぐらいずつ生んだら、人口は増加します。子沢山って、本当に貴重です。

世界の文明を調べると、文明が突如として消えていった理由が分かります。例えばギリシャ帝国、アレクサンダー大王によって、広大な帝国が築かれました。しかし、ある時、忽然と崩れた理由は何か?一般の宗教学者、歴史学者の研究・分析によると、「像を刻む文化、すなわち、偶像礼拝と同性愛行為」だというのです。
ギリシャ帝国に偶像が満ち溢れ、同性愛行為が普通となった時、帝国はローマに征服されて消えました。
そのような社会にならない為には、偶像礼拝と戦わないといけないのです。いくら同性愛行為の罪について指摘してもなかなか歯止めは難しいです。その趣向と思考を変えるのは至難の業です。
しかし一つだけ、その領域に対して戦う方法があります。それが何かと言ったら、同性愛行為の根源には「偶像礼拝」があると言うことです。諸悪の根源が偶像礼拝であるとわかったら、偶像礼拝の背後に働いている暗闇の力には立ち向かう事が出来ます。その戦いは、教会にしか出来ません。教会が一丸となって、霊的戦いを展開するならば、やがて神の国が訪れるはずです。

主は田舎において、激しく、偶像礼拝そのものと戦わせて、さらに、偶像の背後の悪霊どもに気づかせて下さり、霊的戦いが始まりました。
どうして霊的戦いが始まったのか。それは単に教会の成長だとか、クリスチャンが増えるためではなく、神の国の実現のためです。その為に主自ら、戦い始められたと信じています。
どんな時代が来ようと、偶像礼拝そのものと戦い、背後に働く霊的存在に立ち向かうならば、必ず、主は勝利を与えてくださると信じます。このことを、働きの土台として据えておくべきです。
ヨハネの手紙 第一 五章二十一節、

『子供たちよ。偶像を警戒しなさい。』

偶像とは、ただの物質ではなく、ただ者ではありません。偶像という媒体を通して、悪しき霊が働くのです。文化だ、習慣だ、のレベルではないのです。日本を滅ぼすため、悪魔が持ち込んだ最強の武器なのです。

先ほどもお話ししましたが、エフーが土着信仰、バアルを取り除いたことによって、神は彼の子孫を四代目まで祝福されました。しかし、エフーは、偶像礼拝から完全に離れませんでした。ゆえに、

『主は彼に仰せられた。「あなたはその子をイズレエルと名づけよ。しばらくして、わたしはイズレエルの血をエフーの家に報い、イスラエルの家の王国を取り除くからだ。』

このように神は、ホセアという預言者に語っています。ホセア書一章四節です。
エフーは、国家的な偶像礼拝を、自分の権力維持の為に取り除かなかったのです。それ故に、北イスラエル王国は滅びてしまったのです。

しかし、興味深い記録が、列王記には出てきます。それはエフーと共に戦った一人の人物についてです。「レカブの子ヨナダブ」という人物です。お帰りなったら、列王記 第二の十章を読んでみてください。血で血を洗うような悲惨なことが書かれています。十五〜十七節を見ますと、

『彼がそこを去って行くと、彼を迎えに来たレカブの子ヨナダブに出会った。エフーは彼にあいさつして言った。「私の心があなたの心に結ばれているように、あなたの心もそうですか。」ヨナダブは、「そうです」と答えた。「それなら、こちらに手をよこしなさい。」ヨナダブが手を差し出すと、エフーは彼を戦車の上に引き上げて、「私といっしょに来て、私の主に対する熱心さを見なさい」と言った。ふたりは、彼の戦車に乗って、サマリヤに行った。エフーはアハブに属する者で、サマリヤに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。』

ヨナダブという人物が、どのようなポジションにあったのかは記されていません。エフーに近い人物であったのは確かです。貴族であったのか、軍人であったのかは分かりません。エフーが北イスラエルのバアルの預言者や信徒たちを根絶やしにした時、一緒に戦った人物でした。
その結果として、エフーの家系は四代先まで祝福されたわけです。しかしヨナダブのその後に関しては、列王記にはレポートされていません。
しかし聖書は、立体的に読むと真理が浮かび上がって来ます。一つの記事を他の箇所が絶妙にサポートしています。神は人間業ではない、不思議な手法を使っておられます。

エレミヤ書という預言書が旧約聖書中にあります。エレミヤの時代は、ヨナダブの時代からすると、約二百五十年後にあたります。エフーが北イスラエルを聖めた二百五十年後、神がエレミヤに、次のように語られました。
エレミヤ書三十五章二節、