〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
70年前に与えられた、 主の使命を受け継ぐ教会になろう!

『レカブ人の家に行って、彼らに語り、彼らを主の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ。』

レカブ人とは、先ほど学んだ『レカブの子ヨナダブ』の一族です。エレミヤの時代にレカブ人と呼ばれていたのは、ヨナダブの子孫たちでした。約二百五十年後、ヨナダブの子孫がその地域に住んでいたのです。
神はエレミヤに、「レカブ人らを連れて来て、主の宮で酒を飲ませよ。」と語られたのです。
どうでしょうか。「神が酒を飲ませよ、と言ったのだから、俺たちだって飲んでもいい。」という人がいますが、それは聖書をちゃんと読んでいない証拠です。
聖書は酒を飲むことを、決して推奨していません。エレミヤ書を続けて読んでみますと、レカブ人たちがエレミヤに、何と答えたのかが記録されています。

『すると彼らは言った。「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。あなたがたは家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない。あなたがたが寄留している地の面に末長く生きるために、一生、天幕に住め』と言ったからです。』

レカブ人たちは二百五十年近く前、エフーと共に戦ったヨナダブが、家族や親族たちに家訓として残した命令に従っていました。
「いいか。街に住んじゃいけない。荒野で天幕生活をしろ。」と告げたようです。そして最も強調したことが、「絶対に酒を飲むな!」と言う命令でした。
私が今日、何らかの教訓話をして、二百五十年後にそのことが守られているかと言ったら疑問です。子々孫々、私の告げたことを忘れずに守れるかといったら、かなり難しいと思います。しかしレカブ人たちは守り通していたのです。

当時、民は神の命令から遠く離れて、国はむちゃくちゃになっていました。そんな中、純粋に神の命令を守り通している一族がいることを、神は民に知らせたかったのです。神に従い、聖い生活をしている一族が、混乱した社会の只中にいることを、人々に紹介したかったのです。
ゆえに神はエレミヤに、「レカブの家に行って、彼らを連れて来て、酒を飲ませてみろ!」と告げられたのです。レカブ人たちは、ぶどう酒をがぶ飲みしたのではなく、「私たちはぶどう酒を飲みません!」と完全に拒否したのです。なぜならば、レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと告げたからです。「私たちは二百数十年間、一度も、ぶどう酒を飲んでいません。命令通り、荒野に住んでいます。」と、彼らは胸を張って答えたはずです。
その時神は何と言われたのか。エレミヤ書三十五章十八〜十九節、

『エレミヤはレカブ人の家の者に言った。「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『あなたがたは、先祖ヨナダブの命令に聞き従い、そのすべての命令を守り、すべて彼があなたがたに命じたとおりに行った。』それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」』

これは、二百数十年後の新しい世代に語られた言葉です。彼らは神がヨナダブに告げられた命令を守り通していたのです。
主から与えられた使命と命令を、どこまで継続できるか・・。それが新しい世代に祝福がとどまるか否かの分かれ目となるのではないでしょうか。

私の子どもの頃、日曜学校の約束という歌がありました。「日曜学校の約束は、朝夕神に祈りをし、父と母とに従って、タバコも吸わず、酒飲まず・・♪」と続きます。上條先生に歌ってもらうといいのですが、以前歌ってもらいました。そこで、「タバコも吸わず、酒飲まず♪」と歌っています。
現在、教会で「酒飲むな!」なんて、なかなか言えなくなってきました。青年会の交わり会は酒盛りだったなんていう教会についても聞きます。しかし神は、「酒を飲むな」とヨナダブに告げて、その後、レカブ人たちは、荒野に住みました。都会に住むとやはり誘惑が多いからです。彼らは荒野で神の約束を、温め続けていたわけです。
酒は偶像礼拝と強い関わりがありました。酒に酔うことは、神々に憑かれる、憑依と考えられていました。それで、必ず、祭には酒を飲む習慣があったわけです。日本も同じですね。
しかしレカブ人たちは偶像礼拝から一線を画し、酒も飲まず、聖い生活をしていたのです。その為、神は二百五十年後も彼らに祝福を与え、「これからも、わたしの前に立つ人が絶えることはありません。」と、未来についても祝福を約束してくださったのです。これは私たちも心に留めなければいけないことです。

七十年前、新城教会に神が下された命令とは何でしょうか。それは「神の国をこの地に実現すること」でした。その為に始まったのが、激しい偶像との戦いでした。さらに一九九二年、激しく聖霊を注ぎ、偶像の背後に隠れて働いている悪霊との戦いが始まりました。主が、「悪魔に立ち向かえ!」と命令されたからです。
人が何と言おうと、偶像礼拝と戦い、聖い生活をし、霊的な戦いを戦い続けろと、主は語っておられます。
一九六〇年代、この教会に初めて聖霊が注がれた時、若者たちは皆、都会を夢見ていました。しかし主はその青年たちに、「田舎に行って伝道しなさい。そこに教会を建てなさい。」と命令されたのには、深い意味があったと思います。福音とは、人だけではなく、被造物全体の贖いであることを含んでいたと思います。
最初に新城教会に据えてくださった土台、それを決して忘れないで保つならば、どんな時代が来ても、主は私たちを祝福し続けてくださるはずです。レカブ人の家が祝福されたように、お一人一人の家族も祝福されるに違いありません。
けれども、どこからかネジが緩んで甘くなるならば、将来は望めないです。あくまでも神の法則に従わなければなりません。

現在、日本の教会は危機的です。以前にも少し紹介しましたけれど、日本最大の教派である「日本キリスト教団」の信徒年代分布はこんな感じです。
 二〇一四年のデータですから、現在はさらに危機的になっているはずです。若い世代はほとんどいませんから、教会は存続できないです。
また日本の牧師の平均年齢は、「七十歳」だそうです。私は七十二歳になるのですが、ちょうど平均年齢です。
そして日本のクリスチャンの平均年齢は、「六十歳」だそうです。これは福音派も含めての統計です。教会の人口減少は、国の人口減少どころじゃありません。将来も希望もありません。統計を見れば、すでに終わっています。それは、どこかで祝福の法則が狂ったからだと思われます。最初に神が与えた使命から外れると、エフーの家のように途中で削られ、駄目になってしまいます。しかしヨナダブの家のように、神から聞いた命令をしっかりと保ったら、「神の前に立つ者たちが絶えることはない!」はずです。

私たちは新しい世代のために、良い土台を築かなければなりません。先日も「リバイバル感謝報告書」をお渡ししましたが、少し年齢が上がって来ました。若い世代の方々、多くの子どもを生んで、底上げしていただきたいと思います。今ここにいる子どもたちが将来、この教会を背負って立つわけです。この子たちに託していいのかなぁ・・と、一抹の不安もありますが、ヨナダブの家を見れば、二百五十年間も継続したわけですから、新城教会も同じようになろうではありませんか。
そのためには、一人ひとりが心を決めて、偶像礼拝と戦わなければなりません。また、現代の風潮に流されてはいけないのです。「流行」とは「流れて行く」と書きます。それこそ悪魔が使う手口です。この世の流れに従う事は、この世の神、悪霊どもに仕えることになります。ですから、もう一度、土台をしっかりと見直し、据え直したいと思います。

自分を振り返って、クリスチャンになった時と比べると、だいぶネジが緩んできたなぁと、「このぐらいいいか。」みたいなところがあったら、その辺を引き締めましょう。今朝は特に、偶像礼拝、同性愛行為、飲酒など、また、その後起こる様々な問題について学びました。霊的戦いと被造物全体に対する福音と賛美を手放してはいけません。二百五十年後、今日、私が語った同じメッセージが語られていたとしたら、大成功!です。そんな教会になりたいと願います。
一言お祈りをさせていただきます。
皆さん、お立ち上がりください。ご一緒に祈りましょう。主の使命を受け継ぐ教会になるように、祈りましょう。そのために、主が与えてくださった使命と命令を、忠実に守り行う者となるように、ご一緒に、祈りの時を持ちましょう。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。七十年間、教会を継続させてくださって心から感謝します。今日は七十年前、主が新城教会に語ってくださった土台について学び、将来に向けて、目を向けています。この教会に託された使命を果たしきるまで、存続させてください。特に、偶像礼拝と戦い、霊的戦いを前進させて下さい。私たち一人ひとりを聖霊によって、強めてください。信仰生活に、何か、ネジが緩んでいるならば、赦し、修理してください。今日は、はじめの愛に戻ることができますように。尊きイエスさまのみ名によって、将来と希望を宣言して祈ります。アーメン!