〜2022年〜 「それは主の復讐の年」
今年の復活祭に期待しよう!!

2022年4月10(日)新城教会主任牧師 滝元順

コリント人への手紙 第一 15章13~14節
『もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。』

創世記 1章14~16節
『神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。
神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
石塚和基君の演奏、すごかったですね。
神さまは天地を創造されましたが、創造とは「機能を設定する」という意味です。音楽や芸術の世界は、より良い世界を造るために、神と共に創造のわざに関わることです。神をほめたたえる技術を高めることは、本当にすばらしいことです。

現在、教会は活動が困難な時期にあります。しかし先週は、東三河で牧会している牧師たちが新城教会に集って、牧師会が開催されました。二年半ぐらい、対面で牧師会は開催できませんでしたが、久しぶりに集まり、共に交わり、食事をし、祈り合うことができました。東三河の宣教のために、是非、お祈りをいただきたいと思います。

また先週は、新城市を震源地とする地震がありました。
私は今年で七十一歳になりますが、人生の中で体験した、最も大きな地震でした。揺れ始めた時、このまま大きくなったらまずいなと思いました。もしもこの地震が他の街で起こった地震ならば、相当な大地震だろうと思ったら、なんと、新城市が震源地でした。名古屋大学の教授が、「新城では百年に一度、起こるか起こらないかの大地震だ」と語っていました。ということは、これから百年は起こらないということかもしれません。新城市役所のちょっと北の、地下十キロぐらいのところで岩が裂けたそうです。岩が裂けただけで、あれだけの地震が起こるのかとびっくりしました。毎日、守りを祈らなくてはいけないと思います。

 来週の日曜日は「復活祭」です。復活祭と地震には、深い関係があります。イエスさまが十字架にかかられ、死なれた時、大地震があって、岩が裂けたと聖書は記録しています。
また、その三日後、イエスさまがよみがえられた時も地震が起き、墓が開きました。最近、日本で地震が頻発していますけれども、イエスさまのよみがえりと関連があるのではないかと、勝手に思って祈っています。

現在、世界中で様々な問題が起こっています。いまだかつてない事柄が次から次へと起こっています。新型コロナウイルスも終結するかと思ったら、BA.2とかいう新種の株が出たらしく、第七波とか言われています。いつになったら、自由に生活できるのでしょうか。
ロシアとウクライナの戦争も、これからどうなっていくのか心配です。

実は、現在、新城教会でも一つの問題が起こっています。それは教会のホームページが開けなくなっているからです(現在は復旧しています)。一般的に言ったら、原因はサイバー攻撃です。現在、世界中でサイバー攻撃がなされていて、多くの問題がネット上に起こっています。大変な時代に生きていることは確かです。

今後の人類に望みがあるとしたら、「イエスさまがもう一度、王として帰られる事」以外にありません。このまま進んで行っても、人類に良い未来はありません。
イエスさまはこの地上に初臨されただけでなく、やがて地上に、再臨されると約束しています。

 今日はどういう日かと言いますと、イエスさまがエルサレムに王として入場された「シュロの日」という記念日です。イエスさまは一度は王として民衆に迎えられたのです。人々は熱狂的にイエスさまをエルサレムに迎えました。「ホサナ!王の王イエス!」と賛美して迎えました。
しかしイエスさまを妬んだ宗教家たちの手によって、その週、イエスさまは処刑されてしまいました。けれどもイエスさまは、死を打ち破って、三日目によみがえられたのです。

皆さんはイエスさまがよみがえられた事を信じますか?もしも、イエスさまがよみがえっていなかったら、教会ほどむなしい場所はありません。皆さんほど、無駄に時間を使っている人はいないのです。イエスさまのよみがえりが嘘ならば、キリスト教に何の価値もありません。世界の宗教家と言われるような人たちと同じです。
パウロはそのことを語っています。

『もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。』

しかし逆を言えば、イエスさまのよみがえりが事実ならば、これほどすごいことはありません。今まで多くの宗教家・偉人と呼ばれる人たちが歴史には出てきましたが、死を打ち破ってよみがえられた人はいません。イエスさま以外にはないのです。
イエスさまの弟子たちは、十字架の時、皆、逃げてしまいました。王になると期待していた人物が捕えられ、処刑されたわけですから無理もありません。全く期待ハズレという感じです。
イエスさまは「三日経ったらよみがえる」と弟子たちに話していましたが、あまり信用していなかったようです。
しかしイエスさまは三日目に、本当によみがえられたのです。彼らは自分の目で、それを確認したのです。ゆえに彼らは、イエスさまの昇天後も、イエスさまがよみがえられたという事実を、命がけで世界に伝えたのです。
弟子たちは何を宣べ伝えたのか、それは、イエスを信じたらいいことがあり、病気が治りますよ!とか、問題が解決しますよ!ということもあるのですが、中心的なことは「イエスさまはよみがえられた!死を打ち破られた!」ということを伝えたのです。それは「私たちも、やがてよみがえることができる!」という復活の望みです。その事実を当時の大国、ローマ帝国の中心にまで命がけで届けたのです。弟子たちが、どれほどイエスさまのよみがえりにインパクトを受けたのかを、聖書から読み取ることができます。
私たちも主のよみがえりを、信仰の中心に据えなければなりません。

イエスさまの十字架、死、よみがえりは、突然起こったことではなくて、旧約聖書の中に預言され、神のスケジュール表に従って実現したことです。
世界の宗教家たちは、突然、霊感を受けて皆の前に出てきたとか、なにかの拍子で、有名になった人物ばかりです。何千年も前から預言され、そのスケジュールも全て定められてお生まれになったのは、イエスさま以外にありません。

今日、もう一つ聖書のみことばを読んでいただいたのですが、創世記一章十四節から十六節でした。これは天地創造の場面です。前回もお話ししましたように、天地創造とは、無から有を生じさせたという側面もあるのですが、聖書の創造の中心は、神が造られたものに「機能を与える」という意味だと言うのです。
スマホを買ったら、すぐには使えないです。まずは機能設定が必要です。あれがややこしいわけです。お歳の方々、私たちの世代だとなかなか設定がうまくできず、スマホは便利だとわかるけれど、使えないのです。
天と地も同様で、神はある時点で天と地を造られたわけですが、さらにある時点で、それらに意味を持たせ、機能を設定されたのです。どんな機能を設定されたのでしょう。特に、太陽と月と星々に対する機能設定について、この箇所には述べられています。
創世記一章十四~十六節、

『神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。』

 前回の礼拝メッセージの時に、古代の人たちは月や星や太陽をどのように見ていたのかについてお話ししました。現代人なら、太陽を見たら巨大なガスの塊、火が燃えていて、光や熱を供給する物体と考えます。月には人類がすでに到達しましたから、月には生物はいないし、死の世界だと考えます。
けれども古代の人たち、特に聖書時代の人たちは、「天体は生き物」だと考えていたのです。
特に太陽は、昼を治める巨大な生き物で、月は夜を治める生き物だと考えていたと言うのです。
同時に「それは神ではない」という理解を持っていたと言うのです。

日本人にも、太陽が生き物だという考え方はあります。しかしそれを神にしてしまっています。日本人は良い線まで行ってはいるけれど、最後でコケています。
古代イスラエルの人たちは違います。「太陽は生き物だ。しかし神ではない。」
太陽を見て、月を見て、星々を見て、生き物だと信じたら、治めるよう、宣言しなければいけないわけです。

そんな中、天体に神がどのような意味を与えたのかと言うと、「定められた時々のために、日と年のためのしるしとなれ。」と言われたように、カレンダー設定をされたのです。「暦」です。

今日、礼拝に集まってくださいました。インターネットでも礼拝に出ておられます。どうして出席できているのかと言ったら、皆さんが持っているカレンダーと、教会が持っているカレンダーが一致しているからです。
現在、私たちが使っているカレンダーは、「グレゴリオ暦」という、十六世紀から運用が始まった太陽暦です。地球が太陽の周りを、三百六十五日なにがしで一年かけて回るわけですが、それを基本とした太陽暦を共通の暦、カレンダーとしています。ゆえに、二〇二二年四月十日、朝十時半に来られ、実際に、教会では礼拝を行っているわけです。もしもお互い、違ったカレンダーを持っていたら、ここに来ても礼拝に参加出来ません。

以前にも話したことがありますが、日本も江戸時代までは、今のカレンダーとは違う「太陰暦」を使っていました。月は地球を三百五十四日ちょっとで一周するらしいのですが、そのカレンダーを使っていたわけです。だから江戸時代の人が礼拝に来ようとしても、参加できないです。

昔流行った文学で、尾崎紅葉の「金色夜叉」ってご存じでしょうか?貫一はお宮と婚約していたのですが、お宮が金持ちの所に嫁いでしまったわけです。それで貫一は怒って、熱海の海岸にお宮を呼び出して、蹴りを入れるわけです。その時に一つの有名な台詞を語ります。
「来年の今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らせてやる!」と言うのです。この言葉だけで、この人たちが、どのようなカレンダーを使っていたのか分かります。もしも太陽暦を使っていたら、今月今夜のこの月が、新月なのか、満月なのか、三日月なのか、全く分かりません。「今月今夜のこの月を曇らせてやる」とは、来年の今月今夜、一年経っても、同じ月が出ることを知っていたゆえの台詞です。尾崎とその時代の人たちが太陰暦を知っていたから、そのように表現したのです。
カレンダーって、結構面白いです。暦によって出会いが起こるのですが、同じカレンダーを使ってることが条件です。

神も人類を造られた時に、神と人が出会うためのカレンダーを設定されました。神のカレンダーを知っていると、神と出会うことができるのですが、知らないと、神が恵みを与えようとしても、受け取る事が出来ません。そのような法則が、旧約聖書の中にはあるのです。
実は先ほど、「しるしとなれ」とありましたが、「しるし」とは、他にどのような意味があるのでしょうか。
「定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ」の「しるし」というヘブル語は「oth」という言葉が使われているそうですが、「サイン、シグナル、識別マーク、記憶、奇跡的なことが起こる兆候、前兆、警告」という意味があります。
神が天体を通して、様々な信号を、私たちに送られると言うのです。
そしてもう一つは「トークン」、近頃の言葉でいえば「パスワード」です。最近、トークンって聞きます。「ワンタイムパスワード」とかを意味します。銀行のネット振込なんか、めんどうですよね。ワンタイムパスワードをもらわないとできません。私なんか、パスワードを設定しても、記録をあまり残しておかないので、設定した時には「絶対に覚えている!」と思うのですが、大体、忘れます。それで、「何だったっけかな・・」と、いくつか候補を打ち込んでいるうちに回数オーバーでロックされて、本当に困ります。
太陽・月・星を通して、神さまが我々にパスワードを与えられるのです。天と地を創造して、機能設定された中でそのように造られたと言うのです。
今日、天のパスワードを教えますから知ってください。そうしたら人生、結構、変わるかもしれないですよ。