あなたはどちらですか?

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる── わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』

と書いてあります。K姉は教会が大変だと言って、とてつもない金額を主に献げてくださいました。『天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』主をためしてみよというのは、聖書中ここしかないのです。献金した時に、主が祝福をしてくださるとありますが、どうなったと思いますか?M兄が証してくだされば一番良いと思いますが、献げ始めてから、なぜかわからないけど、お店の売り上げが突然右肩上がりに伸びたそうです。天の窓が開き、あふれるばかりの祝福を受けたのです。今個人で経営されている食料品店は、市内はなくなってしまいました。しかし岡本家のご家族が経営しているお店だけが残り、新城市沖野地区に本店。新城市野田地区と蒲郡市と豊川市に大きな店舗が与えられました。また身体に障害がある方々の事業所など大きく拡大され続けています。ささげた時から祝福が始まったと言われていました。
二月二十六日に、「未来のために天に宝をたくわえよう!」というタイトルで、「天に宝をつみなさい!」というみことばを滝元順牧師が語ってくださいました。しかし知らず知らずのうちに悪魔悪霊にみことばを取られてしまっています。マモンの力にやられて、私たちは頭の中で、今すべてが値上がりしているし、将来老後の蓄えも必要だ…とそろばんを弾いてしまいます。今、統一教会の出来事が大きく報道され、「献金」というメッセージがなかなか教会で話しにくくなっています。あの人たちは献げてどうなっていると思いますか?家庭が崩壊したり、社会問題にまでなっています。だから悪魔は、私たち聖書を土台とし、イエスキリストの福音を信じている、私たちも恐れてしまい、献金を主に思い切ってささげることができなくなっています。統一教会は教会とかキリスト教とか言っていますが、全く偽りを土台としているから、祝福を失っています。しかし私たちは嘘、偽りのない聖書。六六巻は神のことばとし信じている真の救いのあるイエスキリストを信じています。一点一画変わらない言葉として、聖書は「十分の一を献げてみよ。ためしてみろ。」そうしたら『天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』とあります。あふれるばかりの祝福です。
今日、あなたはどちらでしょうか?ただ聞いただけでなくて、私たちはみことばをしっかりと実行する器になっていきたいと思います。マタイ六章十九節~二十節、

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。』

あなたはどっちですか?主がが語ってくださったみことばを実行しないから祝福を受け取る事ができないのです。

またこの教会の創設者である滝元明、私の父です。彼は良く、自分の本にサインを求められたときに、様々な言葉とともにサインをしていました。そんな中で「私は足の裏でよい」と書いて、自分の名前を書いた時がありました。「そのみことば聖書のどこにあるの?」と聞いたことがあります。すると「みことばではない。自分で考えた」と言っていました。足の裏はほめられることはありません。しかし体全体を支えている。大切な場所だ」といったことを忘れることはできません。彼は結婚して今は設楽町に合併しましたが、当時津具村簀の子という、前を見ても山、後ろを見ても山、回り全部が山しかないところから伝道をはじめました。彼は夫婦で祈っているとき、その山奥で聖霊さまに触れられて「全世界に出て行って福音を宣べ伝える!」というビジョンを受け取りました。その後、この新城市に教会が導かれ、不思議と、日本全国だけでなく、海外にまで招かれて福音を伝える者となりました。
私はリバイバルミッションの仕事をしておりますので、ある時、父があまりにも休むことなく、忙しく全国を巡回して、福音を宣べ伝えているので、ちょっと仕事をセーブして、一ヶ月間くらい休ませようと思いました。そうしたら、父が私の所に来て、「おい、実。」すごい大きな声で怒っているのです。「なんで私の集会を入れんだ?」と言うのです。「いや〜、疲れ過ぎてはだめだから。歳だし。休めよ。」と言ったのですが、「俺はこんなことしていたら死んじゃう。俺は福音を語ることが使命だ。集会をどんどん入れてくれ。」と言うのです。彼は二〇一五年の夏、沖縄県の七十の教会を毎日回って集会をして、続けて「滝元明ミニストリー」のスケジュールを入れて福音を伝え続け、最後はあっけなく、天に帰って行ってしまいました。使徒の働き二十章三十五節の真ん中だけですが、

『 ・・・また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである・ ・・・・・』

「受けるよりも与えるほうが幸いだ。」父はこのみことばを実行した者です。自分の教会の事よりも、全世界に出て行って福音を伝えました。自分の教会を犠牲にしてまでも、他教会を愛して使命を果たした人です。マタイ十三章二十三節に、

『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」』

とあります。彼は日本のために、リバイバルのためにみことばを語りました。そのことのゆえに百倍、六十倍、三十倍の祝福を頂いたと思います。田舎に伝道に入り、鉱山の土方までして、生計を立てていました。それはすべてイエスキリストのためでした。そのことのゆえに今があります。みことばを実行したから新城教会が祝福されました。

今日、私たちはみことばを聞いて、これは聞いただけではなくて、悟る人のことで、そして本当にそれを実行する時に、百倍、六十倍、三十倍の祝福をいただくことができるという約束なのです。更に天に先に帰っていった兄姉がみことばを実行したからこそ、今の祝福があります。

あなたはどっちですか?毎週、様々な先生方が、様々な角度から主に教えられたみことばを語って下さいます。祈って神さまから与えられたみことば、新城教会に与えられたみことばを語ってくださっています。しかし自分は穴の開いたポケットのように、みことばを実行しないで、祝福を落としてしまっています。

天の教会というのは勝利の教会であり、地上の教会というのは戦う教会。天の教会には天の教会の役割があり、地上の教会には地上での役割がある。役割分担がある。私たちこの地上の教会に属する者の使命はなんでしょう。それは戦いです。エペソ六章十一節

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

悪魔の策略はみことばを実行させない事です。みことばを実行する時、悪魔はどんなことが起きるか知っています。今日あなたは神のすべての武具を身につけて、みことばを実行しましょう。みことばを実行させないのが悪魔の策略です。悪魔悪霊は様々な手段を用いて、みことばを実行させないようにして来ています。今日あなたに問います。あなたはどちらですか?あなたがぶどう園に行って働くことを主は願っています。また先に天に帰った聖徒たちもへブル人への手紙十二章一節

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまつわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。』

とありますが、「多くの証人たち」が雲のように取り巻いているとあります。天にある教会の家族が地上にある教会の戦いに注目し、声援を送ってくれている。戦いを見て応援してくれている。地上でどのような戦いが繰り広げられているのかを大きな関心を持って、声援を送ってくれている事を思い起こし、みことばを実行しましょう。

救いはどこで完成するのかと言えば、死後の世界ではなく、イエスさまが帰って来られる再臨の日に完成するからです。
今日自分に与えられたみことばを語りました。皆さんもぜひ、主が語ってくださったら、それを実行してみてください。今までできていなかったところを神の前にみことばを実行し始めてください。最後にお祈りさせていただきます。

愛する天のお父さま、あなたはどっちですかという事を語らせて頂きました。『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』とあります。今神の武具を身につけて、策略から守られ、みことばを実行する者と変えてください。どうか主よ、私自身、この教会が、地上の教会としての役割を、使命を果たす者と変えてください。主のみ名によってお祈りします。アーメン。