あなたはどちらですか?

皆さん、先週の復活祭礼拝とても恵まれましたね。~この地に植えられ七十年~復活祭礼拝「主イエスよ、来てください!」と、いうタイトルで滝元順牧師が語って下さいました。そして礼拝後みんなで「主イエスよ、来てください!」「主イエスよ帰って来てください」と宣言しました。
ではどうでしょぅか?あなたは過ぎた一週間の中でどのくらい「主イエスよ、来てください!」と宣言しましたか?
私は毎日、「「主イエスよ、来てください!」「主よ、帰って来てください!」と宣言させて頂きました。この地上の教会は霊的戦いが使命。暗闇の敵を打ち砕く。戦いの教会としての役割があります。第二の天という悪魔の王国を打ち砕き「主よ、帰って来てください!」と意識して祈りました。宣言し、とても恵みを頂きました。

特別、今リバイバルミッションの「GOTOミッション」を開催してくださる教会を探して日程調整しており、なかなか外に出かけて行って戦いの祈りができていないことを反省させられます。
いつもみなさんに家内のためにお祈り頂き感謝します。月曜日から金曜日まではデイサービスに行かせて頂いております。そして四月から土曜日がお休みになってしまったので、土曜日は私が家内の面倒を見ています。ですから土曜日は時間つぶしのために、午前と午後、この新城市を回ってドライブするようにしています。そうすれば、地域のために祈ることができます。この地域の暗闇が打ち砕かれますように。そして、少しでも早く、第二の天という悪魔の王国を打ち砕き、主よ、帰って来てくださいと祈りながら、ドライブしています。設楽ヶ原の戦いの場所とか、また私たち家族が以前住んでいた地域や戦わなければいけないと教えられている地域を、地上の教会の役割として戦いながらドライブしております。ドライブして見ると本当にいたるところに偶像がおかれていて、地域の人がその偶像に膝をかがめ、偶像礼拝をしています。よく通る道ではなく、普段通らないような道、地域に出かけるようにしています。すると、細い道を通ると、行き止まりで、「こんな所に寺があったか」と思う所があります。祠があったり、墓があり、その墓に花が供えられていて、地域の人が先祖崇拝をしている。多くの偶像礼拝がなされている。と初めて知ったところがあります。この新城市で生まれ、新城市で育ち、新城市を愛して、新城市を祈ってきたと思っていましたが、まだまだ知らない場所が沢山ありました。悪魔・悪霊に支配されていて、一度も祈ったことのない地域があることに、びっくりしました。私たち地上の教会は、戦う事を使命として、主から任せられています。今まで戦いを忘れていたこと、戦って来なかったことを悔い改め、その地域にみことばの剣を持って祈らせて頂きました。そして「主よ、帰って来てください!主よ、来てください!」と、そこでも宣言しなければいけないと教えられました。三月までデイサービスシオンは土曜日も営業していましたが、四月から土曜日は営業しない事になって、はじめは辛いと感じていましたが、私は戦うために、主が用意してくださった土曜日だと思えるようになりました。先に天国に行った人たちは、この地上の戦いを応援し、「がんばって早く、この地のいやしのために、天と地が一つになるように、がんばって戦ってくれ!」と応援してくださっている。もっと私たち地上の教会にいる私たちは、戦わなくてはいけないと教えられました。

召天者記念会の時に天に帰られた方の写真が披露されました。あのスライドの中には出て来なかったのですが、私の家族にとって、忘れることのできない、お世話になった方をふっと思い出しました。それは誰かと言うと、T姉という方です。

この人は日本リバイバルクルセード、後にリバイバルミッションとなりましたが、私の父滝元明とともに働いた伝道者、二〇〇五年に亡くなられた田中政男先生のお母さんです。そしてこの姉は二〇〇八年に亡くなられました。「息子が先に亡くなるというのは本当に辛い。」と悲しんでいらっしゃったのを覚えています。上條家といつも行動し、家庭集会や教会に来るのもいつも一緒。買い物も一緒に出かけた方なので、我が家の子どもたちはとても良くして頂いた方です。
T姉はとても謙遜な方でした。素晴らしい方にも関わらず、「私は何もできない。イエスさまのために何も働くことができないんだ。」と、いつも口癖のように言われていました。でも、私、T姉を思い出し、本当にすばらしい仕事をされた方だったなぁと感謝しました。
T姉は、新城市のある市営住宅で住んでおられました。当時は平屋の二軒続きの住宅でしたが、そこを開放して子どもたちのために日曜学校という集会を毎週礼拝後行っていました。数名の兄姉が彼女の家に出向いて行き、彼女の自宅で子どもたちのために日曜学校をしました。彼女はいつもご自分の費用で子どものためにお菓子を用意していました。子どもはお菓子が目当てで集まっていました。毎週、日曜日の朝には部屋を片付け、また子どもや兄姉がトイレを使用するからトイレ掃除もして、様々な準備をして、毎週家を開放してくださいました。人を迎えるという事は結構面倒な事です。しかし惜しみなく喜んで、準備してくださいました。その日曜学校に誰が参加していたかご存じですか?四元雅也牧師と先生の二人のお姉さんたちです。四元家の三人の子どもさんです。中学生になって一時、教会から離れましたが、しかしまた戻って来て、クリスチャンとなり信仰を今も持って主のために働いておられます。そして四元家のお父さんとお母さんも救われ、そしてそれぞれ結婚して、子どもが生まれ、数えてみたら多くのクリスチャン一族となっています。きっかけは何もできないと言っておられたT姉の大きな犠牲により、今、増え広がっています。第二テモテ四章二節に

『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。』

時が良くても悪くても。ある時は体調が悪かった時もあるかもしれません。また出かけなければならない時もあったかも知れません。しかし日曜学校を優先して家を開放して下さいました。子どもたちのために福音を宣べ伝えるお手伝いをして下さいました。今四元家の一族が信仰を持ち、教会に毎週来て下さり、四元先生は牧師になって、主のために働いている。大きな計画がその日曜学校にあったのです。一人の姉が主のために犠牲を払って下さった事の故に、多くの実を結ぶことができました。主は不思議な事をしてくださいます。

「みことばを実行しなさい。ただ聞くだけではなくて、行いなさい。」

みことばを実行しなさいということは、簡単に私たちは口で言いますが、なかなか現実には難しいことだと思います。

また召天者記念会の写真の中に二〇〇三年五月に亡くなった一人の姉がいました。その方はM姉です。
この方は、とても苦労された方です。大病をし、ご主人も突然亡くなられて、一人娘さんがおられましたが、その娘さんから親子の縁を切られて、召天式にも来てもらえませんでした。晩年は身寄りがないということで、旧鳳来町にある老人施設に入所しておられました。私もよく姉の所に訪問させて頂きました。少しお交わりをして、お祈りをして終わるのですが、彼女の場合は違いました。お交わりをして、お祈りして帰ろうとすると、毎回彼女も祈って下さいました。それも五分・十分と祈りが止まらないのです。良く祈る姉でした。ある時彼女に「M姉、何時に起きてお祈り始めるの?」と聞きました。「はい?朝の四時です」と言うのです。早朝四時から朝ご飯まで毎日祈っておられました。また食事が済むと祈る人でした。牧師・教会スタッフの名前を出して祈り、また兄姉のおひとり一人の名前を出して祈り。また週報や、教会ニュースをこと細かく読んで、「〇〇姉がお産ですから守ってください。またこの人が病気ですから治してください。」と、自分も病気であり、大変な状況の中にあるにも関わらず祈ってくださいました。新城教会のメンバーは県民の森の祈祷会などの様々な祈り会の時があり、よく祈る教会だと思います。しかし誰一人あの人に勝る人はありませんでした。よく祈る姉でした。今まで新城教会が守られてきたのは、ある面、この姉のおかげだと言えます。マタイの福音書七章七節、

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』

今、すばらしい会堂が与えられ、また教育館、またリバイバルミッションセンターがあり、またヘブンズ・アイスクリーム・アンド・コーヒーがあったり、広い駐車場も与えられたり、恵まれた環境の中にいると、そこに慣れてしまって、これが当たり前と思ってしまうのです。しかし、先に天国に行かれた兄姉は、素晴らしい働きをして天に帰られました。
特にM姉は、周りから見たら「なんて不幸な…。」と思ってしまうような状況下にあって、あの姉が祈ってくださったからこそ、今の自分があり、教会・プレイズ・リバイバルミッションがあると思います。祈らなければいけないということは分かっています。でもなかなか実行できないのです。みことばを実行しましょう。余分なことはどれだけでもおしゃべりします。しかし、祈ろうとすると、言葉が出て来ないのです。みことばを実行しましょう。
私たちはみことばを実行することが霊的戦いだと思います。悪魔はクリスチャンがみことばを実行してしまったら、主がどんなに大きな祝福を与えるかわかっているからこそみことばを実行させないように、あらゆる手を使って阻んで来ます。マタイ七章七節に、

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』

求めたら、探したら、たたいたら、必ず祝福をいただくことができる。実行したら祝福をくださるというのが主の約束です。

もう一人の方を出していただきたいと思います。

この方をご存じの方、手を挙げていただけますか?だいぶ知っている方が少なくなりましたね。この方は二〇〇七年に亡くなられたのですが、岡本信弘先生のお母さん。K姉です。この人は本当によく施す人でした。私も大変お世話になりしました。

ある時、外出しようとして車で信号待ちをしていました。すると横にオートバイにまたがったK姉も信号待ちしていました。私に気がつくと、車の窓を叩いて、「あんたどこ行くだん?」というのです。「どこどこに行くよ」と言うと、「ちょっと待って!」と、言って、ご自分のバッグをさばくって、かばんの中にあったお菓子を下さり、「食べながら行きなさい」とくださいました。ある時は「お昼食べて」とお金をくださったり、本当に施す人でした。
そんな中で、K姉のことを話して良いか、ご長男のM兄にお電話したところ、大丈夫という事でお話しさせて頂きます。M兄は興奮して、その後も朝六時に電話がかかってきて、「間違った事を教えてはいけないから、あれから考えたけど・・・・」と朝から興奮してお電話をくださいました。それぐらい興奮した出来事がありました。
一九九二年、翌年に阪神甲子園球場を借りて、全日本リバイバル甲子園ミッションという大会を行なう前の時でした。その時新城教会の半分以上の方々が、出て行ってしまうという、とても悲しい出来事が起こりました。あの時新城教会に残った方は若い青年たちと、インターナショナルの方々が中心で、M兄曰く、「この教会に残った人は、お金のない人ばりだった」と言っていましたが、この教会には当時、会堂の返済をしなくてはいけないし、教育館も建設したばかりで、返済が始まったばかりでした。。これからどうやって多額の返済をしていったらよいか大変困った時がありました。その時です。K姉は本当にイエス様を信じ、みことばを愛し、また教会を愛していました。K姉はご家族を集めて、こう言ったそうです。「教会が今大変だ。だから私たちが助けなくてはいけない。」と言ったそうです。K姉の家は新城市内で小さな食料品店を経営しておられましたが、当時その事業では、駅前にあった小さなお店から、新城市内に大きな店舗を造ったばかりで、返済を始めたばかりでしたが、「教会の経済が大変だから、みんなで助けよう!お店の利益の五十パーセントを献げようじゃないか。」と提案したそうです。その件に関しては詳しくM兄に聞いていただければ良いですが、ご家族の方も了承してくださって、献げてくださいました。そのことの故に新城教会は助かりました。今音響と照明。また映像システムがあり、最高の環境の中で礼拝を行うことができる。また交わりも教育館でゆっくりでき、駐車場も与えられている。ある意味今素晴らしい環境の中で、教会生活を送ることができるのはK姉がいたからです。彼女はイエス様を愛して、みことばを実行したから今があると思います。また他の兄姉も主のために精一杯献げてくださいました。
聖書の中に、マラキ書三章十節、