〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
教会の使命・・・それは霊的戦い!パートⅡ

イエスさまが最も高い所から、最も低いところにまで勝利を宣言してくださったゆえに、私たちは日々、平安に過ごすことができるのです。
「捕らわれている霊たちのところに行って宣言された。」とは、悪霊どもに対しての勝利宣言なのです。

もしも「捕らわれている霊たち」を「死者の霊」としてしまうと、最も強力な悪霊どもに対して、隙を与えることになります。それは大きな霊的敗北につながりかねないのです。

「救い」は、「地上でしか得ることはできない」のです。残念ながら、救われるチャンスは一度だけです。なぜなら、死後の世界は、「時間のない世界」だからです。
「今は恵みの時、今は救いの日」と、ありますが、地上ではアナログ的な時間があるがゆえに、日々、救いのチャンスもあるのです。しかし死んだら、時間の概念は失われます。今日という日が、明日と重なっていたら、または、昨日と今日が重なっていたら、罪を犯した日がすなわち、裁きの日と重なり、悔い改めの「機会」そのものが失われるのです。

地上における人生のみが、悔い改めと赦しを受け取る、唯一のチャンスです。

昨日は召天式がありました。私が司式をさせていただいたのですが、米田姉妹のご主人のお母さん、米田和子さんの召天式でした。九十六歳でした。昨日は妹さんが出席されていましたが、九十三歳だと言われました。長生きの家系ですね〜とお話したのですが、「私は九十三年間、桑名で過ごしてきた。」と言われました。桑名は戦争中、空襲と艦砲射撃で苦しめられ、終戦近くは三河大地震で大変だったと話しておられました。
人生は、生まれる時代とか環境で、全く質が変わります。戦時中に生まれた方々は、本当にご苦労されたわけです。

しかし死んですべてが終わりなら、そんな不公平で、不幸なことはありません。神は、死後の世界を用意しておられます。しかし人生は、救い主として、誰を選択するかにかかっています。イエスさまを選ぶのか。仏を選ぶのか。他の神々を選ぶのか。それは自由です。しかし本物を選ばなかったら、大変なことになります。

以前、インドネシアに行ったことがあるのですが、道を歩いていたら、露店みたいな所で、なんと、高級腕時計ロレックスが売られていました。それもたったの十ドル前後でした。アーサー・ホーランドと一緒に行ったのですが、彼が「順、おまえも買え!」と言いましたが、私は買いませんでした。なぜなら、たった十ドルでロレックスが買えるはずがないからです。しかし彼は買って喜んで、自慢していました。
しばらくしてホテルに戻ったら、ロレックスの秒針が外れて、ロレックスの象徴である王冠に秒針が引っかかって、痙攣を起こしていました。それは偽物のロレックスだったからです。

神さまだって同じです。本物の神に出会わなかったら、死後の世界は保証されません。イエスさまを神とし、救い主として信じるのは、人生において最も大切な事です。

昨日の召天式は、お年寄りも多かったので、「死後の世界の選択」についてお話させていただきました。

聖書ってすごいと思いませんか。教えに矛盾がなく、理路整然としています。イエスさまは諸天の天から、地の最も底にまで勝利を宣言して下さった方です。そしてその権威を、私たちクリスチャンに貸与して下さったのです。こんなすごいことはないのです。

新約時代の私たちは、新しい契約の中で生きています。イエスさまの十字架によって与えられた「諸天の天から地のどん底までの勝利」を信じて、霊的戦いに勝利させていただきたいと願います。

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(エペソ人への手紙 六章十~十二節)

今から聖餐式を行います。聖餐式により、天と地の一切の権威を共有させていただきたいと願っています。
最後に一言お祈りさせていただいて、聖餐式に移らせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて、心から感謝いたします。
イエスさま、あなたは天においても、地においても、一切の権威を受け取ったお方です。
試練からの脱出の道として、聖餐式を制定してくださり感謝いたします。
今からの聖餐式を祝福してください。イエスさまと一つになることができますように。ここに備えられたパンを、イエスさまのからだであると宣言します。ブドウのジュースは、イエスさまの流してくださった血潮であると宣言します。
みことばと聖霊によって、尊いイエスさまのみ名を通して、聖餐を受け取ります。アーメン!