弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。

ギデオンは三百人で、ミデヤン人を何万人も殺した大勇士です。しかしなぜギデオンが選ばれたのでしょうか?勇士だったからでしょうか?身長が高くて体格も良く、どんなにか知恵のある人物だったでしょうか? そうではないのです。敵がイスラエルを取り囲んでいた時、彼は情けないこ
とに酒船の中に隠れ、麦の穂を打っていました。神から声をかけられても、言い訳を繰り返します。「私は、大した者ではありません。私の部族は、大した人数もおらず、勇士もいません」腰抜けの臆病者でした。そんな男を主は用いて下さいました。神は、彼のことを、「大勇士よ」と
呼び、信じられない彼にいくつもの奇跡を見せ、指導者として送り出し、歴史的勝利を与えられました。わずか三百人の兵隊を率い、何万ものミデヤン人の大群を打ち破ったのでした。ギデオンは敵がイスラエルを取り囲んでいる時、酒槽の中に隠れて、麦の穂を打っていたと書いてあります。敵が来た時に自分の食べるものをこしらえていたのです。そんなギデオンを神が選んで、神が声をかけました。臆病者で、私なんか戦うことはできませんと言ったものが、大勇士の一人に選ばれたのです。

今日、霊的戦いのメッセージを聞くと、確かにそうだ!と思う反面、自分は… と、引いてしまう時がありますが、弱いからこそ、悪魔は絶対に「おまえはこのみことばを聞くな!おまえは悟るな!」と、働いてきます。しかし今日、そんなあなたが勇気を出して、「私は勇士だと言わせよ。」とある様に、勇士だ!と宣言していきたいと思うのです。

第一コリント十二章二十二節
『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』
第一コリントの一章二十二節、二十七節に、
『しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。』

イエスさまの法則は、強い者を選ぶのではない。弱い者を選ばれるのです。今日、みことばをしっかりと受け止めてください。「弱い、駄目だ」ではなくて、「弱い、感謝します」と、主に目を向けてください。「弱い、しかし大勇士だ。」病気の床にいても、体が動けなくても、インタ
ーネットでご覧になっておられる方もぜひ信じてください。今日、あなたが剣を握って戦い始めたら、霊的戦いというのは大きく進むことができます。今まで苦しんで、苦しんできた、病や問題に対して、あなたは強いのです。主がともいて、川が押しながされそうな時でも、主が守って
くださる。火の中を通り過ぎる時も、焼かれない、炎のにおいさえもつかない、あなたを守ってあげる。これが主の約束です。今日、苦しみを見つめるのではなく、イエスさまを見上げて下さい。そして、「勇士の剣」と先ほども賛美しましたけれども、みことばの剣を握って戦い始めましょう。あなたを通してでなければ主が働けないところがたくさんあります。あなたを通してでなければ、リバイバルが起きないところがたくさんあります。あなたを通してでなければ病が癒やされない人がいます。あなたが祈らなかったら、問題は解決しません。弱いからこそ、主は宝物と呼んでくださり、あなたが一番大事だと主が見てくださっています。私はそれで励まされて、正直、肉体的にも精神的にもつらいですけれど、「こういう時にこそ、つらい時こそ、祈ろう」と思わされました。昨日も家内を車に乗せて、この地域をドライブしながら地域のために、今日の礼拝のために祈りました。そして特に、家内に祈ってもらいました。一緒に祈りました。

今、NHK の大河ドラマで、有名は俳優を使って「どうする家康」を放送しています。そのためこの何にもないド田舎の町に全国から多くの人たちが見学のために来るいるのです。昨日も私の母校である「東郷中学校」のすぐ隣に、設楽原の戦いの時に徳川家康本陣跡である八剱神社があり
ます。普段は誰も拝んでいる人を見たことがない神社です。しかし昨日は何人もあそこに上って行って、徳川家康のご利益を求めて、参拝していました。偶像にひざまずいて、拝んでいる姿を見ました。私はとても悲しい思いがしました。今、なぜこの地域。徳川家康が注目されているのでしょうか? この地域が全国的に注目されて有名になることをどう思いますか? 今この地域に対して悪魔が「この地域をもっと暗闇に落とさなければ」と焦っている証拠だと私は思います。昨年は織田信長で、岐阜県がすごく注目されました。ただそんなことがあったと無関心であってはいけません。経済的に活性されて良かったなど喜んでいる場合ではありません。戦わなくては行けない主からのサインだと思います。昨日も昔徳川家康がいた場所だという事で、多くの人たちがこの地域で偶像礼拝をしていきました。全国からこの新城市に来ています。昨日は大阪ナンバーの車や関東地区のナンバーの車など多くの車が、馬房柵の所や八剱神社などに押し寄せてきていました。この教会から一キロメートルぐらい離れた場所が、全国から来て偶像礼拝されています。

また今は夏祭りのシーズンで、ただお楽しみのゲームなど地域の人たちの交流のためにしていると思われがちですが、私たちの地域の覆いをかぶせて来ます。しかしぜひ目を覚ましてください。この教会に三十一年前霊的戦いを開いてくださいました。特に今月は「賛美と霊的戦い月間」として霊的戦いを学んでいます。今まで弱いから、強い人が祈ってくれればよいのではありません。第一コリント十二章二十二節

『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』

第一コリントの一章二十二節、二十七節に、

『しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。』

そしてヨエル書三章九節〜十節、
『諸国の民の間で、こう叫べ。聖戦をふれよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。あなたがたの鋤を剣に、あなたがたのかまを槍に、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。』

今日、比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのですと学びました。そしてこの世の弱い者を選ばれたのです。と学びました。更に弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。と学びました。あなたが戦い始めたらエレミヤ書二九章十一節

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。‐‐ 主の御告げ‐‐ それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』

あなたがたに将来と希望を与えるというみことばが、現実のものとなります。信じますか?
皆さん、本当に今まで戦ったことない、自分は受けるだけで苦しい・苦しい・苦しいで終わっていませんか? これからはあなたが祈る時です。あなたが祈り始めたら、動き始めます。主が、宝を私たちに与えてくださいます。賜物が開かれます。私たち一人ひとりが自覚して、強い人はさらに
祈り、奉仕し、「弱いからこそ強いのです。」あなたが祈る時です。主はすべてに時があると語っています。あなたがどんな形でも教えられたら、みことばの剣をもって戦っください。すべて時にかなって美しい。これは思い出すにも時があって美しい時があります。

天の教会と、地の教会が早く一つになるように、マラナタ!と本当にいつも賛美し、祈り、求めていますが、弱いものが祈りはじめたら主は早く帰ってこられます。今日、最後に皆さんで宣言したいと思います。ヨエル書三章九節・十節のみことばを宣言しましょう。よろしいでしょうか? 声を出して宣言しましょう。ヨエル書三章九節〜十節、

『諸国の民の間で、こう叫べ。聖戦をふれよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。あなたがたの鋤を剣に、あなたがたのかまを槍に、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。』そしてもう一つ、今日、祈りの文書を作ってきました。今日、皆さんで、声を出して祈りましょう。ではよろしいでしょうか?『イエスのみ名によって、私は今みことばの剣を持って戦います。私を苦しめている病や問題。また新城教会や日本に働いている悪魔・悪霊どもよ。主イエスキリストの名前によって、打ち砕きます。私と新城教会、日本には将来と希望が与えられていることを高らかに宣言します。私たちにかかっている覆いを今イエスキリストによって、取りのぞいて下さい。マラナタ !主イエスよ来てください。主にあって勝利を高らかに宣言します。』アーメン

今週は、あなたを愛して、弱いからこそ強いと学びました。現状自分がどうであろうと、変わらなくても、癒されなくても、問題があっても、そういう時にこそ剣を持って戦いましょう。あなたが戦ったら、大きな勝利があることを信じていきましょう。