かまを入れよ。刈り入れの時は熟した

二〇二三年、主の刈り入れの時が熟すと語られています。主ご自身が語ってくださっていると信じます。そして私たちは、さばきの座におられる王の王なる主をただひたすらに仰ぎ見て、またその主を畏れていきたいと思います。そして子どもたちからお年寄りまで、すべての世代が総力を尽くして、この新城教会の一人ひとりが主の勇士として立ち上がって、主のみ前に出て行きましょう。

そして特に、最近の礼拝で、地の教会と天の教会が一つとなることを語られております。更に地の教会と天の教会も一つとなって、強靭な総力戦で、この年、主が用意された戦いを、主が「戦ってくれないか?」ということを語ってくださっているような気がします。
私たちは時に、戦いを目の前にする時に恐れてしまいます。しかし、私たちはそこに主が用意されている、その裁きの谷に、戦いの谷に、ヨシャパテの谷に、主の伏兵があることを覚えて、主の勇士として、大胆に勇気を持って、出て行きたいと思います。
そして私たちができること、ただひたすらにひたすらに、一筋に主を賛美し、祈り、礼拝をささげていく。その時に神さまが不思議な方法を通して勝利を与えてくださる。このような希望のみことばを私自身に神さまが語ってくださっていると信じます。
私たちのすべてをささげて、主を礼拝し、賛美をささげて祈る。そのことがヨエル書の「かまを入れなさい」という言葉に当てられているように思います。

そしてまた「酒ぶねのぶどうを踏め」とありましたけども、その酒ぶねを踏むことになると思います。「酒ぶねを踏む」というフレーズは、主の敵に対する裁きというものを象徴するものだと言われますけども、私たちのこのような、ただひたすらな主への賛美と、祈りと、礼拝を通して、神さまご自身が不思議な方法で、この年、素晴らしい勝利を与えてくださる。そのように覚えさせられております。

そしてこの私たちの歩みは、ヨエル書の後半に書かれてある、終わりの日にイエスさまが帰られて、この地に神のみ国が完成し、祝福が流れることにつながることであると励ましを受けています。ヨエル書三章十八節、

『その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、主の宮から泉がわきいで、シティムの渓流を潤す。』

この「シティムの渓流」というのは、どのような所か分かりませんが、ワディという場所ではないかということも言われます。パレスチナ地方で乾季には水が枯れてしまって、川の跡も見えない場所が、雨季になると鉄砲水のように水がどっと流れて水路になるのがワディです。乾いた大地が主の宮から流れるいのちの水によって潤されていく。そこにつながっていくと主から励ましを受けています。
また第二歴代誌二十章二十六節、ユダの民が勝利した後、その戦いの谷に分捕り物を集めて、それも三日間かかった。完全なる勝利があったわけですが、

『四日目に、彼らはベラカの谷に集まり、その所で主をほめたたえた。それゆえ、人々はその所の名をベラカの谷と呼んだ。今日もそうである。』

このベラカという場所は、ユダの民が出陣していたテコアの荒野から北西に六キロぐらいの近くの場所だと言うのです。戦いの場所、死の谷であった、ユダの民が恐れたような場所はどのような谷になったかというと、ベラカの谷、「ベラカ」というのは「褒め称える」とか「祝福」という意味があります。死の谷のような戦いの場所が祝福に変えられていく、賛美する場所に変えられていく二〇二三年になるということを覚えさせられています。

皆様のそれぞれの戦いの谷も、恐れてしまうような状況が目の前にあるかもしれません。しかし、私たちが主の勇士として、主のみ前に出て行って、賛美し、祈り、礼拝していく時に、その死の谷は、主の宮からいのちの川が流れて、渇いた地は潤されて、生かされて、そこは主をほめたたえる地に変えられていきます。そんな素晴らしい神さまご自身の希望のみことばを受け取らせていただいております。皆さまとともに、この年、主に大いに期待して進んでいきたいと願います。

主の刈り入れの時は熟しています。神さまご自身から「手をこまねいていてはいけない。」そのように語られているような気がします。収穫時期を逃したら、いくら美味しい食べ物でも美味しくなくなってしまいます。勇気を持って、私たちが戦いの前線へと出陣し続けていきたいと思います。
主が伏兵を備え、私たちが知りえない、驚き怪しむほどの不思議な神さまの方法で、素晴らしい勝利を与えてくださいます。信じていきましょう。

最後にヨエル書三章十三節のみことばを読んでメッセージを閉じたいと思います。この言葉は、主の勇士たちへの主からの命令として書かれている言葉でもあります。
では最後にお読みさせていただきます。

『かまを入れよ。刈り入れの時は熟した。来て、踏め。酒ぶねは満ち、石がめはあふれている。彼らの悪がひどいからだ。』

このみことばを握って、さらに主に期待して進んで参りたいと思います。では最後にお祈りさせていただいて、メッセージとさせていただきます。

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま、今日こうして神さまご自身が備えてくださったみことばを受け取る時が与えられて、心から感謝します。神さま、今一度、私たち、あなたのみ前に出て、私たち自身をあなたにおささげします。主よ、私たちを生きた供え物としておささげします。そして、さらに私たち、勇気を持って、あなたのみ前にただただひたすらに出て、主を賛美し、主に祈り、主に礼拝をささげていく主の勇士として強めてください。弱い者です。どうかあなたの励ましを与えてください。今、弱さを覚えている方々にあなたが語ってください。「この戦いはわたしの戦いだ。わたしが戦う。動かずに立っていよ。」と、主ご自身が励ましを与えてください。そして私たちの賛美が、祈りが、礼拝が、決して止められることがありませんように。そして神さまご自身が用意された素晴らしい神のみ国へと繋がる主の働きを、私たちが担い続けていくことができますように。決してその働きが止められることがないように、一人ひとり、欠かすことのできないキリストのからだの各器官です。どうかあなたご自身がみ手を持って支え、また導いてくださいますようにお願いします。
そしてさらにこの年、驚き怪しむような、不思議な方法を持って主ご自身のすばらしい勝利が現されることを主のみ名によって信じ、宣言します。あなたに期待します。今日の恵みの時を心から感謝します。イエスさまのお名前によって、父なる神さまに祈りをおささげします。アーメン。