神さまの計画だけが実行に移される

また、逆に、救われた私たちに対して語られている原則もあります。
マタイの福音書十三章八節には、こうあります。

『別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。』

私たちは主にあって選ばれたのですから、多くの実を結ぶことが大切です。私たち一人ひとりが与えられた種、神さまからの賜物があります。それを最善の地に蒔くことによって、多くの実を結び、収穫を得られると主は語っておられます。

新城教会の働きや、リバイバルミッションの働き、またプレイズの働きも然りです。私はプレイズの責任を持たせていただいて、今年で三十三年の月日が流れました。よくやってこられたなぁと振り返ってみると、それは奇跡の連続だったということがわかります。
時に、業者の方たちから、「社長はすごいですね。先見の目がありますね」と言われることがありますが、私が先を見通す目があったわけでも、優れているわけでもなく、奇跡なのです。どうして奇跡かというと、私が計画したり、私が準備したり、私が何かをしたわけではないにもかかわらず、起きたことだからです。それは、神さまの業(わざ)なのです。

順先生も、プレイズ本社移転のことを話してくださったことがあるのですが、もう少し詳しく証ししたいと思います。
今から四、五年前のことです。順先生と私が、これからの新城教会、プレイズ、ミッションを、どうしていったらいいかを話している時、順先生が突然私に、「まぁプレイズも大きくなって製本所も別の所にあるから、いっそのこと全部統合して、どっかに大きなのを建てたらどうだ」と言われたのです。私は「先生、そんな簡単に言いますけど、お金もかかるし、新城教会の近くで、そんな広い土地なんてありませんよ」と言うと、先生は、「いや、それはわかっているけど、祈ったら何とかなるよ」と軽く言ったので、「人のことだと思って…」と、私は聞き流してその話は忘れてしまいました。
それからしばらくして、姉から、「あんた、何か新しい事業を始めるの?」と電話がかかってきました。「いや、そんな計画は全くないけど、何で?」と聞くと、姉が、先日出席した同窓会で、一度も話をしたことのない同級生から、「弟さんにはアークホームに入っていた母が大変お世話になりました」と声をかけられ、「『今度弟さんが新しい事業をする時には、ぜひ私が持っている土地を安く譲りますので使ってください』と言われたんだけど」と言うのです。「そうかぁ。そんなお金があったらいいけどね」と答えながら、「そういえば、少し前に順先生に何か言われたなぁ」と思い出したのです。それで、「土地を見るだけならタダだから、住所を教えてもらって」と姉に頼みました。
数日後、住所が送られてきたのでその場所に行ってみました。ここには新城以外にお住まいの方が多く、土地勘がないと思うので地図を出して説明します。

 皆さんから見て一番右のほうに新城教会(緑色のところ)があります。その横が旧プレイズ。そしてそこから一・五キロぐらい離れている、この地図の左側の一角にあるのがアークホーム、デイサービスしおん、サーム23です。そこは、八年前に始まったのですが、頂いた住所を調べると、バイパスを挟んだその上のほう(①と書いてある青い四角い所)でした。行ってみると、三百坪ほどの広い所で、とてもいい土地に思われたので、車を停めて、「みこころなら、この土地を与えてください」と祈りました。そして、「ここにこのくらいの建物を建てて、ここを駐車場にしたら何台くらい車が停められるかなぁ」などと、シミュレーションをしました。
その後、その土地について調べてみると、その場所は農業指定地域となっていて、建物を一切建てることができない土地であることがわかりました。「いやぁ残念だったな。みこころじゃなかったかぁ。お金もないしな」と諦め、そのことを地主さん(Hさん)に伝えたのです。するとHさんが、「そうですか~、それは私も本当に残念です。でも実は、アークホームから少し離れていますし、少し引っ込んた所で不便だと思いますけど、もう一つ土地があるんですよ。時間があったらぜひ一度見に行ってください」と言い、住所を送ってくださいました。それが、この地図の真ん中あたりにある、現在、一階がシャローム、二階がプレイズの本社となっているその住所だったのです。
もらった住所を見て、「そんな所に、広い土地があったかなぁ…」と思いながらその場所に行ってみて、本当にびっくりしました。そこは、プレイズの製本工場(地図でいうと道路の下に「印刷製本工場」と書いてある所で、二十年以上、製本を行っていました)の、道路を挟んだ、はす向かいの場所でした。製本工場もありますし、アークホームに行く時にもいつも通っていた道にある土地でした。両側には家が建っていましたが、そこには草が生い茂り、道路側に柵があり、そこが空き地であることすら気に留めることもなく、全く意識したことのない場所でした。でもその土地を見て、「ここはいい」と思いました。それでも、こんな宅地で道路沿いの交通の便のよい場所は、結構高いのではないかなぁと思い聞いてみると、両サイドは宅地なので、「たぶん二十万円以上するでしょう」と言われたのですが、ピンポイントでその場所だけが「市街地調整区域」で、一般の住宅は建てられないが、福祉関係の建物だったら建てられるという土地であることがわかりました。しかも、価格が安いのです。実際に、二百三十坪を一千万円ほどで買うことができました。一坪当たり四万七千円ぐらいです。周りの地価の四分の一ほどで、その土地を買うことができたわけです。それってすごくないですか。私は本当に感謝しました。
それまで旧プレイズで印刷したものを、五百メートルくらい離れている製本工場にトラックで運んでいたのですが、この土地を手に入れ本社を移すことに伴って、製本工場に印刷機を移し、印刷・製本が同じ場所でできるようになりました。
また、障がい者施設(就労継続支援B型事業所シャローム)の利用者さんが、製本工場に時々サポートに来てくれていたのですが、それまで別の所にあったので、いつも送迎をしていました。しかし、本社の一階にこのシャロームを移転させることによって、新しくなった印刷・製本工場に、自分で歩いてサポートに行ってもらえるようになりました。プレイズ本社と印刷・製本工場が近くに集められたことによって、わざわざ車で移動しなくてもよくなったのです。
Hさんはアークホームの場所はもちろんご存知なのですが、プレイズの会社や製本所がどこにあるかは全く知らずに、ご自分の持っている土地を紹介してくださっただけなのですが、こんなに最善の場所が与えられるとは、思ってもみませんでした。「どう考えても、これは奇跡としか言いようがない」と思うのです。

『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』(コリント人への手紙 第一 二章九節)

にあるとおりです。「こんな名案があったのか!」と誰も思いつかなかったような、素晴らしい神さまの計画を、あらためて主に感謝しました。

順先生が時々発する何気ない言葉(余分なことも言うのですが)、あの時、「プレイズを移したら・・・」と言われていなかったら、私はたぶん「土地がある」と言われても、見に行かなかったのではないかと思います。
今までも皆さんがプレイズのためにお祈りいただいているからこそ、このような恵みにあずかれたと思い、心から感謝します。ただ、プレイズでは多くの仕事が与えられていて感謝なのですが、正直、世間と同じように人手不足です。皆さんの中で意欲のある方、ぜひプレイズに来てください。と言っても、ここにおられる多くの方が市外の方なのでなかなか難しいかもしれませんが、ぜひプレイズの働きのために、よき働き人が与えられるように続けてお祈りしていただきたいと思います。私はプレイズの働きがもっともっと祝福されて儲かって、主のために、リバイバルのために、またミッションや教会のために、献げられる企業になっていきたいと心から願っていますので、お祈りよろしくお願いいたします。

プレイズの証しでもおわかりのように、人の考えとは違うところに神さまの計画があって、収穫までに時間がかかることも多々ありますが、決して私たちは諦めずに祈っていきたいと思います。
ある人は、「これだけ伝道しているのに、なぜあの人は救われないの?」、「これだけ祈っているのになぜ病気が癒やされないの?」、また、「こんなに献げているのに、なぜ祝福されないの?」と思っている方もいるかもしれませんが、ガラテヤ人への手紙六章九節にこう書かれています。

『善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。』

どんな種が蒔かれ、そしてどのように成長して実を結ぶかは、神さましかわからないところがありますが、必ず実がなり、収穫させてくださることを信じて、これからも主のために、働き続けていきたいと思います。

もう一つだけ、私がこの夏、神さまから受けた恵みの中の嬉しい証しをしたいと思います。写真をお見せします。皆さんはこの人がだれかご存じですか?

 覚えておられる方もたくさんいらっしゃると思いますが、この人は新城市出身で、現在は神奈川県相模原市の教会で牧師をしている丸山悟司先生です。私よりも八~九歳若いです。彼には許可を得ているのでお話をしますが、私たちは彼のことを「ゴシ君」と呼んでいました(今もそう呼んでいます。悟司〈さとし〉の漢字から来ているのだと思いますが、彼のLINEアカウントも「ごし」となっています)。
彼はかつて私の弟子だったのです。「そんな若い頃から弟子を?」と不思議に思われるかもしれませんが、実家のスーパーマルイチで働いていた頃の弟子です。
今回、彼の奥さんから出版の相談の連絡があって、打ち合わせのために相模原の教会に出掛けたのです。久しぶりの再会を、彼はすごく喜んでくれて、打ち合わせのあと、ファミレスに行って食事をししながら二時間以上、昔話に花を咲かせました。
その食事中に彼が何度も、「僕は若い時に先生に会わなかったら、今の僕はなかったんですよ」、「正広会長さんの指導のおかげで、今があるんですよ」と言って、私と兄にとても感謝してくれました。それはなぜかというと、私が結婚した頃なので四十三年ぐらい前でしょうか。私がマルイチで働いている二十三歳くらいの時に、彼がマルイチに来るようになって、私が魚の切り方を教えたりしたのです。と言って、計算するとわかるように、ゴシ君はその時にまだ十五歳でした。
私はゴシ君がマルイチに来た経緯を全く忘れていたので、「なぜマルイチに勤めるようになったの?」と聞くと、「自分が不登校になって鉄工所でアルバイトをしている時に教会に来た時、隣に座っていたのが岡本先生だった」と言ったのです。そして、「君、何やっているの?」と聞かれて、自分が不登校であるという事情を話すと、「じゃぁマルイチに来い!」と誘われて、マルイチに来るようになったそうです。そして教会にも続けて通い、クリスチャンになり、礼拝に参加して今があると話をしてくれました。
マルイチで数年働いた頃、中学出ではあとから困るかもしれないからと、その時も順先生が、「仕事もいいけど、やっぱり将来のために勉強はしたほうがいい」と助言してくれて、ゴシ君は夜学の高校で学び、大検を受け、二十二歳の時に、なんとアメリカに留学したのです。そしてアメリカの大学で三年半学んだのちに、さらにアメリカの神学校で三年半学んで、優秀な成績を収めて二十九歳の時に、日本に戻ってきました。ある意味、凱旋です。今はバプテスト教会連合に属して、神学校の先生、教会の牧師として講壇に立ち、活躍しているわけです。「今では、弟子だったゴシ君が、私よりよっぽどえらくなったよね」と、笑いながら話をしました。人の人生ってわからないものだなと思いますが、本当に嬉しいことです。
マルイチに来た当初、不登校で引きこもっていたのでまともに挨拶もできず、私の兄が、「あいさつしてみろ!」と言った時にも、「あ、あ、よろしくお願いします」といった感じでした。コミュニケーションもほとんどできないような状態だったので、「この子、将来大丈夫かな」と思ったものです。しかし人の考えに勝る神さまの、彼に対する計画書がすでに作られていて、彼は素晴らしい働き人となって主に仕える者とされました。私は心から主のみ名を賛美しました。
皆さんの中にも、「うちの子は大丈夫かなぁ」と子どもさんのことで悩んでいる方もいるかもしれませんが、今がどうであったとしても、必ず子どもたち一人ひとりに最善の、神さまの計画書というのがあることを覚えてください。