〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
天と地をつらぬく教会!

『また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。』

“教会で行われる礼拝は、私たちを天国そのものに連れて行く。外国の大使館の建物のように、その基盤は実際には母国に属する土壌にあり、教会は天国の前哨基地である。天国の市民とその王の臣民として、教会は当然のことながら、天国の植民地とも呼ぶことができる。”

最初に、教会とは、大使館のようだと話しました。教会とは、ただの場所ではなく、天国の植民地、天の土地そのものであるわけです。

“第二に、礼拝は私たちを輝かしい仲間のところに連れて行く。礼拝に加わるのは、並外れた聖人だけではない。私たちは天国全体に加わるのだ。”

今日も皆さんで賛美しました。賛美は地上だけではなく、天とシンクロしています。賛美は、天に帰ったすべての仲間たち、聖書に登場するような人物たちも一緒に、賛美の輪に加わるのです。

“会衆席に座っているとき、天使について考えることはめったにない。しかし、「祝祭の集まりにいる無数の天使」が毎週の礼拝に加わっている。主が一瞬目を開いてくださったら、エリシャの僕のように驚く事だろう。キリストから派遣された天使たちは、礼拝を決して欠席しない。”

と、少し皮肉っていますが、今日、もしもエリシャの弟子ゲハジのように、霊の目が開かれたら、ここに無数の天使たちがいるのを見るはずです。
礼拝とは、私たちだけが礼拝しているのではなくて、天に帰った聖徒たちも、無数の天使たちも、一緒に礼拝しているというのです。それを感じる事が出来たら、すごいです!

私の所に毎日、二回ぐらい電話をくださる青年というか、おじさんがいます。少し障害がある方なのですが、必ず電話して、私のために祈ってくれます。何を祈ってくれるのかというと、私が夢の中でもいいから、家内と出会えるように!と、毎日、祈ってくれます。また、私の健康も心配してくれています。
毎朝、「順先生!夢、見た?」と言うので、『見たよ。』と言うと、「愛する人は出てきた?」『いやぁ〜、出てこなかったなぁ。』と言うと、「そうかぁ。駄目だったかぁ・・。」と、すごく失望してくれます。
時々、夕方にかかって来ます。何かなと思うと、「寝る前に、夢を見るように祈ってあげたいから。」と言って、家内が夢の中にでも登場するように祈ってくれます。翌朝、『家内が夢の中にいたような気がするよ。』と言うと、「やった!祈りが聞かれた!」と、むちゃくちゃ喜んでくれるのです。
このような、幼子のように純粋な祈りよって神の国は前進すると思い、感謝しています。

彼は結構、霊的に敏感です。この間、真っ昼間に電話がかかってきました。「ちょっと祈ってくれる?僕の周りにいる天使たちの元気がない。」と言いました。ちょうど七月の盆の最中でした。「近くに墓があるけど、あそこに嫌な霊がいっぱいいて、僕のそばにいる天使たちの元気がなくなっている。」というわけです。私は、「天使たちよ、元気になれ!」と、私には見えないけれど、宣言して祈ってあげました。そうしたら次の日、「天使達がめっちゃ元気になった!」と喜んでいました。
そういうことを聞くと、本当かな・・と思いますけれど、実際はそうなんだろうなと思います。私たちの周りにはイエスさまから派遣された天使達がいて、私たちを守っているはずです。また天に帰った兄弟姉妹も、一緒に加わって祈り、応援している、それが教会です。その現実を、さらにリアリティを持って理解したいですね。

“また、私たちの礼拝には、天使だけでなく、それ以前のすべての時代の礼拝者たちも含む。「天国に在籍する長子の教会」と「完全にされた義人の霊」(ヘブル12:23)と告げている。地上に住んでいる間、主を礼拝することを愛した人々として、「完全にされた義人」は、「証人の雲」(ヘブル12:1)であり、私たちが礼拝している方の偉大さを証言している。”

礼拝とは、私たちだけでなく、天使だけでなく、すべての時代の礼拝者たちも一緒になるのが礼拝です。天の教会と地の教会は、本来は、密接に繋がっているのです。そして、

“天に帰った聖徒たちや天使たちと一緒に礼拝することは励みになるが、ヘブル人への手紙十二章は、礼拝に対してさらに大きな励ましを与えている。それは、すべての被造物と共に、神ご自身がそこにおられるからである。”

と結ばれていました。私たちの礼拝は、すべての被造物も一緒に礼拝しているのです。そして何より、神ご自身がそこにおられるのです。天地宇宙を造られた神が、私たちのただ中におられる、それが教会です。
教会って、ただの場所ではないですね。今日から教会をもう少し、見直していただきたいです。

今、日本の教会もなかなか大変です。礼拝出席もコロナで減ってしまいました。ネットがあって、ネットでも礼拝に出られます。もちろん、これは素晴らしいことです。今も、大勢の方々が新城教会のネット礼拝に出てくださっています。しかし、お時間があったら、ぜひ、この場所にもお出かけになって下さい。
以前にもお話ししましたように、旧約時代の神殿とは、天が地と出会う場所、特殊空間だったのです。この原則は、新約時代も基本的には変わりません。私たち一人ひとりが神の宮です。またネットの中にも教会があります。でもやはり、七十年前、基礎が置かれたこの空間、ここでずっと主を礼拝し続けているのは、特殊空間に他ならないのです。お忙しい時はネットなどの手段で出席されても結構ですが、これだけでいいや!とは、思ってはいけないのです。特定の場所はすごく重要です。時には皆で集まることは、大変重要です。

集まるときに何をするのか?本来、その中心は「聖餐式」にあります。今日は聖餐式礼拝ですが、宗教改革が行われたとき、礼拝をどのように位置づけたかというと、「みことばを語る」ことに重要なポジションを与えたのは、宗教改革でした。それと同じ位、「礼拝そのもの」として位置付けられたのが、「聖餐式」でした。聖餐式がすなわち、礼拝そのものであったのです。宗教改革者たちは、聖餐式に重要な位置づけをしたのですが、いつしか、聖餐式が廃れて、みことばを語ることだけが礼拝の中心となってしまったのです。

前にもお話しさせていただきましたけれど、初代教会では、毎週の礼拝が死んだ人たちを覚える場であったそうです。なぜなら迫害の時代、教会は毎週のように殉教者を出したので、聖餐で主の死を覚えると同時に、主にあって死んだ人々を思い起こしたのです。

初代教会は、聖餐式のとき天の会衆も、聖餐式に参加するという考えを持っていました。これは、カトリック教会が始まる以前の事です。カトリック教会において、間違った方向に行く以前の、初代教会の様子に目を向け、耳を傾けることは、重要だと思われます。

以前、聖歌二〇一番を紹介しました。

♪この世と天(あめ)に別れ住めど
み民は聖き神にありて
共に交わり 共に待てり
キリストイェスの 来る日をば

父なる神さまを中心軸に、天に帰った聖徒たちも、地上の聖徒たちも「共に交わる」のです。「交わり」とは、聖餐式を意味します。「共に待つ」とは、イエスさまが再び帰って来られるその日です。

私は家内が病気のときに、主から「聖餐式をしなさい!」と教えられて、聖餐式と共に薬を飲んで、奇跡を見ました。ヒゼキヤ王は十五年、命を付け加えてもらいましたが、家内は三年、命を付け加えていただきました。
聖餐式とは、重要な神さまとの契約の時で、礼拝そのもの、そして、教会そのものなのです。

家内がなくなってから、家で聖餐式をしばらくやらなかったのですが、主から「やりなさい!」と言われたような気がして、朝起きたら一番に、一人で、聖餐式を行うようにしました。その時、「天と地が一つになるように」と祈って行うのですが、毎朝、天の教会が地に降りてくる感覚を覚えます。

聖餐式というすごい方法を、神が教会に与えてくださったのです。心から感謝します。
コリント人への手紙 第一 十章十六節に、

『私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。』

パンとぶどうのジュース、イエスさまのからだであり、血であるというのです。イエスさまと一体となるのです。
いっさいのものをいっさいのものによって満たすイエスさまと一つになる。これは地上レベルの問題ではなく、天上レベルも全て含んでいます。
月一度の教会の聖餐式だけでなく、自分でも聖餐式を行っていただきたいと思っています。
いつまでやるのか・・・。それはイエスさまが帰られるその日まで続けなければならないのです。イエスさまが帰ってこられる日は近いと思います。

テサロニケ人への手紙 第一 四章十六節、

『すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』

信じられないようなことが起こるのです。でも、花でさえ、何度も再生するぐらいですから、私たちだって必ず、よみがえるはずです。私たちはその途上にあるのです。
教会が、いかに広く、高く、深いものであるかを意識して、主が七十年間支えてくださったことを感謝し、主が帰って来られる日まで戦い続けたいですね。
世代も変わっておりますけれど、主の働きが継続されるように、祈ろうではありませんか。
今から聖餐式を行います。
主の栄光がこの地に満ちますように。天使たちも、天の聖徒たちも、この場に加わるように、お祈りして聖餐に入りたいと思っています。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。今日は教会がいかに大きなものであるかを学びました。主よ、それを体験させてください。
今から聖餐式を行います。天に帰った兄弟姉妹たちも、一緒に集い、よみがえりの日を待ち望む時となりますように。パンとぶどうのジュースを、イエスさまのからだ、イエスさまの血としてくださり、いっさいのものをいっさいのもので満たすイエスさまと一つとなる機会としてください。
尊いイエスさまのみ名によって、祈りをみ前におささげいたします。アーメン。