大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
昔いまし、今いまし、後に来られる方

イエスさまは、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。」と三回も呼ばれています。「神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」と賛美されています。

黙示録は一義的には激しい迫害に耐えていた当時の信徒たちに語られた言葉です。「明日は我が身かもしれない!」と迫害され、殺されていった信徒たちへの希望の言葉です。
ということは、私たちは、「後に来られる方」の部分にあたります。

現在、天に帰った人たちは何をしているのか。それは「雲のように私たちを取り巻いている」のです。そして「私たちの競争を応援している」のです。

先日、水曜礼拝で鈴木陽介先生がメッセージをしていました。最近、彼は家族と一緒に豊田スタジアムにサッカーの試合を見に行ったそうです。それで感動したと話していました。私もその話を聞いて、たいへん感動しました。
サッカー選手たちはグラウンドで命がけで戦っているわけですが、それを取り巻いていた三万数千人のサポーターたちの声援が半端ではなかったらしいのです。すごい声援だったそうです。その声援を動画で見せていたのですが、すごかったです。サッカーの試合でもこれだけならば、天の教会の声援は、いかほどなのでしょうか。
地上でもそのような光景を見るならば、天上ではどのような光景なのでしょうか。これは天と地を結んで起こっている光景です。

何を応援しているのかと言ったら、イエスさまが地上に帰られるように、頑張って戦ってくれ!という応援です。

テサロニケ人への手紙 第一 四章十五〜十七節。

“私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”

パウロはテサロニケの人たちに、主からのことばを伝えました。「私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。」とあります。
「号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。」と告げています。こういうことが、我々の歴史の延長線上に起こるのです。すごいです。私たちが最も期待しなければいけない場面です。

今、天であがめられているイエスさまは、万軍の支配者であり、「昔いまし、今いまし、後に来られる方。」と紹介されています。その方が「御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来る。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、「それから」とあります。まず死者がよみがえった後、死者がいただいた復活のからだを、私たちも瞬間的にいただいて、主と出会うのです。

天とか空中という表現も、今私たちが抱いている世界観とは違います。先日、NTライトの見解などもご紹介しましたけれど、瞬間的に新創造が起こるということではないでしょうか。物質の世界に、新しい創造が加えられる瞬間だと私は考えています。
その日を常に期待して歩んでいきたいと願っています。

地上の新城教会だけでなく、天にある新城教会の応援団は、「頑張ってくれ!早く、みんなと会いたいから!」と声援を送り、祈っているに違いないです。
今日ここにおられる方々は、カトリック教徒ではないですから、直接、天国です。
最後に一言お祈りさせていただきます。

天の父なる神さま。み名をあがめて心から感謝をいたします。復活記念日を前にして、みことばを学ぶことができたことを心から感謝いたします。やがてこの地から出ていかなければなりませんが、直接、神の国に入り、やがて復活までさせていただける恵みを心から感謝します。一度しかない人生、あなたを救い主として信じて受け入れることができますように。

イエスさまのみ名によってお祈りします。アーメン。