神さまの恵みの良い管理者とならせていただくために

では、現代の資本主義を謳歌している世界の実態は、神さまの前に正しいと考えるべきなのかと、新たな疑問が生まれてきますが、もちろんそうではありません。現代の資本主義は原点にあるプロテスタントの持っていた倫理観からはかけ離れ、むしろ両者は全く違う方向性を持つようになってしまっていると思います。
一方は神さま中心の世界、もう一方は富中心の世界です。私たちが歩んできた道のどこかで、私たちは道を踏み外してしまっているのです。「神のために」という価値観は失われて、富を増やすことそのものに目的が移ってしまったので、人はお金を神様とするようになってしまったわけです。そのようにして得られた資本は、悪の力を持つようになります。

今の人間社会は、被造物に対してより大きな力をもって支配し、従わせるために科学が進歩していると言えるかもしれません。これを正しく管理しているとは言えない世界になってしまった。むしろ、被造物から搾取し、強奪し、これを破壊する者として、人間が被造物を牛耳っているという現実を見ることができます。人間が自分の利益しか考えようとしない悪の支配者になってしまって、そして被造物との関係において互いに緊張関係、あるいは敵意の中、人間は君臨しているというのが実態ではないかと思います。
そういったことに対する反省から、エコロジーという言葉だったり、SDGsなんていう価値観が出てきているのではないかと思います。

人間の歴史、世界の歴史に関することをお話しさせていただきましたが、これを私たち個人の日常生活、またクリスチャンとしての人生に落とし込んで、戒めとしていくことが大切です。「あそこが悪い、ここが間違っている」と言うだけでなく、自分に置き換えて反省することが大切なことだと思います。
ルカの福音書十二章四十二節〜四十七節、

『主は言われた。「では、主人によって、その家の召使いたちの上に任命され、食事時には彼らに決められた分を与える、忠実で賢い管理人とは、いったいだれでしょうか。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。もし、そのしもべが心の中で、『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。主人の思いを知りながら用意もせず、その思いどおりに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。』

結論として、このメッセージの最後にお話しさせていただきたいのは、このみことばに書かれているように、主人から全財産を任される、そこまで信頼してもらえる使用人になることができたら、どんなにか管理者みょうりに尽きることでしょう。任されたものに対して忠実に、自分の利益のためではなく、主人の利益を求めることを心掛けることが、良い管理人として生きていく上で最も大切なことなのです。このために、管理者としての「支配」と「従える」ことのバランス感覚を保ち続けることがとても重要なのですが、歴史が物語るように、案外知らず知らず的外れになってしまい、悪い管理人のようになってしまうのが、我々人間のようであります。
良い管理者と悪い管理者の境目は、たぶん一歩分の隔たりしかないのではないかなと、今回学んでいる中で、自分自身、思わされました。

だから、自分は大丈夫!と思っていたら、いつの間にかサタンにやられて、マモンの毒が回って悪い管理者に堕ちてしまう可能性があるというのが、我々人間だと思います。こういう世界に生きている私たちは、どこまで行っても一日一日、自分を顧み、点検して、中心点から外れていないか、神さまのために生きているかチェックしないといけないのです。それが日々の主との交わりであり、主のために働く私たちの日々の営みであるのです。
そして、神さまに信頼を置き、うちにおられる助け主として働かれる聖霊さまの声に耳を傾けていくことが、なくてはならないことなのです。
最初に第一ペテロ四章十節をお読みしましたが、最後にもう一度これをお読みして終わりにしたいと思います。

『それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。』

持てる賜物を通して、私たちは主なる神さまに結びつくことによって、多くの良い果実を結ぶことができます。しかし、そのような果実を結ぶことができたとしても、その良い実が素晴らしいのではなく、ましてや良い実を結ぶことができた私たちが素晴らしいのではなく、そのように世界を創られ、そのように私たちを通して実を結ばせてくださる神さまが素晴らしいのです。
だから、私たちは高ぶらずにお互いの賜物を通してお互いに仕え合い、神さまの益のためにお互いを支え合うこと、これが、教会の枠組であり、教会の枠組みに留まらずに、それが社会に、土地に、水に、大空に、宇宙に至るまで、全被造物を通して実現されていくこと、これが、神の国の中にあるエコロジーなのです。その中心は神さまであり、私たちはそのために神さまから権威と責任を授けられた管理者です。

これが、今日の私のメッセージです。互いに仕え合って、神さまの前でへりくだって主が来られるまで、「おまえは本当によく管理してくれた!」と褒めてもらえるように、被造物を管理し続けていきましょう。そして、この地上においても、そのような働きを継続していく中に、神さまはより多くのものを私たちに委ね、任せてくださるとみことばの約束ですから、神さまがお帰りになるまで、そのような働き人として努めていきたいと思います。

それでは最後に一言、お祈りして終わりにします。

愛する天のお父さま、今日は「聖書とエコロジー」というタイトルの中で、神の恵みの良い管理者とならせていただくことができるように、そのような願いを持って、このメッセージをさせていただきました。この地上において私たちは、主よ、あなたからの権威と責任を授かって、この地を管理する管理人として存在していることを覚えます。どうかお一人お一人が、神さま、あなたとしっかりと結びつき、その道を見誤ることなく、神さまのご計画の中で歩み続けることができる者となるよう、悪魔の惑わし、富の力、支配への欲、様々な人間中心的な考え方から、私たちを守ってください。
今、弱さを覚え、問題の中にある兄妹姉妹の上には、それらの問題に対しても、あなたのみ名によってこれらを管理し、あなたのみこころをそこに宣言する者として祝福してくださいますように、心からお願いいたします。
この教会に何年にもわたり、被造物の管理者という立場を教え続けてくださっていることを心から感謝します。主よ、どうかあなたからさらに多くのものを任される教会となることができるようにお願いいたします。
イエスさまのみ名によって感謝してお祈りします。

アーメン。