神の臨在は祝福をもたらす

『こう言った。「あなたがたはレビ人の各家系のかしらである。あなたがたと同族の者たちは身を聖別し、イスラエルの神、主の箱を、私が定めておいた場所へ運び上げなさい。最初の時には、あなたがたがいなかったため、私たちの神、主は私たちに怒りを発せられた。定めにしたがって、私たちが主を求めなかったからだ。」そこで、祭司たちとレビ人たちは、イスラエルの神、主の箱を運び上げるために身を聖別した。レビ人たちは、モーセが主のことばにしたがって命じたとおり、担い棒を肩に載せて神の箱を担いだ。』

私は考えさせられました。私たちはいったい何回「神を敬おう。」と言ったでしょうか。何回「神を礼拝しましょう。」と言ったでしょうか。しかし私たちは「神さま、あなたをどのように敬うべきですか?」と神さまに伺う時間を取りませんでした。
人にはいろいろな考え方があります。その多くは間違っています。ですから私たちは神のみことばを知る必要があるのです。私たちがどのように礼拝し、敬うべきか、ということを神に聞くなら、私たちはそれを見出します。神は純真で、聖く、へりくだった心で礼拝しなさいと願っておられ、いっしょに集まることをやめないようにと願っておられます。

ダビデはレビ人を集め、こう言いました。「今は正しいやり方が分かります。ですからそういう正しいやり方でやりましょう。」と。「あなた方は、自分自身を聖別しなければならない。なぜなら神はレビ人が、神を敬う人の肩に担がれて神の臨在を運ばなくてはならないからだ。」と言いました。
そして彼らにそのように命じ、オベデ・エドムの家に遣わしました。そしていけにえを捧げ、宴と踊りがなされる中、神の箱をエルサレムに持ち帰ったのでした。
すると、それから一番良い時代が始まりました。なぜなら証しする人物がいたからです。神が出会うときに、神さまにどのように応じて敬うかをわきまえている心を持った人と出会うとき、神の祝福はその人と、その家に入るのです。
それ故イスラエルは最も特別な時代を体験することになりました。栄光あふれる時代であり、敵を征服し、イスラエルの歴史の中で勢いのある時代となりました。
それは神の箱を持ってきたことに由来します。言い換えるなら、それは神の臨在がエルサレムに戻り、そしてその神の臨在を正しく扱うことを学んだためでした。

ダビデは祭司たちに主の前で歌うように命じました。そしてイスラエルの民に、「モーセがしたようにいけにえをもって主の前に近づくだけではなく、礼拝と祈りによってそれをしなさい」と命じました。
この一連の音楽の奉仕すべてを組織したとき、またその子どものソロモンが何年か後に宮の組織に関連して整理したときに、聖書はまた私たちにオベデ・エドムの名を伝えています。これに私は注目しました。なぜなら神の臨在を話すときに、その臨在を喜ぶ人の名前が出てくるからです。これはあなたや私にとって、今日のメッセージの鍵となります。
「オベデ・エドム」という名前は多くの箇所に出てきます。そしてこれについて注釈者や聖書学者の中に多くの議論があります。これが十三章で出てきたオベデ・エドムと、その後の多くの神殿再編成の聖書箇所に出てくる「オベデ・エドム」という人物と、同一人物なのかという議論です。そして多くの学者の意見は同一人物だ、と言っています。
なぜ同一人物だと言えるのでしょう?なぜなら、オベデ・エドムという名前が出てくるときには、必ずある文章と共に出てくるからです。それはオベデ・エドムの特徴としていつも付け加えられる文章です。第一歴代誌二十六章四〜五節、

『オベデ・エドムには子どもがあった。長男シェマヤ、次男エホザバデ、三男ヨアフ、四男サカル、五男ネタヌエル、六男アミエル、七男イッサカル、八男ペウルタイ。神が彼を祝福されたからである。』

この最後の文章です。「神が彼を祝福されたからである。」この文章は、最初にオベデ・エドムが出てきた十三章から出てくる文章です。そして二十六章にも同じ文章が、彼の名前と一緒に出てきます。そして第一歴代誌二十六章八節もお読みします。

『これはみな、オベデ・エドムの子たちで、彼らとその子、兄弟たちは、その奉仕にふさわしい力のある勇敢な人であった。オベデ・エドムに属する者は六十二人であった。』

ここで話しているのは、特定の人のグループです。王が彼らを門衛として任命されました。主の宮に通じる門を守る人たちです。家族の中で、神の宮の門衛になることはとても大きな名誉でした。その宮には神の箱がありました。オベデ・エドムは、その子どもたち、その孫たちと共に、この門衛として任命されました。この仕事を任せられるだけの能力があると認められていました。なぜでしょう。それは神によって祝福された人たちであったからでした。

私にとって、オベデ・エドムとは、神の箱を受けることを強いられた人でありながら、神の臨在を愛するようになった人物であると思います。その数か月の間に何かが起き、それによってオベデ・エドムの中に神の臨在に対する愛が芽生え、彼の一生の間、その臨在を慕い求めることを誓いました。また彼だけにとどまらず、彼は自分の子どもたちにもそれを教えました。またその子どもたちも神の臨在を愛することを自分の子どもたちの中にも植えつけました。
ですからオベデ・エドムがダビデ王の命令に応じて決心し、その課題に真摯に取り組み、その後何年にも渡って彼の人生を祝福に導く関係を築き上げました。それは彼の子孫全員に及びました。

ですから今あなたに質問します。あなたはどのように神を礼拝していますか?ある兄弟姉妹はコロナが始まってから、教会で見なくなりました。ほとんどの方が教会に戻ってきていると思います。しかしあなたのような方、私たちをインターネットで見ている方はまだ戻っていません!そのような方にお話ししたいと思います。
ここで皆集まって神の前に賛美をしている時、また私たちが立って神の前に手を挙げている時、あなたは家でどう礼拝をしていますか?たぶんソファーに座ったままでいるか、ベッドに寝転んでいないでしょうか?また私たちが賛美している間、何か食べながら見ているのではないですか?そのように神を礼拝するのですか?
インターネット配信は病気の人のためであり、教会から遠い土地に住んでいて教会に来られない方のためのものです。しかしあなたが病気ではなく、来ることができのであれば、神はあなたにこう言います。へブル書十章二十五節にあるように、いっしょに集まることをやめないようにと。
ですから私はあなたを励ましたいと思います。来週から教会に戻るように励ましたいのです!教会に戻ってください。
もしまだコロナに対して恐れがあるというなら、教会には隣にホールがあります。そこで神を礼拝できますし、みことばを聞くことができます。ほかの人から離れていられる場所です。
そしてオベデ・エドムを見習いましょう。今はここには神の箱というものはありませんが、それは旧約聖書の時代でした。私たちが教会に来るとき、神の臨在がここにあります。そしてそれを私たちが家に持ち帰ることができます。それによって私たち一人ひとりが祝福されるのです。また私たちの家族も祝福されるのです。また私たちの所有物もそのように祝福されます。オベデ・エドムのように祝福されます。

私が今言っていることは、神さまがあなたの人生の扉をたたくときに、神はあなたを祝福したいと思っているということです。あなたの家を祝福したいと思っている時なのです。
神さまがあなたを金持ちにしようとしているとは言っていません。しかし間違いなく神はあなたの傷をいやします。人間関係を立て直してくださいます。あなたの罪やあなたの先祖の罪によってあなたの人生にもたらされた呪いを断ち切ってくださいます。何年もの間続いた無知の結果の鎖を破壊してくださいます。
いつですか?それはあなたが神の臨在を家に招き入れるときです。そして神に対する愛を育てるときです。それは祈りによって、神のみことばの愛によって、神の原則に従って生きることによって、そうしてくださいます。
神の臨在と関わるようになるということは、あなたの人生に神のみ心が実現する要因となります。それは命をもたらします。変化をもたらします。祝福をもたらします。そしてそれはあなたに影響を与え、あなたの子どもたちにも影響を与え、また子どもの子どもたちにも影響を与えます。

私の祈りは、あなたが怠惰の霊から自由になることです。また無関心から自由になることです。あなたも私も、オベデ・エドムのようになることです。そして神さまの臨在に届くようになることです。そして神の臨在というのは、あなたをさらに向こう側へ導いてくださいます。
もちろん神はあなたを祝福し、あなたの家族、あなたの子どもたち、またその子どもたちも祝福してくださいます。これで終わりたいと思いますが、私は皆さんが神の臨在によって祝福された人となっていただきたいと思っています。ではお祈りしましょう。

主よ、ここにあなたの子どもたちがおります。多くの場合、私たちはあなたとどのように関係を作り上げればよいか理解していませんでした。あなたに伺いを立てることがありませんでした。どのようにあなたを敬うべきか、どのようにあなたを喜ばせることができるのか。
しかし今日、オベデ・エドムについて学びました。彼の家にはあなたの臨在がとどまりました。それは彼があなたを敬うことを学んだからです。どうぞ私たちもあなたを敬うことができるように、あなたを喜ばせることができるように、そのことを教えてください。私たちは日曜日の二時間から三時間しか、教会におりません。あなたの臨在を喜ぶことができるのはその間だけです。
多くの場合、主の臨在はここに留まってしまいます。なぜなら家に帰ると、また喧嘩したり、あなたに喜ばれない考えになったり、口から出してはいけない言葉を言ったり、見てはいけないテレビや映画を見たりして、そのように聖霊さまを悲しませることがあるからです。
しかし今日オベデ・エドムの祝福を見てきました。それは三か月の間だけではなく、その子どもや孫の代までも何年も何年も続きました。私たちの望みは、その祝福です。あなたの祝福が私たちの家に与えられることです。私たちの子どもに与えられることです。孫にも与えられることです。彼らがあなたに仕えるようになることです。あなたを愛し、敬うようになることです。
あなたの臨在が今、私たちと共に家に帰りますように。そして私たちの家に留まりますように。そこであなたを礼拝する祭壇をたてあげます。そしてあなたに感謝します。いつも私たちには食べ物が与えられていることを感謝します。仕事があることを感謝します。健康が与えられていることを感謝します。病気になることがあっても、いやしのみ手を私たちの上に延べてくださることを感謝します。回復を受けたことを感謝いたします。神さま、あなたのみことばを感謝します。イエスさまの名前によって祈ります。アーメン。