主の使命を全うする

もう一つの命令は、今日のみことばの後半にある、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』です。
この箇所を皆さんも何度も聞いていると思いますが、先週は順先生が、ルカの福音書のよきサマリヤ人の例を挙げて話をされていました。
強盗に襲われて傷ついて倒れている人の横を三人の人が通ります。祭司とレビ人は、自分の同胞であるユダヤ人を見たにもかかわらず、反対側を通り過ぎて行ってしまいました。しかし三人目のサマリヤ人は、いつ強盗に襲われるかもしれないという危険の中、犠牲を払って助けました。サマリヤ人とユダヤ人はお互いに天敵だと意識していて、決して交わろうとはしませんでした。ましてやユダヤ人から毛嫌いされているサマリヤ人が、ユダヤ人を助けることなどあり得ませんでした。しかしこのサマリヤ人は、傷ついたユダヤ人を介抱して宿屋にまで送り届け、お金を出して治療を依頼したのです。
このことから何がわかるでしょう。重要なのは、人を助けたということ以上に、敵対している民族に対して赦しと愛を表し、それを実践したということだと思います。順先生は「隣人を愛するとは、隣り合って住んでいる異民族を受け入れることにつながる」と話しておられました。
今、皆さんの中に敵対している民族という意識はないかもしれませんが、隣国である韓国や北朝鮮、中国に対して、関心を持っていますか、愛を持ってとりなしていますか。また、自分の国を愛していますか。
あなたの最も近くにいる人に対してはどうでしょう。皆さんに寄り添い、よくしてくれる人を愛することは当然です。それは、誰でもすることだと、みことばにも書いてあります。しかし自分に悪口を言う人、好ましくない人に対してはどうでしょう。「あの人は気に入らない」「あの人は私に害を加えた」。そのように感じる人に対して、私たちはその人を赦し、愛することができるでしょうか。しかし主はそれでも「愛しなさい」と求めておられます。

『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。』(ヨハネの手紙第一 四章十~十一節)

神さまがまず、模範を示して私たちを愛してくださったのだから、私たちも互いに愛し合うべきと教えています。

また、ローマ人への手紙十二章四節には、こうあります。

『一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。』

教会には多くの人が属しています。そして、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりがその器官だと言っています。「こんなものは要らない。これは不必要だ。これは私に敵対しているものだ」などと排除できるわけではありません。からだの中には多くの機能があり、骨があり、肉があり、血があり、その一つでも欠けたら健康を損ない、死に至る可能性もあるわけです。そのことを、私たちはしっかりと受け止めていく必要があると思います。
この教会には今、お産を控えた姉妹たちがたくさんいらっしゃいます。今年は本当に多くの方が子どもを授かっています。新しいいのちが誕生するのは本当に楽しみですが、一方で、病と戦っている方も大勢おられます。肉体的にもそうですが、悩みを抱え、精神的につらい思いをされておられる方もあるかと思います。近くにいて、実際的な助けをできる人はしてあげてください。悩みを聞いてあげられる方は相談にのってあげてください。しかし、実際的にかかわりが持てなくても、詳しくはわからなくても、ぜひ兄弟姉妹の必要を覚えて、とりなし祈っていただきたいと思います。
ここまで、二つの大切な命令を学んできました。それは、唯一の神である主を愛し、隣人を愛することです。そして、愛するためには、相手のことを考え、その愛に応えることが大切だということです。

新約聖書中でいちばん多く登場しているのは、パウロだと思います。彼は、初め、クリスチャン迫害に燃えて反キリスト者を先導していました。その時の彼は、「クリスチャンを迫害することこそ、私の使命だ」と間違った確信を持っていたのでしょう。
しかしある時、ダマスコの途上でイエスさまに出会い、人生が百八十度変わり、自分が間違っていたことに気づきました。彼は、神さまに反逆して多くの罪を犯したにもかかわらず、主は彼を赦し、異邦人に伝道するという使命を与えたのです。彼はその主の召しに応え、主に仕えるなかでこう語っています。

『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。』(ローマ人への手紙一章十四節)

パウロは、「返さなければならない負債を負っている」と語っています。
皆さんには負債がありますか。住宅ローン、教育ローン、マイカーローン、事業をしていれば、設備投資や運転資金のためにローンを組んでおられる方もいるでしょう。ローンはもちろん借り入れですから、「返す」という原則があります。「もう昔のことだからまぁいいじゃないか。もう返さなくてもいいでしょう」とはならないのです。何年たっても借りたものは必ず返さなくてはなりません。それは義務なのです。では、神さまに対してどうやって負債を返済できるのでしょう。

先週は母の日でした。来月には父の日があります。私の両親はすでに召されましたので、直接プレゼントをすることはできませんが、今でも両親には感謝しています。親が健在の方は、プレゼントでなくてもいいので、感謝の気持ちはぜひ伝えてみてください。それはすごく大切なことだと思います。
ここにはクリスチャンホームの子どもたちもたくさんいますが、親にとっていちばんうれしいことは何だと思いますか。それはまず、イエスさまを信じていること。そして、信仰が成長していく姿を見ることだと、私は思います。子どもが主に従っている姿を見せることは、親孝行の一つだと思っています。そしてそれは、神さまを喜ばせることでもあり、愛に報いることでもあると思います。

具体的に何をもって負債を返済できるのか、皆さんもぜひ祈ってみてください。「私には返せるものが何もない」と思っている人が多いかもしれませんが、、主はあなたに対して返すことのできる助けとして、賜物を与えていると、みことばをもって私たちを励ましています。

『それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。』(第一ペテロの手紙四章十節)

賜物とは聖書に書かれているものだけでなく、数えきれないほどあります。
今日もたくさんの賛美をしました。開先生に『ざわめき』の賛美が与えられているもの、賜物ですね。私は、風呂に入りながらよく賛美をします。風呂場ってワ~ンワ~ンと響いて「いい声だな~」なんて思ったりしながら、いい気持ちで歌います。時々音は外れていますが…(笑)。
私は楽器もできないし、賛美が与えられることもないので、賛美の賜物を持っている方がすごく羨ましいと思います。最近は、子どもたちも皆、楽器を上手に奏でていますし、リバイバルミッションの若者主導の『すりだぶ』では若者たちが新しい賛美を作って歌ったり、奏楽したりしているのを見て、素晴らしいなぁと思っています。このように、賛美を捧げることによって、神の愛に応える方法もあります。
また、実際に献げ物によって、主の恵みを返済するという方法もあります。毎週、皆さんが教会のために、世界宣教のために、さまざまな献金をしてくださって支えられてきました。老後や子どもの将来のために蓄えることも重要ですが、神さまに与えられたものをお返しするということを忘れてはなりません。
私も小さい頃から什一献金を教えられてきました。「献金」と聞くと、何か自分がやってあげている、というような感覚を持つ方もいるかもしれませんが、私にとっては自分のお金をあげる、のではなくて、「神さまに与えていただいたものを返す」のことであり、「どうしてもしなければならないこと」なのです。「私が献金するのだ。献げるのだ」と思いがちですが、そうではなく、与えられているたくさんの恵みを主にお返しするために、絶対にしなくてはいけないことだと、小さい頃から思ってきました。今、貯金がたくさんあるわけではありませんが、神さまからの祝福をたくさんいただいてきました。これも什一献金の恵みだと思わされています。
先ほどのみことばにあったように、私たちはキリストのからだの各器官であり、それぞれが神さまから違った賜物が与えられていて、その働きも違いますから、負債返済の方法も違って当たり前です。神さまからいただいた愛に報いるため、返済の義務があるということを忘れず、それぞれが与えられている賜物を用いて、神さまに対する負債を返済していきたいと思います。

そして、ここに、もう一つの返済の方法があります。それは、神さまから受けた愛をほかの人に伝えることです。それはいつ、どんな時でも、誰にでもできる方法です。しかし、私は若い方には直接献身という方法も、考えていただきたいと思っています。
私の若い頃は、クリスチャンホームの子どもたちが、こぞってフルタイム献身を志していました。私も保育園・小学校の頃から「将来は神さまのために働きたい」と思い続け、ほかの仕事もしましたが、決意はずっと変わりませんでした。
若い人たちに期待しています。少しでもその思いのある人がいたら、祈ってみてください。ピリピ人への手紙には、「主にあって志のある者に、主は応えてくださり、事を成し遂げてくださる」と約束してくださっていますから。

今日のみことば、マルコの福音書十二章三十〜三十一節をもう一度お読みします。

『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」』

「命令」という言葉を聞くと、日本人の多くの人が上から押し付けられたものと思うかもしれません。しかし、ヨハネの手紙 第一 五章三〜四節にはこうあります。

『神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。』

私たちはまず、われらの神である主は唯一の主であることを認め、主の命令を守ることが大切です。そして最も大切な命令は、神を愛することと隣人を愛すること。その命令を守ることは重荷ではなく、勝利につながっていくことを覚えてください。

最後にもう一つ、大きな使命を覚えたいと思います。それは、霊的戦いです。
新城教会は今年、この地に植えられて七十年という節目を迎えています。この教会に与えられている大切な使命があります。また皆さん一人ひとりに与えられている使命があります。この新城にこの教会が必要だと、神さまが必要だとして明先生を通してここに教会が与えられました。先に救われた多くの兄姉が、この因習の深い地で、偶像礼拝と戦い続けてきてくださった。その延長上に霊的な目が開かれました。サタンの存在を知り、立ち向かっていくことを学び、今も戦い続けています。
この霊的戦いは、スタッフや一部の人が戦えばいいということではありませんから、心を合わせて戦わなければなりません。サタンに奪われ、うめいている被造物に主をほめたたえさせ、勝ち取ることも重要です。敵は強いですが、私たちには圧倒的な勝利者である主が共にいてくださいますから、信じて戦い続けて、私たちの使命を全うして参りましょう。
二〇二三年も早五カ月が終わって、後半戦に入っていきますが、これからも一人ひとりが主を愛し、隣人を愛して、その中で祝福をいただいて、大いなる主のみわざを現していただきたいと心から願います。一言お祈りします。