主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

またある時、あれは二十数年前だと思いますけど、家内が豊橋市民病院の婦人科に入院しました。そして開腹手術を受けました。術後に四人部屋にいました。私が見舞いに行くと、家内がこう言うのです。斜め前のベットにおられるおばあさんに向かって「あの人イエスさまの話をしてくれる?」と言うのです。「なんで?」と言ったら、「いや、あの人にイエスさまの話をしたら、もっと聞きたいって言っているから。」と言うのです。私はその方の所に行ってイエスさまの話をしました。そのおばあさんは「奥さんに良くしてもらっている。」と感謝され、そしてイエスさまの話をすると、私も信じたいと言って、「じゃあ後に付いて祈ってください。」と、イエスさまを受け入れる祈りまでしてくれました。なぜおばあさんが簡単に信じたかというと家内の愛の実践があったからです。
そして家内が退院してからも、何度か「あのおばあさんの所へ行って、お見舞いして祈って来て。」と頼まれました。私が行くとその方は「上條さんのご主人が来てくれた。本当に感謝だ。」と歓迎してくださり祈ることができました。その後、ある日曜日の礼拝を終わって食事をとっている時に、私を訪ねて来られたご夫妻がいました。その方たちはそのおばあさんの息子さん夫婦でした。数日前そのおばあさんが亡くなったというのです。そして「入院していた時、上條さんにとてもお世話になった。」といつもおばあさんが言っていたそうです。力がなくて何かができない時に、いろいろな面倒を見てあげたそうです。家内も術後で大変にも関わらず、おばあさんを助けていました。その愛に触れて、おばあさんは「上條さんに良くしてもらった。助けてもらった。本当に嬉しくて、毎日上條さんのことばっかり話していたんですよ!」。そして先日亡くなって葬儀が終わったので、どうしてもお世話になったので、挨拶に来なければいけないということで、この教会に来て下さったのです。家内の愛によって、おばあさんがイエス様を信じて、天国に送ることができました。

自分も手術しました。しかしその時自分の事しか考えられませんでした。他の人なんて気にならなかったというよりも、同室の人に対しても愛をかけることができず、同室に人がいることが鬱陶しくて嫌で、わがままを言って個室にしてもらったのです。他の人が困っていようが全く気になりませんでした。しかし家内も開腹手術をして大変でしたが、愛を持って助けてあげました。隣人を自分自身のように愛せよ、とみことばにありますが、文字通り愛の実践をしました。私とは正反対。私は愛がない者です。家内は良く祈り、周りの人を愛することができる人でした。
ある時は里子を預かりたいと言って、里子を我が家迎えました。それが今成人したKです。一人のたましいのために、愛をもって里子を預かった。隣人を自分自身のように愛する事を実践する人です。またよくお見舞いに出かけ、多くの人にお世話をしていました。

マタイ二十二章三十七節~三十九節

『そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。』

みことばを読むだけと実践するとでは大きな違いがあると思います。みことばを実行しましょう。マタイ十三章二十三節

『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。』

ヤコブ1章二十二節
『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。』

今日あなたは『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』愛の実践をしましょう。

私は今まで、神さまが良くしてくださったことを一個一個考え、感謝しました。感謝して、「イエスさま、あの時はこんな恵みを感謝します!こんな恵みを感謝します!」と、感謝していく時に、この二ヶ月間、家内の事で下ばっかり見て、苦しい状況を目にしていました。しかし『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』良くして下さった事を感謝し、今後も主は私に祝福を下さると信じ、下ではなく上を向くことができたのです。主は生きていて、今も働いて下さる方。「とどまらず前進せよ!」と、励ましてくださいました。暗闇の中にいても、主に期待し戦うことが出る余裕を与えられました。詩篇百三篇三節から五節は必ず成就する!だからその前に神が言われた「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」という事を実践しましょう。感謝が足りず、主が良くしてくださったことを当たり前として考えてしまっている。良くしてくださった事を何一つ忘れずに進んで行きましょう。
最後にもう一回、百三篇二節、そしてイザヤ書五十七章十四節を皆さんで告白して読んでみたいと思います。大きい声で、あなたのみことばとして宣言しましょう。さんはい!

詩篇百三篇二節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』

イザヤ書五十七章十四節、

『主は仰せられる。「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。』

今日つまずきを取り除いて、主の良くしてくださったことを心から感謝しましょう。最後に一言お祈りさせていただいて終わりにします。

愛する天のお父さま。私は感謝がたらず、主の良くしてくださったことを忘れていたことを赦してください。今日お一人おひとりが主に良くしてくださったことをもう一度考え直すことができますように。詩篇百三篇二節を信じます。告白します。その後の三節から五節の素晴らしいみことばは、それに伴って成就することを信じます。主イエスさまに期待し、主のみ名によってお祈りします。アーメン。