主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

自分が一番、自分ファーストではなく、神の国を第一に求めなければならないと教えられました。またローマ書十章十節〜十一節、

『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。』

私はイエスキリストを信じています。今日も確認のために、皆さんで告白の宣言をしましょう。「イエスキリストは私の救い主です。」と。では告白しましょう。「イエスキリストは私の救い主です。」この「私」という所を自分の名前を入れて宣言しましょう!「イエスキリストは上條実の救い主です。」今告白できた方は、救われています。それは口で告白して救われるのですとあるからです。そして彼(イエスキリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。主を信頼したら失望されせられることはない。とあります。イエスキリストに信頼する。人生を任せることが必要です。

イザヤ書五十七章十四節、

『主は仰せられる。「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。』

そしてヨハネ十四章六節
『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

イエスキリストは神です。私たちはイエスキリストの道を自分の道として歩む必要があります。その道にある邪魔になっている障害物を取り除く事が大切です。主イエス・キリストを信頼して、障害物になるものを取り除いていきましょう。

自分ファースト・自己中心的な信仰ではなく、霊的に目を開かせていただいて、主に期待し、「天の教会と地の教会が一つとなるように」求めていきましょう。その為にもまず、つまずきを取り除きましょう。

そんな中で、「主の良くしてくださった事を何一つ忘れるな」。夢の中で自分に与えて下さった恵み、良くしてくださった事を感謝しましょう。

こんな私ですが振り返って見ると沢山、主が良くしてくださったことがあります。「みことばは必ず成就する。みことばには力がある。」

私は今元気でここに立たせて頂いていますが、何度か入院したことがあります。初めての入院は二十九歳の時、次男が生まれた後の事でした。今から約三十五・六年前の事です。はじめ咳が出始めて、調子が悪かった為、新城市のある病院に行きました。すると診察の結果「心臓が悪い」と診断されました。とても驚きました。今まで心臓が悪いなどと言われたことありませんでした。そしてその病院で処方された薬を服用し始めると、更に体がしんどくて体が重く、一日中眠たくて寝込んでしまいました。その状況に、家内もとても心配し、家内の妹に相談して、アドバイスをもらっていました。当時家内の妹は東京の病院で看護師をしていました。そして私の調子があまりにも悪いので、自分が勤務している病院にとても良い有名な医師がいるから、一度来て診察してもらったらと勧められ、東京の病院に受診しました。すると新城の病院で診断を受けた心臓は大丈夫だけと、検査入院して病気を特定して、治療していきましょうという事になり約一ヶ月間入院しました。一ヶ月間様々な検査をしましたが、なんの病気か分かりませんでした。とにかく毎日検査の連続で、やせてしまい、体力も落ちてしまいました。それでも何の病気なのか一向に分かりませんでした。医師は血液検査をすると確かに病気の数値であるが、今のところなんの病気かわからないので、更に詳しく検査させて欲しいという事で、さらに多くの苦しい検査をしました。そんな中、医師が私の所へ来て、「今度行う検査で多分病気がわかると思います。最後の検査になると思います」と言われました。三十五・六年前ですので、あまり今のような各病院に検査機器がそろっていなかったため、「聖路加国際病院に行って検査を受けてください。」と言われました。そして家内に付き添ってもらい、地下鉄に乗って、聖路加国際病院へ向かいました。当時痛みが出ると、高熱が出て三十九度、四十度ぐらいまで上がりました。その繰り返しでした。聖路加国際病院への紹介状を持って地下鉄に乗ったのですが、渡された紹介状の封が開いていました。私はなんと書いてあるかな?と思って、中を見たのです。そうしたら、「この人は愛知県の二十九歳の男性で、奥さんと子ども二人います」。そして今までの検査など、専門用語で書かれていましたので、読んでもあまりわからなかったのですが、最後に書かれていたことは、骨の中に癌があるかもしれませんので調べてくださいという内容でした。その時に癌を疑われているという事を初めて知りました。そして一瞬のうちに目の前が真っ暗になって、「自分が癌?ということは、自分は死ぬんだ」と思ったら、恐怖でいっぱいになってしまいました。自分は妻と子ども二人を置いていく。死んだらどうなるんだろう?死に対しての恐怖に襲われ「死んだらどこ行くのだろうか?」と、私は暗闇に落とされてしまいました。そんな時、神さまは私に不思議な事を行ってくださいました。私の心の中に一つのみことばを思い出させて下さいました。そのみことばが何かというと、有名なヨハネ十四章一節のみことばでした。このみことばが私の真っ暗闇な心に飛び込んできました。

『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

そのことばに衝撃を受けました。今まで真っ暗な心でしたが、そのみことばによって一瞬にして光が差し込み、「私はイエスキリストを信じている!大丈夫だ!」と、ガラッと心が一変してしまったのです。「自分はクリスチャンだ。自分はイエスさまを信じているんだ。イエスさまに委ねていれば大丈夫だ。」とみことばを通して、瞬時に恐怖が取り去られました。暗闇に目を向けるのではなく、天におられる主に目を向けることができました。驚きました。劇的な変化でした。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

暗闇から光に変わりました。みことばは生きています。聖路加国際病院に到着し、検査は造影剤を打って三時間、四時間ぐらい待ったでしょうか。その後十四分間、七分間、七分間放射線の機械が私の上を往復しました。検査前、看護師や検査技師の方に、「動いたら取り直しになりますので動かないように」と言われました。緊張もしました。暗闇のどん底にいたら、怖くて居ても立ってもおられない状況だったと思います。しかし「あなたがたは心を騒がしてはなりません。」このみことばを握っていましたから、硬い検査ベッドに寝かされて検査を受けている間も平安だったのです。その検査が始まって、すぐ私はぐっすりと眠ってしまいました。検査が終わって、「上條さん!終わりましたよ。」と起こされる程平安でした。
検査が終わり、私は家内とともに自分の入院している病院に帰りました。数日後検査の報告がありました。何と言われたかというと、「何もありませんでした。」と言われました主治医は「今回の検査で病気がわかると思ったが、わかりませんでした。」その時、医学に捨てられたような気がしました。しかしヨハネ十四章一節のみことばがあったからこそ、私は「何も検査することなかったら退院させてください。」と言って、その日に退院させてもらいました。医師は「何か変化があれば、すぐ連絡ください」と言われましたが、不思議なことに、それ以来癒されてしまいました。未だにあの病気は何だった分かりません。しかし私は今になって考えてみると「主が与えて下さったプレゼントだった」と思います。牧師としていつも聖書のみことばを語っています。あの経験があったからこそ、みことばを心から信じて語ることができています。みことばは成就する。聖書に書かれていることばは、今も生きているという事を実際に体験できたのです。みことばは必ず成就します。主は私にすばらしいことをして下さいました。最高の祝福となりました。もう一度言います。「みことばは必ず成就します。」イエスキリストは確かに生きています。みことばを受け取りましょう。

もう一つ、主が教えて下さった事、それは「感謝」です。今も言いましたが入院したとき、すごく痛みがあり、熱がありました。その時は辛くてたまりませんでした。当時私の心の中は、不信仰と不平不満で一杯でした。今まで主に仕えて来たのに、なんでこうなる?全く感謝がありませんでした。医師や看護師さんが、私のためにいろいろお世話をして下さるのですが、何度検査しても、何の病気か分からない。痛みや熱は続く。全てやる事なす事イライラしていました。看護師さんが朝カーテンを開けてくださるのですが、開ける時に、ゆっくりと開けてくれれば良いのに、力いっぱいピッ!と開ける人がいました。そんな事で怒れるのです。「もっと優しく開けろよ。」と思ってしまいます。しかし痛みや熱がない時は暇でしたので、聖書に関する様々な本を読みました。その中でマーリン・キャロザースという女性の方が書かれた「賛美の力」という本を読みました。その本に何が書かれていたか言うと、「すべてに感謝しなさい」という聖書のみことばから書かれていました。あるアメリカの奥さんが、牧師先生に相談に行ったというのです。「主人が麻薬中毒で捕まり、子どもたちも悪い状況で、大変な状況だ。」という事を話したそうです。すると牧師先生はなんとアドバイスしたかというと、「聖書の中に、Ⅰテサロニケ五章十八節に、『すべてのことについて感謝しなさい。』とある。すべての事だから、今の状況を感謝しなさい。」とアドバイスしたのです。その夫人は感謝をし始めたそうです。するとなんと問題が動きはじめました。感謝していくうちにご主人の麻薬中毒が解放されて癒されたのです。子どもたちも真面目になり、素晴らしい家庭に戻ったという証しが、記述されていました。それを読んで疑いやすい私は、「こんなことあるか?」と思いました。しかし、ある朝決心しました。「今日一日感謝だけをしよう」。そしてなんでも感謝しました。太陽が出ていることを感謝。風が吹いているのを見て「風があることを感謝」など。見る事思う事を全て感謝しました。痛みが出てき始めるとなかなか感謝できませんでしたが、初めて「痛みがあることを感謝します。痛みを感じられることを感謝します。」と祈りました。
私の親友の叔母に当たる方が教会に来られていました。その方は下半身麻痺のため、車椅子で生活されていました。知人のクリスチャンの方に「これは体に良いから」とすすめられて、火のついた線香みたいなもので体を擦って温める治療をしてもらいました。しかし下半身麻痺のため下半身は何も感じないので、熱さが全くわからずにやってもらったそうです。終わった後、大変なことが起きてしまいました。線香で擦ったところが、やけどになってしまい、ひどく化膿してしまいました。そのことによって教会に来られなくなってしまいました。そんなトラブルがあった事を思い出しました。しかし私は痛みを感じることができる。感覚があることは感謝だと思い「痛みを感じることを感謝します。」と、普段は不平を言っていたことも感謝しました。なんでも感謝の祈りをささげている時、気がつきました。その日はとても心が穏やかでした。平安でした。物事を明るく見ることができました。そして痛みや熱も出ませんでした。本当に素晴らしい奇跡を体験しました。感謝だけでこんなに変わるんだと気がつきました。大きな変化がありました。

また、私は家内をすごく尊敬しています。彼女は愛のある女性です。ある時、「誰々の所にこれを持って行って。」と、タッパーに入った食事を渡されました。私が休みの日になると、家内は「誰々の所に持って行って。」とよく頼んできました。ある時は、「豊橋市の誰々。」と言うのです。「え?今から私が豊橋まで行くの?」距離や時間を気にして不平を言いながら、豊橋市まで食事を届けに行ったことがありました。また「だれだれが病気だから、これを届けてきて」など、いろいろな人に愛を示す人でした。その都度私は、配達係りでした。彼女は兄姉のために良く祈り、祈りだけでなく実際に愛を惜しみなく与える人でした。私は「うちの家内が作ったので食べてください。」と言ってお渡ししたら、その家庭の奥さんが病気になって食事を作れない状況で、食事をどうしようと考えていたそうです。そしてとても感謝して下さり、喜んでいました。そんなことが何度かありました。