2021年4月25日(日)新城教会牧師 上條実
使徒の働き8章8節
『それでその町に大きな喜びが起こった。』
ハレルヤ。主を心から賛美いたします。今日皆さんの前に立って、みことばを語ることができます事を感謝致します。いつも私のためにお祈り下さり心から感謝します。上行大動脈瘤の手術をして約六ヶ月になります。この間も受診してきましたが、守られていることを感謝いたします。体力も少しずつ戻ってきております。皆様のお祈りを心から感謝致します。
さて今日は使徒の働きの八章八節から、「その町に大きな喜びが起こった。」というタイトルから学んでいきたいと思います。今回メッセージを担当するにあたって、何を語ったら良いか祈らされました。何を語った良いか本当に迷いました。今新城教会に与えて下さっているみことばを与えて下さいと祈る中で、使徒の働きを読んでいく中で八章八節、『それでその町に大きな喜びが起こった。』というみことばに目が留まり、「これだ!」と主から教えて頂きました。
私たちは今、なにかと暗い日々を送っているのではないかと思います。新型コロナウイルスの影響で、様々な行動制限がされており、最近は感染力の強い変異型ウイルスが現れて、今まで以上に感染しやすい、更にしっかりとした対策をとって行かなければならないと報道されています。緊急事態宣言がつい最近終わりましたが、すぐ多くの感染者が出て来て、東京・大阪そして京都・兵庫には非常事態宣言が再度施行されることになりました。いつになったら終息するのだろうか?と思います。
また日本の至る所で地震が頻発しています。先月の三月十一日、東日本大震災が起きて十年目ということで、様々な報道がなされました。震災と津波で亡くなられた方、行方不明や関連死など合わせて二万二千二百人もの方々がお亡くなりになられたそうです。
そして、この地方では東南海地震がいつ起こってもおかしくないと言われています。それが来たら、なんと三十二万人の死者が出ると言われています。この近辺も震度七だそうです。また津波が襲い、甚大な被害が起き、経済的被害も二百二十兆円だと言われています。いつ起きるか分からない。しっかり備えていかなければならないと思いますが、私たちは備えるだけでなく、被造物の管理人として祈っていかなくてはなりません。
『その町で大きな喜びが起こった。』ということですけども、私が今住んでいる新城市にどんな喜びがあるのかな?と考えてみました。しかしこの町には喜びがありません。高齢化が進み、喜びの出来事など全く聞きません。話すことは、新型コロナウイルスばかりです。強いて考えて言ったら、去年の暮れですか。漫才のMー1で、新城の方がグランプリを取ったというニュースを聞きました。しかし一瞬「新城市出身か!」と喜びましたがそんな喜びはすぐ消えてしまいました。この新城市には何も喜びがありません。また皆さんのお住みになっている街はいかがでしょうか?何の喜びがあるでしょう。
教会を見ていかがでしょう。先ほどゴスペルクワイヤーの素晴らしい賛美を映像で拝見しました。恵まれました。しかし今は集まって大声で賛美する事ができません。愛知県の教会でクラスターが発生したということで、社会に配慮して、礼拝では、換気など感染対策をしっかり取りつつ、静かめの曲を選んで賛美しています。早く心配のいらない中で大声で主を賛美したいと願います。
またつい最近、三人の兄姉が天に召されました。とても寂しい思いがしました。また病気や様々な問題に対してお祈りしていますが、なかなか癒されたり、解決していません。喜びがないと思います。
もっと小さい単位で、家族を考えると嬉しいこともあります。我が家では、三男のところに三人目の孫が七月の終わりごろに生まれる予定です。全部で八人目の孫になります。本当に感謝します。しかし私の家内は少し調子を崩し、先週の月曜日に入院いたしました。いつも家内のためにお祈り頂いて感謝していますが、またぜひお祈り下さい。やはり寝ても覚めても、家内のことが心配になってしまいます。
今日のみことば、使徒の働きの八章八節、『それでその町に大きな喜びが起こった。』本当に素晴らしいみことばです。このみことばが成就すればなんと感謝かと思います。使徒の働きの概要を少し学んでみたいと思います。
使徒の働きの著書は誰とは書かれていません。ルカによる福音書の一章一節から四節と、使徒の働きの一章一節から三節の所から、誰が書いたかを読み取ることができます。ルカによる福音書一章三節を読んでみたいと思います。
『私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。』
また使徒の働き一章一〜三節、
『テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。』
このみことばから「ルカによる福音書」と「使徒の働き」を書いたのが同じ人物である事がわかります。使徒パウロと共に旅したルカが、ルカの福音書と使徒の働きを書いたと言われています。また執筆年はAD西暦六十一年から六十四年ぐらいだと言われています。執筆目的は、初代教会の歴史を紹介するためです。この書物はイエスさまの弟子たちが、ペンテコステの日に力を受けて、イエス・キリストの証人となりイエス・キリストの十字架と復活を延べ伝えていく事に焦点を置いています。これはユダヤだけにとどまらず、世界各地に宣べ伝えられていった。宣教が大きく拡がっていったことを、使徒の働きから見ることができます。使徒の働きは、私たちに勇気を与えるみことばです。この八章八節に、『その町に大きな喜びが起こった。』とありますが、その時どんな状況であったかということを少し学んでいきたいと思います。使徒の働き八章一節〜八節を読んでみたいと思います。
『サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。』
ステパノという主の弟子がいました。この人は教会の中で皆から信頼されていた人でしたが、ユダヤ人たちに捕らえられ石打の刑に遭い殉教してしまいました。そこから教会に対しての大きな迫害に発展しました。サウロ、後のパウロですが、彼は教会を荒らし、家にいるクリスチャンを引きずり出し、牢屋に入れまくりました。
ところが、人の目には否定的に見えるこのような迫害も、主の計画から見ると、エルサレムから始まり地の果てまで主イエスの福音が広がる為の重要なきっかけとなったのです。
使徒たちをはじめクリスチャンは、エルサレムでは福音を語ることができずに、地方に散らばって行きました。しかし、この人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いたのです。そのひとり、ピリポという人は、ユダヤからサマリヤに下って行き、そこで福音を語り始めました。すると、その町に大きな喜びが起こったのです。サマリヤは、皆さんもうご存知だと思いますけども、以前イエスさまがスカルの町に近い井戸のところで女性に伝道し、多くの人たちがイエスさまを信じた町です。サマリヤ人は異邦人の混血であって、彼らの宗教は、ユダヤ人と異教徒の信仰と慣習の交じり合ったものでした。サマリヤ人がイスラエルの宗教に背を向けたことで、ユダヤ人は彼らに 憎しみを募らせていた。ユダヤ人にとってサマリヤ人は汚れた者として一線を引いている民でした。そのサマリヤにピリポが出かけて行き、福音を語ったのです。そして汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は治り、それでその町に大きな喜びが起こったのです。ピリポが多くの奇跡や癒しを行い、サマリヤはピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けたのです。異教の地にリバイバルが起きました。なぜピリポはサマリヤでリバイバルを起こすことができたのでしょうか?それは使徒の働きの鍵となるみことばですが使徒の働きの一章八節
『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』
二階座敷でイエス・キリストの弟子たちが集まり、皆で真剣に主を祈り求めていた所に聖霊が臨まれました。使徒の働き二章一〜四節に、こんなみことばがあります。
『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』
二階座敷で聖霊さまを求めていた時、聖霊の力をいただきました。その力でピリボはサマリヤで奇跡を行う事ができたのです。そしてサマリヤに大きな喜びが起きたのです。憎しみも、汚れているという、そういう壁も全部飛び越えて、主は大きな大きな喜びをその町に与えてくださったのです。
私たちの新城教会にも、似た出来事がありました。よくメッセージで聞きますし、「主が立ち上がられた日」という滝元順牧師が書いた本に詳しく書かれていますが、一九九二年二月十三日に、聖霊さまが突然、この教会に訪れてくださいました。祈っている時に人が倒されて、聖霊に満たされて、あの使徒の働きと同じような体験をしました。異言で語ったり、様々な主の業が現されて、熱い聖霊さまの火が下って、本当に素晴らしい体験をさせていただきました。その時は大きな戦いの前にありました。阪神甲子園球場を会場とし、一九九三年十一月に三日間「全日本リバイバル甲子園ミッション」という大きな集会をしようとしていました。この田舎にある新城教会が中心となって、全国の教会に呼びかけて、日本のリバイバルの集会をしようと計画しました。今まで行ったことも見たこともなかった大きな球場、甲子園球場を借りて集会する。費用がどれだけかかるか考えもせず、戦いの火ぶたが切られた時でした。どんなに大変かということすら知らずに、始めたのです。祈り、主に頼るしかないと祈り始めました。そして一九九二年二月十三日に聖霊の訪れが起こりました。私たちはこれから大きなリバイバルが始まると思っていました。
しかし、全く違いました。確かに、子どもからお年寄りまで悔い改めの霊が注がれて、みんな罪が示されて泣いて悔い改めたり、多くの若者が主の為に働きたいと献身しました。しかし教会の中には大変なことが起きました。当時、韓国やアルゼンチンでも大きなリバイバルが起きていました。同じように日本でも大きなリバイバルが起きると思っていました。しかし、どうなったかというと、この教会が悲しいことに二つに分かれてしまいました。一緒に礼拝していた人たちが、別の所に教会を作り礼拝を守るようになってしまいました。また全国の教会の中で「あれはおかしい働きだ」と、甲子園ミッションの働きに反対する教会や団体も多くありました。ありもしない噂を言われたこともありました。そんな中でも、主は大きな祝福を与えて下さって、甲子園ミッションは、多くの方々が集まって、三日間で、延べで十二万四千人の方々が甲子園球場に集まりました。グランドの真ん中に大きな十字架型の舞台を作り、メッセージ後、滝元明牧師が「イエスさまを信じたい人、この十字架の上に来なさい。」と招きの時を持ちました。今でも忘れません。本当に多くの方々が十字架ステージに上って来る姿を見た時に、泣けて仕方ない、本当にこのために働いてよかった!と思ったことを、昨日のことのように思い出されます。