〜2022年〜 「それは主の復讐の年」
うめきの祈りに応えて下さる「主」

2022年3月13(日)新城教会主任牧師 滝元順

詩篇5篇1〜4節
『私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。あなたは悪を喜ぶ神ではなく、わざわいは、あなたとともに住まないからです。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
インターネットで礼拝に出席されている方々にも、ご挨拶を申し上げます。
実は私、先週初めて、インターネットにて礼拝に出席してみました。たいへん感動しました。会堂で礼拝するのも素晴らしいですが、インターネットを通して、家が教会になったようでした。涙を流したい時には自由に流し、ひれ伏して賛美したい時にはひれ伏して賛美しました。なかなか素晴らしかったです。
また、インターネット礼拝の音質と画質がすごく良かったです。私たちは毎週、当然のように礼拝を守っていますが、影で多くの方々が奉仕をしてくださっています。そのことも、ぜひ覚えていただきたいと思います。一人が欠けても礼拝が成り立たないほどです。音響も二つの系統に分かれていまして、インターネット用のミキシングと、ホール用のミキシングに分かれています。また、ライトを調整したり、礼拝中、警備をしてくださったりと、様々な働きが背後でなされています。礼拝が終わったら座席を消毒してくださる方々もおられます。キリストのからだの中で、素晴らしい、麗しいチームワークで毎回礼拝が守られています。それらの奉仕も含めて、すべてが主への「礼拝」です。
今もインターナショナル賛美チームの賛美を聴くことができました。女性の方はペルーの方でしょうか。他は、縄文人、弥生人、日本人というような感じでした。国を超えて一つとなって、いくつかの言語を駆使して賛美がなされているのは、やがてイエスさまが帰ってこられ、全被造物が一つとなって、主を礼拝する日を待ち望んでいるのです。

本日、選ばせていただいた聖書箇所は、詩篇五篇です。
ここに『主よ。私のうめきを聞き取ってください。』とあります。苦しみの中で、うめき、主に叫び声をあげる内容の詩です。
詩篇五篇について調べてみますと、これは個人的なうめきと共に、共同体的うめきをも表しています。教会は、一人が苦しめば全員が苦しみ、一人が喜べば、全体が喜ぶ場所です。それがキリストのからだです。

皆さんに祈っていただいています私の家内の病も、個人的な問題ですが、それ以上に、共同体的な問題です。家内は一月十六日に、ここに立って証しをさせていただきました。あと三ヶ月、四ヶ月の命と言われていたのが、二年半も生きながらえています。その間、主の奇跡をいくつも見せていただきました。それを聞いて、皆で涙し、喜んでくださいました。
しかし先日、ちょっとした事件が起きまして、世界宣教LINEには流させていただいていますが、これで終わりかみたいなところもありました。先週の礼拝では、ライングループに送らせていただいた文章が読まれて、皆さんが祈って下さいました。多くの方々をがっかりさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
しかし今日、主は私に新しい力をくださって、この場所に立たせて下さっています。本当に感謝です。

現在、内に外に、大きなうめきがあります。コロナもまだまだ終息していませんし、それに重なるかのようにウクライナで戦争が始まりました。
後ろで操っている連中がいるのではないかと勘ぐってしまいます。
現在、世界で一番嫌われている男はプーチンです。こいつさえいなければ・・、みたいなところがあります。
しかしこの問題はややこしいです。ウクライナは旧ソ連でした。ある意味、ロシアの国内問題みたいなところもありますから、西側諸国は手を出せません。何かすれば、世界大戦、核戦争になるかもしれません。
人間には、飽くなき欲望があります。ロシアって、たいへん広い国です。こんなに広く領土を持っているのにも関わらず、なぜ、ウクライナが欲しいのか分かりません。日本から見れば、遠い場所で起こっている戦いのように考えるかも知れません。
ところでロシアの東の端って、どこでしょう。
 これはロシアです。そして四十キロ先の半島は北海道、稚内です。北方四島となると、さらに近いです。

 最も近い所は、四キロ弱です。ということは、プーチンが東に目を向けたら、日本も同じようになる可能性が十分にあるということです。
先週、こんなニュースが流れていました。ロシア軍が北方領土でミサイル訓練をやっていたと言うのです。なんのためでしょうか。

聖書の世界を見ますと、うめきが重要なテーマであることに気づかされます。うめきがないと、新しいものは生まれないのです。
先週はこの教会で、うめきの後に、大きな喜びがありました。なぜなら、二人のボーイが誕生したからです。お母さんは大変だったと思います。初めての孫が誕生したわけですから、杉浦家におきましても、中川家においても、たいへん緊張されたと思います。今週は、もう一人生まれそうです。それは上條先生の孫になります。頌くんの所に、四人目が生まれます(三月十四日に無事に生まれました)新城教会はベビーブームですね。しかしその背後には、苦しみ、痛み、うめきがあるわけです。

詩篇の記者も、うめきと共に神の前で真剣に祈っています。聖書の登場人物たちも、すんなり人生が進んだのではなくて、多くの人に深いうめきがありました。しかし、そこから新しいものが生み出されたというのが、聖書の記録です。
ご存知のように、ヨブは本当に苦しみました。私もいろいろと苦労していますが、ヨブと比べたらまだましです。ヨブは子どもたち全員を失い、財産も全て失いました。その上、自分も重病にかかり、友達からも責められて、ある意味、神からも無視されたような状況に陥りました。そんな中で、彼はこう語っています。
ヨブ記三章二十四節、

『まことに、食物の代わりに嘆きが私に来て、私のうめきは水のようにあふれ出る。』

これは三章ですが、読み進んで二十三章。かなり時間が経っています。

『今日もまた、私の嘆きは激しく、自分のうめきのゆえに私の手は重い。』

彼は深いうめきと苦しみの中で、長く時を過ごしたことが分かります。しかし最終的には、神が彼に現れて、失ったものの二倍を祝福として回復して下さったのです。

また旧約聖書にハンナという女性が出てきます。
エルカナは二人の妻を持っていました。それがハンナとペニンナでした。当時は子孫を残すことが最大の使命でした。エルカナは先にハンナと結婚したのでしょうが、子どもが産まれませんでした。そこで、子孫を残すために、ペニンナという女性とも結婚したのです。しかしこの女はひどい女でした。ハンナをこっぴどくいじめたのです。それも、年に一度、神の宮に詣でる旅の中でいじめたのです。シロという場所に上って、主を礼拝する最も厳粛で大切な期間に、ペニンナは、いつもハンナをいじめて苦しめていたのです。ペニンナは、悪魔的な女でした。
それでハンナは、主の前に出て真剣に祈りました。祈ると言っても、声にもならないうめきでした。
サムエル記第一 一章十三〜十五節、

『ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んでおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。』

大きな苦しみに直面すると、何を祈っていいのか分からなくなります。そのようなことは、誰でも、一度や二度はあったと思います。私は、どれだけ体験したか分かりません。
私の家内ですが、一月十六日に、この場所で証しをさせていただきましたように、本当に多くのハードルをのり越えて、二年半ほど生かされてきました。昨年の九月八日に手術をしましたので、半年くらい経っています。しかし未だに、術後の胆管炎に苦しめられています。胆管を切って腸につないでいるので、そのつなぎ目が狭窄して、熱が出たり、結構大変です。本来は手術が終わったので、S1という抗がん剤を、六ヶ月間服用しないと、再発の危険性が高いと言われます。しかし家内は胆管炎のために、それを飲めていません。

三月三日のことでした。術後の様子をCTで確認しましょうということになりました。再発などないかを確認する為でした。その日、血液検査もあって、CTも造影剤を入れての、より詳しい半年ぶりの検査でした。ちょっと緊張しました。
一般的にCTの結果が出るのには一週間ぐらいかかります。放射線科が画像を解読します。再発、転移がないかどうか、真剣に画像を読んでレポートします。
しかしその日は「撮影直後に診察します。その時に画像も見ますから。」と、いつも担当してくれている先生が言いました。
それでCTを撮ってから、診察室の方に行きましたら、若い医者が出て来て、「今日、いつもの先生は、体調不良で来れなくなりました。代わりに私が診察します。」と言いました。しかし前置きとして、「これは正式な診断ではありませんから、一週間後、もう一度来てくれますか。」と言いました。
すると、ちょっと彼の顔が曇って、「血液の値も悪いですね。腫瘍マーカーも結構上がってます。」と言い、さらにCT画像を見て、「リンパが腫れているように見えますね、、」と言うのです。「もしかして、それは再発とか、転移とも考えられるんですか?」と聞くと、「うーん、私からははっきりしたことは言えませんけれど、一般的に言えば、そのような可能性が高いです・・。」みたいな感じでした。
二年半前にも余命三ヶ月、四ヶ月という宣告を聞きましたから、少しは慣れているところもあるのですが、それを聞いて愕然としました。
今まで一生懸命治療して、祈っていただいて、証しまでして、「今年は主の復讐の年だ!」と言っていたのに、これじゃあ、今年は悪魔の逆襲の年じゃないか・・と、たいへん落ち込みました。また、家内になんと声をかけたらいいのか分かりませんでした。「来週来てください。」ということでした。
次週に聞かされるであろう、専門的に画像を解析する人たちのレポートは、相当悪い報告だろうと覚悟しました。まず良い結果は無理だろうと思いました。二年半前は、「よし!これから祈るぞ!天は開いてる!」みたいなところもあったのですが、その日は、天にも見放された気分になって、祈る気力もなくなりました。また、何を祈っていいのか分からなくなりました。
そういう経験はありませんか。祈ろうと思っても、出てくるのはため息と、うめきばかりでした。

実は、私の所に毎日、LINEでキリスト教関係のメッセージ動画を送って下さる人がいます。だいたい一日に十本から、多い日は二十本近く送られてきます。「順先生。これを見てください。」と送ってこられます。感謝です。そこからいろいろな情報をいただくことができます。
その日も、多くのリンクが送られていました。見る力もない感じでした。でも、ちょっとだけ、のぞいて見ました。
そうしたら、その中に、「舌足らずの祈り」というメッセージが入っていました。
何だろうか・・と、開いてみました。短いメッセージでした。しかしそれを聞いて、私は結構、勇気づけられ、慰めを受けました。
皆さんにも聞いていただきたいと思います。追い込まれると、「主よー!」とか、祈れなくなります。祈っても、通り一遍のことしか出てこなくて、この祈りが果たして天に届くのかな?と思います。
今まで祈ってきたのに、こんな結果ならば、無理かな?みたいになる時がありますよね。
ちょっとお聞きになっていただきたいと思います。

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神よ。どう祈るべきか分からない時の御霊の助けを感謝します。

“同じように御霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。”ローマ人への手紙 八章二十六節