〜2022年〜「それは主の復讐の年」
〜伝道礼拝〜人生は出会いで決まる!

宇宙だってすごいです。私たちは銀河宇宙に住んでいるのですが、銀河宇宙みたいな星雲が全宇宙には2兆個以上あるそうです。

太陽系は宇宙全体から見れば、本当にちっぽけです。太陽系は太陽を中心として惑星が回っていて、地球は太陽から三番目の惑星として位置します。このような宇宙がなんと二兆個以上あると言うのですから驚きです。それが衝突しないで運行しているのは知的存在が介入していなかったら、ありえない事です。

 特に地球は、人間を中心にして、人間に扱いやすいように造られていると言われます。すべては人間のために存在しているのです。冬になって、みかんを食べるだけで、神さまは絶対にいるな!と私は思います。どうでしょうか。みかんの皮を剥けば「はい、どうぞ。お食べ。」といわんばかりの形に、ご丁寧にカットされています。皮を剥くと、ジュースがどっと出るのではなくて、またご丁寧に、細長い細胞の中にジュースが封印されています。子どもでも食べられるように上手く出来ていて、一口サイズにカットしてあります。誰がカットしたのか、説明できますか。
進化論ならばどうでしょう。私がみかんだったら、絶対に人に食べられないように、皮を金属のように固くして進化させます。私がバナナだったら、簡単に剥けるようには絶対に進化しません。中身を完璧に防御するはずです。しかし地球上のものは、人間に利用されやすいように造られているわけです。一般的には「自然」と言いますが、私たちは「被造物」と呼びます。被造物世界さえ見れば、神の存在が分かるでしょう、と聖書は主張しています。この創造者なる神と出会うことが、人生で最も重要なテーマです。

人間を創造し宇宙を造り、それを支配している創造主なる神と出会ったら、人生は間違いなく良い方向に展開していくはずです。
ゆえに「あなたの若い日に、あなたの創造者とお会いしなさい。覚えなさい。」と聖書は告げています。「わざわいの日が来ないうちに、また何の喜びもないという年月が近づく前に。」と告げています。

人生は本当に早いです。あっという間に過ぎていきますが、神を一番必要とするのは、「わざわいの日が来ないうちに」とありますけれど、人生には、自分の力とか、周りの力を借りても乗り越えることができない大変な時期があります。その時、人は必ず神のことを思います。
誰が本物の神かは分からなくても、何しろ、自動的に「祈り」が、内側からふつふつと沸き上がってくるものです。「今まで祈ったことがない。」という人はいないはずです。「困った時の神頼み」と言いますか、必ず祈りが自動的に出てくるものです。
それは、祈りを受け取ってくださる本物の神さまがおられる証拠です。本物の神を特定できていない為に、人は様々な神々に目を向けます。日本は八百万の神々なんて言いますから、誰が神なのか全然、分かりません。
しかし聖書ははっきりと告げています。神はただひとり。それは創造主なる神だけだ。その方がご自分の座を捨てて、人となって現れて下さいました。それがイエスさまです。

十二月になると、クリスマスが来ます。クリスマスはイエスさまの誕生を記念する日です。それは世界中で祝われています。二千年の歴史を振り返る時、イエスさまがただの人とは違い、神が人となって地上に現れてくださった方である事がわかります。
アメリカに行ったことがなくても、ブラジルに行ったことがなくても、韓国に行ったことがなくても、その国から来た人から様子を聞けば、その国がどんな国かが分かります。
海外に行けなくなっていますけれど、今年くらいはどうでしょうか。なかなかコロナが収まらないので、海外に行くのが難しいです。でももうすぐ、解禁になると思います。
現在、コロナ関係で最も規制が厳しいのは日本らしいです。日本はスイッチが入るまでには時間がかかるのですが、入ってしまうと抜け出せない国民です。
皆さん、マスクをしてくださっていますけれど、マスクをしている国民は日本人くらいらしいです。アメリカに行っても、ヨーロッパに行っても、マスクをしている人は少なくて、先日もアメリカから帰った人に聞いたら、「レストランに行ったら、全員マスクしていなかった。自分だけしていて、周りから『マスク取れ』って言われた。」そうです。日本とはかなり違いますよね。海外に行った人から、いろんな話を聞けば、その国がどういう国かが分かります。

同じように、神の国から地上に来てくださった方から話を聞けば、本物の神はどういう方か分かります。どういう目的で私たちを造ったのかも分かるはずです。毎週礼拝に出ていると、知らないうちに、神さまが近づいて来てくださり、私たちの心の中に神の国が形づくられます。そうすると、様々な試練があったとしても、天地宇宙を造り、私たちを造ってくださった神さまが共におられますから、乗り越えることができるのです。

「舟の右側」という雑誌に、私と家内のインタビュー記事が掲載されます。先々週、編集長の谷口さんが来られて、私の家内が病になって三年が経ちますが、初めは三ヶ月、四ヶ月の命という、死の宣告がされたのですが、何があったのかのインタビューがありました。現在そのインタビュー記事は校正段階です。たぶん九月号に掲載されると思いますので、是非とも読んでいただきたいと思います。記事の三分の二ぐらいは家内が話しています。
振り返れば筆舌に尽くせないと言うか、本当に大変だったなぁと思うのですが、文章になってみると、本当に感謝です。イエスさまがいなかったら、家内は地上にはいないだろうし、私だってどうなっていたか分かりません。息子だって、娘だって、今頃どうなったのかと思います。創造主なる神がイエスさまだと特定していたから、ここまで乗り切ることができたのです。

インタビューの中にもありますが、家内の病が発覚したのが、二〇一九年十月二十五日の夕方でした。即、入院してしまいました。このままだと命も危ないと言われました。私はすぐに息子と娘を呼び寄せました。一大事です。感謝なことは、皆、同じ神さまを知っていますから、すぐに来てくれました。家内は入院していましたけれど、あの頃はコロナがなかったので、医者に「四時間だけ時間をくれますか?教会でお祈りしたいです。」と言って、四時間外出許可をもらって、家内を連れ出して、この教会に来ました。そしてこの十字架の前にひれ伏して祈りました。イエスさまは十字架の死によって、死の力を打ち滅ぼしてくださいましたから、十字架は勝利のシンボルです。ここに一家四人が集まって、真剣に祈りました。イエスさま、父なる神さま、聖霊さま、三位一体なる神に、涙を流して叫んで祈りました。そこから戦いが始まりました。

そのことについて以前にも語らせていただきましたが、私は祈っている時に、ヒゼキヤ王様が癌であることが分かって、涙を流して真剣に祈った記事を思い出しました。神はヒゼキヤに「あなたの涙を見た。」と語り、寿命を十五年付け加えられた記事です。私は、「困難であるけれど、涙を流して祈る祈りに、絶対に答えてくださる!」と期待と信仰を持ちました。
家内には「将来と希望」という言葉が語られたそうです。将来も希望もあったものじゃないただ中で、それはないだろうという言葉が心に響いてきたのです。
息子には、「死ぬのではなく生きる!」と主が言われたそうです。死の宣告がなされたのに、「生きる」と主は言われたのです。
娘が祈っていると、彼女は突然立ちあがって、やがて私、滝元順がこの場所で、「享子が癒やされたと、皆の前で証しする日が来ます!」と、天から何かが降りてきたんじゃないかという鋭さで叫びました。私はその光景を見ながら、「それはないだろう・・・。」と思う一方、神が語られているように感じました。

そして三年後の今日、私は家内のことを、同じ場所で皆さんに証しています。また「舟の右側」にも取り上げていただいて、多くの方に知っていただけるのは、まさに、あの日、この場所で祈った祈りに、我らの神が答えてくださった証し以外の、なにものでもありません。

この体験は、私が牧師という職業だからとか、牧師の息子に生まれたからとか、そういうのは全く関係なく、ただ一人の人間として、創造者との出会いそのものでした。私は若い日に創造主なる神さま、イエスさまを知っていて良かったと、強く感じ、感謝しています。

『主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。』
これは死んでからでは遅いということです。神が近くにおられるのは、この地上です。なぜなら神は地上を人の住処として、神との交わりの場所として創られたからです。神は人類に関心を持っておられます。ですから、『主を求めよ、お会いできる間に。』というのは、「この地球に住んでいる間に出会ってください。」という意味です。やがて人は、この地球から出て行かなければならないです。そうなると、神と出会うチャンスがなくなるのです。
チャンスは一度。生きている間に、是非ともイエスさまと出会ってください!

『神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。』(コリント人への手紙 第二 六章二節)

このことばは真実です。
私たちが救いを求める時、答えてくださいます。それを実体験した男が、皆さんの前に立っています。またこの教会の多くの方々が、現実的に体験されました。
今、様々な問題で苦しんでおられたら、真剣に主を求めてください。人生は出会いで決まります。創造主なる神と出会えるか否かで決まります。チャンスを活かして下さい!
人には自由意思がありますから、どの神を選ぶもよしです。しかし真の神を特定することが最も重要です。それは誰か。イエス・キリストです。

キリスト教の祈りは、本当に簡単です。初めに、「イエスさま!」と呼びかけて、あとは自分の言いたいことを言って、最後に「アーメン!」と締めればいいです。簡単ですね。
誰の名前を呼ぶかです。「イエスさま!」と呼んだら、天地宇宙を造られた神さまが振り向いてくださいます。「アーメン」とは「その通りです。間違いありません。」という結びの言葉です、

今から皆さんのためにお祈りをさせていただきたいと思います。一緒に声に出して祈って下さい。

イエスさま。あなたは私の造り主です。神として、受け信じ入れます。私の所に来てください。私の願いを叶えてください。あなたが本物の神であることを私に示してください。イエスさまに期待します。アーメン。

次に私が祈らせていただきます。

父なる神さま、感謝します。今日はこうして素晴らしい礼拝を持つことができて、心から感謝します。ここにおられる全ての方があなたを救い主として受け入れ、歩むことができますように。明日よりも今日は若い日です。創造者を認め、祈りをささげます。切なる祈りに答えてください。
今週は、大きな祝福と、奇跡を見る週となりますように。尊いイエスさまのみ名によって、祈りをおささげいたします。アーメン。

私たちの救い主イエスさまに、大きな拍手をいたしましょう。