〜2022年〜「それは主の復讐の年」
〜伝道礼拝〜人生は出会いで決まる!

2022年8月14日(日)新城教会主任牧師 滝元順

伝道者の書 12章1節
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!そしてアロハ!
昨日のサンセット・アロハの余韻で出てきておりますが、昨日は、本当に素晴らしい集りとなりました。コンサートも素晴らしかったですし、またいくつも出店がありました。そこでは新城教会の兄弟姉妹の実力のほどを見させていただきました。どれもこれも本当に美味しく楽しませていただきました。

今日は八月十四日、明日は十五日ということで、休み期間に入っています。この季節は「盆」行事と重なっていて、また明日は「終戦記念日」です。いずれも「死」を思い浮かべる重苦しい週でもあります。イエスさまは十字架にかかって死なれ、よみがえられたお方です。私たちはその意識を持って歩んでいきたいと願います。
この期間は帰省も関わっています。今日は故郷に帰省された方もおられると思います。息子も約一年ぶりに、今回のコンサートの為に帰って来ました。やっと帰って来たか、みたいなところがあります。
こんな川柳がありました。「いらっしゃい。孫を迎えて去る、諭吉。」おじいちゃんおばあちゃんは結構、経済的に大変ではないかと思います。「メモ帳のしまい場所にもメモがいる。」というのもありましたが、私も悲しい事に昔は三つ、四つ、同時にできたのに、今では三つ、四つやったら、二つぐらいは抜けています。歳を取るのは本当に寂しいです。

今日読んでいただきました箇所は、『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。』という、有名な言葉です。
「若い内に、あなたの創造者を特定しなさい、創造者と会いなさい。」という勧めです。
私は先々週で、七十一歳になりました。ずいぶん歳を取ったものですが、人は明日よりも今日のほうが若いです。一日も早く、創造主と出会うことが幸せの秘訣です。
聖書には、他にも、こんなことばがあります。

『主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。』(イザヤ書五十五章六節)

天地宇宙を造られた神は、きめ細かいお方です。どんな人にも、必ず、近づいてくださるのです。クリスチャンとか、クリスチャンではないとかに関わらずに、天地宇宙を造られた神はあなたを造られましたから、誰の人生にも近づいてくださる時があります。「そのチャンスを生かしてお会いしなさい、出会いなさい」と聖書は勧めています。
今日はまさに、創造主なる神との出会いの時です。

また、こんなことばもあります。

『神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。』(コリント人への手紙 第二 六章二節)

「今日が恵みの時、救いの日」です。初めて教会に来られた方、最近教会に来られるようになった方のために、今朝はお話しさせていただきたいと思います。

「人生は出会いで決まる!」という言葉は、聖書の言葉ではなくて、マルチン・ブーバーという、ユダヤ人宗教哲学者の語った有名な言葉です。
考えてみれば、人生は、誰と出会うのか、また、チャンスを掴むか逃すのかで、大きく方向性が変わります。
今週は土曜日に結婚式がありますね。楽しみです。この頃結婚式が少しずつ多くなって嬉しいです。さんとくんとまさよさんはどこで出会ったのかと聞いたら、学校で出会ったと言っていました。
先日、雅也先生がメッセージの中で、人は一生涯で大体三万人の人と出会うと語っていました。私も調べてみたのですが、私たちは一生の間で三万人ぐらいの人たちと出会って、話をするというのです。私みたいな職業だと、もっと多くの人たちと話すのかもしれません。学校とか、職場での出会いがやはり多いらしいです。三千人くらいと出会って話をするというのです。
しかし親しく話すことができる人数はそんなに多くはなく、三百人くらいだそうです。けれどもそのグループの中に、一生を共にするような大切な出会いも含まれるわけです。
でも、「この人と出会ってしまったから、たいへんな人生になった…。」というような、悪い出会いも含まれますから困ります。「プロポーズ、あの日に戻って断りたい。」という川柳もありましたが、「あの人と出会ったもんだから、人生は最悪だ。」という出会いもあるわけです。しかし良い出会いがあれば、人生は確実に幸せに向かっていきます。

今回は、私の息子がメンバーを引き連れてきてくれました。
演奏、結構よかったでしょ。ベースとウクレレ。ウクレレはこんなに小さな楽器で、よくもあれだけできるものだと感心しました。ウクレレって、持っているだけで良い人に見えると聞いたことがあります。音もコロンという感じで、ウクレレを持っているといいおじさんに見えるらしいです。これから私もウクレレを持って歩こうかなと思うのですが、心を和ます音色の楽器です。
昨晩は、DJも加わって、新城でDJは初めてじゃないかみたいな、適当なことを話していましたが、たいへんユニークな編成でした。今回は息子がパフォーマンスをして、私がメッセージを語るということで、少し嬉しかったです。
昨日もお話ししたので すが、息子がベーシストになったのも、偶然が偶然を呼んだような形でベーシストになりました。

実は今から三十数年前、この教会に一人の高校生が来ていました。彼は勉強よりもベースやギターを弾くことが大好きでした。少年は暇さえあれば練習していました。結構器用な人でした。でもそんな事ばっかりやっていると、やはり本業の勉強ができなくなります。彼の成績は、クラス四十人中、最下位でした。最下位と言っても、ただの最下位ではなくて、ほとんど全てのテストは零点でした。やる気は全くなし。ある時はテストに名前を書き忘れて、マイナス十点!なんていう点もつけられて、そうなると学校も黙っていなくて、呼び出されて、「やる気がないなら、君には学校を辞めてもらうよ。」と退学を通知されました。それでショックを受けたみたいです。「ちょっと待ってください!」と学校と交渉をして、「次のテストで点数が取れたら考えてあげる。」という事でした。
彼は私の所に相談に来ました。「どうしたらいいのか。祈って下さい。」と言いました。しかしそういうのは祈っても駄目です。やはり自分で勉強しなかったら駄目ですよね。学生の皆さん、勉強してお祈りくださいね。そうしたら良い結果になります。勉強しないでお祈りしたら、それなりの結果です。
三十数年前の私は、今のように物忘れはなくて、案外勉強したことを覚えていました。だから彼に言いました。「毎日、我が家に来なさい。勉強を教えてあげるから。家庭教師になってあげる!」と言って、彼のために家庭教師を買って出ました。家内がお茶出したり、お菓子を出したりして、彼も喜んで毎日我が家に来て勉強しました。
そうしたら、やはり一つに集中する性格の子たちは、方向性が変われば力を発揮するものです。彼はベースを横に置いて、勉強に専念して、どんどん成績が上がっていきました。なんと半年後には、クラス四十人中、ビリだったのが、一番になったのです。すごい。先生もびっくり。奇跡だと言っていました。彼も喜びました。勉強に開眼したということです。大器晩成型と言うのでしょうか。

そうしたら彼は、私の息子の誕生日に、大きな誕生プレゼントを持ってきたのです。何を持って来たかと言ったら、ベースギターを持ってきました。おもちゃではなくて、本物のベースギターをプレゼントしてくれました。当時の息子は、小学校の低学年。ベースギターと普通のギターの区別もできませんでした。こんなものをもらっちゃって、どうするの?みたいな感じでした。私は嬉しかったですが、厄介なものを貰ったなと、ただ飾っておくわけにもいかないし、誰かにベースを教えてもらうとしても、彼に教えてもらうとまた元に戻っちゃうので、彼には頼めません。
そこで誰に頼んだのかと言うと、先ほどここで歌っていた滝元開、私の弟ですが、彼は当時、グロリアシンガーズでベースを弾いていましたので、彼に頼みました。「堅志がベースをもらったので、教えてやってくれ?金払うから。」と言って、月謝五百円で頼みました。彼はレッスンに行きましたが、一回で「もうやめる!おもしろくない!」と言って帰ってきました。「弦が四本しかないから、六本の方をやりたい!」とか言っていました。全くやる気がありませんでした。でも「もう少し頑張ってみろ。」と励ましたら、少しずつベースが好きになりました。その頃の写真がありました。彼に怒られるかもしれませんが、これです。
 これは二台目のベースです。もっとショートスケールの物をもらいました。徐々にベースが好きになりました。その頃、勉強はよくできたのですが、ベースにハマり始めたら、やはり少年と同じコースになり始めました。
最初に演奏したのが、福井県の海岸沿いの三国という場所にある教会でした。
一曲だけベースデビューしました。でも、それがきっかけとなって、中学生になったらもっと練習するようになりました。本当に出会いは人を変えます。

その頃、私たちは「ミクタム」という働きを、小坂忠さんたちと一緒に行っていたのですが、そこに中村裕二さんという、「スクエア」という有名なバンドのベーシストの方が来られました。彼はクリスチャンで、私の息子にベースを教えてくれたのです。甲子園ミッションの音楽監督を中村裕二さんが担当したのですが、なんと、息子は甲子園ミッションの賛美チームのベーシストに抜擢されたのです。よくぞ選んでくれたと思います。
その後、ロン・ブラウンさんにも出会って成長し、ついにはベーシストが彼の職業となりました。
こうやって振り返ると、絶妙なタイミングがあったというか、かつて少年に勉強を教えて良かったと思います。あの時、毎日、毎日、少年の家庭教師をしましたが、彼のためだけではなくて、私の息子の将来のためでもありました。主に感謝します。神さまは、いろんな場面でチャンスを与えてくださいます。チャンスは、誰でも同じように、機会均等で訪れます。しかしチャンスを掴めるのか、否かは、創造主なる神を知っているか否かにかかっています。

日本人には、目に見えない世界に関しての理解があります。今週は盆ですが、それは先祖の霊が地獄にいるという前提での行事です。年間一度、地獄の蓋が開いて、先祖が三日間家に帰ってくると信じています。だから迎え火を焚くわけです。暗闇の世界に対する理解はあるのです。しかしながら、天地宇宙を造られた創造主となると、全く理解がないのが日本人です。

現代は創造主なる神がいないとは言えなくなりました。なぜならば、人間は進化した存在ではなくて、誰かによって設計された存在であることが分かったからです。どうしてかと言うと、人を形造る為の設計図「DNA」があって、DNAの集合体である「遺伝子情報」があることが分かったからです。情報とは、知的存在が関わらない限りありえません。
この会堂も、完成して四十二年が経ちました。よく出来ているでしょう。今でも「新会堂」と呼んでいます。当時、新城教会に「建築委員会」がありまして、日本の様々な教会、また、韓国にまで行って、いろいろな教会を視察しました。韓国はその頃、リバイバルで、すごい教会が多くありました。韓国の教会建築コンクールで、全国一位になった教会に行って、色々と学びました。その結果、このような形の設計ができ上がりました。
設計図はただの紙っぺらです。設計図だけでは、何も具現化していません。しかし設計図が建築業者に手渡されると、紙に描かれた平面が、現実の世界に現れるのです。この教会の設計図は、知的な存在、建築委員会が考えて実現しました。
 同様に、神さまも人間を創造する前に、設計図をひいたわけです。A・G・C・Tという頭文字の、たった四つの塩基を何十億も組み合わせて、人が地上に発生するように計画されたわけです。
ということは、今の時代、無神論は完全に否定されるのです。「神」という言葉を使うのが嫌な人ならば、人間以上の、人間を創造するぐらいの知的存在がこの宇宙には存在するということです。