〜2022年〜「それは主の復讐の年」
「主よ。もう一度、栄光を現して下さい!」

2022年10月23日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヨハネの福音書  12章27節~28節

『今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」』

ハレルヤ!おはようございます。子どもたちの賛美、すごかったですね。普通にうまかったですよね、ドラムなんか結構うまかったと思うのですが…。孫です。子どもたち、よく練習しました。新城教会の次の世代の賛美チームがすでに生まれています。心から感謝します。

今日、皆さんと共に学びたい聖書の箇所は、ヨハネの福音書十二章のことばです。この箇所は、今の私の心境そのものです。
皆さんにお祈りをお願いしたいことがあります。いつも私の家内のために、また、私のためにお祈りしていただいて、本当に感謝しています。
先日も「舟の右側」で紹介されましたように、家内は大変良くなりまして、八月の検査では「全く問題ない」と言われたのですが、九月から突然、体調を壊しまして、食欲もなくなって入院しました。是非とも祈っていただきたいと思います。
私たち、この十一月で結婚四十七年目に入ります。よくぞ長いことやってきたものだと思うのですが、結婚式の時、「健康な時も、病める時も、どんな時も愛していきます。節操を守ります。」と誓いましたが、何気なく誓うわけですが、その中身は、なかなか重たいものがあります。
家内は三年前、三ヶ月、四ヶ月の命と宣告されたのですが、主の奇跡のみわざで、今まで生かしてくださいました。しかしながら、この場に及んで、少し混乱気味で過ごしています。
しかしそんなただ中で、皆さんに紹介したいみことばが与えられました。

イエスさまも十字架を前にして、大変、心が乱れたようです。

『今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。』

人になられた神、イエスさまが、父なる神さまに助けを求めています。しかし、イエスさまは気を取り直して、「この時のために地上に来たのではないか。」と、ご自分を鼓舞しておられます。そして『父よ。御名の栄光を現してください。』と、大きな葛藤の中でイエスさまは父なる神さまに叫んでおられます。
その時、天から声が聞こえたのです。どんな声が聞こえたかと言うと、『わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。』
父なる神がイエスさまに語られたのです。

先週、私はこのみことばをいただき、大きな励ましを受けました。ご存じのように、主は家内の上に、すでに大きな栄光を現してくださいました。三ヶ月、四ヶ月の命と言われた家内が、三年間、奇跡的な方法で生かされてきたからです。
しかしこの場に及んで、また悪くなって、どうしようかという時に、「もう一度栄光を現す。」と、「二度目の栄光を現す」と約束して下さったと信じました。それで私は、あきらめずに立ち向かって行く決断をしたところです。
是非とも、皆さまのお祈りをよろしくお願い致します。一度は栄光を現してくださったことは、まぎれもない事実です。その事については、三年間、ご報告し続けています。主は新城教会に栄光を現しくださいました。
しかし今回、もう一度、主は栄光を現してくださると信じます。もう一度、主の栄光を見ようではありませんか!信じてくださいますか?アーメン!

その為にはさらなる祈りが必要です。今までも祈ってきたのですが、さらに真剣に祈る必要があります。私は絶対に引き下がりたくありません。何が何でも、最後まで戦い抜いてやろう!と、決心しています。このようなことが起こると、「は〜、もう駄目だ〜」と諦めがちです。しかし、この時こそが踏ん張り時で、この時こそ戦う時です。その時、主は大勝利を与えてくださると信じています。

さて、私は家内となぜ、結婚したのか?皆さん知っていますか?知るわけないですよね。ただ単に、私が家内を好きになったからです。こんな機会ですので、今日は、その時の秘話を話そうかと思っています。
聞きたいですか?この頃、結婚式も多いですから、少しくらい参考になるかと思いますので、少し暴露しようかみたいなところがあります。
私の家内は、新城市の原住民です。新城市の土で捕れた者です。新城市で生まれて、この町でずっと暮らしています。彼女は高校生の時に新城教会に来てクリスチャンになりました。高校時代、カトリック系の高校に通っていて、家にいろいろ問題があって、悩んで、新城教会がカトリック教会だと思って来たらしいのです。
私、その時のことを覚えていますが、私は大学生でした。彼女が来た時、なんかピンとくるものがありました。当時、青年会で夏に、軽井沢に出かけていました。なぜならば、私の父と田中先生が軽井沢でリバイバルクルセードを開催していたからです。軽井沢と言ったら、当時、五十年近く前は憧れの場所でした。そこで行われる集会を応援に行くという名目で、青年たちが行きました。
ある年、享子も、当時、大学生だったでしょうか。一緒に軽井沢に行きました。その時、いろいろ話しをして、少し親しくなりました。いい子だなぁと思い、そこから交わりが始まりました。
ある時、私は意を決して、結婚を前提に付き合ってくれるように話してみようと思いました。よくお祈りをし準備してから、話してみました。きっとオッケーしてくれるだろうと思っていたら、彼女は暗い顔になって、「それはできません。」と言いました。
振られたことがある人、スイッチオン!本当にがっかりしました。
なぜかと聞いたら、家内は二人姉妹の長女です。実家は、当時、新城市で種苗会社を経営していて、手広くやっていました。それで父親は、彼女が小さい頃から会社の跡継ぎにしようと決めていて、育てたらしいのです。「教会の息子なんかと、絶対に結婚できないし、ましてや、外に嫁に出るなんてできません。」という事でした。「そこをなんとか!」と言ったのですが、「あなたとは性格も合わないと思うよ。」と言われてしまいました。そこまで言われたら、もう駄目だなという感じでした。悲しかったです。
そういう時、すぐに引き下がるのではなく、とことん戦ってみる選択肢もあります。あなたはどちらのタイプですか?私は、とことん戦ってみよう!と決心しました。
どうやって戦うのか?本人は嫌がっているわけですから、追えば追うほど逃げていきます。若い女の子って、追えば逃げますし、放っておけばどこかに消えてしまいます。難しいところです。こうなったら、祈りしかありません。当時の私は、一日三回は祈っていました。その祈りは、食前の短い祈りです。けれども、振られたことによって、本気で、祈ってみよう!と決意しました。

祈り始めたある夜、私は初めて耳元で誰かが囁く、不思議な声を聞きました。当時使っていた聖書は、口語訳聖書でしたが、「ルカ伝の十一章を読んでみろ。」と、誰かが私に語りかけました。
それで私はルカの福音書十一章を開いて読んでみました。そうしたら、「天にまします我らの父よ。御名があがめられますように…。」という、主の祈りが書かれていました。「なんだ、空耳か・・。」と思いました。
でもずっと読んでいくと、夜中に友達が家に来て、腹を減らしていたので、家の主人はお隣の友達の家に行って、「ちょっとパンを三つ貸してくれないか?旅先から友達が来たけど、出すものがないんだ。ぜひ貸してくれ。」と頼んだのです。
するとお隣さんは、「何を言うんだ?この真夜中に。私も子どもたちもすでに寝ている。貸すことはできない。明日来い!」みたいな感じでした。
イエスさまはそんな例えを語られて、次のように語られました。
ルカの福音書十一章八〜十節、

『あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、捜す者は見出し、たたく者には開かれます。』

ルカ11章は、祈りについて教えている箇所です。ここで、『友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。』と約束それています。
そして、『だれでも』、『だれであっても』と書かれています。例外はない、ということは、私も含まれるはずだと思いました。私がしつこく、しつこく、享子ちゃんにつきまとったら、どんどん逃げて、世界の果てにまで逃げると思うのですが、神さまにしつこく、しつこく、祈ったら、誰であっても祈りは聞かれると思いました。引き下がるのも手だけれど、試しに、しつこく祈ってみよう!と、私は決断しました。

それで祈り始めました。しつこく祈ると言っても、どうやって祈っていいのかと思いました。部屋で、「享子ちゃんを与えてください!」と祈っても、一言、二言で終わってしまうわけです。これでは駄目だなと思って、「どう祈ったらいいですか」と祈ったら、今から五十年近く前の事ですよ。「家の前に行って祈ってみなさい。」と言われたような気がしました。なんかストーカーみたいですが、ただ、家の近くに行って祈るだけです。家内の実家は、すごく広い会社の駐車場があって誰が入っても分かりませんでした。私は夜になるとその駐車場に行って、「主よ!どうか享子ちゃんを与えてください!」と、祈るようになりました。そしてその後、近くに豊川の河川敷があるので、そこに行って真剣にしつこく祈るのを習慣にしました。享子がいなかったら、私は今でも祈らない者だったかもしれません。そのことを通して、しつこく、求めて、探して、叩いて祈ることを覚えました。
これだけ祈ったから、きっと神は私の祈りを聞いて、彼女の心を変えてくれたに違いない!と思いました。

それでもう一度、彼女に連絡を取って、「ちょっと話したいことがあるんだけど・・。」と言いました。雰囲気が悪かったので、大体分かったのですが、「もう一回お願いがあるのだけど、僕と結婚を前提にして、付き合ってくれない?」と聞くと、彼女は前回よりもさらに毅然な態度で、「私は以前話した時と、心は何も変わっていません。」と、ガツンと言われてしまいました。その時はさすがにショックでした。あれほど祈ったのに、どうして?と、希望を失いました。何ヶ月も祈って準備して、それで行ったのに、何も変わっていない。その現実にがっかりしました。
皆さんも、そういうことがあるのではないでしょうか。
その夜は本当にがっかりして、もう一度、河川敷に行って祈りました。そして聖書を開きました。

今日は皆さん、私の話をよく聞いてくださっていますね。家内が病気にならなかったら、こういう話しは絶対に封印されていたはずですが、話すハメになってしまいました。

その頃、私は聖書知識はあまりなくて、今、学んでいるような前後関係とか、コンテキストとか、時代的背景なんて全く考えても見ませんでした。ただそこに書かれている言葉を、自分に適用するような、結構、危険な聖書解釈者でした。
「一生懸命祈ったけど、どうにもなりませんでした。」と、イエスさまに文句を言いながら、車中の室内灯で聖書を開いた時、ハバクク書の二章が出てきました。特に、ハバクク書二章三節、

『この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。』

というみことばが、光のように目に突き刺さってきました。特に『遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。』という部分が心に来ました。しかし一方では、「これからも待てって言うの・・・」と思いました。
断られた後に、このみことばをもらいました。そんな日が本当に来るのかなあ・・と思いました。