〜2022年〜「それは主の復讐の年」
「主よ。もう一度、栄光を現して下さい!」

それからも、祈ってはいましたけれど、少しずつテンションが下がってきました。やはり、恋は病ですね。病が癒やされてくると、その人に対する思いもだんだん薄れるのです。「馬鹿だったな、なぜ、あんなに真剣に祈ったのか?」みたいになりました。そして、月日は過ぎていきました。

しかし、時が来たのです。一九七五年の夏の日でした。私は午後二時くらいに家に帰りました。そうしたら母親が血相を変えて、「順ちゃん、順ちゃん!ちょっとあんたに頼みたいことがある。」と言うのです。「なに?」と聞くと、「今泉享子さん知っているでしょ?あの人の家で今、何かたいへんな騒動が起こっているらしくて、来て、助けて欲しいという電話が教会にあったらしいしのだけれど、行く人がいない。だから、あんたちょっと行って、様子を見てきてちょうだい?」と言うわけです。彼女一人と会うことは嬉しいですが、お家騒動の中に入って覗いて来いとは、それは嫌だと思いました。たぶん母は、「順は享子ちゃんが好きだから、行くだろう」と思ったのかも知れません。
そう頼まれて、私は行きたくなかったけれど、ちょっと電話してみました。あの家、電話しにくいのです。なぜなら、会社をやっていて、電話に出るのは必ず。従業員だからです。取り次いでもらわなければなりません。会社の電話番号と家の電話番号が同じという、昔よくあったパターンでした。しかし勇気を出して電話をしてみました。「享子さんと話をしたいのですが…。」と言ったら、「享子さんですか。今、お父さんの調子が悪くて、病院に連れて行って帰ってきていません。」と答えました。今なら絶対に出てこない個人情報です。五十年前はオープンでした。
それで私は従業員の方に「どこの病院に連れて行ったのですか?」と聞いたら、「豊橋の○○病院に連れて行きました。」と、そこまで情報をくれました。
私はそれを聞いて、ちょっとほっとしました。家ですごいことが起こっていて、そこに飛び込んでいくかと思ったけれど、病院に行っていると聞いて、ほっとしました。
でもその時、なんとなく、病院にまで行ってみようという気持ちになりました。やはり長いこと家の前で祈っていたせいもあるのでしょうか。すでに午後の三時頃でしたが、病院にまで行ってみました。着いたら、四時近くになっていました。
病院の待合室は電気が消えていて、誰もいないようでした。外来の診察は終わっている様子でした。でも、せっかく来たから、病院の中に入りました。待合室には誰もいなくて、がらーんっとしていました。しかし奥の方に、人影がありました。よく見たらなんと、愛しの享子ちゃんでした。お父さんは入院することになって、当時は手続きに時間がかかって、一人で暗い中、待たされていたのです。
その時です。彼女が言うのには、最も苦しくて不安な時に、突然、玄関の戸が開いて、白馬に乗った王子様みたいな人物が現れたのです。私が現れるなんて、全く予期していない中、突然現れて、超びっくりしたそうです。それと共に、たいへん感動したらしいのです。
その瞬間、彼女の心は百八十度変わってしまったのです。その後、結婚を前提としてお付き合いができるようになりました。

しかし一番の関門はお父さんでした。「娘は跡継ぎにするんだ。教会の息子の嫁?ありえん!」と、ぶっ飛ばされると聞いていました。しかし私が病院に駆けつけたことと、お父さんも少し弱さがあって、家に挨拶に行ったら、「うちの娘でよかったら、嫁に出します。」と、なんと、将来の新城教会の主任牧師の女将として、彼女をいただいたのです。祈り始めてから二年ぐらい後でした。もう駄目かもと、諦めかけた頃、『遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない。』という約束が成就しました。「遅れることはない。」という約束は、私の側からすると、かなり遅れた感はあるのですが、享子ちゃんをゲットすることができました。

私が家内と結婚しなければ、新城教会の歴史は、相当大きく変わったと思います。家内が来たことによって、「主が立ち上がられた日」にも書いたように、「祈り」の扉が大きく開かれて、九二年に聖霊が注がれたのです。その背景にも、家内が大きく関与していました。主が家内を通して、祈りがどれほど大事か、それも、ただ単に求め、探すだけでなく、しつこく叩く祈りの重要性について教えて下さったのです。これ以上祈ることはできない!というほどの真剣な祈りが、リバイバルの扉を開く!のです。諦めちゃいけない!諦めずに祈り続けてみろ!ということ、家内を通して教えていただきました。
家内の父はすでに天に帰りましたけれど、本当に、私たちをよく助けてくれました。心から感謝しています。結婚は、私にとって、本当に大きな霊的戦いでした。しかしそこで祈りを学びました。
ルカの福音書十一章八節、

『友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげましょう。』

誰でも実行したらその通りになる!という約束です。
私と家内との間に、二人の子どもが与えられて、今回も、子どもたちが真剣に祈り、実際に助けてくれています。一番感謝なことは、二人とも、良い信仰を持って育ってくれたことです。

私たちは結婚して四十七年目になるのですが、ふりかえるならば、何気ない日々が最も幸せだったと思います。今の私のような状況は、やがて誰にでも起こります。結婚されていれば、どちらかが先にいきます。イエスさまの再臨がない限り、どちらかが看取らなければならないわけです。これは人ごとではないです。教会は、そういうことを多く体験するのですが、人生で何が幸せかというと、何気ない日常が、一番幸せだったなと思います。この写真見てください。
子どもたちも屈託ない、若い頃の写真です。このくらいの時代は何の変哲もなかったけれど、幸せだったなと思います。
今、何も変化のない人生を送っておられる方、一番幸せな期間です。感謝しないといけないです。今回、私も試練を通して、悔い改め、また、感謝しました。私は感謝が足らなかったなと反省しました。
家内の病を通して、さらに祈りについて学ばされ、必死に祈る祈りがどのくらい大切なのかを、今なお、体験させられています。
初めは「享子ちゃんをください!」みたいな、自己中心的な祈りでしたが、祈りは決して願いが叶った時点でストップしないのです。その後があるのです。叩く祈りは後の日の為の、準備期間です。私もあの頃は、ただ単に結婚できればいい!と一心で祈っていたのですが、後になって、後の日のための祈りの一環であったことが分かり始めました。

「パンを三つ貸してくれ」という例え話も、お腹が空いた旅人に出してあげるパンという、現実を満たすためでありました。しかし読み進んでいきますと、イエスさまの話は、最終的に、聖霊さまをいただくところに繋がっています。ただ目の前の願いを満たしているようだけれど、最終的には、神の国の進展のために用いられるのです。
私は「享子ちゃんをください」と、家の前で祈っていました。後に、教会に聖霊が注がれて、現地に出て行って祈る、とりなしの祈りが始まりました。ただ室内で祈るだけでなく、地域に出て行って祈る為の準備でした。

そしてもう一つ、私は河川敷で毎晩祈っていました。一年以上、習慣として、河川敷に行って、自分の願いが叶うように祈っていたのですが、その河川敷でやがて何が起こったか?

まさに私はこの場所で、祈っていたのです。一九九二年、この場所に聖霊が注がれて、河川敷に千二百人もの人たちが集まって、主を賛美し、新城教会の未来を現す預言的な場所になるとは、予想だにしていませんでした。
私の結婚の為の戦いの祈りは、ただ単なる戦いではなかったのです。今分かることは、私と家内の結婚を、サタンは嫌っていたということです。なんとか阻止せよ!と、悪しき軍団が働いていたように感じます。二人が結婚したら、やがて霊的戦いも始まるし、聖霊の注ぎにもつながり、リバイバルにも関わるから止めさせろ!と、様々な手口でサタンは止めてきたと思います。
しかし、しつこい祈りによって、主が勝利を与えてくださったと、振り返ると分かります。
そして今、もう一度、主は栄光を現そうとしておられます。

私の家内のことで、キリストのからだが一つとなって祈ってくださったことにより、すでに主は、一度、栄光を現してくださいました。しかしもう一度、主は、栄光を現そうと願っておられると信じます。
私が強く願っているのは、もう一度、家内がこの講談に立って、皆さんの前で証しすることです。二度目の栄光を現してくださった証しを、直接、ここで語ってくれることを、心から願っています。それまで諦めないで、しつこく真剣に、祈り続けたいと願っています。

先週、励ましの証しを聞きました。
この教会に来ている一人の男性が、ある所でドローンを飛ばせて、飛行練習をしていたそうです。しかしこのドローンが川に墜落して、沈んでしまったと言うのです。買ったばかりのドローンで、その男性は川の中に入って探したそうですが、見つかりませんでした。
すると奥さんが、なかなか信仰のある方で、エリシャという預言者がある時、弟子たちと一緒に家を建てるための木を切り出しに行ったのですが、弟子が斧を振るって木を切った時、斧の先が飛んで、川の中に沈んでしまったのです。すると、エリシャは一本の木の枝を水の中に投げ込んだのです。すると、鉄の斧が浮かんできたという奇跡が聖書に出ています。
その方は、このみことばが浮かんだので、祈りと共にみことばを宣言したら、なんと沈んでいたドローンが浮かび上がってきたというのです。いや〜、祈ってみるもんだなぁ…とね。
しかしこの場所がどこかと言うと、つい最近まで、家内が毎朝、祈っていた豊川の河川敷でした。そこで奇跡が起きました。
私はそれを聞いて、すごく励まされました。今まで家内は空を飛ぶドローンのようでした。九月くらいまでは元気で、十月はちょっと旅行にでも行くか!と、沖縄にでも行きたいと計画していました。しかし信じられないことですが、思いもよらない墜落です。しかし再び、浮かび上がり、奇跡が起こると信じました。本当に私は励まされました。

『わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。』

これは父なる神が天から語られたことばです。新城教会に、すでに一度、栄光を現してくださいました。しかしもう一度、栄光を現してくださると宣言します、リバイバルが目の前に迫っています。主の再臨も目の前に来ていること信じ、もう一度、心を合わせて祈っていきたいと願っています。

今日は聖さん式礼拝です。聖さん式を通して、キリストのからだがひとつとなることを宣言します。もう一度、栄光を現していただけるように、祈っていただきたいと思います。私の家内のためにも、お祈りに加えてくださいますよう、お願いいたします。
同じように、苦しみの中で戦っておられる方々が、諦めないで、祈り切ることが出来るように祈りましょう。
私のためにも祈ってください。「絶対に後に引かないぞ!悪魔よ、よく聞け!何があったって、俺はおまえに立ち向かって行く!神に従い、悪魔に立ち向います!」と宣言しています。

今から聖餐式を行います、
一言お祈りをさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。今日は共に、心を一つにして、もう一度、主が栄光を現してくださるようにという願いと共に、聖さん式を行います。今まで新城教会に、数々の栄光を現してくださいました。しかし、「もう一度」栄光を現して下さい。
今日ここに備えられました、パンとぶどうのジュース、みことばと聖霊によって、パンは、あなたの裂かれた肉であり、ジュースは流された血潮であることを宣言します。イエスさま、あなたを覚えます。最後の晩餐を覚えます。この杯は新しい契約だと言われました。今日、新しい契約が結ばれます。イエスさまの十字架の死を宣言します。主が来られるまで、私たちは主の死を告げ知らせます。
もう一度、栄光を現してください。イエスさまのみ名によって、この聖さんを祝福し、祈ります。アーメン。