歴史上、アダムとエバから始まり、今の瞬間、天に帰って行った聖徒たちは、何を期待しているのでしょうか。
ヘブル人への手紙の中に、次のような言葉があります。

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。』

ローマ帝国によって、ユダヤ人たちは様々な地域にディアスポラと呼ばれ、散らされました。ヘブル人への手紙には、そのような背景があります。各地にいるユダヤ人クリスチャンたちに宛てられた手紙であると言われます。
ローマ時代、大きな街には、ギリシャ・ローマ式の円形競技場があって、様々なスポーツ大会が開かれていました。民衆にとっては、競技観戦と、選手たちを応援するのが最もポピュラーな娯楽でした。時にはクリスチャンたちがライオンと戦わされ、殉教していくような事も競技場で行われていました。ヘブル人への手紙はそのような環境下で書かれています。
「雲のように取り巻いている証人たち」とは、円形競技場をイメージしています。そして地上における教会の働きは、競技のようなものだと言うのです。先に召天した聖徒たちは観客であり、私たちは競技場の選手たちなのです。
新城教会は、アダムとエバから始まって、今この瞬間、天に帰って行った聖徒たち、とりわけ、七十年間に新城教会の働きによって救われ、天に帰った聖徒たちの関心の的です。彼らは天のスタジアムに集まって、地上での働きに対して、大きな関心を抱き、手に汗握って声援を送っているはずです。

時に、死は敗北のように考えるのですが、クリスチャンの死は、決して敗北ではありません。勝利です。

昨日、メッセージを前にして、孫の一人に祝福を祈ってもらいました。彼はこう祈りました。
「明日、じぃじがメッセージをしますけれど、クリスチャンたちの死は、決して、敗北ではなく、勝利であることを、皆に伝えることができますように。」
なかなかの祈りをするなと思って感動しました。「おまえ、なぜ、そんな祈りができるんだ?」と聞いたら、「前のメッセージで語ってたじゃん。」と答えました。ちゃんと聞いていたみたいです。

クリスチャンは死の瞬間、最も大きな勝利を体験すると思います。なぜなら、死の力を持つ、悪魔に勝利するからです。
神の創造は、この地上だけにとどまりません。前回、第三の天という領域についてお話ししました。第三の天以上の「緒天」と呼ばれる高次元も、神の創造された領域です。そして、第三の天までは、神の支配が完全に到来しています。しかし我々の住んでいる地上の上空には、第二の天という悪魔の王国があって、神の国が地上に降りて来るのを阻んでいます。しかしイエスさまの到来によって、小石が投げ込まれたのです。
けれども依然として地上は、悪魔の王国によって牛耳られています。私たちがイエス・キリストを知らなければ、生まれながらの人間は悪魔の国に属する子どもとして生まれるわけです。だから、死んだ瞬間は、第二の天に留まってしまうわけです。「イエスを信じないと滅びる」という意味は、第二の天に留まってしまうことです。
しかしイエス・キリストを主と信じる者たちは、第二の天を突き抜けるのです。
私の家内、第三の天に行ったと信じます。第三の天に行く時には、第二の天を突き破らないと、第三の天に到達できません。ということは、死んだ瞬間がもっとも、人生の中で多くの敵をやっつけるのではないかと思います。ゆえにクリスチャンの死は、敗北ではないのです。

家内と私は、よく県民の森に祈りに行きました。
この写真、いい写真でしょう。県民の森で撮った写真です。一年ぐらい前です。まさかこの地上から出ていくとは思わなかったでしょう。
今日も県民の森の祈祷会があります。是非とも行ける方は行ってください。クリスチャンは、死を恐れることは決してないです。
死んだらどうなるのか、アダムとエバから始まって、この瞬間、天に召された聖徒たちは皆、第三の天において、地上の教会が何をしてくれるのかを期待して、固唾を飲んで声援を送っているのです。
今日の礼拝の為にも、新城教会から帰った兄妹姉妹たちは、真剣にとりなし、祈っているはずです。家内もきっとその一人に加わって祈っていると信じます。
何を祈っているのか、それは、第三の天まで神の国は来ているけれど、第二の天が邪魔をして、地上まで神の国が降りる事ができないから、第二の天の支配を打ち破ってほしいと願っています。その役割は、神さまではなくて、神は教会に権威を託しています。その働きを、教会に委託しているわけです。
教会が心を一つにして、第二の天を打ち破ったら、第三の天は地上に降りて来ます。神の支配が地上に訪れるのです。
やがてイエスさまは地上に戻って来られる!新しい世界が到来する!これが聖書の結論であり、ゴールです。
私たちは「教会の時代」を生きています。最も、天でも期待が高まった時代に生かされているのです。
アダムとエバから始まって、神を信じ、第三の天に入った聖徒たちは、イエスさまと共に、この地上に復活することを心から願い、祈っているのです。
教会に属する者たちは、天の聖徒たちの願いと、イエスさまの思いをしっかりと知り、祈り、戦う者でなければならないのです。

毎回のようにお話しておりますけれど、今年は新城教会にとっては記念の年です。なぜならば教会が新城市に誕生して、七十年が刻まれたからです。
両親は最初、津具村で宣教を始めましたが、新城市に移ったのが一九五三年の三月でした。今年は二〇二三年ですから、七十年が満ちるわけです。
当時、「新城教会は神の国を実現するために建てられた!」と、一般の新聞社が報道しました。
去年、二〇二二年は、私の人生の中で、最も大きな苦しみ、悲しみを体験した年でした。
しかし、二〇二三年、七十年が満ちるこの年に、何か、大きな事を主が行ってくださるのではないかと、強く期待しています。もちろん、誰にも分かりませんけれど、重要な年であると思うのです。

前回のメッセージでもお話しさせていただきましたけれど、ユダがバビロンから解放されたのが、捕囚後七十年でした。七十年経つと主が憐れみのみ手を差し伸ばしてくださると信じます。また、王が即位して七十年目を「プラチナ・ジュビリー」と呼んで、特別な年として祝います。昨年はエリザベス女王が即位して七十年でしたが、彼女は七十年目に死んだわけです。七十年は五十年と二十年に分かれますが、聖書中、五十年は特別の年として描かれています。それをヨベルの年(ジュビリー)と呼びます。
ヨベルの年とは、すべてが一新される年です。奴隷は解放され、借金はチャラになる。そして先祖の土地を奪われ、他の地に寄留している人も、先祖の土地に戻れる年です。
ということは、何を意味するのか、もともと地球は創造主のものです。人はエデンの園に住んでいました。しかしそこから追い出されてしまったのです。人はもともと、エデンの園で生活するはずでしたが、追い出されて、長い年月が刻まれています。しかしヨベルの年には、元に戻ることができるのです。人はエデンの園に戻るのです。

ヘブル暦で言いますと、今年は五七八三年です。太陽暦とは少し違うのですが、その刻みで計算すると、二〇二三年は、ヨベルの年の可能性があるという説もあります。これが本当かどうかは分かりません。しかし新城教会の七十年の歴史の中で、今年がヨベルの年で、主の再臨の年だったら最高ですね!期待します。
神の国は、イエスさまの十字架と同じで、未だかつて経験したことのない苦しみと悲しみから始まります。しかしその大きな悲しみが、最大の喜びに変えられると、イザヤによって預言されています。「主の恵みの年、ヨベルの年になったら、強烈な悲しみから、強烈な喜びに変えられる!」と。

年末に七人の牧師たちによって語られたメッセージを要約してドッキングした預言的メッセージ、毎年恵まれますけれど、今年の預言的メッセージは、私にとって、大きな励ましとなりました。まさに、主が語ってくださったのだろう・・・いや、「だろう」なんて言ってはいけません。主が何か、今年、大きな勝利を与えてくださる!と心から信じる者です。
もう一度、朗読していただきたいと思うのですが、今日、朗読してくださるのは、星野暁美さんです。
では、是非お聴きになっていただきたいと思います。

<<二〇二三年、預言的メッセージ>>

今年は「喜び躍る」年となります。それも、ただ踊って楽しむというようなものではなく、飛び上がる程の喜びの年となります。恐れず、気力を失わず、戦いなさい。わたしが敵を追い払います。わたしはあなたのただ中にいます。あなたを大いに喜び、安らぎを与え、自ら、高らかに歌います。
人間的に誇るものがなくても、わたしを信頼して生きなさい。どこまでも、神に選ばれていることを誇りとし、人に頼るのではなく、争うことなく、心を合わせて賛美し、この地に栄光が現されるよう続けて祈りなさい。
昨年、教会は、大きな悲しみを経験しました。それはまるで、大洪水に見舞われた大地のようでした。しかし、水は引きました。これからは永遠の契約が実現するのみです。あなたがたは、わたしの究極的な夢の実現のために働くのです。わたしは世界が存在する以前に持っていた栄光を奪回し、永遠の契約を実現します。
その為にわたしは、「死はいのちを生み出す武器である」ことを、あなた方の心に、深く刻みました。たとえ病で苦しんでいても、問題の只中で格闘していても、どんな環境でも、わたしが十字架の苦しみと死の瞬間に実現した、復活の勝利を宣言し、悪魔に立ち向かいなさい。先に天に帰った雲のような証人たちも、あなた方を応援し、激励しています。
刈り入れの時がきました。大胆にかまを入れなさい。主の日は近いのです。王なるわたしを仰ぎ見て、幼子から年寄りまで、総力を尽くして立ち上がりなさい。敵の面前で賛美し、礼拝するのです。わたしが敵を裁き、永遠の繁栄と勝利を与えます。
昨年、「布陣を敷け」というわたしの号令に応じて、それぞれが役割を果たしました。地上の栄冠のためにではなく、神の国の栄光のために、果たすべき役割を全うし続けなさい。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
神は約束されたことをすべて成就されます。わたしは約束を忘れません。アブラハムとその子孫にカナンの地を約束し、どんなに多くの困難があっても、彼らにその地を返しました。しかも、その働きは今も続いています。
今年は神の約束の成就の年となります。わたしが、この街に教会を建てて、七十年が経ちました。二〇二三年は希望の年です。大きな期待を持って日々を過ごしなさい。なぜなら、わたしはまもなく、あなた方の所に来るからです。

『これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。 黙示録二十二章二十節』

マラナタ!主よ。来て下さい!

いかがですか。信じますか?アーメンですか?一度、お立ち上がりくださいますか。ご一緒にお祈りしましょう。今年は希望の年となるように、この預言的メッセージの中で語られていたように、飛び上がるほどの喜びの年となるように。最も深い苦しみ、悲しみの後に約束されているのが、神の国の現れです。それが二〇二三年に起こるように。今私たちは、天の会衆から大きな期待が寄せられています。

私は多くの方々から、享子さんは天国に行って喜んでいますよ、と励ましてもらっています。本当にそうだと思います。それは事実だと思います。しかし私は祈っていて、享子は根本では、「地上の家に帰りたい!」と願っているように感じます。もちろん基本的には第三の天はいいと思っているに違いありません。しかし究極的な神の国の実現は、第一の天が第三の天に含まれる時に実現しますから、天の会衆たちは第三の天で満足しているわけではなくて、「早く故郷に帰してくれ!第一の天に神の国が訪れて、復活して故郷に帰りたい!」と願い、真剣に主の再臨を待ち望んでいると私は思っています。
彼らの思いに、心を合わせないと、神の国は現れないのではないかと思います。第三の天は完全な天国ではないのです。もちろん天国の一部ですが、本物の天国は第一の天に現れるのです。しばらくの間、ご一緒に祈りの時を待ちましょう。