〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
あなたは愛されています!

2023年6月18日(日)新城教会主任牧師 滝元順

イザヤ書43章4〜5節
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。』

ハレルヤ!おはようございます。聖歌隊の賛美歌、素晴らしかったですね。「すべて安し」と歌われていました。大安売りの歌ではなくて、すべてが平和・平安、という賛美でした。そんな人生を歩んでみたいですね。

人生にはいろいろ波風が立って、大変なときがあります。しかし、「誰かから愛されている」と気づいたときに、平安が訪れます。

愛されている実感はありますか?「私は誰からも愛されていない・・・」という方がおられたら、今日はその考えを捨てて、神さまからの愛を実感していただけたらと思います。

 

イザヤ書四十三章四節・五節は、大変有名な箇所ですが、一節・二節には次のように書かれています。

 

『だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。』

 

直接的にはイスラエルに対して語られている箇所ですが、イエスさまを信じる者たちは、霊的イスラエルです。ですから、私たちに語られている言葉でもあります。

ということは、今日ここにおられる方々は皆、神に愛されている存在です。

お隣の方に「あなたは愛されています!」と宣言してあげてください。

 

先週は、一人の方が天にお帰りになりました。九十七歳でした。須藤芳子さんですが、九十七年生きるのは並大抵ではないと思います。明日は家族だけでの召天式があります。

私は須藤さんと一緒にお祈りしたり、家庭集会も行いました。家族の中で一人がクリスチャンになって、救いが広がって須藤おばあちゃんにまで到達したのです。天の教会は賑やかになっていると思います。

 

今日は、六月十八日です。私の家内は去年の十二月十八日に召天しましたので、六ヶ月が過ぎました。本当に長かったような、短かったような、複雑な感覚です。去年の今頃は、結構元気でした。まさか召天するとは思いませんでした。

先ほど読んだ箇所に、『あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。』とありましたが、この言葉、私の為の言葉だと感じています。

人生って、本当にいろいろありますが、イエスさまを王とするならば、様々なことが起こったときにこそ、神の愛を実体験できます。

 

教会は、「ゆりかごから墓場まで」、子どもたちから、お年寄りまで一つになる、世界で唯一の不思議な場所です。いくら同じ考え方を持っていても、子どもからお年寄りまで一つになるのは、なかなか難しいです。しかし、教会は、年代を超えて一つになって賛美しています。

 

先週も滝川副牧師が話していましたが、彼の息子がバプテスマを受けたのですが、イエスさまから直接、「バプテスマを受けたらいいことあるよ」と語られて受けたそうです。子どもたちは霊的にとても敏感です。こんなみ言葉があります。

 

『あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。』

 

人生が始まって長くない子どもたちは、ちょうど最初の人類アダムとエバが神さまとの関係がホットであったように、子どもの時代は、霊的に敏感なのです。『彼らの御使いたち』とありますが、人として生まれるならば、神は公平に、一人一人にみ使いを配備すると思うのです。しかし時が経つと、だんだんとみ使いが、「元み使い」に置き換わるわけです。

でもイエスさまを主とするならば、み使いたちがともにいるのです。特に子どもたちには、新鮮な、強いみ使いたちが共にいて、神のみ声を伝えるわけです。今朝、テル君に、「何かいいことあった?」と聞いたら、「まだない。」と言いましたが、そのうちにあると思います。

 

私の孫も一緒にバプテスマを受けました。二人で一緒に受けるのは前代未聞でした。今日もバプテスマ式が一時半からあります。

私は白内障の手術をして、完璧ではないですが、だいぶ良くなって、車の運転もできるようになりました。一年ぐらい車の運転ができなくて、自転車でしたが、先週はバプテスマを受けた孫が「買い物に連れて行って」と頼むので、一緒に車で出かけました。それで道中、いろいろと話をしました。彼も時々、イエスさまの声を聞くらしいのです。それで、「バプテスマを受けてから、イエスさまの声を聞いた?」と言うと、「聞いたよ。」と答えました。「何と言ってくれた?」と聞くと、「いっぱい話してくれたから、忘れちゃった。」と言うのです。「思い出して!」と言ったら、「そうそう。ばぁばは天国でみんなと一緒に楽しくやってるってさ。」と言うのです。

家内は天国でみんなと一緒に楽しくやっているそうです。私はそれを聞いて、ちょっとむかつきました。家内は天国で楽しくやっているかもしれないけれど、私はこの六ヶ月、地獄だったと思って、「今度イエスさまが話しかけたら、じぃじは地上で大変だ。一人ですべてやらないといけないし、苦労してる。じぃじにも良くしてあげて、と言って」と彼に話しました。

すると彼は、「じゃぁ今から祈る。」と言って、祈ってくれました。「イエスさま、ばぁばは天国で楽しんでるそうですが、じぃじは地上で結構大変そうです。何とかしてください。アーメン。」と祈っていました。

何か彼に主が、私に対するやさしい言葉を語りかけるのかな・・と思ったら、突然、彼がこう言い放ちました。何と言ったと思いますか?

「人生っちゃぁ、そういうもんだ!」

私はその言葉に衝撃を受けました。「人生っちゃぁ、そういうもんだ。」・・・未熟児で生まれた小学二年生の言葉ではないというか、「お前には言われたくないぞ!」という感じでした。

でもなにか、イエスさまから言われたような気がしました。いや〜人生とはそういうもんだなぁ・・・と、変に納得しました。これは私だけが体験していることではなくて、誰でも体験します。川に流されるような時もあるし、火で焼かれるような時もあり、人生には様々なことが起こるわけです。

しかし、クリスチャンであることは素晴らしいです。そんなときにも、

 

『あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。』

 

と言われるからです。様々なことがあるかもしれませんが、このみ言葉をしっかりと受け取りたいものです。同時に、人生とは、そんなもんだ、と理解する事も必要です。

神が私たちを愛してくださっているとは、なんと素晴らしいことでしょう。

 

日本人には「神から愛される」という世界観は、そもそもありません。我々の前に転がっている神々は、みな怖い顔をしています。日本の神々に愛してもらいたい人はいないと思います。不動明王に愛してもらいたい人はいないでしょう。千手観音に抱き寄せてもらいたい人はいないと思います。

しかし私たちが信じ敬う神さまは、私たちを「愛している」、それも、「高価で尊い」と語ってくださっています。

 

毎回、話していますけれど、新城教会が新城市で始まって、今年で七十年が経過しました。この地に植えられ七十年です。記念の年でもあります。両親がこの地域に入って、伝道を始めて七十二年になります。

私が生まれたのは、ここから五十分ぐらい奥に入った設楽町津具という場所です。当時は「津具村」でした。このことも語っているのですが、先日、教会から津具にとりなしに行きました。津具は新城市の隣、設楽町にあるのですが、この場所で明治の初期にリバイバルが起こったのです。ジェームス・バラという宣教師がこの村に来て伝道したとき、村民の半数ぐらいがクリスチャンになったというのです、まだ津具に行ったことがない人は、ぜひ行ったらいいと思います。長い歴史の中、神の愛の脈々とした流れの中で、私たちも選ばれ、救われたことが、ここに行くとよく分かります。

なぜ新城市に教会ができたのか。最初、津具にリバイバルの火が点いて、その火が新城にまで飛び火したのです。ということは、この原点の火を大切にしなければいけないと思うのです。

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津具に、こんな石碑が建っています。この間も話しましたが、背の高い方の石碑には「村井与三吉先生の碑」と書いてあります。この場所に、かつて三十年以上に渡って教会が建っていて、その教会の牧師の顕彰碑なのです。日本広しといえども、牧師の顕彰碑が建っている村は、津具以外、どこにもないです。顕彰碑の横にある石板は、顕彰碑建立の為に、お金を出した人たちのリストです。百二十軒ぐらいがお金を出しています。昭和四年に建てられていますから、重機などなく、相当な労力が必要であったと思われます。賀川豊彦が書を書いています。一軒五人なら、六百人くらいの人たち、村の半数ぐらいがクリスチャンになった計算です。

ここは日本のキリスト教の歴史において、大変重要な場所です。父も私も、津具村出身です。父の家はキリスト教反対派の家でした。このリストには滝元家は入っていません。神は反対派から父を救い出して、津具から始まった宣教も、今は新城市において七十年の歴史を刻んでいます。それはただ事ではないです。

 

現在、設楽町に一つだけ教会があります。設楽教会と言います。今回はその教会を訪問して、菅沼先生ご夫妻と交わり、賛美して祈る時間を持ちました。この教会の信徒さんたちはそんなに多くはないですが、この地域から教会が消えたら、原点の火も消えてしまいます。私たちは、設楽教会の祝福を祈らなければいけません。

設楽教会は最初、新城教会の支部教会として、六〇年くらい前に建てられました。父が自分の故郷だからと言うことで、新城教会の枝教会として設立したのです。

 

しかしこの教会ほど、試練が多かった教会もあまりないかも知れません。火の中をくぐったような教会です。今の先生方は四代目です。

初代の牧師一家は、この町で数年間伝道して、実を結び始めたとき、家族の中に大きな問題が生じて、彼は牧師をやめなければならなくなりました。

次の牧師家族が派遣されましたが、その牧師は、オートバイ事故で亡くなったのです。あれは悲しかったです。私が高校生時代に起こったことです。私はその先生と、たいへん親しくて、普段、その牧師は新城市で働いていました。そしてある一軒家に、私はその牧師と一緒に住んでいました。彼がある日、「俺、ちょっと家に帰るからな。また明日戻ってくるよ。」と言い残してオートバイで出ていきました。彼は私の横に布団を敷いて寝ていました。布団からすっぽりと抜け出て、トンネル状になっていたのですが、設楽教会に行って、用事を済ませて帰る途中、トラックと正面衝突して、亡くなったのです。幼い子ども五人を残しての事でした。「この町に教会は必要ない!出て行け!」というような感じでした。

その後、東京から原田先生というご夫妻が来て働きを受け継ぎ、たいへん良い働きをされました。しかし、奥さんが家内と同じように膵臓がんで亡くなり、ご主人は牧師を止めてこの町から撤退しなければならなくなりました。

それでも諦めずに、宣教は継続されています。現在は四代目の、菅沼先生ご夫妻によって、働きは受け継がれています。リバイバルの原点の火を、悪魔も真剣に消そうとしています。しかし、その事に気づき祈り続けるときに、もう一度、この地域に、リバイバルの火が燃え上がると信じます。