〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
時を悟ろう。 〜’92年7月9日(木)をふり返りつつ〜

と語られました。イエスさまが十字架にかかって死んで、三日目によみがえり、昇天されて、その後、もう一度、地上に戻ってこられる再臨の預言までなされているのです。

マタイ十六章で語られた預言のうち、救い主のお生まれ、十字架、復活、昇天まではすべて、成就しています。成就していない預言は、イエスさまがもう一度、地上にこられるという再臨の預言だけです。
ということは、マタイ十六章の中に、私たちも含まれるのです。今は今で、時を見分けなければいけないわけです。
私たちは毎日、忙しく、過ごしていますけれど、そんな中にも、神が与える「時」を見分けなくてはいけないのです。現代は、イエスさまが帰ってこられる、「直前」だと思われます。時のしるしを見分け、悟る者になりたいです。

九二年七月、ある意味、時を悟らせていただいたのです。一五七五年に始まり、七月九日は、何百年にも渡って、繰り返されてきました。しかしその日が何なのかについては悟らなかったのです。この教会も、四十年ぐらい、七月九日について見分けることはできなかったのです。
けれども、九二年七月九日は違いました。その前後から主がしびれを切らせて、私たちに祈りを要請し、時を見分けることができたのです。私はそのことを「主が立ち上がられた日」という本に記しておりますので、新城教会に来られている方は、ぜひ、読んでいただきたいと思います。
この地域で主が何をしてくださったのか、また、甲子園ミッションと重なって、全国的に、主が何をされたのかを記録した本です。

時を迎えるにあたって、今までにない祈りの波が来ました。ある意味で、最近、この教会に、今までにない祈りの波が再来しているのではないでしょうか。以前と形は違いますが、何年か前から、私の家内が病気になったりして、いい形には見えないかもしれないけれど、今までにない祈りの波が押し寄せています。
甲子園ミッションを皮切りに、ざわめきなどの新しい賛美の波が力強く訪れて、今朝も、本当に力強い賛美の波が礼拝に来ていました。その結果、礼拝が祝福されるようになりました。私はクリスチャンホームに生まれて、人生で一番退屈な時間が、礼拝でした。父が長いメッセージをすると、時計を見せて、「タイムオーバー!早く終われ!」みたいにアピールしていました。最後の結びの歌が歌われるとき、あんなに解放を感じる瞬間はありませんでした。
しかし九二年前後から、礼拝は主の臨在を感ずる、素晴らしいものとなりました。
同時に、聖霊による賜物が一人ひとりに現れるようになりました。私たちはキリストのからだであり、各器官ですから、全員に神から特別な能力が与えられているのです。そんな中で、見えない世界の情報を捉える賜物もあるのです。それは、聖霊の油注ぎをもらわないと、なかなか出てこない賜物です。
九二年二月十三日に聖霊が注がれた後、雨後のタケノコのように、いろいろな霊的賜物が顔を出し始めたのです。特に子どもたちに聖霊が注がれて、子どもたちに、霊を見分ける賜物や、霊的戦いの賜物、また預言的な賜物が与えられたのです。そのときの子どもたちは、今や、おっさんやおばさんになっていますが、あの頃は鋭く強力でした。

ある時、新城市で初めて偶像礼拝が始められた場所がある事に気づかされて、そこにとりなしの祈りに行くように促されました。
どこにあると思いますか。古代の文献に出ているそうです。この地域の最も古い神社は、石座神社です。石座とは大岩です。
縄文時代、大岩の所でいけにえをささげ、悪霊を呼んで、その霊を里にまで引き寄せて、人々は生活していました。
それがどこにあるのかというと、教会の目の前にそびえる雁峰山です。その岩の一つは中腹にありますが、頂上付近に原点の大岩があるというのです。それは「額岩」と呼ばれて、記録には載っているのですが、場所は分かりませんでした。この巨大な山中にある一つの岩を見つけ出すなんて、絶対に不可能です。でも主が「それが見つかるように祈れ。」と言われるのです。
私は行けなかったのですが、教会スタッフたちが一緒に山のふもとまで行きました。頂上まで登ると言っても、簡単なことではありません。それでみんなで祈ったのです。「イエスさま、どうやって見つけたらいいのですか。」
すると一人の少年に聖霊が告げられたのです。「おまえたちを鳥が導く。」
すると足元から、バタバタと、やまどりが飛び立ちました。「鳥が飛び立った!」と、みんなでその鳥を追いかけたと言うのです。しばらくすると、その鳥はどこかに消えてしまいました。それでもう一度、「主よ、どうしたらいいですか。」と祈ると、どこからともなく鳥が飛んできて、それについて行きました。
なんと、その結果何が起こったのか。額岩という大岩に到達したのです。それもその場所を我々が見つける一週間前、郷土の歴史家が、額岩を特定して看板を立てていました。それで、分かったのです。あの時、主は生きておられることを、皆、強く認識しました。
すでに、被造物と一緒に、主のための働きをしていたのです。

また、甲子園ミッションのときに、「戦いのためにみことばの剣を与えてください!」と祈ったら、ある少年に「エゼキエル書二十一章九節を開きなさい」と語られました。一応、開いてみようということで、聖書を開いたらなんと書いてあったでしょうか。

『人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。』

このみことばに出会って、皆、奮い立ちました。うわー!主が語っておられる!
このみ言葉を引き出した少年は、今やおじさんなっています。賜物はどうなってしまったのでしょうか。まるでレーダーのような識別力や、みことばを裏付ける賜物を回復して欲しいものです。

聖霊が注がれるときに、聖霊による賜物が現されます。霊的な事柄に対して敏感になるのです。普通の生活の中でも、主の語りかけをキャッチするようになるのです。そして霊的地図等の関心が高まってくるのです。街に対して悪魔が持っている策略って何だろうか?と関心があるとしたら、聖霊の働きです。

そしてもう一つ重要なことは、隠された罪の悔い改めです。悔い改めが起こって、個人の霊的解放が起こってきました。聖霊さまは「聖い霊」と書きますよね。汚い霊は、悪霊です。
聖霊さまとお付き合いするためには、罪を隠していたら駄目ですよね。聖霊さまが来られると、誰かに指摘されるわけではないけれど、隠された罪の悔い改めと、霊的解放が起こります。そして、主に対する期待感が大きく高まっていきました。それが九二年の六月の終わりから、七月にピークを迎えました。

今、同じ季節を迎えて、もう一度、時を求めなければいけないのではないかと思うのです。
主は三十年前に、なぜこのようなことをなされたのか。それは、九三年十一月に甲子園ミッションがあるから、そのためだけになされたわけではないのです。その続きがあることを知らなければなりません。
甲子園ミッション、本当に大きな戦いがありましたけれど、三日間で延べ十二万人ぐらいの人たちが集まりました。
今だかつてないほど多くの方々が、主を信じて、画期的なリバイバル集会となりました。あの祈りがなかったら、どんな集会になったのだろうと思います。今年は甲子園ミッションが終わって、三十年という記念の年です。もう一度、心燃やしたいと思いませんか。

先ほどもお話ししましたけれど、マタイの福音書十六章では、最終的に、「人の子がみ国とともに来るのを見るまで決して死を味わわない人たちがいます」と語られました。イエスさまはやがてこの地上に帰って来られるのです。その時、死を味わわないでイエスさまを見るクリスチャンが、必ず、いるはずです。その一人に入れてほしいなぁと、日々願っています。イエスさまが帰ってこられるのを地上で見られるほどの幸せはないでしょう。死んでイエスさまの後について、よみがえってくるのもなかなかスリルあることだと思いますが、地上で、イエスさまが帰ってこられる姿を見る。それこそ最も素晴らしい、栄光ある役割だと思います。
そのためにも、時に関して、敏感でなければなりません。

先週、第一歴代誌十五章からメッセージが語られましたけれど、サウルの時代には顧みられなかった臨在の箱、神の箱を、もう一度所定の場所に移そうというビジョンがダビデに与えられて、十二部族の中から人々が集まってきたのです。十二章三十二節に、

『イッサカル族からは、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っていた、かしら二百人。その同胞はみな、彼らの命令に従った。』

そのとき、呼び集められたのは、イッサカル族だけでなく、十二部族の中から、時を悟った人たちでした。
甲子園ミッションは、人間的な組織によらないで、時を悟った人たちによって、行われたリバイバル集会でした。
日本中から、この時の為にと続々、集まってきました。
甲子園ミッションの事務所で働く人たちも、別に募集をかけたわけではないけれど、気がついたら五十名ぐらいの人たちが整えられました。本当に不思議なことでした。イッサカル族の中から時を悟り、二百人がダビデのもとに集まったように、時を悟らせていただきたいです。
そのためには、今一度、霊的ギアをハイトップに入れて、主の前に出る必要があるのではないかと思うのです。
イエスさまの再臨に関して祈り、励む者たちでありたいです。その中に、リバイバルも含まれるわけです。
マタイの福音書二十四章に、イエスさまは、ご自分の帰って来られる日について預言されています。

『人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。死体のあるところには、禿鷹が集まります。そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。その時、人の子のしるしが天に現れます。その時、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。』

イエスさまが帰って来られるのは、ちょうど稻妻が東から西に光るようだというのです。最近も時々稲妻が光っています。稲妻を見るのは、相当、タイミングが合わないと見えないです。写真に撮ろうとしても、そう簡単ではないです。しかし「稲妻が光るぞ!」と注意して、そちらの方向にカメラを向けている人には良い写真が撮れるわけです。
同じです。イエスさまのお帰りに関心を持たなければいけないのです。
その時どんなことが起きるのか、世の終わりのしるしについては、いろいろと聖書に記されていますが、ここで述べられているしるしは、大きく分ければ二つではないかと思われます。

『太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。』

そんな天変地異が起きるのか・・、と思うかもしれませんが、いろいろな解釈がありますけれど、ご自分でも調べてみていただきたいと思いますけれど、一つの解釈として、この表現には当時の宇宙観が関わっていると言われます。星々の世界とは、当時、天使たちと悪霊どもの住処だと考えられていました。そして「天のもろもろの力が揺り動かされる」とは、天を支配している悪霊どもが打ち負かされることを意味するというのです。天の諸力が力を失う。それは今まで働いていた悪霊どもが敗北することです。

そしてもう一つ、『人の子のしるしが天に現れます。』天に、人の子のしるしが現れるというのです。どんなしるしが現れるのかについては明らかにされていません。
しかし多くの人たちが考える、人の子のしるしとは何でしょうか。それは「十字架」です。十字架が天に現れるのではないかと解釈する人たちは、多いらしいです。

①天のもろもろの力は揺り動かされる。
②人の子のしるしが天に現れる。

しるしとは、「霊的戦いと、天に現れる十字架」です。他にも世界的なしるしはあるけれど、ここに述べられているしるしは二つです。そして今日のメッセージは、九二年七月九日とリンクして振り返っています。
新城教会で七月九日に霊的戦いが始まりましたが、もう一つ大きなことがあったのです。まずは私個人に起きたことです。私、あまり霊的に感覚は鋭くありません。でも、「あれは絶対に見た!」と言えるのが、九二年七月三十一日に、名古屋家庭集会に行って、西の空にはっきりと十字架を見た事です。あれは幻ではありません。私以外に三人のスタッフの兄弟姉妹がおりました。私と雅也先生がいて、雅也先生が後から「順先生、なんか見た?」と聞きました。雲の中から十字架が出てきたのです。その場所を見ていたら、全員、見ることができたはずです。彼らは寝ていて、私はたまたま天を見ていたら、「わー!十字架だ!」と二回見ました。