〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
時を悟ろう。 〜’92年7月9日(木)をふり返りつつ〜

一回出て雲の中に吸い込まれて消えて、もう一つ出てきたのです。二回、天に十字架が出現しました。本当にびっくりしました。あまりにびっくりすると、すぐには言えないものです。後から指摘されたのです。「今日なんか見た?」と。見ました十字架を。

十字架を見た経験は、私の大きな支えとなっています。
牧師をやっていますけれど、聖書の十字架のストーリーとか読んで、もしもこれがおとぎ話だったらどうしよう?という疑いがよぎることがあります。牧師がこんなことを話してはいけないのですが、聖書のストーリーは二千年以上前のことだし、イエスさまが私の罪の身代わりとなって死んで下さった?本当かな?みたいに、ふっと疑うことがあります。ここで話が終わったら、大変なことになりそうですけれど、やはり、私も人間ですから、正直、ちらっと思うわけです。特に家内が病気になって、死んでいく姿を見て、本当にこの人って天国行ったのかな・・?みたいな、死んでみたら全然違う世界があったらどうしようなんて、ふっと思うわけです。私は正直に話しているのですが。

しかし九二年七月三十一日に十字架をも見た経験は、私の大きな支えです。「十字架を見させてください。」と祈ったわけではありません。突然、西の空に出てきたのです。
イエスさまが私の罪の身代わりとなって十字架で死なれたことも、また再臨も、堅く信じています。そしてこの体験が、私を支えてくれているのです。家内は絶対に天国に行った!と、確信できるのです。やはり人間って弱いですから、ただ活字だけでは疑いやすいです。もちろん、見ずして信じる者は幸いですが、信じきれない自分がいます。人生において、いろいろ苦難を受けると、信仰が揺らぎます。しかし主は私を支える為に、そのような体験をさせて下さったのだろうと思うのです。本当に良かったです。

甲子園ミッションが終わっても、不思議な天のしるしは継続しました。何が起こったと思いますか?今日の午後、バスに乗って、新城市を巡って賛美するプログラムがあります。ぜひ、お出かけください。九二年、九三年、九四年、九五年と、私たちはよく、この町を賛美し回ったのです。ある時は青年たちが十字架を担いで、新城市を七周しました。甲子園ミッションが終わっても、やっていたのです。そうしたら何が起こったと思いますか。ある所まで来たら、天を見上げて「うわーっ!」と叫びました。

なんと新城市の上空に、一九九五年六月二十五日、街を覆い尽くす巨大な雲の十字架が出現したのです。それを見た人たち、この中にいるでしょう。
九二年に霊的戦いが起こった後に、私個人としても、教会全体としても、天にしるしとして十字架が現れたのです。それは、ただの励ましとか、気休めではないはずです。何かと言ったら、やっぱりイエスさまの再臨が近い事を意味していると思われます。それはおとぎ話ではない、もっと真剣に求めて祈れ!という、サインだと思うのです。

それから三十年が経過しました。そして今年は七十周年です。もう一度、主が私たちに強く語っておられるような気がするのです。「時が来ましたよ。時が来ましたよ。もう一度、わたしを求めなさい。」と。
一連の体験を通して、私の生きている間に主が帰って来るのを見られたら素晴らしいなぁと強く思っています。だから何があっても、主に食らいついていこうと決断しています。新しい風が吹いて、マタイ二十四章の人の子の到来の瞬間的ひらめきを、この目で見せていただきたいと心から願っています。
ここにおられる方々が、イッサカル族の二百名のような存在であると信じています。
新城教会に、たまたま来たと思わないでください。主が皆さんをそのために選んで下さったのです。インターネットで礼拝に参加されている方も同じです。主がまもなく帰ってこられることを、心から待ち望んで、主に仕えていきたいと願っています。

今日は、聖餐式礼拝です。聖餐式は重要です。天と地が一つとなって、かしらなるイエスさまを礼拝する重要なひとときです。

『感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』(コリント人への手紙 第一 十一章二十四〜二十六節)

「主が来られるまで」聖餐式は、継続されるのです。イエスさまの再臨を覚えて主の死を告げ知らせる、主の死を宣言する瞬間です。
今から聖餐式を始めさせていただきますけれども、七月は、「地域の霊的戦いと賛美月間」です。もう一度、主のみわざを見せていただこうではありませんか。一言お祈りさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝します。主が帰ってこられるのが間近に迫った時代に生かされていることを心から感謝いたします。今、私たちは、主がこられるまで、主の死を告げ知らせる者として、み前に出ます。今日一人ひとりに聖霊の油を注いでください。天が開かれて、新しい扉が開かれ、新しい風が吹く日であることを宣言します。聖餐式の中で、一人ひとりが時を悟ることができますように。世界は混沌としていますけれど、リバイバルを起こしてください。
このパンを、あなたのからだにしてください。このジュースをイエスさま、あなたの尊い十字架の血としてください。天の教会と地の教会が一つになって、あなたを見上げます。イエスさまの再臨を心から願い、尊いイエスさまのみ名によって、祈りをおささげいたします。アーメン。