大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
被造物の管理人として、我が街・地域のために祈ろう!

高知県での地震に関して、地震学者が東南海地震について説明していました。東南海地震域の震源域内で、すでに様々な地震活動があるけれど、不思議なことが一つあると言うのです。それは震源域内にあっても、地震が長く起こってない地域があると言うのです。「それは今後も起こらないという意味ではありません。ひずみは多く溜まっていますから、大きい地震が起こるかもしれませんけれど・・。」と前置きして、「その地域が愛知県です」と話していました。愛知県だけ、大きな地震が長く起こっていないそうです。それは、地震学上、不思議だというのです。愛知県だけは、ひずみが凝縮されているのではないか?と地震学者は語っていました。
愛知県って、なぜ地震が起きないんですか?みたいな質問がネットにはいくつもあります。みんな感じているみたいです。
どうしてでしょうか。可能性は二つに一つです。「愛知県の地下に、巨大なストレスが蓄積されている」のか、それとも、「教会が祈っているから」なのかではないですか。
皆さん、どちらがいいですか。
「祈っているからですよ!」なんて、うかつに話して、後から大きな地震が起こったら、身も蓋もありません。何とも言えませんけれど、続けて祈る必要があります。

同時に、私たちの信仰が、ことなかれ主義だけの信仰ではいけないです。苦しみのただ中でも、主は支えてくださるという信仰も必要です。
詩篇四十六篇一〜三節に、

“神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ”

大地震が起こり、山が海の中に移ってしまったとしても、『神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。』と、詩篇の記者は詠んでいます。このみことばも、心にとめる必要があると思うのです。

“神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」”(創世記一章二十八節)

神は人類に、この地を治める管理権・支配権を手渡されたのです。パウロはその事を良く理解していました。

「パウロは地球が無生物の土、石、および植物からなるただの物質だとは考えていなかった。彼は地球には記憶があり、『選択する意志』に近い何らかの能力があると信じていた。おそらくその『意志』は現在私たちが知っている意志とは違う。しかしローマ人への手紙八章には、地球が期待したり、虚無に服したり、うめいたり、その完成を切実に待ち望んでいるということを明確に示唆している。」

人間だけに命や意志があるのではないです。神に造られたものはすべて、命があり、意志があるのです。その意志は我々の意志とは違うかもしれません。しかし確実に地球には意志があるわけです。
それらはうめいていると聖書は告げています。彼らは一緒に祈ってくれる、「神の子どもたち」を求めています。
『被造物は切実な思いで神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。』・・・イエス・キリストを信じる者たちが、被造物の切実な思いを知り、心を合わせて、祈ることは重要な聖書の教えです。
ある人がこのように書いていました。

「もしも多くのクリスチャンが、自分が飼っているペットに愛情を注ぐのと同じように植物、自然界の被造物、また土地に接するようになれば、(少なくとも影響力の及ぶ範囲において)我々を通して放たれるキリストの愛に触れた自然界は、かつてないような方法で応答し始めるはずだ。自然界は愛を求めている。孤独にされれば被造物は傷つき、無神経で無慈悲であれば悲しむ。」

ペットを飼っておられる方は、意志が通じますよね。
最近私は、少し植物に愛情と責任を持つようになりました。家内が亡くなる数ヶ月前、それは二二年の夏の終わり頃、家内が鉢植えした花たちが、今年の三月にも咲いたとお話しました。
私は享子さんの代わりに、「主をほめたたえ、賛美しろ!」と声をかけています。「イエスさまが帰ってきて、享子さんが復活するまで、ずっと咲き続けろ!」と花たちにプレッシャーをかけています。すると、また咲きました。
私には分かりませんけれど、二年近くも繰り返し咲くものでしょうか。人間以外にも、愛情って大事だなぁと思います。植物に対しても愛をかける時に、応答して一緒に主を賛美します。この花はイエスさまが帰られたら、家内とも再び会えるわけです。花も、主の再臨を祈っているのではないかと思っています。

ご病気の方々、教会にも多くおられます。しかし病気って、人間だけのものではないですよね。動物、魚、植物など、人間と同じように病気になります。彼らは、別に、罪を犯しているわけでも何でもないのに、人間と同じように、病気にかかります。
先週偶然、一週間で必ず死ぬという金魚を、専門家たちが全力で治療して、一年以上生きながらえているという動画が目の前に来て、結構感動しました。しかし金魚の治療に使われたのは、人間と同じ薬を使って良くなったのです。金魚もストレスを感じると色が変わったりと、人間と同じような意志を持っているのがわかりました。ワンちゃんとかネコちゃんとか、植物だって、人間と同じように病気になるし、人間と同じような薬で治療できるのです。創造主が同じでなければ、こんなことはあり得ないです。
そして、何の罪もない動植物が病気になっていくのは、まさにローマ人への手紙の八章と同じです。「被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではない。」とありますが、詰まるところ、人間の罪ゆえに、呪いの下に入ってしまったのです。

地震は地球の病気かもしれません。地球が暴れるのは、地球に意志があってストレスがあるから、地球も病気ということではないでしょうか。
管理人が地球の癒しを祈る時、地球環境も含めて癒され、地震もコントロールされるのではないでしょうか。

福音とは何か。福音を本当に理解した時、福音は世界中に広がったのです。コロサイ人への手紙一章二十節では、

“その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。”

主イエスの十字架の贖いは、人間の罪の贖いだけではありませんでした。被造物全体の和解の為だというのです。人間の罪により、被造物全体が呪われてしまったのですが、十字架の贖いは被造物全体を含んでいます。
被造物のうめきを聞き、ともに祈る時、イエスさまの再臨につながるのです。被造物は、それを切に願っています。
今の世界の状況、唯一解決できるとしたら、神が地球に降りてきて、「人間の歴史はここまで!」と、自ら地球を支配してくださらないと無理だと思います。
テサロニケ人への手紙 第一 四章十五〜十七節。

“私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”

イエスさまが帰られる日、最初に何が起こるのか、まずは「キリストにある死者がよみがえる」とあります。
新城教会の施設中、最も重要な施設はどこでしょうか。「そりゃぁ会堂でしょう。」いろいろ意見はあるかもしれません。しかし一番大事なのは「納骨堂」です。
なぜなら、イエスさまが帰られる日、納骨堂に現在、二百名近くの遺骨が収められていますが、そこから聖徒たちが飛び出てくるからです。イエスさまが帰られる日、会堂の屋上はすごいことになるはずです。イエスさまが十字架で死なれた瞬間、「墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。」とあるからです。納骨堂には、召天者記念会の時しか登らなかったけれど、ここは大事な場所だと分かって、家内の遺骨が納められているからではなく、復活の現場として、最近、度々行って祈っています。昨日も子どもたちと一緒に、主に祈りました。
聖書の記述を信じるならば、イエスさまが帰られる日、新城教会の屋上は大騒ぎになるはずです。その日を夢見ていきたいと願っています。

午後から、「霊的戦い専門課程ダイジェスト」があります。大変重要なテーマを扱います。
「空中で主と会う」とあります。現在、YouTubeなどを見ますと、イエスさまが帰って来られると、クリスチャンが空に舞い上がっていくように話す人が多くいます。
携挙、ラプチャーとも呼びますが、終末論は、いろいろな理解があります。どれか一つ断定すると、他が偽りになりますから、注意深く聖書を検証しなければいけないです。
「もうすぐ大患難が来る。」とか「携挙が来る。」みたいに話す人たちの終末論は、「空中再臨、地上再臨」の二段階説を採用している人たちです。再臨が一回ではなく、もう一つ付け加えられているのです。それが真実ならばいいですけれど、間違いなら、たいへん大きな問題です。この説は、十九世紀に出てきたものです。
どうしてこのような説が出たのか?その事をお話しします。たいへん重要なテーマですので、少しショックを受ける人もいるかもしれませんが。
空中で主と会うというのも、「空中」はギリシャ語で「アエール」ですが、言葉の意味は、時代と共にどんどん変化します。特に飛行機ができてから、空中が高くなりました。
古代ギリシャ世界の空中の意味を深く調べて、第一テサロニケ四章を、当時の世界観に合わせて訳し直すと、

「主ご自身が天から降って雲に包まれて来られるとき、キリストに結ばれている死者がまず復活して、復活した死者たちと生き残っている私たちとが一緒に召集され、私たちは下界において主を迎えることになるでしょう。」

その根拠として、イエスさまが天に上って行かれた時、弟子たちは唖然として、イエスさまの昇天を見ていたら、

「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

イエスさまの再臨は「同じ有様」だと言うのです。
「主の来臨」が「主の昇天」の際と同じ有様でなされると、天使が語った以上、信者たちだけが「主の昇天」の際と違う有様でイエスさまをお迎えするのは不自然、と言うことになります。
弟子達は皆、地に足がついていたからです。

終末論の背後には、様々な悪魔の仕掛けがあります。それは「霊的戦い専門課程」にて、お話しします。

「被造物は切実な思いで神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます」・・イエスさまの再臨を、被造物全体とお迎えする祈りが必要です。
一人でも多くの人たちに福音を宣べ伝えて、多くの仲間とともに、イエスさまの来臨を祈りたいです。
最後に一言お祈りさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。「被造物は切実な思いで神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。」 私たち、被造物の管理人として、地球環境のすべてのために、また、動植物のためにも心を割いて祈ることができますように。
一刻も早く帰ってきて下さい。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。