「会見のテント」は、ただ単に野外にテントを張って祈ればいいわけではありません。イエスさまも同じ概念で、宿営の外に祈り場を持っておられたことを、見出すことができます。

イエスさまはある時、五千人の人たちに、五つのパンと二匹の魚で養った奇跡を行われました。しかしその後、何をされたかと言いますと、「群衆を解散させてからイエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になって一人でそこにおられた。」とあります。イエスさまの祈り場は「山」でした。イエスさまは神の子でしたが、神の子の特権を使ったのではなく、私たちと同じように、祈りを必要としました。ゆえに、山に登って次の戦いのために祈り備えられたのです。

その後、信じられないですが、湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づかれたという、自然界の法則を超える奇跡を行われました。しかしその前に「山での祈り」があったことを忘れてはいけません。

新城教会には、山の祈り場があります。それは「愛知県民の森」です。

毎週月曜日の夜、勇士たちがこの山に行って、真剣に祈っています。これは会見の天幕に他ならないのです。

皆さんも、会社の帰り道とか、様々な活動の空いた時間に、自分の為の祈り場を設定して下さい。「私はいつもここに来て祈る!」という場所を見つけてください。そうするとモーセと同じように、主がそこに降りて来られて、親しく交わりができるようになります。

ある方は、「私は山には住んでいません!都会に住んでいます!」という方もいます。

マタイの福音書六章六節、

 

『あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。』

 

自分の家の中にも、会見の天幕を設定できます。奥まった部屋に入って、誰かに祈りを聞かれないように扉を閉めて祈れ!と言うのです。神さまはどうも、綺麗に掃除された居間にはおられないみたいです。

英語では、「クローゼット」となっています。クローゼットの中に入り込んで祈るのです。そうすると、隠れたところで見ておられる父なる神が、我々に報いを与えてくださると言う約束です。

私も様々な事件や問題が起きた時には、まずは我が家の奥の部屋に、戸を締めて入って、真剣に祈ることにしています。その時、主が祈りを聞いてくださることを体験しています。

是非、自分の家の中に、「会見の天幕」の部屋を設けて聖別し祈ってみてください。これは聖書の霊的原則ですから、きっと素晴らしい体験ができると信じます。

 イエスさまがよみがえられた後、女たちはイエスさまと出会いました。その事実を聞いても信じない弟子達がいたようです。二人の弟子たちがエマオという村に向かって旅をしていました。すると一人の男が会話に割り込んできました。「あなたたちは何を話しているのですか?」と。それは、よみがえりのイエスさまでした。しかし二人は、イエスさまを認識することができませんでした。しかし、

ルカの福音書二十四章三十〜三十二節、

 

『そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。』

イエスさまは最後の晩餐で制定された「聖さん式」をもう一度、弟子達と共に行われたのです。その瞬間、弟子たちの目が開かれて、「あっ!イエスさまだ!」と認識できたのです。

会見の天幕として重要な空間が、「聖さん式」です。今日は「聖さん式礼拝」です。プロテスタント教会の礼拝とは、本来、どういうものなのでしょうか。宗教改革が行われた時、改革者たちは「礼拝」に、二つの柱をおきました。その一つが「みことばの説き明かし」であり、もう一つは「聖さん式」でした。本来、礼拝において中心にあるべき「聖さん式」が、今日、忘れ去られていると言われます。さらに新型コロナ騒動で聖さん式が教会から消えてしまったと言われます。聖さん式とは、パンとぶどうのジュースを祝福していただく、一見、儀式のように見えるものです。しかしこれは儀式ではなく、神秘なのです。

 

実はモーセが建てた会見の天幕は、やがて神殿として機能するようになりました。そこでは獣が屠られて血が流されて、民のための贖いがなされる場となりました。しかし神殿とは影であり、イエスさまによって本質が実現したのです。

「舟の右側」というキリスト教雑誌がありますが、九月号の特集は、「聖さんの豊かさを知る」というものです。「舟の右側」を、是非とも購読していただきたいと思います。この特集の中にインタビューコーナーがあって、今月号は、私と家内へのインタビューがありました。家内は、ご存じのように、三年前、膵臓癌が発見されて、三ヶ月、四ヶ月の命と宣告されました。しかしそんな危機的な中で、主が聖さん式を行うように導いて下さいました。薬を服用する際、聖さん式を何気なく始めました。なぜなら、教会で聖さん式ができない為に、家で行うようになったからです。すると家内の体調がぐんぐん良くなったことをすでに話していますが、その証が載っています。

また九月号においては、有名な神学者たちが、聖さん式の祝福について論じています。たいへんすぐれた記事です。目からウロコの内容です。

その一人は加藤常昭という大御所の神学者です。もう一人は山口希生という、NTライトの門下生で、新進気鋭の神学者です。彼の論文は本当に目からウロコです。聖さん式って大事だ!ということがよく理解できます。インタビュー記事と併せてそれらを読むと、祝福を受け取ることができます。是非ともお読み下さい。

 

マタイ、マルコ、ルカの三福音書、共観福音書の中には最後の晩餐と聖さん式制定の記事があります。しかしヨハネの福音書では、それが省かれていると言うのです。しかしよく研究すると、ヨハネの福音書ほど聖さん式と、その真理について説き明かしている書はないというのです。

ヨハネの福音書六章五十四節〜五十五節のことばは、イエスさまが最も多くの支持者を失った発言です。

 

『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。』

 

例えば、「この人は私の師匠だ!教祖様だ!」と陶酔している人物がいたとします。ある時その人物が「俺の血を飲んで、肉を食べないと、おまえに命はないから。」と言ったとしたら、どのように反応するでしょうか。

「えー!やばいよ!」と離れると思います。この時のイエスさまの発言はまさにそのようでした。

 

ヨハネの福音書の特徴として、イエスさまは人々に比喩的に語り、民衆は比喩的表現を真に受けて当惑するというテーマがあるというのです。その最たる箇所がこのことばだと言うのです。イエスさまが「わたしの肉を食べ血を飲んだらいのちがある。」という意味は、後に制定される「聖さん式」について語られたものであると言うのです。

しかし民衆はユダヤ人で、血を食べるという事に関して強い嫌悪感がありました。ゆえに、こんなむちゃくちゃ言う人からは離れようとなったわけです。

 

「救われる」為には、どうしたら良いのでしょう。『心で信じて義と認められ、口で告白して救われる。』と聖書は告げています。イエスさまを救い主として信じ、告白したら救われるのです。単純ですね。

しかし、ヨハネの福音書のイエスさまの発言を併せると、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」と語っています。逆を言えば、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まないなら、永遠のいのちはない」という意味になります。

ここから、救いの条件として「聖さん式に参与する」ことにあることがわかります。「聖さん式」は、重要な救いの条件であるのに、昨今のコロナ騒動でさらにそぎ落とされて、教会は真理を失っているのです。礼拝において、みことばの説き明かしは大切ですが、同時に、聖さん式の中に、救い、癒やし、解放、祝福があるのです。聖さん式は、イエスさまと顔と顔とを合わせる、会見の天幕です。

 

三年前、私は、途方にくれました。どうしていいのか分かりませんでした。家内が最も体調が悪かったのは、二〇一九年の十一月、十二月頃でした。十月に、あと三ヶ月、四ヶ月の命と宣告されて、二ヶ月が経過した頃でした。家内と共に過ごせるのは、あと一ヶ月か二ヶ月くらいだろう思いました。腹水と胸水が溜まって、息も苦しい状態でした。毎日、毎晩、熱が出て痛みも強くて苦しんでいました。抗がん剤治療も始まっていなくて、私は残された日々をどう過ごそうかと考えました。それで家内との思い出を整理する為に、昔話でもしようと、忘れていた記憶を呼び戻して、いろいろ話したのを覚えています。

 

先週、寛太が亡くなったという悲しい出来事もありましたが、私にとって、嬉しいこともありました。それを最後に証しさせていただき、会見の天幕と聖さん式のメッセージとさせていただきます。

 

三年前、家内と昔話をする中に、結婚が決まった頃の事を話しました。今から四十七年ぐらい前のことです。

当時、私はグロリア・シンガーズというバンドをやっていました。田舎者バンドでした。しかし当時、シャローム・コーポレーションという、キリスト教会のプロダクションみたいな会社があって、我々に目をつけて、いろいろ鍛えてくれました。あの時、その会社に拾われなかったら、今の新城教会の音楽はありません。

田舎者バンドを、宮川さんという社長がよく面倒を見てくれました。当時はレコードからカセットに移った時代でしたが、「喜びの日々」というアルバムを制作してくれました。それで私はよく、その会社に出入りしていました。その会社は東京都目黒区洗足という場所にありました。

私は結婚が決まりましたから、社長に家内を紹介するために会社に行きました。ちょうどマイクロフォンをその会社を通して買ったので、私は家内を連れて受け取りに行きました。しかしその日、社長はいませんでした。社長がいれば、いつも近くにある美味しいとんかつ屋に連れて行ってくれました。それは目黒駅前にある「とんき」という、有名なとんかつ屋でした。トンカツなんか食べたことがなくて、たいへん興奮したものです。

しかしその日は社長がいなかったので、しかたなく、私は家内を連れて、二人でとんかつ屋に行きました。家内は喜ぶかなと思ったら、あんまり印象がなかったみたいです。私だけうまいと騒いで食べていました。

私はその思い出を、三年前、家内に話しました。「覚えてる?」と聞いたら、「少しは覚えている。」と言いました。すると家内がこう言うのです。

「私が良くなったら、とんきにもう一度、連れて行ってくれる?」私は「もちろんだよ。よくなったら、絶対に連れて行ってあげる。」と答えました。でも内心は、「この状況ではいけるはずはないな・・。トンカツなんて、夢のまた夢だ」と思いました。多分、春頃には家内の葬式だろうと予想していました。私は誰に、葬式の司式をしてもらおうかと考えていました。

しかし、「病気が良くなったらトンカツを食べに連れて行ってあげる」と約束しました。

とんかつ屋の思い出話をしている最中、突然、息子からLINEで写真が送られてきました。その時、送られてきた写真がこれです。

 私は息子に「どこでとんかつ食べているの?」と聞きました。すると、「目黒のとんき」という返信でした。

事もあろうに、私が家内に話していた、目黒の「とんき」で彼はトンカツを食べていたのです!いや〜、もうびっくりでした!

理由を聞いたら、とんかつ屋の近くに、「ブルースアレイジャパン」という、有名なライブハウスがあって、ちょうどその日、仮はそこで演奏する事になっていて、演奏の前か後か知りませんが食事に来ていたのです。それも私が「四十数年前にとんきに行ったよ。」と家内に話をしている最中に、この写真が送られて来たのです。本当にインパクトが強かったです。