〜2022年〜「それは主の復讐の年」
~聖さん式礼拝~あなたの「会見の天幕」はどこですか?

2022年8月28日(日)新城教会主任牧師 滝元順

出エジプト記 33章7~11節
『さて、モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れたところに張り、そして、これを会見の天幕と呼んでいた。だれでも主に伺いを立てる者は、宿営の外にある会見の天幕に行くのを常としていた。モーセが天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、それぞれ自分の天幕の入り口に立って、モーセが天幕に入るまで彼を見守った。モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!

安武さんの演奏、本当に良かったですね。目を閉じて聞いているとまるでロンさんが吹いているのではないかと思うぐらい、ロンさんの音を忠実に受け継いでいる、世界で唯一の男だと思います。これで頭さえ禿げれば、完璧かな?みたいなところがありますが、それは本人も望んでいないのではと思います。昨日から無料で奉仕してくれていますので、プレイズブックスにCDがあると思いますから、是非とも、お買い求めいただきたいと思います。

 

昨日は皆さんにお祈りしていただきまして、私の甥っ子の寛太の召天式をさせていただきました。高い所からですが、心からの感謝を申し上げます。
 思い返せば四年と一ヶ月前、彼は突然、脳出血で倒れました。以来、長い闘病活が続いていたのですが、この数ヶ月、少し調子が悪くて、どうなるのか心配していたのですが、先週、突然天に帰って行きました。是非とも残された家族と将来のために続けて、お祈りをいただきたいと思います。

彼は三十七歳八ヶ月という、短い人生でした。どうしてこんなことが起こるのか、たいへん戸惑います。彼はクリスチャンでした。クリスチャンホームに生まれ育って、心から主を信じ、愛していたのに、どうしてこのような悲惨なことが起きるのかと、信仰者として、大きな葛藤があるのも事実です。

しかしこのような時にこそ、私たちは聖書の真理に立たなければいけないと思います。イザヤ書五十五章九節、昨日の召天式でも引用したのですが、

 

『天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。』

 

私たちは限られた能力と限界の中で、「こうあって欲しい」という願望が強いです。しかし神さまは、永遠というスパンの中で一人ひとりの人生を導いておられます。受け入れ難い、悲惨な出来事や短い人生であったりすると、人間的な判断を下してしまうのですが、神は、『天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高いく、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。』と仰せになります。

続いて、十節、

 

『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。』

 

最近よく雨が降ります。雨水はしばらくすると地に吸い込まれて消えてしまいます。私たちは早く雨が止んで、乾いてほしいと願います。しかし降った雨は元には戻らず、地に吸い込まれますが、これは決して無駄ではありません。雨が降らなければ作物は育ちませんし、飲み水も供給されません。ということは、雨が降り、地に染み込んでいくサイクルの中に、神の業があるわけです。

ある意味、人の生き死にも同じです。なぜ彼はこんな短い人生であったのか?なぜ不条理な死を遂げたのか?色々な疑問と葛藤があります。しかし神はすべてにおいて、私たちより思いが高いのです。み手の中で、何一つ無駄はないのです。

寛太の死も、神の永遠の計画において、大きな意味があったと信じています。

 

詩篇の記者は、百十六篇十五節において、

 

『主の聖徒たちの死は主の目に尊い。』

 

と述べられています。主を信じる者たちの死は無駄ではなく、神の目に尊いことです。永遠を満たす駒の一つなのです。彼の死を永遠のスケールで捉えなければいけないと思います。

 

ダビデ王の子どもが死にかけた時、王は何とか命を助けてほしくて、神の前に七日間断食し、ひれ伏して祈ったという記録があります。王の真剣さを見て、側近たちは恐れました。もしも子どもが死んだら、王は狂ってしまい、側近たちに害を加えるのではないかと心配したのです。それほどダビデは真剣に祈ったのです。

七日目に何が起こったのかというと、真剣な祈りの甲斐もなく、子どもは死んでしまったのです。側近たちは「どのように王に伝えようか・・。」とひそひそ話し合っていたのですが、王は雰囲気を察して、「息子は死んだのか?」と聞きました。

しかし、息子が死んだ事を知った王は、側近が恐れていたようなふるまいをすることはありませんでした。

このストーリーには前後関係がありますので、一概には言えないところもありますが、ダビデの考え方は、基本的に、我々信仰者が共有すべき理解であると私は思っています。

王はこのように語っています。サムエル記第二 十二章二十二〜二十三節、

 

『ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」』

 

子どもが死んだと聞いた途端、王は気持ちを切り替えて、断食をやめ、食事を摂って、元気になりました。これはある意味、私たちも押さえておかなければならない態度ではないかと思われます。

真剣な祈りが必要な時が多くあります。ある時は願いが叶いますが、思い通りにならない時も多々あります。それも踏まえながら、主の前に取り組む必要があるのです。

ダビデのように、「もしかすると主が私をあわれんでくださるかもしれない・・。」という態度が必要です。彼は精一杯のことを主の前にしたのです。

もしも祈りによって、すべての願いが成就したら、私たちが神を操作していることになります。それは間違いです。永遠の計画の中で、人には分からないことが多くあるのです。その事実を知った上で、我々は出来る限りのことを神の前に行う態度が必要ではないかと思います。

 

さて、今朝は「聖さん式礼拝」です。メッセージのタイトルは、『あなたの「会見の天幕」はどこですか?』とさせていただきました。

「会見の天幕」とは、「神と出会う場所」です。神に願いを知っていただくための「場所」です。

「私はいつもあの場所に行って祈る!」という場所はありますか。そんな場所を持っている方は幸せです。祈りと願いがどのように展開するかは別にして、そのような場所を持っているならば、全てが相働いて益となります。

クリスチャン生活とは、祈りの場所をどのように設定するか否かにかかっています。

 

モーセは百万、二百万という民を、エジプトから引き出し、カナンの地の目前まで導いたリーターでした。彼はどうして神に選ばれ用いられたのか。それには理由がありました。

出エジプト記三十三章七節

 

『さて、モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れたところに張り、そして、これを会見の天幕と呼んでいた。だれでも主に伺いを立てる者は、宿営の外にある会見の天幕に行くのを常としていた。』

 

エジプトから荒野に引き出されたヘブル民族は、十二の部族ごとに、それぞれの宿営地を設定して、砂漠を移動して行きました。

モーセも自分の宿営地を持っていたのですが、彼は宿営地の外に、「自分のために会見の天幕」を張っていたのです。

「会見の天幕」とは、どのような場所であったのかというと、「神と出会い、会話する場所」でした。

モーセがテントを持ち出して、何かを始めた頃、民はただ見守っていただけであったのかもしれません。しかししばらくすると、不思議なことが会見の天幕に始まりました。

 

『モーセが天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、それぞれ自分の天幕の入り口に立って、モーセが天幕に入るまで彼を見守った。モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。』

 

モーセが会見の天幕に入ると、雲の柱が降りてきたのです。新城教会の方々は、スパゲッティが天から降ってきたような、シェフが降りてきたようなイメージがありますが、それとは別の話です(新城市内に「雲の柱」というお店があったので・・)。

雲と共に主が降りて来られて、夜は雲の中に火が入るのを目撃したからです。

それから民はモーセが会見の天幕に入る時には、自分の天幕から出て、見守ったのです。また、自分自身が何か主に伺いたいことがあると、モーセが建てた会見の天幕に行って、答えをもらうようになったのです。

 

『雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。』

 

神さまはモーセの友達になって、モーセは神と顔と顔を合わせて語り合う関係にまでなったのです。

こんなふうになれたらすごいですよね。私たちにも会見の天幕があって、神さまと顔と顔を合わせて語りあえたら、どんな問題だって、乗り越えることができるはずです。

ヨシュアという人物は、他の人たちと違いました。モーセが会見の天幕から出て、宿営地に戻っても、彼だけは会見の天幕から離れないでいたと記されています。彼は人一倍、神との交わりを求めていました。会見の天幕から離れないでいたのです。ヨシュアは若かったのですが、後に、モーセの後継者となりました。ほとんどの人たちは荒野で死に絶えてしまいましたが、ヨシュアはカナンの地に入ることが許されたのです。

私たちも、会見の天幕を設定したいものです。

 

この夏、新城教会では、いろいろなイベントがあり大変忙しかったのですが、「サンセット・アロハ」という集会がありました。その集りに向けて、二週間前から「タバナクル祈祷会」が行われました。

 教会の前の駐車場に天幕を張って、朝と晩、真剣に祈りました。集会が祝福されるように、良い天気が与えられるように!素晴らしい集まりとなるように!と、いろいろなテーマで祈りました。

私たちの思い通りにはなりませんでしたが、最善となりました。その日は台風八号が来て、直撃でした。やはり神さまの思いは、私たちよりも高いと思いました。

でも数年前から、新城市は台風が来ても守られています。あの日も、雨は降ったものの守られました。台風は来ましたが、新城市だけは雲が抜けていました。

 時折、雨が降りましたが、準備にはまったく支障ありませんでした。本当に祈りの中で主が勝利を与えてくださったことを体験しました。

夏の新城教会に対する主の恵みは、「会見の天幕を宿営の外に置きなさい!」ということではなかったかと思います。ですから個人的にも、ぜひ実行してみてください。

 

振り返れば一九九二年六月に「ハートフルサパー1000」という集会が計画されました。近くを流れる豊川の河川敷で行われたのですが、その時も、なぜか若者たちが河原にテントを張って、二ヶ月、三ヶ月と、毎日、そこに行って祈っていました。千人集めたいと願っていたのですが、そんなに集まるわけがないと私は思っていました、けれども結果的に、千二百人が集まりました。

 この写真は、新城教会の将来を表す、預言的な写真だと信じています。今回もう一度主が、「宿営の外にテントを張って祈れ!」と語られたのは、次なる大いなることを主は計画されていると信じます。