2026年2月1日(日)新城教会主任牧師 滝元順
ローマ人への手紙 8章38節~39節
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ハレルヤ。すでに2月となりました。本当にあっという間に年月は過ぎ去っていきます。だからこそ、残された時を神のみこころに生きるという思いをもって、日々歩みたいと願っています。
この2月、衆議院選挙が行われます。いわゆる「大義なき解散」とも言われますが、なぜこの寒い時期に、しかも受験シーズンに実施されるのか、理解しがたいところがあります。人間は、結局のところ、自らの権力や利益に傾きやすいのではないでしょうか。私たちは、日本の未来に主のみこころが表されるよう、祈らねばならないと強く思わされます。
2月を振り返れば、1992年2月13日に愛知県民の森で聖霊が臨まれ、新しい扉が開かれた月でもあります。ゆえに私たちは、この2月に期待します。
また、2月は日数が28日しかなく、少し特殊な月です。これは太陽暦ではなく、太陰暦に由来するわけです。聖書は太陰暦の暦を背景として書かれていますから、ある意味で、こうした季節感が「響き合う」かもしれません。
さらに今年の2月には、韓国で「モンゴル、韓国、日本」の三か国が集まっての集会があります。ぜひ祈っていただきたいと思います。まだチケットを購入すれば参加可能だと思いますので、参加できる方はぜひ加わってください。
昨日の情報では、現在モンゴルから32名、日本から24名、韓国は多数とのことでした。モンゴルの熱意には驚かされます。勝ち負けの話ではありませんが、日本からも、より熱い思いをもって出かけていく必要があるのではないかと感じています。私自身、このことについて重荷を覚えておりますので、どうか祈ってください。
とりわけ若い方々にも行っていただきたいと思い、そのためのファンドレイズを本日も行います。本日は二品あります。SSBバーガー、そして本格福子キムチです。どちらも提供されますので、ぜひお求めください。これらはすべて世界宣教のために用いられます。祈りとともにご協力をお願いいたします。2月が祝福されるよう、私たちは特別に祈ってまいりたいと思います。
今年は、新城教会にとって記念の年でもあります。新城市に教会が設立されて献堂70年という節目を迎えます。私の父は北設楽郡津具村に生まれ、戦後、東京で学んでいた時クリスチャンとなり、1950年、生まれ故郷津具に伝道に入りました。津具村では明治中期にリバイバルが起こり、宣教師ジェームス・バラが入っていたこと、そして今も記念碑が建てられていることを、これまで何度もお話してきました。
先週、非常に貴重な写真をいただきました。記念碑の碑文「村井与三吉先生の碑」の書が、賀川豊彦によるものであることは知られていましたが、実はその写真は、賀川豊彦が津具で撮影されたものです。日本に一点しかないのではないかと思われます。かつて旅館を営んでいた家にあったものを、当教会に関わる方が見つけ、昨晩私に送ってくださいました。まさに本邦初公開と言ってよいでしょう。
賀川豊彦が津具に来ていた。そこに集まっている会衆は津具教会の人々なのでしょうか。服装からすると、100年以上前のものではないかと思われます。これは、リバイバルが起こったという証言が「作り話ではない」ことを示す資料でもあります。
新城教会が70年を迎えることについて、「ヨベルの年」が50年であり特別な年であることに重ねて、70年もまた解放の年として互いに響き合うという話をしました。どちらも、捕囚からの解放やリセットという共通のテーマを持ちます。50年は神が定めた律法であり、70年は預言の成就である、という点です。
そして、このバビロン捕囚がなぜ70年に及んだのか。その理由が歴代誌第二36章21節に記されています。私はこれまで十分に気づいていませんでしたが、驚くべきことが書かれています。それは、安息年やヨベルの年を守らず、土地に休みを与えなかったからだというのです。
歴代誌第二36章20~21節にはこうあります。
「彼は剣を逃れた残りの者たちをバビロンに捕らえ移した。こうして彼らは、ペルシャ王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。これはエレミヤによって告げられた主の言葉が成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が70年を満たすまで、この地は安息を得た。」
つまり、土地が人によって汚され疲弊したため、神は人をそこから取り除き、土地を休ませた、というのです。私たちは人間中心的に生きがちですが、神は人間以上に土地を重んじておられるかのようです。なぜなら、人は被造物の管理人として置かれているからです。以前もお話しましたが、ローマ8章は、人の救いが被造物全体の回復へとつながり、聖霊によって完成へ導かれていくことを宣言しています。その中で、重要な役割、すなわち管理人としての役割を担うのが人なのです。
たとえば、土地のオーナーが管理人を雇い、管理を委ねていたにもかかわらず、その管理人が土地を荒廃させてしまったとします。するとオーナーは、管理人よりも土地を重んじるゆえに、管理人を厳しく叱責し、場合によっては解雇するでしょう。土地のオーナーは神であり、管理人は私たちです。私たちが管理を怠るなら、私たちが取り除かれることすらあり得る、ということです。特に日本は地震も多く、土地との対立が激しい国です。勝手なことを続けていれば、土地から吐き出されるようなことが起こるかもしれません。
しかし、今日私たちが共に読んだ箇所は、「死をも越える主イエスの愛」を語る、まことに力ある御言葉です。ローマ人への手紙8章38~39節は、新改訳2017では次のように記されています。
【新改訳2017】
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
実に驚くべき宣言です。ここだけ読むと、「何が起きても大丈夫」というように受け取られかねません。しかし、この二節はそうではありません。被造世界全体に働く「あらゆる分離の力」が、神の愛に対して無力化されているという、パウロの宇宙規模の確信宣言です。人間にとって都合のよい慰めの言葉というより、被造世界全体に働く分離の力が無効化されている、という壮大な宣言なのです。
そこで私たちは、「神の愛」とは何か、どのようなものかを理解しなければなりません。人間に「愛」という感覚があるのは、神が愛という性質を持っておられ、それを分け与えておられるからです。しかし、人間の愛と神の愛は大きく異なります。私たちはしばしば、愛を熱量や感情の強さというグラデーションの強弱で測ろうとします。けれども、神の愛はそうではありません。神の愛は、その「確かさ」にあります。人間の感情の揺れに左右されない、絶対的な定数としての愛、それが神の愛です。
人間の愛は、些細なことで変わり得ます。男女の愛も、強く誓ったとしても、状況が揺さぶられれば変化することがあります。しかし神の愛はそうではありません。決して動くことのない、確かな愛です。その愛の中で私たちは養われているのです。神の愛とは何かを短く言えば、「それは愛情の強さではなく、神の側の愛の確かさである」と定義できるでしょう。変わることのない神の愛によって、主を信じる者は包まれています。
そしてこの箇所は、「死も交わりを断てない」と語っています。死んだら愛も交わりも消えるのでしょうか。私たちが死の当事者となったなら、神の愛も交わりも消えてしまうのでしょうか。しかし、死も命も、いかなる被造物も、私たちを神の愛から引き離すことはできないのです。ここで語られているのは、感情的慰めではありません。神の愛とは、キリストのからだへの参与から、死ですら人を切り離せないという客観的宣言です。もし死者が聖徒の交わりから外れるなら、この宣言は成立しない、ということになります。
新城教会76年の歴史の中で、多くの方々が天に帰られました。天に帰った方々はどうなっているのか、私たちは時に不安に感じます。私も、妻が天に帰って三年以上が経ち、どこへ行ってしまったのかと思うことがあります。しかし、地上にいたときは神に愛され、神との交わりがあったのに、死後の世界に移った途端にそれが消えるのではないのです。死者が「聖徒の交わり」から離れることはない、という宣言がここにあるのです。死後の世界の聖徒たちも神の前で愛されており、地上の聖徒と天上の聖徒は、イエス・キリストにあって交わりを断たれていないのです。
以前にも紹介しましたが、サムエル・ストーンが作詞した賛美歌、聖歌201番「キリスト・イェスを基として」の4番は次のように歌います。
「この世と天(あめ)に別れ住めど み民は聖き神にありて
共に交わり 共に待てり キリストイェスの 来る日をば」
英題は “The Church’s One Foundation” であり、「教会の唯一の土台」という意味です。この歌には、いくつもの節がありますが、中心は4番にあります。地上と天に別れ住んでいても、神にあって共に交わり、共に待つことができる。それは、イエス・キリストの来臨を待つという共通の領域に生きている、ということです。新城教会の歴史の中で天に帰った方々も、同じ希望の中にあります。
この賛美歌が作られた背景にも理由があります。1866年にイギリスの牧師サムエル・ストーンによって作詞されましたが、当時は聖書を批判的に扱い、教会の伝統的教理を否定する異端論争が起きていました。その混乱の中で、「教会とは何か」「信仰の土台は何か」を信徒に明確に教える必要があり、使徒信条の「聖なる公同の教会」「聖徒の交わり」を解説するための連作の一部として書かれた、というのです。神学的説明だけでは届きにくいことも、歌にすれば会衆が理解できる。そこで書かれたのでしょう。
使徒信条は、使徒自身が書いたものではなく、3~4世紀の初期教会において洗礼の際に用いられた信仰告白が基礎となり形成された文章です。異端への対抗と正統信仰の確認のために整えられ、西方教会を中心に普及し、現在の形に定着しました。洗礼式の際に、信仰告白として唱えさせてから洗礼を授けた、という歴史があります。
また重要なのは、使徒信条が教皇権を正当化するために作られたものではなく、教会分裂以前の共通遺産であるという点です。宗教改革以降、プロテスタント教会は唱える教会と唱えない教会があります。理由の一つは、カトリック教会が「公同(カトリック)」を自派の根拠として強く主張し得る点に、警戒があるからでしょう。しかし内容の原点を押さえるなら、これは極めて重要な告白です。
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信じる。
我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信じる。
主は御霊によりて宿り、処女マリアより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを裁きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン。」
私はここに一つ付け加えたい願いがあります。「我は聖霊を信ず」の後に、「我は霊的戦いを信じる」と入れてほしいのです。なぜなら、私たちは目に見えない戦いの只中にあるからです。霊的戦いを信じると告白することは、非常に重要だと考えます。
そこで私はAIにも尋ねてみました。すると、「神学的にはすでに含まれている。使徒信条は異端との激しい霊的戦いのただ中で作られたもので、背景として含まれている。しかし現代的には、その必要性が高まっている。公式改定より、解釈と実践で回復すべきだ」という趣旨の回答でした。確かにそれも一理あります。しかし、私はやはり、霊的戦いの自覚は今日の教会に不可欠だと思います。