イエスが言われた時刻

2025年12月28日(日)新城教会副牧師 滝川充彦

ヨハネの福音書4章51~53節
51 彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。
52 子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。
53 父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。

ハレルヤ!皆さんおはようございます。
今日こうして、2025年最後の日曜日の聖日のときを皆様とともに守れることを感謝いたします。皆さん、今年はどのような年であったでしょうか?

様々なことが皆様の個人個人の歩みの中にもあったかと思いますが、今日という日を迎えられていることを感謝したいと思います。

2025年最後の日曜日ということですので、少しだけ2025年を振り返ってみたいと思います。

2025年は、「神が働きを加速される年」と神さまからのみことばの約束が与えられて始まっていきました。この年、新城教会においても大きな出来事は、やはり県民の森で行われたモンゴルと韓国と日本の合同リバイバル聖会ではなかったかと思います。100名以上のバーベキュー大会すごかったですね。


そして県民の森での聖会では、国を超えて言葉を超えて民族を超えて皆が一つとなって、主に目を向け、熱く燃やされるときでありました。また聖霊降臨記念祈祷会には、100名以上の方々が集って、本当に寒い夜でありましたけども、月明かりのもと祈りを捧げることができ、聖霊の新しい油注ぎが与えられてこの年を始められていったという印象があります。

そして韓国の春川の先生方の一つのチームが帰国できず、図らずもモンゴルと韓国と日本が合同で礼拝を持つ恵みのときが与えられ、合同のサッカー大会まで行われました。

またこの年、新しく始められた働きとしては、ヘブンズアイスのもう一つの部門「ヘブンズファーム」ですね。一つぶの種から始まった働きでありました。何もない畑をみんなで石取りをして草取りをしましたね。いろんな方々が助けてくださって、またヘブンズの皆さんが、本当に労してくださって素晴らしいガーデンとファームとなってきました。そして大きな収穫が与えられました。

そしてやはりこの夏は、韓国で行われた次世代キャンプも大きかったかなと思います。この新城教会からも、10数名の子供たちが遣わされました。次世代に神さまが触れてくださったときでありました。

そしてまた、夏の伝道コンサートを久しぶりに開催し、会場いっぱいの人々が集められましたね。特に上條頌さんの働き、クワイヤーの働きにより、素晴らしい伝道のときを持つことができました。

またモンゴル・ゴビ砂漠リバイバルミッションですね。あのゴビ砂漠まで行くなんて信じられないことですが、神さまが成し遂げてくださいました。

そして、先日まではクリスマスということで、多くの集会が持たれました。

子どもクリスマスには多くの子供たちが集められて、信仰告白の祈りも導かれました。

また、クリスマスコンサートも神さまがこの選ばれた魂が送られ、良い伝道のときとなりました。

クリスマス礼拝とまたインターナショナルのクリスマス礼拝も祝福されました。

また水曜クリスマス礼拝では、新城教会で生まれたウクレレチーム”つちくれ”が素晴らしい賛美を届けてくれました。皆さんの地域で演奏して欲しいという方がおられましたらぜひお声をかけてください。

そしてプレイズウォリヤークリスマススペシャルということでバーベキューをして、たくさんお肉を食べて、力一杯賛美を捧げました。この年、新しい賛美チームが起こされて、新しい賛美が与えられてきました。私達が思いも及ばないようなみわざを神さまが成し遂げてくださいました。

2025年、神が働きを加速してくださった年となりました。

それではですねみことばに移っていきたいと思います。

今日は、「イエスが言われた時刻」というタイトルで、”神さまのときの中で私達は生かされている”そのことを王室の役員の子どもの癒しの記事から皆さんともに受け取っていきたいと思います。まず一度、この記事全体の聖書箇所を読んでみたいと思います。

では46節から

46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。
47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。
48 イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」
49 王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」
50 イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。
51 彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。
52 子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。
53 父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。

子どもが病気になって死にかかっていた状況でありました。私には3人の子供たちが与えられております。やはり親としての気持ちを考えるとき、王室の役人は心配で仕方がなかったと思います。
私の子供たちが40度ぐらいの熱を出すときは、これからどうなってしまうだろう、いつ直るのだろかと、そんな思いだけで、神さまがこれから良くしてくださる、信仰を持つことも出来ないですね。

この王室の役人の場合は、子どもが死にかかっている状況であったわけですから、私の経験する以上のつらく困難なときを過ごしていたと思います。

この記事の前に、カナでで水をブドウ酒に変えられた奇蹟をイエス様がなされました。おそらくその地域一帯にその噂が広がっていたのではないかと思います。

王室の役人は、水をぶどう酒に変えた奇蹟の人がいるという噂を聞いて、もしかしたらこの人なら自分の子どもを直すことができるかもしれない、そんな希望を持ったのではないでしょうか。

ですから、このカペナウムというところに王室の役人はいたわけですが、そこからカナまでは約40キロもの道のりがあるのですが、その道のりを旅をして、イエスさまのところに出向いていきました。父親の必死な姿が思い浮かびます。

40キロの道を経て、イエスさまのところに来ました。イエスさまは何と言われたかというと、

49 王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」
50 イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。

イエスさまはその王室の役人に対して、言葉しか与えなかったんですね。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」直訳だと「あなたの息子は”生きます”」という意味です。王室の役人にとっては期待外れではなかったかなと思います。言葉しかくれなかったわけですよ。しかしその王室の役人は、イエスさまの言葉を信じて、帰っていきました。そして帰っていく途中に王室の役人のしもべたちが彼を迎えて、子どもが良くなった時刻はちょうど、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だということを知ることになりました。イエスさまが「あなたの息子は治ります」と語った時点で既に神さまの奇蹟は成就していたということを知るわけです。

時々、私達は祈り続けていても祈りが聞かれない。神さまは私を見捨てられてしまったのかと思うようなときがあるかもしれないですね。しかし、この記事から知ることが出来ることは、神さまがご自身のご計画の中で言葉を語ったならば、そのときにもうすでにそのみ心は完成している。成就しているということ。そして、私達はその神さまのみわざに出会う時、時々、時間差があるということを今日覚えていきたいと思います。王室に仕える役人は、イエスさまの言葉を受け取ったときには、まだ息子が治ったという奇蹟を受け取りきれてはいなかったです。しかし、帰っていく途中で、この癒しの奇蹟のみわざを受け取ったということです。役人がイエスさまの奇蹟と出会うのに、時間差がありました。

私はまだ神さまのみわざを受け取っていない。奇跡を受け取っていない。そんな方がおられたとしても、それは時間差があるだけ。私達は決して失望する必要はないです。神さまのみ心ならば、もう既にその奇蹟のみわざは私達のうちに起こっている。ただその奇蹟のみわざを私達は目撃していないだけです。

次に、人は、”今”というときにしか生きることができない限界のある存在であるということを見ていきたいと思います。私たちは、1秒前の過去に戻ることも、また、1秒先の未来にも進むことはできません。人は、”今”というときにしか生きることができないそんな存在であります。そのことを4世紀の神学者・哲学者であるアウグスティヌスという人が、「人間の線状的時間意識」と表現しました。
過去のものは、現在の記憶である。そして現在のものの現在は、今、直感的に感じること。直覚。そして未来のものの、現在に抱く期待である。人は、”今”という現在という点を中心に、過去・現在・未来を捉えるという存在であると表しました。

一方神さまは、過去も現在も未来も全てのときを支配している存在であります。神さまは私達の過去の罪も赦してくださいます。贖うことができます。そして現在の私達も、支えてくださいます。そして未来には将来と希望を、素晴らしいご計画を神さまは持って私達を導いてくださる。神さまは、この天地が造られる前から存在され、そして天地創造をされて、やがてこの地に神の国を完成してくださる。初めであり終わりある。アルファでありオメガである方であります。神さまは、人が今を扱うように全ての時、過去・現在・未来を支配されています。ですから、神さまの時の概念の中では、神さまみ心は、決して遅れることなく、必ず成就されていっているのです。しかし、人間は”今”というときにしか生きることができない限界のある存在ですので、神さまのみ心の時に用意されている全てのご計画を全て知り尽くすことはできないのです。伝道者の書の3章11節には、

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

話は変わりますが、先日、子どもクリスマスがとても祝福された報告がありました。私はこの教会のすぐ近くで生まれ育ちました。そして小学校の頃は、滝元順先生の息子さんと同級生でしたので、小学校の頃よく子どもクリスマス会に参加していました。この場所に集っていました。当時の子どもクリスマス会では、ゲームのカセットが当たるということで、楽しみにして参加していました。そこで歌った賛美が、ホザナ王の王イエスだったと思います。”ホザナ”という言葉が小さい頃からずっと私の心の中に残っていました。また、順先生の奥様の享子さんが、毎年、子供たちのためにクリスマス会を自宅で開いてくださって、そこにも参加して、楽しいときを過ごさせていただきました。きよしこの夜を歌った記憶があります。その当時、私に福音を伝えてくださった故に、その十数年後に、私は23歳のときに洗礼を受けることになり、現在の私がいるのです。そして、子どもクリスマス会のメッセージを私がするようになっているのです。私は、キリスト教なんて信じられないと、背を向けて教会に足を運ぶことがなくなった者でありました。しかし、神さまの福音の種は確実に植えられていて、後に実を結んだわけです。その当時、私がこの場所でメッセージをする人間になるだろうと期待をして、滝元享子さんが私に関わってくださっていたかというと、そうではなかったと思います。しかしそのときになすべきこと、福音宣教のために働かれた、その実が、後になって結ばれたということだと思います。私達は全ての時を見通すことはできませんが、神さまが語られる言葉を受け取り応答していく、生きていくな存在となっていきたいと思います。
この年の新しい働きとして「世界宣教ファンドレイズ」というものもありました。子どもたちが、韓国リバイバルミッションに参加出来るようにサポートをしようということで献金を募りました。韓国では子どもたちが聖霊に触れられて良いときを持つことが出来ました。これも種蒔きですね。どのような実を結ぶか分かりません。来年は春川においてリバイバルミッションが開催されますので、多くの子供たちも送ることができればと願っております。また世界宣教ファンドレイズを行っていきたいと思います。第二の滝川充彦を発掘出来るのではないでしょうか。