2025
神が働きを加速される年!
主のみ名によって出て行こう!
Mongol Gobi Revival Mission に向けて

2025年8月17日(日)新城教会主任牧師 滝元順

コリント人への手紙 第一 15章20節~22節
”しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。死がひとりの人を通して来たのですから、死者の復活もひとりの人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。”

ハレルヤ!皆さん、おはようございます。

7月21日から今日まで、皆様方のお祈りによって守られたことを心から感謝しています。明日からはモンゴルに出かけます。どうか祈りによって支えていただきたいと願っています。

今日読んだ聖書箇所には、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって、いや、被造物全体の贖い(あがない)のために死んでくださったことによって、ひとりの死を通して、すべての人々の復活につながったと記されています。

しかし、同時に、アダムが罪を犯したことによって、すべての人類が罪の中に閉じ込められてしまったという、両極端が描かれています。第一コリントの15章を、家に帰ったら読んでみてください。これは、「復活」というテーマで書かれている箇所です。

今朝、これを読んで大変感激しました。ドミノは一つが倒れると、一気に全部が倒れてしまうものです。ひとりの責任はかなり重要です。ひとりがどのような決断をし、どのような行動をとるかで、将来に大きな影響を残しすからです。

しかし、私たちがイエス・キリストに従うと「逆ドミノ」です。ひとりが立ち上がると、他の人々も立ち上がっていくのです。それも人だけでなく、被造物全体の上に救いが臨んでいくのです。

教会の歴史を振り返ってみても、ひとりの人が救われたことによって、多くの人の救いに結びついていることが分かります。最近、歴史を学ぶときに、多くのことが教えられるというお話しをさせていただいています。

詩篇48編12節~14節
シオンを巡り、その周りを歩け。その塔を数えよ。
その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。
この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。

年をとると昔話が多くなるものですが、過去に神が何をしてくださったかを新しい世代が知ると、神は死を超えて私たちを導いてくださるのです。新城教会も、世代交代のただ中にあります。

今まで主が働いてくださった歴史を、次の世代にどう継承していったらいいのか。これは今、日本中の教会でテーマとなっている課題です。そのための秘訣は、過去に神が何をしてくださったのかを**「知る」**ことです。

エルサレムに行くと、多くの遺跡があります。古代の塔が立っていたり、城壁があったり、それは数々の戦いがあったことを今に伝え、同時に「神はエルサレムを守られたのだ」と教えてくれます。

過去の戦い一つひとつを覚え、神がどのように助けてくださったかを覚えて、そのことを次の世代に告げ、それを受け継いでいく。情報を共有することで、神は死を超えて私たちを導いてくださる、という約束です。

伝道者の書 9章14節~15節
わずかの人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て包囲し、それに対して大きな土塁を築いた。
その町に、貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を救った。しかし、だれもその貧しい人を記憶にとどめなかった。

聖書の記述を見ると、さまざまな有名な人物たちによって世界が変わったことを示しています。ひとりの人物が、自分自身だけでなく周囲の人々の将来を開いた事例が数多く描かれています。

ノアは彼の信仰と従順によって、まず彼が洪水から救われ、新しい人類の歴史が始まりました。

アブラハムは神の呼びかけに応じ、彼の信仰が多くの民族の父となるという約束につながりました。モーセは、彼の指導力によって、イスラエルの民はエジプトの奴隷状態から解放されました。また、ヨシュアの信仰と勇気が、イスラエルを約束の地に導いたわけです。

しかしながら、このような有名な人たちの周りには、名も知れない多くの人たちがいました。その人たちによって歴史は変わったのです。私たち一人ひとりは、名前を知られない存在かもしれません。しかし、ひとりの働きによって、世界は変わるのです。

イエス様の父なる神様に対する十字架への従順が、なんと全人類と全被造物を贖ったのです。私たちはイエス様の人生に対応しているということです。

このような原則を私たちが知るとき、一人ひとりの働きが本当に重要であり、その存在は本当に尊いものです。教会にこうして集められたお一人おひとり、神様の大きな計画の中では、名を残すことはないかもしれませんが、決して無駄ではなく、それが終わりの日に神から大きな評価を得ることに違いありません。

そんな中、モンゴル・ゴビ・リバイバルミッションが明日から始まります。ぜひお祈りをお願いします。

かつて世界を支配した大帝国がありました。それがモンゴル帝国です。なんと、西のヨーロッパの端からロシアの近隣まで、広大な大帝国が築かれました。チンギス・ハンによって統一された大帝国は、日本もあと少しでその一部になる寸前でしたが、なんとか助かりました。

今のようなインフラがなくとも、砂漠に住む遊牧民たちの団結によって、大帝国が築かれたのです。モンゴルの人たちは、すごく力のある人たちだと思います。そこに今回行って奉仕をします。

今回、リバイバル集会を開催する教会は、ゴビ砂漠にある「トゥルー・ジョイ・チャーチ、真の喜びの教会」です。ウランバートルから南に数百キロ、砂漠の道を揺られていくわけです。その教会で奉仕するのですが、ゴビ砂漠、モンゴルの気象条件はなかなか過酷です。年間気温差は90度です。月平均の気温差が50度です。明日からどんなふうになるのか分かりません。

日本から16名、韓国から6名、計22名で訪問することになります。日本人が主体で行くことになります。

ゴビ砂漠の人たちは、ほとんどがチベット仏教とシャーマニズムの中に生活していました。今でもそれは強い影響力があるのですが、そこに福音が伝わっています。

その背景に、あるひとりの人が神に従った歴史があります。

18世紀から19世紀、アメリカで大きなリバイバルが起こりました。そのときの中心人物が、チャールズ・フィニーとD・L・ムーディーでした。この二人が立ち上がったことによって、アメリカが霊的覚醒を体験したのです。

特にD・L・ムーディーは、神学教育はおろか、まともな学校教育すら受けていなかったといわれます。また、フィニーは、「教えの正しさを、実践の場でどれだけ人を救えるかで証明する」と論じ、神学的な厳密性はあまり重視しませんでした。しかし、フィニーは元々弁護士で、基礎教育の他、弁証術の訓練も受け、ある程度の教育を受けていた人物です。

けれどもムーディーは、そのいずれもなかった点が、それまでの福音主義の伝道者とは大きく異なっていました。

今、韓国で牧師になるのは至難の業です。神学大学を卒業し、神学大学院まで進み、その上、アメリカの神学校に留学して博士号を取らないと、韓国教会の牧師にはなれないそうです。私には絶対無理です。日本でよかったです。

韓国の神学校は人で溢れています。一つの教会の牧師になるのは、すごく大変なのです。しかしムーディーの時代は、そういう神学的なことはあまり強調されませんでした。人を救うことができるかどうかで、神学的正しさを実証したのです。彼は靴屋の職人でしたが、聖霊を受けて伝道者として立ち上がったのです。

そして彼はアメリカを変えるほどに用いられた人物でした。そんな只中、スウェーデンからフレデリック・フランソンという人物が、17歳のときに経済的危機を理由に、アメリカに移住しました。そこで彼は、ムーディーの影響を強く受け、スウェーデンに戻りました。

やがてフランソンは、深い霊性と強い意志、優れた組織能力に特徴づけられた宣教団を設立しました。それは、ムーディーによって強い影響を受けた宣教団だったのです。

彼は、職人、裁縫師、看護師、農民など、あらゆる社会階層から人材を募集しました。それは従来の制度に裏付けられた宣教団とは異なるアプローチでした。形式的な資格よりも、熱意に基づいて、より広範囲で迅速な人材を確保したのです。

フランソンは、厳しい神学教育や博士号を持った人材ではなく、社会全体から熱意ある人たちを集めて宣教団を形成したのです。

彼は、1897年9月、スウェーデンのボルネッチで集会を開催し、翌10月はストックホルムでモンゴルの現状について講演し、宣教活動への経済的支援を呼びかけました。

その集会で、二人の若者がモンゴルでの宣教活動を決意し、SMM、「スウェーデン・モンゴル・ミッション」が誕生し、二人はモンゴルに遣わされたのです。

しかし、スウェーデンからモンゴルに出かけても、言葉は通じず、気候は厳しく、さまざまな違いに耐えられずに、二人は途中で宣教を断念しました。それでもSMMは、1898年から1944年まで、太平洋戦争が終わる前年までに33名の宣教師をモンゴルに派遣し続けたのです。

その中で3名が殉教し、5名が病死し、3人の子どもたちがモンゴルで亡くなったと言われます。SMMは、戦乱が続くモンゴルで、厳しい自然環境の中、言語と文化の壁を乗り越えながら、粘り強く宣教活動を行いました。

スウェーデン人がモンゴル語で福音を語っても、救われる人は少なかったようです。しかし、この宣教団は社会のいろいろな階層から形成されていました。特に医療関係が多かったようで、モンゴルで医療奉仕をし、そのことをきっかけに、多くの人たちが救われたと言われます。

このように、モンゴルの遊牧民たちに最初に福音を伝えたのは、スウェーデン宣教師たちだったのです。

しかし1900年、一つの大きな事件が中国で起きます。それが「義和団の乱」です。

これは中国で起こった反乱で、彼らはある宗教団体でした。彼らはクリスチャンを迫害するため、特に宣教師や改宗したキリスト教徒を標的にしたのです。

この反乱によって、約220人の宣教師が殺され、うち45人がスウェーデン人宣教師だったそうです。そして数えきれないほどの中国のキリスト教徒が虐殺されました。スウェーデン・モンゴル宣教団もこの影響を受けて、1900年6月にはエミル・バールステッドとヘリバーク夫妻が、「ゴビ砂漠で殺害された」と記録されています。

この痛手により、宣教団が新たな宣教師を派遣するまでに5年を要したそうです。

明日からゴビ砂漠に行きますが、そこではスウェーデン宣教師たちの血が流れたという歴史があります。

やがて中国で共産革命が起こり、終戦後、モンゴル宣教師たちは相次いで日本に渡りました。そしてSMMはSMJMと名称を変えました。それがスウェーデン・モンゴル・ジャパン・ミッションです。

ゴビ砂漠、内モンゴル、外モンゴルで働いていたスウェーデンの宣教師たちは、共産革命によって中国、モンゴルから追放されたのです。しかし彼らは母国に戻るのではなく、戦後の混乱の只中にある日本にきたのです。

そんな背景の中、新城市の隣町、豊川市にもスウェーデン宣教師たちが来たのです。

私の父の著書『われ土方なれど』の197ページは、今まで何度も紹介したように、こんなふうに記されています。

「それから数日後に麻工場の機械を手にしながら働いているとき、実に不思議なみ声を耳にした。…確かに私の耳元で神の聖霊が語りかけられた。『今日あなたが家に帰ると、スウェーデン宣教師のところで手伝いをしている三輪真知子さんがあなたの家に行きます。そして宣教師はあなたに伝道に来てくれるように依頼するでしょう。そしてまた、他の宣教師もあなたを招き、ついには日本中を回って伝道するようになるでしょう。』」

父は当時、豊橋の麻工場で働く「職人」でした。機械を手に麻をなめしていたのでしょう。そんなときに、不思議な声を聞いたのです。

「スウェーデン宣教師のところで手伝いをしている三輪真知子さんという人が、あなたの家に来ます」と、こんな具体的な名前まで知らされていたのです。

なんと、この日の夕方にこのことが実現しました。私は三輪さんという人物が実際に存在したのかどうか調べてみました。すると、スウェーデン宣教師が開拓した教会の記念誌に、「昭和29年、三輪真知子受洗」と記録されていました。