2025年4月27日(日)グレース・ライフ・チャーチ協力牧師 神戸輝明
ルカの福音書 22章31~34節
“シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」”ルカの福音書 22章54~62節
“彼らはイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペテロは遠く離れてついて行った。人々が中庭の真ん中に火をたいて、座り込んでいたので、ペテロも中に交じって腰を下ろした。すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。
しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。
主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って、激しく泣いた。”
ハレルヤ!皆さんおはようございます。今、紹介していただきました神戸輝明と申します。静岡県の浜松市から来ました。この新城教会では田中進先生が、いつもよくいろんな関わりを持っていますけども、そのグレース・ライフ・チャーチで、一月から協力牧師という立場で仕えています。
一言お祈りをいたします。
天の父なる神さま、この朝、あなたがこうしたみことばを私たちに与えてくださってありがとうございます。一人ひとりの心をあなたが今、柔らかくしてください。そして、主のみことばがしっかりと一人ひとりの心に根を張って、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶことができますように、祝福してください。語る者をイエスさまの血潮によって聖めてください。主のみことばをまっすぐに、大胆に伝えることができるように助けてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
今日読んだ箇所は有名なところですね。すごく悲しい場面ですが、ペテロが十字架の直前、イエスさまを裏切ってしまって泣き崩れたという、そんな場所でした。
先週は復活祭を記念して、皆さんも礼拝を捧げたと思いますけれども、私たちの人生には挫折とか失敗というものはつきものです。そういう本当に打ちひしがれた、そこから立ち返る、立ち直る、というのが復活の力そのものなわけです。そのことを本当に体験するのがクリスチャン人生です。
今日は、この箇所を通して「立ち直らせる力」というテーマでお話したいと思いますけども、最初にちょっと写真を一枚紹介したいと思います。
少し見にくいのですが、うちの玄関に飾ってあった花瓶、三月三十日に撮った写真です。桜の花が枝のところから咲いている写真を撮ったのですが、実はこの写真、なぜ撮ったかというと、この枝は枯れ枝みたいな感じで、正月に母親がお花を生けるのが好きで、この花瓶に正月に飾ってあった花束にこの枝物として、ただの枝として刺さっていたものなのです。それを母親は水を替えながらずっと手入れしていました。でも切花ですからだんだん枯れていって、ちょっとずつ枯れたのは取り除いて、そしてもう最後、枝だけが残っているような状態になっていました。一月に飾った花瓶ですから、三月三十日ということは、もう三ヶ月ぐらい経ってしまったわけです。
それがある日突然、枯れ枝だと思っていたところに、急に桜の花がばっと咲いたという出来事なのです。それで驚いて、母親も「花をいけてきた人生の中で、こんなのは初めて見た」と。桜の枝だということも気づいていなかったらしいです。花屋で、ただ水の中に挿してあっただけなのです。そんなことあるんだと思って、すごく驚きました。
僕もちょうど今、全国いろんな所を訪問して回って忙しくしているので、家にほとんどいないのですが、この日ちょうど帰ってきた日の朝に、急に玄関に桜が咲いていたので、「え?桜の枝、折ってきていいの?」と思って、最初はびっくりしたのですが、「違うのよ。これは一月に飾ってあったやつが急に今日、花が一斉に満開になったんだよ」と。そういう出来事なのです。
これは、まさに復活の命というか、それを象徴するような出来事だと思って、心に本当に残りました。神さまが何か啓示を与えてくれたぐらいの、そんな気になりました。もう枯れた、もう死んだと思っていたところに、神さまは命を与えることができる方なのだと。
今日の箇所からそのことを学んでいきたいのですが、三つのことをお話ししたいと思います。「立ち直らせる力」として三つのポイントです。
一つ目のこと。それは、「とりなしの祈り」です。新城の皆さん、本当によく祈る皆さんですから、とりなしの祈りの大切さ、よくご存知だと思います。今日の箇所、二十二章三十一節と三十二節をもう一度読みます。
“シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」”
イエスさまはあらかじめペテロのために祈っていたということが、ここではっきりとわかります。この後、ペテロがどんな運命をたどっていくのかも、イエスさまはよく知っていたので、こうやってあらかじめ前もってとりなして祈ってくださっていたという場面です。
私たちは、何度も言いますけれど、弱さの故に挫折したり、失敗することが必ず人生の中にあります。それが「私は一度もありません」と言える人は、一人もいないはずです。もし本当にそう言う人がいたら嘘つきです。失敗したことない人なんていないのですから。それを神さまはよく知っているので、祈ってとりなしてくださる。それがイエスさまです。
イエスさまも復活して天に帰られた後、私たちのためにとりなしてくださっているお方です。大祭司となって私たちをとりなしているのがイエスさま。この祈りの力というのは、決して気休めではありません。
皆さんも祈られて、「私は本当に助けられた」ということを感じたことがきっとあると思うのです。これは現実的な助けです。どんなに力強いものであるか。
今僕はさっきも言いましたが、政治に挑戦することになって、全国を訪問するようになって、恵みもたくさんあるのですが、戦いも多くあります。霊的な戦いと感じるような出来事がすごく多くあります。その中で、本当に印象に残る出来事がありました。先ほどの桜の花が咲いた直前に、僕は山梨県を回っていたのですが、そのときにある出来事がありました。
その日も教会を訪問する予定だったのですが、朝、ある方から直接電話がかかってきて、それは、応援の電話ではなくて、ものすごく厳しい、罵倒されるみたいなひどい電話でした。それはかなり心を打ち砕かれるような出来事で、しかも電話してきた人はクリスチャンでした。
だから、同じイエスさまを信じている仲間だと思っている人でも、政治が関わるとアレルギーを起こす人もいるし、いろんな立場の人もいるので、しょうがないのですが、それにしても、脅迫ぐらいの、しかも本人に直接言うというのはなかなかすごいです。感情的になって、うわーっと、全然聞く耳もなく、僕の話も聞いてくれないぐらい、すごい電話でした。
電話を切った後、本当に心が打ち砕かれて、やめようかなと本当に思いました。「好きでやっているんじゃない。神様に導かれてこういう決心をしたんだけれども、何で、こんなこと言われないといけないんだろう」とか、本当に悲しい気持ちになりました。
でもその日の約束があったので、教会訪問に出かけました。そして、一軒目に行って、二軒目に行く途中、暗い気持ちで運転していたら、右側に教会がありました。
その教会は、行く約束はしていない教会でした。看板はすごく大きいものが出ていて、行き道にもあったので「ここに教会があるな」と気にはしたのですが、誰も住んでいないみたいな感じでした。「この教会は行ってもしょうがないかな」と思っていた教会でした。
地元の先生に聞いたら、「その教会の牧師さん知ってるんだけど、もう住んでないし、会ったことないよ。どこに住んでるかも知らないし、多分すごい少ない人数しか集まってないから、無理に寄らなくてもいいかもね・・・」と言われました。
僕も気にはなっていたけれど、通り過ぎて行こうとしたら、めちゃくちゃ落ち込んで通りかかったときに、ちょうど車が教会に停まっていたのです。「あっ!誰かいる!」と思って、反射的にその教会に入りました。
すると牧師さんが、ちょうどいたのです。話してみたら、私が若い時にあったことのある先生でした。そうしたら、「今この教会には四人ぐらいしか来てないんだ」と。ただ、一年前に不思議な神の声を聞いて、「見よ。私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている」という、そのみことばが鮮やかに語られて、それから実はこの教会に不思議なことが起こっているという証しを聞かせてくれました。僕も感動して、「それはすごいですね」と。
そこで、私も「政治に挑戦しようとしてるんです」という自己紹介をして、「実はそれでこの地域を回ってきました」と話したら、私の手渡したパンフレットを見た先生が、「え?あんたが国政に挑戦するのか?」とか言って、たいへんびっくりして、そして、なんかワナワナ震えだして、「今から言う話は本当のことだから、よく聞いてくれ」と言うのです。それでなんかすごいドキドキ、何を言うんだろうと思いました。
そうしたら、「今日の朝、僕はこの教会に来て祈っていた。そのときに、今まで人生の中で一度も祈ったことのない祈りに導かれて、ものすごく長く祈らされたんだ。何かわかるか?」と言うのです。「いや、わかるわけないですよ・・・」と言って。
そうしたら、「この国の政治のために祈るように」という、ものすごい強い促しが来て、一時間以上祈らされたんだというのです。ネブカデネザルのダニエル書のストーリーが浮かんできて、「国の王が間違ったことをすると大変なことになる。日本の政治が混乱してきているので、本当に良いリーダーが起こされるように」と、真剣に、「今まで政治には興味もなくて、一回もこんなこと祈ったことないのに、なんでかわかんないけれど、そのためにずっと祈らされたんだ。そうしたら、あんたがやってきた。牧師で、政治に挑戦しようとする人が来るなんて、信じられない。」と言って、「私は今までこんなに応援したいと思った政治家は生まれて初めてだ」と言って、それでもう泣きながら、祈ってくれました。
僕は本当に驚きまして、その日の朝、ひどく心を打ち砕かれる出来事があって、行く予定にもなかった教会にふらっと寄ったら、ばったり会った先生からそんなことを言われたわけです。神さまは全て見ているんだと、本当にそのときに確信しました。
しかもその日、その牧師は本当はいなかったのに、「忘れ物をしたのに気づいて、教会に戻ってきたタイミングであんたが来たから、これ一分、二分、ずれてたらもう会えなかったよ」と話しました。忘れ物を積み込んで出ようとしていたと。確かに僕が寄った時に、車のドアが開きっぱなしになっていたのです。
だから本当に神さまがこの絶妙なタイミングで会わせて、しかもその先生にそういう思いを与えて祈ってくれていたのです。僕が本当に傷ついて、すごいダメージを受けることを、あらかじめ、とりなして祈っている人がいたという、その出来事に、何とも言えない神さまの励ましをいただいたという、出来事でした。